この命が消えたとしても、きみの笑顔は忘れない

水瀬さら

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第5章 別れてください

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 目を開けると、心配そうにわたしを見下ろしている顔が見えた。

「芹澤さん、大丈夫?」

 白衣を着た女の人……ああ、ここは保健室だ。

「……大丈夫です」

 起き上がろうとしたら、止められた。

「教室で倒れたのよ。真っ青な顔で」
「ああ……」

 そうだ、春輝に腕をつかまれたあと、胸が痛くなって……。
 保健室の先生が、優しく尋ねる。

「風邪で一週間も欠席してたのよね? 病院には行ったの?」
「いえ……」
「栄養のあるもの食べてる?」

 わたしは言葉を詰まらせる。
 食事はほとんど摂っていなかった。

「おそらく貧血だと思うけど、ちゃんと病院で診てもらったほうがいいわね。いま、保護者の方に連絡して、迎えにきてくれることになったから」
「えっ!」

 わたしは勢いよく起き上がった。

「芹澤さん! まだ寝てないと……」
「迎えにくるんですか?」
「え、ええ。叔母さんという方が来てくれるわよ」

 わたしは布団の端をぎゅっと握りしめた。
 叔母さんが来たら、なにを言われるかわからない。

「あの、わたしひとりで帰れますから!」
「だめよ。まだ顔色が悪いんだから。叔母さんと一緒に病院に行かなきゃだめ」

 そのときドアをノックする音と、女の人の声がした。

「芹澤奈央の叔母です。このたびは奈央が大変お世話になりました」

 叔母さんは先生に向かってそう言うと、丁寧に頭を下げた。

「いえ。それより奈央さんを病院に連れていってあげてください。おそらく風邪で体力が落ちているのと、貧血が重なったんだと思いますが。それと栄養のある食事を摂らせてあげてください」
「わかりました」

 もう一度頭を下げた叔母さんが、わたしのほうを見る。突き刺すような目つきで。

「奈央。支度をして」
「……はい」

 おずおずとベッドから下り、身支度を整える。荷物は美鈴が持ってきてくれたそうだ。わたしのことを、すごく心配してくれていたらしい。

「先生、お世話になりました」
「お大事にね」

 叔母さんと一緒に廊下に出る。静まり返った校内を歩き、外へ出た途端、叔母さんがわたしの頬を殴った。

「わたしに恥をかかせないでよ!」

 叔母さんは怒りで震えている。

「わたしが病院にも連れていかないで、食事も与えてないみたいじゃない!」

 わたしは黙ってうつむいた。

「風邪ひいたのは、あんたが夜遅くまでほっつき歩いていたせいでしょ! 食事はいらないっていったのもあんただし、食事代はちゃんと渡していたわよね!」
「はい」

 反論はできない。わたしはもう、ここしか居場所がないってわかってる。

「本当にもう、とんだお荷物だわ。どこか行ってくれないかしら」

 大丈夫だよ、叔母さん。あと少ししたら、わたしは……。

「じゃあおれがもらっていきます」

 その声にハッとした。

「いいでしょ、おばさん。おれがもらっても」

 体がぐっと引き寄せられる。振り向くと、すぐ後ろに春輝が立っていた。

「あんた誰なの?」

 叔母さんが春輝のことをにらみつける。

「渋谷春輝っていいます。奈央さんとつきあってます」

 ふっと笑った叔母さんが、冷たい視線をわたしに送った。

「すぐに男を味方につけるところ、あんたのお母さんとそっくりね」

 わたしはぎゅっと唇を噛む。

「冗談言ってないで帰るわよ。早くこっちに来なさい」

 叔母さんの言葉に、わたしは言い返した。

「帰らない」
「は?」
「帰りたくない!」

 わたしは両手で春輝の腕をつかむ。
 そばを歩く歩行者がちらちらとこっちを見て、叔母さんの顔が赤くなった。

「ふざけてるんじゃないわよ! 恥ずかしい!」
「ふざけてません!」
「いい加減にしなさい!」

 叔母さんの手が伸び、わたしを引き寄せようとした。だけどその手を、春輝が振り払った。

「いい加減にするのは、おばさんのほうでしょ」

 春輝の声に、叔母さんの顔がさらに赤くなる。

「おばさんさっき、奈央のこと殴ったよね? それにおばさんが、いつも奈央にひどいことしてるって、おれ知ってるよ。先生に話してもいい? それとも児童相談所?」
「な、なに言ってるの!」
「チクられたくなかったら、奈央を自由にさせてよ。奈央はおばさんの奴隷じゃないんだから」

 通りすがりの人がまたこちらを見て、叔母さんが怒りと恥ずかしさでわなわなと震えている。

「か、勝手にしなさい! どうせすぐに帰ってくるんでしょ! 高校生になにができるっていうのよ!」

 背中を向けた叔母さんが、逃げるように去っていく。
 わたしは呆然とその背中を見送る。

「奈央」

 わたしはハッと春輝から手を離した。
 なんでこんなことになっちゃったんだろう。わたしは春輝と別れようと思ったのに……。

「一緒に帰ろう」
「一緒にって……春輝、学校は?」
「具合悪いって言って、早退してきた」
「もしかして……わたしのために?」

 春輝が少し笑って、わたしの手を取る。

「ねぇ、奈央、病院行こう? 体調悪いんだろ?」

 わたしは黙ってうつむく。

「どこか悪いところがあって……それでおれから離れようとしてる?」
「わたし……どこも悪くないよ?」
「また嘘ついてる。わかるんだよ、おれには」

 春輝がわたしの手を強く握った。そしてわたしを引っ張るように歩き出す。

「ちょっ、春輝……どこ行くの?」
「まずは病院。それからおれんちに来ればいいよ」
「で、でも……」
「心配しないでいいから。大丈夫」

 大丈夫……春輝に言われると、なんだか本当に大丈夫な気がしてきた。
 叔母さんとはうまく離れられて。わたしも死ぬことはなくて。
 このままずっと、春輝といられるような気がしてきた。

「おれが入院していた病院に頼んであげるから。一度ちゃんと診てもらえよ」

 春輝の声にうなずく。春輝はわたしを、駅のそばの大きな病院に連れていった。
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