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第2章 笑顔にしてみせるから

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 雨のせいか、今日の海は荒れていた。白波が立ち、岩場に波しぶきがかかる。
 わたしは傘もささずに、石の上を鳥居に向かって歩く。
 やがて見慣れた洞穴が見えてきた。神様のいる祠のある洞穴だ。
 濡れたままそこへ駆け込むと、隅っこに小さくなって春輝が座っていた。

「奈央?」

 春輝はびしょ濡れのわたしを見て、立ち上がった。

「濡れすぎだろ? なんでカッパ着ないの?」

 春輝が自分のレインコートを脱いで差し出したが、わたしはそれを断った。

「いい。もう濡れてるし」
「でも……」

 わたしはなにも言わずに、洞穴の隅に座った。春輝もその隣に座る。
 雨はしのげるが狭いので、わたしと春輝の肩がぶつかってしまう。

「奈央……怒ってる?」

 春輝がぽつりとつぶやいた。

「奈央のこと、彼女じゃないって言っちゃって」

 わたしは首を横に振る。

「なんで怒るの? わたしは彼女じゃないんだから、間違ってないでしょ」

 春輝はちょっとふてくされたような顔をして、わたしに聞く。

「じゃあなんで怒ってるんだよ?」
「怒ってない」
「怒ってるじゃん。本気で」

 わたしは黙った。

「おれは毎日奈央のこと見てるから、わかるんだよ」

 一面雲に覆われた空から、雨が降り続く。今日の海は、空と同じ鉛色だ。

「なんか言われたの? 美鈴たちに」

 膝を抱えたわたしの顔を、春輝がのぞき込んでくる。
 狭い洞穴の中、いつもよりずっと距離が近い。

「話してよ。なんでも、おれに」

 黙っていたら息苦しくなってきて、言葉と一緒に吐き出した。

「美鈴に言われたの。わたしは不倫相手の子じゃないかって」

 言いながら、なんの感情もないことに気づいた。
 考えないようにしていたけれど、勝手に聞こえてくる噂話から、わたしはとっくに気づいていたんだ。

「お母さんは最後まで話してくれなかったけど……たぶんそれ、本当だと思う」

 祠のそばで、小さく息を吐く。

「わたしのお母さん、喜んで田舎から東京に出ていったのに、ちやほやされたのは最初のうちだけ。そのうち仕事もなくなって、不倫相手との間にわたしができて、この町に逃げ帰ってきた」

 若いころの、着飾った笑顔の写真ばかり、わたしに見せていたお母さん。

「でもお母さんは、その男のことと、華やかな世界のことが忘れられなかった。だから彼が迎えにきてくれることを祈りながら、娘のわたしを自分の代わりにしようとしていたんだ」

 強い波が勢いよく、鳥居に打ちつけた。風がごおっと不気味な音を立てている。

「でも最後までお母さんは、その人に会えなかった」

 この祠に向かって、真剣に祈っていたお母さん。

「きっとお母さんが不倫なんかしたからだね。だから神様は怒って、お母さんの願いを聞いてくれなかったんだ」

 それに以前、春輝も言っていた。

『それはだなぁ、奈央が自分の望みばかり願ってるからじゃん?』

 自分の望みばかり願っていたから。お母さんがわがままだったから。
 だからお母さんの願いは叶わなかったんだ。

「お母さんは……本当にバカだ」

 口に出したら、目から熱いものがこぼれた。それが頬を伝って、ぽとりと膝の上に落ちる。

「だけどわたしはそんなお母さんに……自分のことを見てほしかった」

 習い事も、綺麗な服もいらないから。

「男のことばかりじゃなく、わたしのことも愛してほしかった」

 ぽろぽろと、涙があふれて止まらない。

「奈央。泣かないで」

 春輝の声がすぐそばから聞こえる。

「……泣いてないよ」
「泣いてるよ」

 春輝の顔が近づいてきたと思ったら、頬に柔らかくてあたたかいものが触れた。
 えっ、と隣を見ると、春輝がいたずらっぽい顔で笑っている。

「だってしょっぱいもん」

 そのときやっと、頬にキスをされたんだと気づく。
 かあっと顔が熱くなり、それが全身に伝染した。

「なっ、なにすんの!」
「いいじゃん、このくらい。おれたちつきあってるんだし」
「つきあってません!」
「頑固だなぁ、奈央ちゃんは」

 春輝があははっと笑うから、なんでわたしは泣いていたのかわからなくなる。

「でもよかった。泣きやんでくれて」

 春輝の声が耳に響く。

「奈央。話してくれて、ありがとう」

 わたしの頭に春輝の手が触れた。今度はなに?と身構えたら、「よしよし」と頭を撫でてくれた。

「こ、子ども扱いしないでよ」
「だって可愛いんだもん。今日の奈央ちゃん。写真撮りたいくらい」

 春輝はわたしの顔をのぞき込み、じっと見つめて言う。

「でも今日はやめとく。この可愛い顔は、おれの心の中に、大事にしまっとく」

 また顔が熱くなった。それを見られたくなくて、顔をそむける。そうしたら春輝が近づいてきて、わたしたちの体がぴったりくっついた。

「いいね。雨の日も」

 春輝が荒れた海を眺めながらつぶやく。

「こうやって、くっついていられるもんね」

 わたしはなにも言わなかった。いや、言えなかった。
 春輝と触れ合った部分が熱くて……自分の心臓の音がただひたすらうるさかった。
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