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第2章 笑顔にしてみせるから
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「叔母さん、行ってきます」
キッチンに立つ叔母さんの背中に声をかける。反応はない。『わたしのご飯は作らなくていいです』と言ってから、ずっと機嫌が悪いのだ。
叔父さんは気配を消すように、ダイニングテーブルで食事をしていた。わたしに対しても、叔母さんに対しても、叔父さんは口を出さない。というより、面倒なことに関わりたくないのだろう。
キッチンから出て、玄関へ向かう。
きっとあんなこと、言うべきではなかったんだ。叔母さんの作ってくれた料理をありがたく食べて、従妹の恵麻のおしゃべりに微笑んでいればよかったんだ。
「まったく可愛げがないんだから」
キッチンから漏れた叔母さんの愚痴が、わたしへのものだとわかっている。
「あ、奈央ちゃん、もう行くの?」
セーラー服を着た恵麻と、玄関の近くでばったり会う。一歳違いの恵麻は、近所の中学校に通っている。
「うん。学校遠いから、もう出ないと」
「大変だねぇ。わたしだったらあんな高校、絶対行かないけどな」
わたしは恵麻の前で苦笑いをする。
家から遠くて、交通の便が悪い高校を選んだのはわたしだ。お母さんが亡くなってから転校してきた中学では、まわりと馴染むことができなかったし、その前に通っていた中学でも、いい思い出なんかひとつもない。
だから高校は、できるだけ知っている人がいないところに行きたかったんだ。
そんなことを考えていたら、恵麻の手がすっと伸びて、わたしの長い黒髪に触れた。
「いいなぁ、奈央ちゃんの髪、まっすぐで。うらやましい」
恵麻の髪はくせ毛で、毎朝必死にヘアアイロンで伸ばしている。
「この髪、伯母さんに似たのかな? 奈央ちゃんのお母さんも、すごく綺麗な髪だったもんね」
わたしはなにも言わず、当たり障りのない笑顔を見せる。
「それに伯母さん、めっちゃ美人だったよね。若いころスカウトされて、映画に出たことあるんでしょ? ママが言ってたよ」
恵麻はちょっと周りを見まわしてから、わたしの耳元に顔を近づけ、ささやいてくる。
「ママってね、奈央ちゃんのお母さんがうらやましかったみたい。ママも演劇とかやってたけど、プロにはなれなかったから」
その話は聞いたことがあった。叔母さんは勝手にわたしのお母さんをライバル視していたって。それにお母さんは芸能界に入るため家出同然で実家を出ていったから、亡くなった祖父母やお母さんの弟である叔父さんにもよく思われていないんだ。
だからわたしなんて引き取りたくなかっただろうけど、姪のわたしを放っておくことはできず、渋々家に置いてくれた。
「恵麻、そんなところでなにやってるの?」
キッチンから叔母さんが顔を出し、わたしがいることに気づくと表情を曇らせた。
「あんた、まだいたの?」
わたしは急いで靴を履き、もう一度「行ってきます」と言って外へ出る。
誰からも「行ってらっしゃい」という言葉は、返ってこないけど。
自転車をこいで学校に向かう。すると途中の交差点に、自転車に乗っている見覚えのある男子生徒の姿が見えた。
「あ、奈央! おはよー」
わたしは顔をしかめる。ゆっくりと自転車で近づくと、明るい声で春輝が言った。
「よかった。死んでなくて」
「……なんでここにいるの?」
「迎えにきたんだよ。おれの彼女のこと」
「は? 彼女?」
わたしは思わず声を上げた。
「わたしあんたとつきあうなんて、一言も言ってないけど?」
「え、あ、そうなの?」
「昨日ちゃんと言ったでしょ! 『つきあうわけない』って!」
「聞こえなかったなぁ。風強かったし」
こいつ……絶対ふざけてる。
昨日は気になって、眠れなかったのに。
わたしのせいで冷たい海に入らせちゃって、風邪ひかなかったかなとか。『つきあうわけないでしょ!』なんて冷たく言っちゃって、悪かったなとか。
信号が青になる。わたしは春輝をにらんで、きっぱりと言った。
「いい? 学校では絶対、わたしに馴れ馴れしくしないでよ」
「え?」
「馴れ馴れしく声かけたり、写真撮ったりしたら、二度と口きかないから」
「えー、それ、ひどくね?」
「ひどくない。だってわたしあんたのせいで、昨日美鈴たちに……」
言いかけてやめた。別に春輝のせいってわけじゃない。
顔をそむけ、ペダルを踏み込もうとしたら、腕をつかまれた。
「じゃあ、誰もいないところで話そう?」
わたしはブレーキをかけ、春輝を見る。
「今日の放課後、あの海の鳥居のとこで待ってる」
「え……」
春輝はにかっと笑うと、わたしから手を離し、自転車で走り出す。
「あ、ちょっ……」
呼び止めようとして、口を閉じる。
知らない、あんなやつ。
『今日の放課後、あの海の鳥居のとこで待ってる』
あいつが来るなら海なんて、絶対行かないんだから。
キッチンに立つ叔母さんの背中に声をかける。反応はない。『わたしのご飯は作らなくていいです』と言ってから、ずっと機嫌が悪いのだ。
叔父さんは気配を消すように、ダイニングテーブルで食事をしていた。わたしに対しても、叔母さんに対しても、叔父さんは口を出さない。というより、面倒なことに関わりたくないのだろう。
キッチンから出て、玄関へ向かう。
きっとあんなこと、言うべきではなかったんだ。叔母さんの作ってくれた料理をありがたく食べて、従妹の恵麻のおしゃべりに微笑んでいればよかったんだ。
「まったく可愛げがないんだから」
キッチンから漏れた叔母さんの愚痴が、わたしへのものだとわかっている。
「あ、奈央ちゃん、もう行くの?」
セーラー服を着た恵麻と、玄関の近くでばったり会う。一歳違いの恵麻は、近所の中学校に通っている。
「うん。学校遠いから、もう出ないと」
「大変だねぇ。わたしだったらあんな高校、絶対行かないけどな」
わたしは恵麻の前で苦笑いをする。
家から遠くて、交通の便が悪い高校を選んだのはわたしだ。お母さんが亡くなってから転校してきた中学では、まわりと馴染むことができなかったし、その前に通っていた中学でも、いい思い出なんかひとつもない。
だから高校は、できるだけ知っている人がいないところに行きたかったんだ。
そんなことを考えていたら、恵麻の手がすっと伸びて、わたしの長い黒髪に触れた。
「いいなぁ、奈央ちゃんの髪、まっすぐで。うらやましい」
恵麻の髪はくせ毛で、毎朝必死にヘアアイロンで伸ばしている。
「この髪、伯母さんに似たのかな? 奈央ちゃんのお母さんも、すごく綺麗な髪だったもんね」
わたしはなにも言わず、当たり障りのない笑顔を見せる。
「それに伯母さん、めっちゃ美人だったよね。若いころスカウトされて、映画に出たことあるんでしょ? ママが言ってたよ」
恵麻はちょっと周りを見まわしてから、わたしの耳元に顔を近づけ、ささやいてくる。
「ママってね、奈央ちゃんのお母さんがうらやましかったみたい。ママも演劇とかやってたけど、プロにはなれなかったから」
その話は聞いたことがあった。叔母さんは勝手にわたしのお母さんをライバル視していたって。それにお母さんは芸能界に入るため家出同然で実家を出ていったから、亡くなった祖父母やお母さんの弟である叔父さんにもよく思われていないんだ。
だからわたしなんて引き取りたくなかっただろうけど、姪のわたしを放っておくことはできず、渋々家に置いてくれた。
「恵麻、そんなところでなにやってるの?」
キッチンから叔母さんが顔を出し、わたしがいることに気づくと表情を曇らせた。
「あんた、まだいたの?」
わたしは急いで靴を履き、もう一度「行ってきます」と言って外へ出る。
誰からも「行ってらっしゃい」という言葉は、返ってこないけど。
自転車をこいで学校に向かう。すると途中の交差点に、自転車に乗っている見覚えのある男子生徒の姿が見えた。
「あ、奈央! おはよー」
わたしは顔をしかめる。ゆっくりと自転車で近づくと、明るい声で春輝が言った。
「よかった。死んでなくて」
「……なんでここにいるの?」
「迎えにきたんだよ。おれの彼女のこと」
「は? 彼女?」
わたしは思わず声を上げた。
「わたしあんたとつきあうなんて、一言も言ってないけど?」
「え、あ、そうなの?」
「昨日ちゃんと言ったでしょ! 『つきあうわけない』って!」
「聞こえなかったなぁ。風強かったし」
こいつ……絶対ふざけてる。
昨日は気になって、眠れなかったのに。
わたしのせいで冷たい海に入らせちゃって、風邪ひかなかったかなとか。『つきあうわけないでしょ!』なんて冷たく言っちゃって、悪かったなとか。
信号が青になる。わたしは春輝をにらんで、きっぱりと言った。
「いい? 学校では絶対、わたしに馴れ馴れしくしないでよ」
「え?」
「馴れ馴れしく声かけたり、写真撮ったりしたら、二度と口きかないから」
「えー、それ、ひどくね?」
「ひどくない。だってわたしあんたのせいで、昨日美鈴たちに……」
言いかけてやめた。別に春輝のせいってわけじゃない。
顔をそむけ、ペダルを踏み込もうとしたら、腕をつかまれた。
「じゃあ、誰もいないところで話そう?」
わたしはブレーキをかけ、春輝を見る。
「今日の放課後、あの海の鳥居のとこで待ってる」
「え……」
春輝はにかっと笑うと、わたしから手を離し、自転車で走り出す。
「あ、ちょっ……」
呼び止めようとして、口を閉じる。
知らない、あんなやつ。
『今日の放課後、あの海の鳥居のとこで待ってる』
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