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第1章 死にたかったんでしょ?
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「わたしのお母さん、若いころちょっとだけ芸能界にいたの。全然売れなかったけど」
隣から声は聞こえない。わたしは続ける。
「たぶん、中途半端に終わった夢があきらめきれなくて、わたしを代わりにしようとしてたんだと思う。お金かかるのに、ピアノもバレエも習わせてくれたし、口ぐせみたいに『奈央の笑顔は可愛いよ』『ママに似て綺麗だよ』って言ってた」
こんなこと、誰にも話したことない。それなのに、どうして春輝になんか話しているんだろう。
「わたしにはお父さんがいなくて……でもお母さんはお父さんのこと、ずっと忘れられないみたいで、神様にすがってばかりいたの。わたしはそんなお母さんを見るのが嫌だったし、お母さんの代わりにさせられるのもすごく嫌だった。でもお母さんにはわたししかいないから……ずっと支えてきたつもり」
胸が苦しくなって、一回深く息を吐く。それでもまた、苦しさを吐き出すように続ける。
「そんなお母さんも病気で亡くなって……張りつめていたものが、切れちゃったっていうか……もうわたしなんか、この世界に必要ないんじゃないかなんて思って……」
「うん」
春輝がうなずいてくれた。わたしの背中に、春輝のあたたかい手がそっと触れる。それがなんだかすごく安心できて……わたしはまた口を開く。
「わたしいま、親戚の家で暮らしてるの。叔父さんと叔母さんには感謝してる。自分たちの子どももいてお金がかかるのに、わたしを引き取ってくれて、高校にも行かせてくれて……」
話しはじめたら、もう止まらなくなった。
「でも叔母さんは、制服を買ったり学用品を買ったりするたびに嫌味を言うから、正直きつくて……高校には行かなくていいって言ったら『そんなことしたらわたしたちが、あんたを高校に行かせてやらないみたいじゃない!』って怒って……」
春輝の手が、子どもをあやすかのように、背中をさするように撫でてくれる。
「夕食もね、『あんたのせいで、ひとり分多く作らなきゃいけなくなった』って毎回言われるの。だからわたしのご飯は作らなくていいですって言ったんだ。そしたら『わたしの食事が不満だって言うの?』って、また怒らせちゃって。結局『勝手にしなさい』ってお金をくれるようになったから、毎日コンビニで買ってひとりで食べてる」
叔父さんと叔母さんがいなければ、わたしは生きていけなかった。だから嫌なことも我慢して、自分の心を殺して生活していたけれど……もう限界だった。
「一緒に住んでる従妹には『奈央ちゃん、ママにおこづかいもらっていいなぁ、好きなもの食べ放題じゃん。うらやましい』なんて言われて。うらやましいならわたしと代わってよって思う。お父さんもお母さんもいないわたしと代わってよって」
涙をこらえて、前を見つめる。
夕日が海の向こうに沈んでいく。あたりがゆっくりと暗くなっていく。
「他には?」
春輝の声が聞こえた。
「言いたいことあるなら、全部言っちゃえよ。おれ、いくらでも聞いてやるから」
黙り込むわたしの背中を、春輝の手が撫でる。
「その代わり死なないで。おれ、芹澤さんが死んだら困る」
「……なんで?」
前を見たまま聞く。するとわたしの耳に、春輝の返事が聞こえてきた。
「おれ、夢ができたんだ」
ゆっくりと視線を動かす。隣の春輝は嬉しそうに笑ってこう言った。
「映画監督になって、いつか映画を撮ってみたいんだよね」
「映画?」
「もちろん主演は芹澤さんで」
「は?」
口を開けたまま固まったわたしを見て、春輝が声を立てて笑う。
「だから主演に死なれたら困るんだよ。もう決めたし」
「決めたって……勝手に決めないでよね!」
「いや、もう決めてるの。はじめて芹澤さんに会ったときから」
はじめて会ったとき?
「おれの前に立ちはだかってくれた芹澤さんの背中、すっごいかっこよかった。でも少し震えてるところが、なんか放っておけなくて。そんであいつらを追い払ったあと、安心したようにおれに見せてくれた笑顔がめっちゃ可愛くて……ひとめぼれだった」
かあっと、顔が熱くなる。
「そのとき思ったんだ。どうせ生きなきゃいけないなら、この子の映画を撮ろうって」
「ひ、飛躍しすぎじゃない?」
噴き出すように笑って、春輝が続ける。
「でもそれきり、芹澤さんには会えなくてさぁ。おれ必死に捜したんだよ。友達のつてを頼って、やっと中学がわかったと思ったら転校してるし。そのあとも執念で捜しまくった」
「怖いんだけど」
春輝があははっと明るく笑う。
「それだけおれが、芹澤さんに惚れてるってこと。わかってくれたかなぁ?」
「わかるわけないでしょ。そんなのただのストーカーじゃん」
わたしは立ち上がると、ブレザーを春輝に押しつけた。
「これ、ありがとう。もう大丈夫だから」
「帰るの?」
「……帰る」
帰る場所なんてないけれど、帰るしかないんだ。
じゃりっと足元の石を払ってから、重い足を踏み出す。そんなわたしの背中に声がかかった。
「奈央!」
びくっと肩を震わせ立ち止まる。
「おれとつきあって」
その声が耳を震わせ、胸の奥に染みていく。
「つきあってよ、おれと」
ごくんと唾を飲み込んでから、ゆっくりと振り返る。まっすぐ届く春輝の視線と、わたしの視線がぶつかり合う。
「……でしょ」
「え?」
「つきあうわけないでしょ!」
叫んで石の上を急いで歩く。階段を駆け上り、自転車にまたがり、思いっきりペダルを踏み込む。
空き地には、春輝の自転車がぽつんと止めてあった。あたりはもう薄暗い。春輝はわたしのあとを、追いかけてはこなかった。
隣から声は聞こえない。わたしは続ける。
「たぶん、中途半端に終わった夢があきらめきれなくて、わたしを代わりにしようとしてたんだと思う。お金かかるのに、ピアノもバレエも習わせてくれたし、口ぐせみたいに『奈央の笑顔は可愛いよ』『ママに似て綺麗だよ』って言ってた」
こんなこと、誰にも話したことない。それなのに、どうして春輝になんか話しているんだろう。
「わたしにはお父さんがいなくて……でもお母さんはお父さんのこと、ずっと忘れられないみたいで、神様にすがってばかりいたの。わたしはそんなお母さんを見るのが嫌だったし、お母さんの代わりにさせられるのもすごく嫌だった。でもお母さんにはわたししかいないから……ずっと支えてきたつもり」
胸が苦しくなって、一回深く息を吐く。それでもまた、苦しさを吐き出すように続ける。
「そんなお母さんも病気で亡くなって……張りつめていたものが、切れちゃったっていうか……もうわたしなんか、この世界に必要ないんじゃないかなんて思って……」
「うん」
春輝がうなずいてくれた。わたしの背中に、春輝のあたたかい手がそっと触れる。それがなんだかすごく安心できて……わたしはまた口を開く。
「わたしいま、親戚の家で暮らしてるの。叔父さんと叔母さんには感謝してる。自分たちの子どももいてお金がかかるのに、わたしを引き取ってくれて、高校にも行かせてくれて……」
話しはじめたら、もう止まらなくなった。
「でも叔母さんは、制服を買ったり学用品を買ったりするたびに嫌味を言うから、正直きつくて……高校には行かなくていいって言ったら『そんなことしたらわたしたちが、あんたを高校に行かせてやらないみたいじゃない!』って怒って……」
春輝の手が、子どもをあやすかのように、背中をさするように撫でてくれる。
「夕食もね、『あんたのせいで、ひとり分多く作らなきゃいけなくなった』って毎回言われるの。だからわたしのご飯は作らなくていいですって言ったんだ。そしたら『わたしの食事が不満だって言うの?』って、また怒らせちゃって。結局『勝手にしなさい』ってお金をくれるようになったから、毎日コンビニで買ってひとりで食べてる」
叔父さんと叔母さんがいなければ、わたしは生きていけなかった。だから嫌なことも我慢して、自分の心を殺して生活していたけれど……もう限界だった。
「一緒に住んでる従妹には『奈央ちゃん、ママにおこづかいもらっていいなぁ、好きなもの食べ放題じゃん。うらやましい』なんて言われて。うらやましいならわたしと代わってよって思う。お父さんもお母さんもいないわたしと代わってよって」
涙をこらえて、前を見つめる。
夕日が海の向こうに沈んでいく。あたりがゆっくりと暗くなっていく。
「他には?」
春輝の声が聞こえた。
「言いたいことあるなら、全部言っちゃえよ。おれ、いくらでも聞いてやるから」
黙り込むわたしの背中を、春輝の手が撫でる。
「その代わり死なないで。おれ、芹澤さんが死んだら困る」
「……なんで?」
前を見たまま聞く。するとわたしの耳に、春輝の返事が聞こえてきた。
「おれ、夢ができたんだ」
ゆっくりと視線を動かす。隣の春輝は嬉しそうに笑ってこう言った。
「映画監督になって、いつか映画を撮ってみたいんだよね」
「映画?」
「もちろん主演は芹澤さんで」
「は?」
口を開けたまま固まったわたしを見て、春輝が声を立てて笑う。
「だから主演に死なれたら困るんだよ。もう決めたし」
「決めたって……勝手に決めないでよね!」
「いや、もう決めてるの。はじめて芹澤さんに会ったときから」
はじめて会ったとき?
「おれの前に立ちはだかってくれた芹澤さんの背中、すっごいかっこよかった。でも少し震えてるところが、なんか放っておけなくて。そんであいつらを追い払ったあと、安心したようにおれに見せてくれた笑顔がめっちゃ可愛くて……ひとめぼれだった」
かあっと、顔が熱くなる。
「そのとき思ったんだ。どうせ生きなきゃいけないなら、この子の映画を撮ろうって」
「ひ、飛躍しすぎじゃない?」
噴き出すように笑って、春輝が続ける。
「でもそれきり、芹澤さんには会えなくてさぁ。おれ必死に捜したんだよ。友達のつてを頼って、やっと中学がわかったと思ったら転校してるし。そのあとも執念で捜しまくった」
「怖いんだけど」
春輝があははっと明るく笑う。
「それだけおれが、芹澤さんに惚れてるってこと。わかってくれたかなぁ?」
「わかるわけないでしょ。そんなのただのストーカーじゃん」
わたしは立ち上がると、ブレザーを春輝に押しつけた。
「これ、ありがとう。もう大丈夫だから」
「帰るの?」
「……帰る」
帰る場所なんてないけれど、帰るしかないんだ。
じゃりっと足元の石を払ってから、重い足を踏み出す。そんなわたしの背中に声がかかった。
「奈央!」
びくっと肩を震わせ立ち止まる。
「おれとつきあって」
その声が耳を震わせ、胸の奥に染みていく。
「つきあってよ、おれと」
ごくんと唾を飲み込んでから、ゆっくりと振り返る。まっすぐ届く春輝の視線と、わたしの視線がぶつかり合う。
「……でしょ」
「え?」
「つきあうわけないでしょ!」
叫んで石の上を急いで歩く。階段を駆け上り、自転車にまたがり、思いっきりペダルを踏み込む。
空き地には、春輝の自転車がぽつんと止めてあった。あたりはもう薄暗い。春輝はわたしのあとを、追いかけてはこなかった。
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