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第1章 死にたかったんでしょ?

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「大丈夫?」

 頭の上から降りかかる優しい声。わたしはうつむいたまま、どうしたらいいのかわからない。
 足が冷たくて、背中が寒くて、歯がカチカチと音を立てて、ただ体を丸めて震えているだけだ。

「あー、寒いよな」

 春輝は制服のブレザーを脱ぐと、わたしの肩にふわっとかけてくれた。

「ごめん。そんなのしかなくて」

 そしてわたしの隣に腰を下ろす。
 わたしは肩にかかったブレザーを、震える指先で押さえながら、ぽつりとつぶやいた。

「……怒らないの?」
「なんで?」

 なんでって……こんなことをしている人がいたら、普通はきっと怒る。

「おれが怒る理由なんてないじゃん」

 わたしはさらに背中を丸めて、消えそうな声でつぶやく。

「どうして春輝が……ここにいるの?」
「え、どうしてって」

 春輝は不思議そうな声を出したあと、わたしのほうを見て言った。

「『一緒に帰ろう』って言ったのに、いなくなっちゃうからさ。ずっと捜してたんだよ。そしたら自転車で走っていくのが見えて、急いでおれもチャリで追いかけたんだけど、途中で見失っちゃってさ。でもこのへんにいると思ったから、捜し回って、芹澤さんの自転車を見つけたんだ」
「なんで……」

 思わず顔を上げて、春輝を見た。

「なんでそこまでするの? わたしなんかのために」

 出会ったときから言っていた。春輝はわたしを捜していたと。わたしに会えてよかったと。
 その理由をはっきり聞かずにここまで来てしまった。
 春輝は穏やかな顔でわたしを見ていた。その頬にオレンジ色の夕陽が当たってキラキラ輝く。それがすごく綺麗で……。

「芹澤さん、泣かないで」
「……泣いてない」

 手の甲でぐいっと目元をこする。
 嘘だ。わたしは泣いていた。春輝の顔があまりにも綺麗で、それを見て泣いていた。

「おれさ、中学のころ、芹澤さんに助けられたんだよ」
「……え」

 ぽつりと漏らしたわたしの前で、春輝がにこにこ笑っている。

「この上の空き地でさ。ガラの悪いやつらが数人、喧嘩してたの覚えてない?」

 わたしは春輝の顔を見ながら、記憶を巻き戻す。
 中学のころ、お母さんが亡くなる前まで、わたしはこの近所に住んでいた。だからこの道はよく通っていて……ああ、そういえば、空き地でもめている男の子たちを見かけたことがある。
 立ち止まってよく見たら、ひとりを数人で殴ったり蹴ったりしているみたいで。見かねたわたしは倒れている男の子の前に、両手を広げて立ちはだかったんだ。

「思い出した?」

 その声にハッとして、わたしは春輝の顔をじっと見る。
 あの日、周囲は少し薄暗くて。だから男の子たちの顔なんてよく見えなくて。

「もしかして……あのときボコボコにされてたの、春輝だったの?」
「当たり!」

 あははっと春輝がおかしそうに笑う。
 全く気づかなかった。薄暗かったこともあるけど、男の子たちは、やってるほうもやられてるほうも、ガラが悪い不良みたいな子たちだったから。
 明るくてキラキラしている、いまの春輝とはイメージが違いすぎる。

「よくあの中に入ってこれたね。怖くなかったの?」

 春輝の声にわたしは答える。

「だ、だって腹が立ったから。ひとりを大勢でいじめるなんて」
「いじめられてたんじゃないよ。喧嘩を売ったのはおれのほうなんだから」

 わたしはぽかんと口を開けて春輝を見る。春輝は笑ってわたしに言う。

「なんで止めたりするのかなぁ。あのままやられてたら、おれ、死ねたかもしれないのに」
「え……」

 もう一度笑顔を見せてから、春輝は海の彼方に視線を向けてつぶやく。

「殺してほしかったんだよ。だから強くてヤバそうなやつらに、わざと喧嘩を売った」

 わたしは呆然と春輝の横顔を見つめた。
 強い風が海から吹いて、春輝の柔らかそうな髪を揺らす。

「まったく、芹澤さんのせいでおれの計画はめちゃくちゃ。死ぬこともできずに、こうやっていまも生きてる」

 そう言って海を見つめたあと、春輝はわたしのほうを向き、にかっと笑った。

「でも今日は、その仕返しができてよかった。芹澤さん、死にたかったんでしょ? おれに止められて残念だったね」

 むっと唇をとがらせる。春輝が満足そうに笑っている。

「まぁ、これでおあいこってことで。おれ、芹澤さんに助けられて、仕方なく生きることにしたからさ。芹澤さんも、仕方なく生きることにしなよ」

 顔をそむけて、前を向く。
 こいつ、どこまで本気で言っているのかわからない。
 目の前に夕暮れの海が見えた。水平線に夕陽が沈みかけ、あたりがオレンジ色に包まれはじめる。
 波も、海岸も、鳥居も、春輝も、わたしも――。
 それを見ていたら、なんだか胸がいっぱいになって、たまったものを吐き出すように、声を出した。
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