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第1章 死にたかったんでしょ?

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 この海岸は砂浜ではなく、ごろごろとした石や岩の浜だ。わたしは石の上を黙々と歩いていく。
 波の音がする。潮の匂いも。ここは小さいころと変わらない。
 しばらく進むと、左側に迫った崖に、狭い洞穴ほらあなのようなものが見えてくる。そして右側には海に向かって建つ、古くて小さな鳥居。
 洞穴の中にはほこらがあって、神様が祀られているらしい。

 少し強くなってきた風にあおられながら、祠の前に立つ。
 きっと誰からも忘れられているのだろう。手入れのされていない祠はぼろぼろになっている。
 幼いころはお母さんに連れられてよく来たけれど、もうずいぶん足を運んでいなかった。

『ここには神様がいるんだよ』

 お母さんはそう言って、祠の前でいつも手を合わせていた。わたしもその隣で同じように手を合わせた。

『お父さんが帰ってきますように』

 お母さんの言葉に合わせて、幼いわたしもつぶやいた。

『帰ってきますように』

 お父さんは遠い町で働いていると、お母さんは教えてくれた。お仕事が忙しくて、なかなか帰ってこられないのだと。
 だけどお父さんは、いつまで経っても帰ってこなかった。
 成長するにつれ、さすがにわたしもおかしいと思いはじめ、祈るのをやめた。
 この神様に祈っても、お父さんは帰ってこないだろうと思った。

『もう神様に祈るのなんてやめなよ。きっとお父さんは、わたしたちに会いたくないんだよ』

 わたしがそう言うと、お母さんは悲しそうな顔をして、それでもここに来ることをやめなかった。
 こんな、頼りにならない神様に祈ったって無駄なのに。
 祠に向かって手を合わせ、目を閉じているお母さんの姿を思い出す。
 神様に、すがりつくしかなかったお母さん。現実を、見ようとしなかったお母さん。そんなお母さんのことを、わたしは見下すようになっていた。

『奈央はいなくならないでね? ママのそばにずっといてね』

 常に誰かに頼ることしかできず、何度もそう言っていたお母さんは、わたしが中学生のとき病に侵され亡くなってしまった。
 目の奥がじんわりと熱くなった。なにかがこぼれないうちに、わたしは祠に背を向ける。
 もう決めたんだ。
 こんな世界に未練はないから。わたしがいないほうがみんな喜ぶから。
 だから頼りない神様の前で、わたしは死んでやる。

 石を踏みしめ、鳥居に向かって歩く。鳥居の向こうはすぐ海だ。
 波が打ち寄せ、空に海鳥が飛んでいる。潮風が吹きつけ、長く伸びた黒髪を後ろになびかせる。
 わたしは古い鳥居をくぐり、足を止めた。
 ここからの風景は小さいころから変わっていない。変わってしまったのはわたしの周りと、わたしだけ。
 風に吹かれながら、足元を見下ろす。
 海は深いだろうか。冷たいだろうか。でもここから海に入れば、この世界から消えることができる。

 ローファーを脱ぎ捨て、思い切って水に足をつけた。ひやっと足首が冷える。わたしは歯を食いしばり、もう一歩足を前に出す。
 だけどその足が震えているのがわかった。
 いまならまだ引き返せる。だけどどこに引き返せばいいの?
 わたしに帰る場所なんてないんだ。
 波が打ち寄せ、スカートにかかる。まだ一か月しか着ていない制服。
 買ってくれた叔父さんと叔母さんには申し訳ないと思う。
 でもあのふたりにとっても、わたしは邪魔者だから。わたしがいなくなれば、きっとふたりは喜ぶから。

 気づけば膝まで水につかっていた。全身が冷えて、体が震える。
 でももっと前に進めば、きっと楽になれる。このどうしようもない苦しさから、解放される。
 一歩、また足を出す。前から波が襲いかかる。
 水の塊が体にぶつかり、足がよろけた。ずぶんっと深みにはまったのがわかる。そのまま水中に引きずり込まれそうになる。

 冷たい。寒い。怖い――。
 途端に恐怖心でいっぱいになり、気づけば声にならない声で叫んでいた。
 嫌だ、助けて! 誰か……!

「奈央!」

 わたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。
 後ろから、ばしゃばしゃと水がはねる音。

「行くな!」

 その声と同時に腕をつかまれた。わたしはハッと顔を上げ、後ろを振り返る。
 真剣な顔でわたしを見つめているのは――春輝だった。

「なん……で」

 強い波が打ちつける。再びよろけたわたしの体を、春輝が抱き寄せた。

「とにかく戻ろう」

 力が抜けたわたしを抱えるようにして、春輝が岸へ連れていく。何度も転びそうになりながらも、波打ち際にたどり着き、春輝はわたしを石の上に座らせた。
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