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第1章 死にたかったんでしょ?
1-5
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この海岸は砂浜ではなく、ごろごろとした石や岩の浜だ。わたしは石の上を黙々と歩いていく。
波の音がする。潮の匂いも。ここは小さいころと変わらない。
しばらく進むと、左側に迫った崖に、狭い洞穴のようなものが見えてくる。そして右側には海に向かって建つ、古くて小さな鳥居。
洞穴の中には祠があって、神様が祀られているらしい。
少し強くなってきた風にあおられながら、祠の前に立つ。
きっと誰からも忘れられているのだろう。手入れのされていない祠はぼろぼろになっている。
幼いころはお母さんに連れられてよく来たけれど、もうずいぶん足を運んでいなかった。
『ここには神様がいるんだよ』
お母さんはそう言って、祠の前でいつも手を合わせていた。わたしもその隣で同じように手を合わせた。
『お父さんが帰ってきますように』
お母さんの言葉に合わせて、幼いわたしもつぶやいた。
『帰ってきますように』
お父さんは遠い町で働いていると、お母さんは教えてくれた。お仕事が忙しくて、なかなか帰ってこられないのだと。
だけどお父さんは、いつまで経っても帰ってこなかった。
成長するにつれ、さすがにわたしもおかしいと思いはじめ、祈るのをやめた。
この神様に祈っても、お父さんは帰ってこないだろうと思った。
『もう神様に祈るのなんてやめなよ。きっとお父さんは、わたしたちに会いたくないんだよ』
わたしがそう言うと、お母さんは悲しそうな顔をして、それでもここに来ることをやめなかった。
こんな、頼りにならない神様に祈ったって無駄なのに。
祠に向かって手を合わせ、目を閉じているお母さんの姿を思い出す。
神様に、すがりつくしかなかったお母さん。現実を、見ようとしなかったお母さん。そんなお母さんのことを、わたしは見下すようになっていた。
『奈央はいなくならないでね? ママのそばにずっといてね』
常に誰かに頼ることしかできず、何度もそう言っていたお母さんは、わたしが中学生のとき病に侵され亡くなってしまった。
目の奥がじんわりと熱くなった。なにかがこぼれないうちに、わたしは祠に背を向ける。
もう決めたんだ。
こんな世界に未練はないから。わたしがいないほうがみんな喜ぶから。
だから頼りない神様の前で、わたしは死んでやる。
石を踏みしめ、鳥居に向かって歩く。鳥居の向こうはすぐ海だ。
波が打ち寄せ、空に海鳥が飛んでいる。潮風が吹きつけ、長く伸びた黒髪を後ろになびかせる。
わたしは古い鳥居をくぐり、足を止めた。
ここからの風景は小さいころから変わっていない。変わってしまったのはわたしの周りと、わたしだけ。
風に吹かれながら、足元を見下ろす。
海は深いだろうか。冷たいだろうか。でもここから海に入れば、この世界から消えることができる。
ローファーを脱ぎ捨て、思い切って水に足をつけた。ひやっと足首が冷える。わたしは歯を食いしばり、もう一歩足を前に出す。
だけどその足が震えているのがわかった。
いまならまだ引き返せる。だけどどこに引き返せばいいの?
わたしに帰る場所なんてないんだ。
波が打ち寄せ、スカートにかかる。まだ一か月しか着ていない制服。
買ってくれた叔父さんと叔母さんには申し訳ないと思う。
でもあのふたりにとっても、わたしは邪魔者だから。わたしがいなくなれば、きっとふたりは喜ぶから。
気づけば膝まで水につかっていた。全身が冷えて、体が震える。
でももっと前に進めば、きっと楽になれる。このどうしようもない苦しさから、解放される。
一歩、また足を出す。前から波が襲いかかる。
水の塊が体にぶつかり、足がよろけた。ずぶんっと深みにはまったのがわかる。そのまま水中に引きずり込まれそうになる。
冷たい。寒い。怖い――。
途端に恐怖心でいっぱいになり、気づけば声にならない声で叫んでいた。
嫌だ、助けて! 誰か……!
「奈央!」
わたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。
後ろから、ばしゃばしゃと水がはねる音。
「行くな!」
その声と同時に腕をつかまれた。わたしはハッと顔を上げ、後ろを振り返る。
真剣な顔でわたしを見つめているのは――春輝だった。
「なん……で」
強い波が打ちつける。再びよろけたわたしの体を、春輝が抱き寄せた。
「とにかく戻ろう」
力が抜けたわたしを抱えるようにして、春輝が岸へ連れていく。何度も転びそうになりながらも、波打ち際にたどり着き、春輝はわたしを石の上に座らせた。
波の音がする。潮の匂いも。ここは小さいころと変わらない。
しばらく進むと、左側に迫った崖に、狭い洞穴のようなものが見えてくる。そして右側には海に向かって建つ、古くて小さな鳥居。
洞穴の中には祠があって、神様が祀られているらしい。
少し強くなってきた風にあおられながら、祠の前に立つ。
きっと誰からも忘れられているのだろう。手入れのされていない祠はぼろぼろになっている。
幼いころはお母さんに連れられてよく来たけれど、もうずいぶん足を運んでいなかった。
『ここには神様がいるんだよ』
お母さんはそう言って、祠の前でいつも手を合わせていた。わたしもその隣で同じように手を合わせた。
『お父さんが帰ってきますように』
お母さんの言葉に合わせて、幼いわたしもつぶやいた。
『帰ってきますように』
お父さんは遠い町で働いていると、お母さんは教えてくれた。お仕事が忙しくて、なかなか帰ってこられないのだと。
だけどお父さんは、いつまで経っても帰ってこなかった。
成長するにつれ、さすがにわたしもおかしいと思いはじめ、祈るのをやめた。
この神様に祈っても、お父さんは帰ってこないだろうと思った。
『もう神様に祈るのなんてやめなよ。きっとお父さんは、わたしたちに会いたくないんだよ』
わたしがそう言うと、お母さんは悲しそうな顔をして、それでもここに来ることをやめなかった。
こんな、頼りにならない神様に祈ったって無駄なのに。
祠に向かって手を合わせ、目を閉じているお母さんの姿を思い出す。
神様に、すがりつくしかなかったお母さん。現実を、見ようとしなかったお母さん。そんなお母さんのことを、わたしは見下すようになっていた。
『奈央はいなくならないでね? ママのそばにずっといてね』
常に誰かに頼ることしかできず、何度もそう言っていたお母さんは、わたしが中学生のとき病に侵され亡くなってしまった。
目の奥がじんわりと熱くなった。なにかがこぼれないうちに、わたしは祠に背を向ける。
もう決めたんだ。
こんな世界に未練はないから。わたしがいないほうがみんな喜ぶから。
だから頼りない神様の前で、わたしは死んでやる。
石を踏みしめ、鳥居に向かって歩く。鳥居の向こうはすぐ海だ。
波が打ち寄せ、空に海鳥が飛んでいる。潮風が吹きつけ、長く伸びた黒髪を後ろになびかせる。
わたしは古い鳥居をくぐり、足を止めた。
ここからの風景は小さいころから変わっていない。変わってしまったのはわたしの周りと、わたしだけ。
風に吹かれながら、足元を見下ろす。
海は深いだろうか。冷たいだろうか。でもここから海に入れば、この世界から消えることができる。
ローファーを脱ぎ捨て、思い切って水に足をつけた。ひやっと足首が冷える。わたしは歯を食いしばり、もう一歩足を前に出す。
だけどその足が震えているのがわかった。
いまならまだ引き返せる。だけどどこに引き返せばいいの?
わたしに帰る場所なんてないんだ。
波が打ち寄せ、スカートにかかる。まだ一か月しか着ていない制服。
買ってくれた叔父さんと叔母さんには申し訳ないと思う。
でもあのふたりにとっても、わたしは邪魔者だから。わたしがいなくなれば、きっとふたりは喜ぶから。
気づけば膝まで水につかっていた。全身が冷えて、体が震える。
でももっと前に進めば、きっと楽になれる。このどうしようもない苦しさから、解放される。
一歩、また足を出す。前から波が襲いかかる。
水の塊が体にぶつかり、足がよろけた。ずぶんっと深みにはまったのがわかる。そのまま水中に引きずり込まれそうになる。
冷たい。寒い。怖い――。
途端に恐怖心でいっぱいになり、気づけば声にならない声で叫んでいた。
嫌だ、助けて! 誰か……!
「奈央!」
わたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。
後ろから、ばしゃばしゃと水がはねる音。
「行くな!」
その声と同時に腕をつかまれた。わたしはハッと顔を上げ、後ろを振り返る。
真剣な顔でわたしを見つめているのは――春輝だった。
「なん……で」
強い波が打ちつける。再びよろけたわたしの体を、春輝が抱き寄せた。
「とにかく戻ろう」
力が抜けたわたしを抱えるようにして、春輝が岸へ連れていく。何度も転びそうになりながらも、波打ち際にたどり着き、春輝はわたしを石の上に座らせた。
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