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09 出会いの夜
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しおりを挟むしゃくりあげていた幼い背中は次第に落ち着き、吐くものもなくなったのか、少し顔を上げる様子をのぞかせた。
「……あの、貴方は?」
「ん? ただの眠れなかった兵士だ」
顔が汚れているのを見られたくないのか、口元を拭った後、少しだけためらう様子を見せて、新兵は結局振り向こうとはしなかった。
その様子を見たオンフェルシュロッケンは、もう大丈夫と判断して手を離したけれど、なぜか離れがたいと思った。
不可思議な感情は、久々に故郷のことを思い出したからだと結論づける。
そして、他人の体温の心地よさを、忘れていたからだろう、とも。
勤続態度と獣性の高さ、強さを買われて副団長に昇進したが、学がないオンフェルシュロッケンは降って湧いた事務仕事に手こずり、女を買う余裕もない。
柔らかい体を抱きしめた記憶は、遠く霞んでいる。
「ありがとうございます、私はスルと言います。 このお礼は、いつか必ず」
「君が生きて帰ることが礼だ、生き延びたまえ」
「っ、はい、生きて帰ります」
……そうだ、あの時の新兵は〝スル〟と名乗った。
たった一度の出会いで、郷愁を掻きたてられた、子供のような凡人種の新兵。
少年ではなく、少女だった。
スレクツ・イインと出会っていた。
名乗られていたことすら忘れていた。
どうして忘れていたのか。
たった一度の出会いで、狂おしいほどの郷愁を掻きたてた相手が目の前にいると知ってしまえば、手が勝手に動くことを止められなかった。
寝台の上の黒布の塊に手を伸ばし、小さく震える背中と思われる場所を、あの日のように撫でさする。
「申し訳ない、早く気がつくべきだった」
身体能力の劣る凡人種の魔術師が、屈強な獣人種の兵士に押さえつけられるのは、恐ろしい経験だったろう、と今更のように気がつく。
兵士であっても、魔術兵が格闘訓練を学んでいるはずがない。
その上、スレクツは凡人種の女性だ。
力も体力も、獣人種に敵うはずがない。
匂いも鼓動も気配すらも、布の奥に隠しているスレクツ・イインだったが、厚い布越しに確かな体温と震えを感じた。
オンフェルシュロッケンは何年もの間、誰かに見られていると感じていた。
見られていると感じるのは、決まって戦場だった。
魔物に囲まれた時や、部下を守るために怪我を承知で突っ込もうとした時に。
何者かの視線を感じる度に、目の前の魔物が体勢を崩したり、体を強張らせたり、ひどい時は自滅することまであった。
それらの偶然が続く内に、誰かが自分を守ろうとしているのではないか、と根拠のない妄想を抱くようになった。
己を戦場の女神が見守っているのではないか?と。
己の背中を勝利の女神が守っているのではないか?と。
誰にも言えなかったが。
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