幾千本の花束を

冠つらら

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②話題のお店

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 夕飯前、ヤンジーと合流した僕は久しぶりに基地を出た。基地の中は一つの街みたいになっているから、わざわざ外に出なくても事足りる。
 確かにヤンジーが求めている出会いとやらはないかもしれないが、僕にはそんなの必要ないし。
 上機嫌のヤンジーを横目に、僕は頭に手をやった。

 まだ包帯を巻いている。傍から見たら怪我をして休暇の軍人が暇つぶしに遊びに来たように見えるだろう。いや、あながち間違ってはいないけど、なんか癪だ。
 ぶつぶつと頭の中で問答を繰り返していると、ヤンジーがある店の前で立ち止まった。

「今日はここで飲むぞ!」
「僕は飲まない。万が一出血したら最悪だ」
「ははっ、血が出ても男前なのは変わらないぞ?」

 ふざけたことを言っているヤンジーは僕の呆れた視線にも気づかないまま店へと入っていく。
 ここは酒場か。
 店に入った僕は最初そう思っていた。だが少しその見込みは誤っていたようだった。

「まぁ! ヤンジー! 今日はお友達を連れてきたの?」

 店員であろう女がヤンジーを見つけるなり嬉しそうに笑う。
 周りの店員よりも少し年上の彼女はこの店のオーナーなのだろうか。屈託のない笑顔に見える気の強さに、僕は久しぶりに母を思い出した。

「あらっ! あなた……!」

 僕が瞳に母を映している間に、彼女は混み合った店内をすり抜けて僕の目の前までやって来ていた。

「随分といい男じゃない! ヤンジー、こんな隠し玉を持っていたのね」
「へへっ。もっと褒めてよ、カー」
「嫌よ。もっと早くに教えてくれればいいのにっ!」

 カーと呼ばれた彼女は、何の花か分からないほどに強い匂いの香水をつけている。こんなところまで母に似ているとは。僕はその香りに頬が引きつりそうになった。

「まぁいいわ。あなた名前は?」
「……ロチェスター」

 本当は教えたくなかったが、そんなに顔を近づけられるとつい口走ってしまう。
 身長差がある僕に向かってずいっと背伸びをしているカーは、その不安定さで今にも倒れ掛かってきそうだ。

「カー! 独り占めですか? ずるいです」

 僕が体を反らしていると、その背中をぐっと掴む手が伸びてきた。
 今度は一体誰だ。
 僕は顔だけを後ろに向ける。

「ちゃんとみんなでおもてなしをするのです」
「……は? おもてなし?」

 ボリュームのある髪をツインテールにしている女が、僕の背中から顔を覗かせる。

「はい。私はジェナ。よろしくね」

 有無を言わさずに僕の左腕を無駄に出張った胸に押し付けながらニコッと笑いかけてくる。

「あ、ジェナ、カーを窘めるふりをしてぬけがけは駄目よ!」

 また別の女が右の腕をガシッと掴んでくる。その力強さに思わずびくっと肩が動いた。不意打ちすぎる。こいつは忍びの心得でもあるのか。

「イリヤよ、私のことも覚えてねっ」

 そう言われても、そもそもお前たちは誰なんだ。
 そんな本音が頭をよぎるが、それを口に出してはいけないと僕の理性が止める。

「……あ、ああ。よろしく……」

 家を出る前に通っていた学校の教えが嫌というほどに身体に染みついている。
 僕はなるべく彼女たちの身体に触れないように腕に力を入れながらも案内されるままに席につく。

 普通の酒屋のような店内は客であふれていて、歩くのも一苦労だった。
 席についてよくよく店の中を見ていると、奥には舞台があって、そこではやけに露出したダンサーたちが音楽に合わせて踊っている。

「おい、ここはなんだ、ヤンジー」

 たまらずジェナを挟んで隣に座るヤンジーに尋ねる。僕が二人に挟まれている間に先に席についていたヤンジーはすでに酒を飲んでいるようで、また一段と上機嫌になっていた。

「何って、キャバレーだよ」
「は?」

 いまだに腕を離してくれないジェナとイリヤに辟易しながらも、僕は酔いが回ってきたヤンジーを睨みつける。

「たまには楽しい光景でも見ておけって。戦場ばかりじゃ目が腐るだろ」
「いや、僕は……」

 別に腐ったりしない。
 そう言おうとしたが、ジェナがぬっと顔を出してきてそれを阻む。

「ねぇ、ロチェスター。あなたも軍人なのよね? その包帯は怪我の痕? 痛くはないの?」
「……あ、いや、痛くはないが……」

 初対面の女性を無視しては失礼だという教えが勝手に反応し、脳よりも先に口が動く。

「ええええー? すごく痛そうなのに!」

 イリヤが包帯を撫でるように触る。
 いや、そう思うなら触るなよ。というか実際、怪我が痛くないわけないだろ。
 華奢な指を拒否できずに、頭の中だけで苦情を言う。
 失敗した。
 ダンサーに夢中のヤンジーの後頭部を視界に入れ、その憎たらしいキャメルの髪の毛が揺れるのを見た。

 久しく街の飲食店にも行っていなかったから、こんな店があることすら忘れかけていた。
 そういえば、随分と前に同僚たちが話していた気がする。
 新しくできたキャバレーが面白いから、是非行くべきだって。
 ……してやられた。

「はぁ…………」

 抱えられない頭が項垂れる。いつまで腕を掴んでいるんだ、この二人は。

「どうしたの? ロチェスター。なんだか元気がないわね」
「私たちが力になりましょうか?」

 すかさず二人が声をかけてくる。まずはその手を離してくれ。

「ふふふふ。ロチェスターみたいな素敵な男性は久しぶりだから、二人とも張り切っちゃってるわね」

 向かいに座るカーが頬杖をついてにやにやと笑っている。店主ならもっと店全体を見ていろよ。

「イリヤ、あちらのお客様が呼んでいたわよ」

 カーの後ろに立った別の店員が、腰に手を当ててイリヤに声をかけた。イリヤは「えー」と不満そうな声を出したが、カーがいる手前粘ることもできず、そのまま立ち上がって言われた席へと向かって行った。

「ヤンジーのお友達にしては、随分と紳士なのね」

 代わりにイリヤを呼び出したショートカットの店員が僕の隣に座り、艶のある唇を緩ませて僕の顔を見上げてきた。

「そう見えるのか?」
「ええ。私、接客をして長いの。少し見ただけでなんとなくその人のことが分かるわ」
「……それは興味深い特技だな」

 ショートカットの店員は僕の言葉に微かに笑った。彼女が腕を拘束しないだけ助かった。

「こら、ジェナ、離れなさいって」

 すっかり僕に寄りかかっているジェナの頭を小突くと、ジェナは「いたーい」と頭を押さえて頬を膨らませる。やっと離れてくれた。僕は名前も知らないショートカットの店員に感謝の眼差しを送る。

「嫌な時は嫌って言っていいのよ」

 こそっと耳元に囁くと、彼女はくすっと控えめな笑い声を出した。

「ロチェスター、私も頭に怪我しちゃったみたい。痛いよう。腫れてない?」

 反対側では、ジェナが瞳を潤ませて僕を上目遣いで見る。その隣のヤンジーは舞台に目が釘付けで、口笛なんかを吹いている。
 あんな軽い小突きでたんこぶができているわけがない。
 そう思いながらも、僕は猫のようにしつこく鳴き声を上げるジェナにじっと目を合わせた。途端にジェナの甘ったるい声は消え、僕のことを吸い込むように見てくる。

「見るから、大人しくしてくれ」

 しょうがないので頭が腫れていないか見るふりをした。黙ってくれるなら何よりだ。
 ジェナの頭を左手で支え、右手で額に近い髪の毛をそっと撫でた。
 やっぱり腫れてるわけがない。

「大丈夫、腫れてないから……」

 ジェナの顔を見ると、その顔は耳まで赤くなっていた。

「あ、あり、ありがとう……」

 さっきまで饒舌だったのに、急にどもり出した。それが歪に見えて、僕は思わず眉をひそめた。するとそこに、聞きたくもない声が聞こえてくる。

「ヤンジー、こんなところで何をしているの?」

 名前を呼ばれたのはヤンジーだ。でもその声は僕の心臓を冷たくする。

「えっ? ロイエダ先生? どうしてここに!?」

 舞台から目を離したヤンジーは、振り返るなりぎょっとした顔をする。
 ああ、僕もできるならそんな顔をしていたことだろう。
 僕らの目の前に現れたのはラモーナだった。いつもの白衣は来ておらず、私服の黒いライダースジャケットを着てカーの後ろに立っている。

「明日は休みだから、久しぶりに羽を伸ばしに来たのよ」

 ラモーナはダークブロンドの長い髪を得意げに手で振り払い、嬉しそうに笑う。グレーの瞳がキラキラとして見えるのは気のせいだろうか。そんな表情のラモーナは初めて見た。

「先生も? 俺たちもですよ!」
「俺たち……?」

 ラモーナの瞳がこちらを向く。どうやらヤンジーしか視界に入っていなかったようだ。僕が店員二人に挟まれているところを見つけたラモーナの瞳から輝きが消え、いつも医務室で見る瞳へと変わる。

「…………ロシュ、休んでないとだめでしょう?」

 ちょうどジェナの頭を支えていた僕の姿を見て、呆れたようにため息を吐く。

「いや、これは、ヤンジーが……」
「言い訳しないの。女の子泣かせたら許さないからね」

 顔の赤いジェナのことが見えたのだろう。何かを勘違いしているラモーナはやれやれと首を振る。

「ちょ、勘違いするな! 僕はヤンジーに言われて来ただけだ」
「でも来たのは事実じゃない。楽しそうなのは何よりだけど、あなたはまだ安静にしていた方がいいのよ」

 身体を大事にしろ。
 きっとまたそう言うだろう。
 先の展開が見えて、僕は途端に嫌気がさしてきた。

「僕が休暇に何をしようと勝手だろ」

 いつになく強い口調になってしまった。でも、もう小言はたくさんだ。
 事態を把握したジェナは僕からぱっと離れ、肩をすくめてしょんぼりとしている。少し恥ずかしそうにも見える。さっきとは違う意味で瞳が潤んできている。

「とにかく、俺たちに構うな。ラモーナはラモーナで楽しめばいい」
「ええ、言われなくともそうするつもり! 興奮して傷口が開いても知らないんだから!」

 黙って酒を飲んでいたカーがむせる声が聞こえる。そりゃ真後ろで大声を出されたら驚くだろう。
 ラモーナはふんっとそっぽを向き、ずかずかと客で賑わう店のどこかへと消えていった。

「……あの……」

 ラモーナの捨て台詞とは真逆の控えめな声が聞こえてくる。ジェナを見ると、彼女はびくびくと手を握りしめていた。

「大丈夫ですか……? 私のせいで、ご迷惑、かけちゃいましたよね?」

 さっきまで甘えていた声とは違い、おずおずとはしているがしっかりした声でジェナは問いかけてくる。

「……いや、大丈夫。こちらこそ申し訳ない。不快な思いをさせただろう」
「いいえ、私は大丈夫です」

 ジェナは微かに口元を緩ませてほっとしたように笑う。
 接客モードの時には見えなかった素の姿が見えた気がして、僕は肩の力が抜けていくのを感じた。
 こっちの方がよっぽど彼女らしいのに。
 そんな余計なことを考えていると、ちょんっと肩を叩かれる。

「ねぇ、本当に彼女大丈夫?」
「は?」

 ショートカットの店員は、眉をひそめてラモーナのことを気にしているようだった。

「どういうことだ?」
「え? いや、なんか、親しそうだったから……」
「彼女は同僚だ。キャバレーは軍で禁止されているわけでもないし、問題ない」
「……そう? なら、いいんだけど……」

 どこか引っ掛かる言い方だ。言いたいことははっきり言ってくれ。そうでないから眉間にしわが寄ってくる。

「……ロチェスター」

 今度はジェナだ。次から次へと交互に話しかけるな。
 ジェナはもじもじとした様子でちらりとこちらを見てくる。

「何だ?」
「えっと……私、泣かないから」
「……は?」
「だから、遠慮しないで……?」
「何を……?」

 言っている意味が分からなくて、ぽかんとしていると、目の前のカーとラモーナとの遭遇の余韻が抜けたヤンジーが声をあげて笑い出した。
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