君を救える夢を見た

冠つらら

文字の大きさ
上 下
20 / 44

20話 静寂

しおりを挟む

 「類香ちゃん、今日の英語の部分、あとで教えてくれる?」

 教室へと戻る途中、和乃が穏やかに微笑んでくる。一つ前の授業は英語だった。英語は能力に合わせたクラスに分けられているが、二人は偶然にも同じクラスだった。
 一応帰国子女と言える類香は、最も成績の良いクラスにいる。語学に長けている楓花の影響もあるのだろう。そして和乃も同じクラスにいた。
 和乃は英語が得意なようだ。他の教科よりも好きだと言っていた。色んな世界が見れる気がして魔法みたいだからだと理由も添えて。それもつい最近彼女から聞いたことだ。
 類香は和乃の笑顔を見て困惑した。どうしてもあの噂がちらついてしまう。

「いいよ……なんでも」

 類香は上の空で答えた。和乃は純粋に喜んでいる。それがなんだか後ろめたかった。

「発音綺麗だよね、類香ちゃん」
「……え?」
「秘訣とかあるの?」
「そんなの、ないよ……」

 和乃は自分が帰国子女であることを知らない。類香の過去を何も知らない。それなのに、類香は知ってしまった。和乃の過去を。彼女が隠していたかもしれない記憶を。
 類香はそのことに勘付かれないようにできるだけ平静を装った。

「慣れれば上手くなるよ」
「本当? 類香ちゃんがそう言うなら、信じちゃおうかな」

 和乃は相も変わらずくすくすと笑っている。噂のことを知っているだろうに、そんなことは一切態度にも出ていなかった。なんて強いのだろうか。類香は和乃の顔を見て心臓が苦しくなった。

「今日も早く帰って課題やらないと……」

 うーんと考えこむ和乃。その時、類香はすかさず口を挟んだ。

「和乃、一緒に帰ろう」
「え……?」

 自分からの誘いにぽかんとしている和乃を見て、類香は耳が赤くなってきた。恥ずかしい。食い入るように言ってしまった。絶対に必死な表情をしていた気がする。
 類香は居心地が悪くなり和乃から目を逸らした。
 しかしそうでもしないと、今日も先に帰られてしまいそうだった。それは、何故か分からないけれど寂しい。もっと自分に色々話してくれてもいいのに。もう、愚痴や相談くらいは聞ける。類香は、いつの間にか開いていた和乃への心の檻を自覚した。

(和乃のせいだ……和乃のせい)

 類香は自分に言い聞かせた。自分もこれまで、多少なりとも嫌がらせは受けてきた。状況は違うとはいえほんの少しなら共有することができるかもしれない。その虚しさや悔しさを。
 和乃は類香を見たまま何も言おうとしなかった。依然として呆気にとられた表情をしている。

(何がそんなに驚いたの……そんな、そんなに変なこと言ったのかな?)

 ちらりと和乃を見る。ちょっと自信がなくなりそうだ。早く、何か言ってよ。類香は声には出さずに、むっと口を結んだ。いつの間にか耳に馴染んだその声を早く聞きたいから。
 すると和乃が、糸が切れたようにふっと笑う。その崩れた表情はあまりにも無垢だった。

「うん! 一緒に帰ろうね、類香ちゃん」

 和乃の朗らかな声。その声と笑顔に類香は感情を囚われる。

(そっか……)

 何かが腑に落ちたように感じた。
 そういえば、類香が和乃にその言葉を言ったのは初めてだった。
 一緒に帰ろう。
 ただそれだけの言葉が、和乃にとっては大きなサプライズだったのだ。



 類香は鞄を持ってすぐさま和乃のところへ向かった。和乃はまだ荷物を片付けている。類香は彼女の横顔を見て、寂しそうな瞳に気づいた。

(和乃、こんなだったっけ……?)

 その見たことがないような彼女の憂いに類香は心がざわざわした。もっと明るい目をしていなかっただろうか。これまで気づかなかっただけなのか。それとも。
 類香は和乃越しに見えるクラスメイトの姿を捉えた。端の席に座り、二人して和乃のことをちらちらと見ている。手にはスマートフォン。その画面上で会話をしているのだろう。類香は彼女たちのことを思わず睨んでしまった。しかし二人は類香のことには興味がないようだった。

「和乃、帰れる?」

 類香の急かすような声に、和乃は元気よく頷いた。先ほどの憂いはもうない。
 校舎を出るまで、二人とすれ違う生徒たちは時折、声を潜めていた。やはりみんなゴシップが好きなようだ。類香はセンセーショナルな話題に盛んな同年代の様子を横目で静かに見ていた。
 この好奇な目線が嫌いだった。だから、瀬名類香を作り上げた。和乃はこの視線に何を思う。類香の知らない日比和乃は、どう見ているのだろう。

 校門を出ると、二人は生徒たちの好奇心から解放された。類香はまた和乃を見る。さっきからずっと彼女の横顔を追ってしまう。過保護だろうか。気にしすぎなのだろうか。類香は和乃に対する興味を隠せなかった。誰よりも一番、和乃に好奇の目を向けていることに類香は気づけなかった。
 二人は黙ったまま駅に向かう。和乃の口元は微笑んでいるが、何も話そうとはしなかった。その軽い足取りが重くなってきた時、類香はぐっと唇を噛んだ。

「ごめん、和乃」

 言葉が先に出てきた。駅はもう目の前だ。

「類香ちゃんどうしたの?」

 和乃が不安そうに類香を見る。類香はまた、その瞳に憂いを見た。

「和乃の噂、聞いちゃった」
「……………………そっか」

 長い沈黙の後、和乃はそれだけ言って笑った。そして目の前に見える駅を見上げた。

「私、皆よりお家が遠いの」

 いつもの穏やかな声で和乃はぼそっと言った。

「少しでも遠くに行きたくて。それで、この高校に来たの」
「……そう、なんだ」

 類香は和乃の柔らかい表情を見る。夕陽を浴びて、その顔はまるで幼子のようだ。

「あの噂はね、本当だよ」
「……!」

 和乃が俯いた。類香はその静かな告白に胸に銃弾を撃ち込まれたように感じた。
 待って、そんな顔をしないで。
 類香の言葉は冷たい息とともに飲み込まれる。

「私、いじめられてたんだぁ」

 和乃はどうにか笑顔を作って顔を上げた。重い空気にしたくなかったのだろう。しかし類香はその張りぼてにすぐに気付いた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

Complex

亨珈
恋愛
偏差値高めの普通科に通う浩司・ウォルター・満の三人と、県下でワーストのヤンキー学校に通う新菜・円華・翔子の三人の学園ラヴコメ。 夏休み、海で出会った六人。 ぶっきらぼうで口が悪いけれど根は優しい浩司に首ったけの翔子、好みドストライクの外見とつかず離れずの距離感を保つウォルターに居心地良さを感じる円華、わんこ系で屈託なく接してくる満に惹かれてゆく新菜。 友情と恋心に揺れる半年後の関係は―― 時代設定は平成初期・ポケベル世代です。 死語乱発にご注意ください。 【web初出2011年の作品を修正して投稿】 〈未成年の喫煙・飲酒シーン、原付き二人乗りシーンがありますが、それらを推奨する意図はありません。一気飲みも真似しないでくださいね〉 表紙イラスト: ひびき澪さま

完結【R―18】様々な情事 短編集

秋刀魚妹子
恋愛
 本作品は、過度な性的描写が有ります。 というか、性的描写しか有りません。  タイトルのお品書きにて、シチュエーションとジャンルが分かります。  好みで無いシチュエーションやジャンルを踏まないようご注意下さい。  基本的に、短編集なので登場人物やストーリーは繋がっておりません。  同じ名前、同じ容姿でも関係無い場合があります。  ※ このキャラの情事が読みたいと要望の感想を頂いた場合は、同じキャラが登場する可能性があります。  ※ 更新は不定期です。  それでは、楽しんで頂けたら幸いです。

美少女の秘密を知って付き合うことになった僕に彼女達はなぜかパンツを見せてくれるようになった

釧路太郎
青春
【不定期土曜18時以降更新予定】 僕の彼女の愛ちゃんはクラスの中心人物で学校内でも人気のある女の子だ。 愛ちゃんの彼氏である僕はクラスでも目立たない存在であり、オカルト研究会に所属する性格も暗く見た目も冴えない男子である。 そんな僕が愛ちゃんに告白されて付き合えるようになったのは、誰も知らない彼女の秘密を知ってしまったからなのだ。 そして、なぜか彼女である愛ちゃんは誰もいないところで僕にだけパンツを見せてくれるという謎の行動をとるのであった。 誰にも言えない秘密をもった美少女愛ちゃんとその秘密を知った冴えない僕が送る、爽やかでちょっとだけエッチな青春物語 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」にも投稿しています

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

私たち、博麗学園おしがまクラブ(非公認)です! 〜特大膀胱JKたちのおしがま記録〜

赤髪命
青春
街のはずれ、最寄り駅からも少し離れたところにある私立高校、博麗学園。そのある新入生のクラスのお嬢様・高橋玲菜、清楚で真面目・内海栞、人懐っこいギャル・宮内愛海の3人には、膀胱が同年代の女子に比べて非常に大きいという特徴があった。 これは、そんな学校で普段はトイレにほとんど行かない彼女たちの爆尿おしがまの記録。 友情あり、恋愛あり、おしがまあり、そしておもらしもあり!? そんなおしがまクラブのドタバタ青春小説!

十の結晶が光るとき

濃霧
青春
県で唯一の女子高校野球部が誕生する。そこに集った十人の部員たち。初めはグラウンドも荒れ果てた状態、彼女たちはさまざまな苦難にどう立ち向かっていくのか・・・ [主な登場人物] 内藤監督 男子野球部監督から女子野球部監督に移った二十代の若い先生。優しそうな先生だが・・・ 塩野唯香(しおのゆいか) このチームのエース。打たせて取るピッチングに定評、しかし彼女にも弱点が・・・ 相馬陽(そうまよう) 中学では男子に混じって捕手としてスタメン入りするほど実力は確か、しかし男恐怖症であり・・・ 宝田鈴奈(ほうだすずな) 一塁手。本人は野球観戦が趣味と自称するが実はさらに凄い趣味を持っている・・・ 銀杏田心音(いちょうだここね) 二塁手。長身で中学ではエースだったが投げすぎによる故障で野手生活を送ることに・・・ 成井酸桃(なりいすもも) 三塁手。ムードメーカーで面倒見がいいが、中学のときは試合に殆ど出ていなかった・・・ 松本桂(まつもとけい) 遊撃手。チームのキャプテンとして皆を引っ張る。ただ、誰にも言えない過去があり・・・ 奥炭果歩(おくずみかほ) 外野手。唯一の野球未経験者。人見知りだが努力家で、成井のもと成長途中 水岡憐(みずおかれん) 外野手。部長として全体のまとめ役を務めている。監督ともつながりが・・・? 比石春飛(ひせきはるひ) 外野手。いつもはクールだが、実はクールを装っていた・・・? 角弗蘭(かどふらん) 外野手。負けず嫌いな性格だがサボり癖があり・・・?

処理中です...