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17.微かな期待
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オルメアが担当するライブの当日、私は少し時間をずらして家を出る。
家の手伝いなんてなかったけれど、ニアにそう言ってしまった手前、時間通りに会場へ向かうのは気が引けたからだ。
結局、ニアとエレノアは一緒に行くことになったらしい。あの後、私が二人の前で話題を出して、その場で二人は約束をしていた。友達同士なのだから、何も不自然なことはなかった。ニアの嬉しそうな顔を思い出しながら、私はケリーに挨拶をする。
「お嬢様、お車でお送りしますか?」
「いいえ、大丈夫。今日は電車に乗るのよ」
「電車、ですか?」
そんなに驚いた顔をしなくてもいいのに。まるで私が初めて歩けたときのような顔をしている。いえ、正直、覚えていないけれど。
「お友達が一緒だから大丈夫」
「そうですか。それではお嬢様、お気をつけて」
ケリーに見送られ、私は待ち合わせ場所まで向かう。今日はベラと一緒に行くのだ。
ちょうど、ベラがワイナリーの計画を立てている時に、私が電車に乗りたいと言った話を思い出して、今日、それを実行することにした。
待ち合わせ場所はベラが気を利かせてくれて、私の家の近くの花屋だった。もうすでにベラは到着していたようで、店主と楽しそうに会話をしている。
「ベラ、お待たせ」
「ロミィ! わぁ、素敵なスカーフ!」
ゾイアに借りたスカーフをタイのように結んでいる私を見て、ベラの瞳が輝く。ベラは、赤い色が印象的なワンピースを着て、学校とは違って髪の毛はくるっと綺麗なカーブを描いて耳より下の位置に二つ結びにしている。
「ありがとう。…何かお話し中だったかしら? 大丈夫…?」
「うん! 大丈夫。ここの店主さんが、私の家のお店を褒めてくれていたから、ちょっと盛り上がったの」
「へぇ、そうだったのね」
「さぁ、行きましょう!」
ベラは私の手を取ると、元気よく歩き出す。
「ふふふ。手を繋いでいなくても、はぐれないよ」
「あっ、そうよね……! ごめんなさい」
恥ずかしそうに慌てだすベラの動きが可笑しくて、私はまた笑ってしまう。ベラは気を取り直して、駅まで私を案内してくれた。
電車に慣れない私のことを守るように、ベラは手取り足取り電車の乗り方を教えてくれる。まるで昔お世話になった家庭教師の先生のようで、なんだか懐かしさを感じた。
どうにか電車に乗り込み、ベラは空いている席に座った。私もその隣に腰を下ろす。
「電車はどう? ロミィ。結構いいでしょう?」
今の時間は空いているようで、席も空いているし、立っている人はあまりいない。
私は周りをきょろきょろと見回し、新聞を読み込んでいる人や、会話に夢中な人たちを順番に視界に入れる。
地下鉄だから、外の光が見えない代わりに電球が時折通り過ぎる。
「ええ、そうね。皆の生活の一部なのね。とても馴染んでいるわ」
「うん。今や欠かせないの」
ベラはくすっと笑い、肩を揺らす。
「そういえば、エレノアは今日ニアと一緒にいるんだったよね?」
「そう。ニアが迎えに行ったはず」
「そっか。気分転換になるといいなぁ」
友達思いのベラは、エレノアのことを気遣うような表情をする。
「ワイナリーの話、今日会えたらしようと思う」
「ええ、そうしましょう」
それから、ベラが今抱えている学校の課題のことに話題は移り、あっという間に目的の駅まで着いてしまう。電車を降りて地上に戻ると、落葉が足元で揺れ踊り、私たちを出迎えてくれた。
会場の公園はすぐ近く。そういえば、今日はハロウィンだった。街中を歩くと、目に入るかぼちゃたちがそのことを思い出させてくれる。
ハロウィンは、特に家では何かすることはない。だからこうやって街中でちょっといつもと違う雰囲気を彩ってくれていると、まるで自分もそのイベントに参加しているような気分になれて、息が弾んだ。
会場が近づいてくると、否応なしに楽器を鳴らす音が聞こえてくる。人々はその音に誘われるかのように公園へと入っていく。聞きなれない、テンポの速い力強い演奏。そこに歌声が乗ると、別世界に来た気分。
私はベラと顔を見合わせ、開かれた新たな扉の向こうへと足を踏み入れる。
公園の中心にステージがあり、バンドがお客さんたちを盛り上げている姿が見える。ベラは大喜びで両手をあげて、すぐにその群衆の中に飛び込んでいった。
私は、こういった場には慣れていないから少し控えめにその後ろを歩く。ベラの順応力の高さには驚かされる。けれど、それに勇気を貰えるのは気のせいだろうか。
ベラを見失わないように慎重に歩いていると、視界に見慣れたシルエットが入る。
集う人たちの隙間から、ニアとエレノアがバンドの煽りに楽しそうに手を挙げて、盛り上がっているのが見えたのだ。ニアはサングラスをかけていて、一瞬、人違いかと思ってしまった。
「ベラ!」
音楽と歓声に負けないように、私はベラの背中に声をかける。幸いにもベラはすぐに振り返ってくれた。
「ニアとエレノア、見つけたよ」
「え!? 本当!? どこどこ?」
ベラはぴょんっと跳ねると、私の視線を探る。そして二人を見るなり、群衆をかき分けてそちらへと向かう。当然のごとく、私の腕を掴んで。
今日はベラが私の保護者。もうそれは認めるしかない。
「エレノア! ニア!」
ベラのよく通る声に、二人は一斉にこちらを見る。ニアはサングラスを外し、大きく手を振った。
「ベラ、ロミィ、一緒にいたんだね!」
「そう! 今日はロミィ、電車に乗ったのよ!」
「え? ロミィが? 本当? すごいじゃないか!」
ニアは大げさに拍手をする。ちょっと、これではまるで赤子じゃない。
ライブでテンションが上がっているのか、ニアはベラと同じく顔が高揚しているように見える。いつもより口角が上がっているし、声も弾んでいる。
「今来たところなの?」
「ええ、そうなの」
比較的冷静なエレノアに、私はそう答える。
「ライブは大盛り上がりね」
「本当。すごく楽しいわ。このバンド、絶対有名になると思う!」
エレノアはどこぞの名プロデューサーのように目を光らせる。
「サイン貰っておくべきかしら?」
「ふふ、そうかもね」
やっぱり、冷静そうに見えたけど、エレノアもこのライブを楽しんでいるみたい。気分転換になっているのなら、それはとてもいいことだと思う。
私はそう思いながら、舞台上に目を向ける。そういえば、オルメアはどこにいるのかな。
バンドのメンバーを見ていると、その裏にいるはずのオルメアのことが気になってくる。
「ねぇねぇ、ニアもワイナリーに行きましょうよ!」
いつの間にか、ベラはワイナリー計画のことを話していた。興奮しているベラは、何の躊躇もなくニアを誘う。よくやった、ベラ。とてもいい提案だわ。
「いいのか? 君たちの邪魔ではない?」
「全然、邪魔なわけないじゃない! ね、エレノア?」
「勿論。皆で行った方が楽しいわ」
エレノアの天使の微笑みに、ベラは嬉しそうにニアを見る。
「そうしたら、決まりね?」
「ああ、分かったよ。……ロミィ」
「……うん? なぁに?」
急に名前を呼ばれて、私は気を取り戻してニアの方を見る。
「俺も一緒に行ってもいいかな?」
「ええ、当たり前じゃない。何を遠慮しているの?」
私が答えると、ちょうどバンドの演奏が終わった。ワーッという歓声に包まれて、ニアたちの声は聞こえなくなってしまった。
盛り上がる人々に流されないように、私は引き続きライブを楽しむ三人に断りを入れて、舞台の前から離れた。人ごみにちょっと酔ってしまいそうになった私は、ドリンクを探してうろうろと会場の公園を歩く。
キッチンカーもいくつか来ているみたいで、本当にこの場はフェスティバルみたいになっている。ハロウィンだし、退屈を嫌う人たちにはちょうどいいのかもしれない。
だけど、問題がある。全然、ドリンクが買えそうにない。
お店は並んでいるし、疲れてしまったから、少し座って休んだ後でドリンク探しを再開しよう。私はそう決めて、ふらふらとベンチのある方面へと向かう。お願いだから、空いていて。そう祈りながら。
そんな私に、神様は無慈悲に現実を突きつける。
ベンチが、空いていないじゃない。
まぁ、それはそうよね。皆、このお祭り状態を楽しんでいるのだから、座りたくもなるものよね。
私は肩を落として踵を返す。結局、ドリンクを探すしかなさそう。そう諦めていたところに、救世主のような声が聞こえてくる。私に向けられた声ではないけれど、その音域は、私の耳にスッと入ってくる。
その声を求めると、やっぱりそうだ。
オルメアだ。オルメアが、スタッフの人に何かを伝えている。
今日は裏方として来ているから、ニアと比べてもかっちりとした服を着ていて、それがオルメアの精悍さを際立たせている。
「オルメア」
声をかけても大丈夫かな、なんて、そんなこと、考えている暇がなかった。でもオルメアは、純粋に驚いた顔をしてこっちを見てくれる。
「ロミィ、来てくれたのか?」
「ええ。さっき来たばかりだけれど」
どうしてもドキドキしてしまうから、私はそれを誤魔化すために後ろで手を握る。
「ありがとう、ロミィ。君はこういうの、慣れないだろう?」
ただの推測でしかないし、特に私に関してはちょっとした勘だけで分かってしまうことだけれど、オルメアがそんなことを言ってくれると、私のことを頭の隅にでも置いておいてくれたみたいで嬉しかった。
「そうね。でも、みんな楽しそうだし、ドメイシアさんのパーティーの参考にもなるわ」
「そうか。それは良かった。役に立てているかな?」
「ええ!」
必要以上に力強く頷く。すると、オルメアの視線が私の顔を捉えたまま止まってしまった。そんな風に見つめられると、ちょっと、困ってしまう。どうしよう、鼓動が早くなる。
私のそんな気も知らないオルメアは、容赦なくその綺麗な瞳を私に向けてくる。
え? どうしたのかな? 私、何か変なものついてる?
怖くなってきてどぎまぎとしていると、オルメアの長い指がそっと私の襟元に添えているスカーフに触れた。
「ごめんね、折角のタイが、歪んでしまったね」
「……え!?」
慌ててスカーフを見る。どうやら群衆にもまれて歪んでしまったらしい。オルメアに直してもらったスカーフは、すまし顔で元の位置に戻っている。
「ありがとう、オルメア」
恥ずかしくなって、耳が熱くなっていくのが分かった。
「ううん。ロミィはこういうこと、大切にしているからね」
オルメアの言葉が私の心を貫く。
そういうところ。私の隙をついてくるところ。
私は、ぎゅっと両手を強く握りしめる。汗で少し湿っていた。
「ロミィ」
まだ、私の顔を捉えている。オルメアの瞳に映り続ける私に、意味もなく嫉妬してしまいそう。
「顔色が良くないね、大丈夫?」
「……え? そ、そうかな?」
「ちょっと休んだ方がいいよ。……って、言っても埋まっちゃってるか……」
オルメアが悔しそうな顔をする。端正な顔がしかめられると、彫刻のように正確で少し恐ろしささえ感じる。
「だ、大丈夫だよ。ごめん……なんか……気を遣わせて……」
「いいや。これは運営側の課題でもある。来てくれたゲストの人たちに不便な思いをさせてしまっては、期待に応えられていないと言えるだろう? 僕たちの責任だよ」
「……そ、そうかもしれないけど」
正論だと思う。でも、私はオルメアを責めたくない。
「ロミィ、こっち」
「え?」
オルメアが手招く方へと目を向けると、少し先に運営のスタッフ向けの休憩場所があった。
「あそこで休んで」
「で、でも、それこそ、迷惑じゃ……」
「迷惑だと思うわけないだろ」
正直、いい具合に体温が上がってきたせいなのか、さっきよりも視界もクリアだし、足取りもしっかりしてきたところだけれど、オルメアの頼もしさに身を任せたくなるのは我儘だろうか。
遠慮がちに頷いて、私はオルメアの後ろについて休憩場所まで向かう。
「気にしないで、ゆっくり休んで」
まだ仕事があるオルメアは、私を椅子に座らせるとそのまま蝶のようにふわりと去ってしまった。
オルメアの余韻を残したまま、私は鼓動を落ち着けようと深呼吸をする。
今日、オルメアに会いたいな、と思ってはいた。
でも、仕事だから、会えたらいいな、くらいだった。
だから。
私はせわしなく動き回るスタッフたちに気づかれないように、顔を隠して嬉しさを噛み締めた。
家の手伝いなんてなかったけれど、ニアにそう言ってしまった手前、時間通りに会場へ向かうのは気が引けたからだ。
結局、ニアとエレノアは一緒に行くことになったらしい。あの後、私が二人の前で話題を出して、その場で二人は約束をしていた。友達同士なのだから、何も不自然なことはなかった。ニアの嬉しそうな顔を思い出しながら、私はケリーに挨拶をする。
「お嬢様、お車でお送りしますか?」
「いいえ、大丈夫。今日は電車に乗るのよ」
「電車、ですか?」
そんなに驚いた顔をしなくてもいいのに。まるで私が初めて歩けたときのような顔をしている。いえ、正直、覚えていないけれど。
「お友達が一緒だから大丈夫」
「そうですか。それではお嬢様、お気をつけて」
ケリーに見送られ、私は待ち合わせ場所まで向かう。今日はベラと一緒に行くのだ。
ちょうど、ベラがワイナリーの計画を立てている時に、私が電車に乗りたいと言った話を思い出して、今日、それを実行することにした。
待ち合わせ場所はベラが気を利かせてくれて、私の家の近くの花屋だった。もうすでにベラは到着していたようで、店主と楽しそうに会話をしている。
「ベラ、お待たせ」
「ロミィ! わぁ、素敵なスカーフ!」
ゾイアに借りたスカーフをタイのように結んでいる私を見て、ベラの瞳が輝く。ベラは、赤い色が印象的なワンピースを着て、学校とは違って髪の毛はくるっと綺麗なカーブを描いて耳より下の位置に二つ結びにしている。
「ありがとう。…何かお話し中だったかしら? 大丈夫…?」
「うん! 大丈夫。ここの店主さんが、私の家のお店を褒めてくれていたから、ちょっと盛り上がったの」
「へぇ、そうだったのね」
「さぁ、行きましょう!」
ベラは私の手を取ると、元気よく歩き出す。
「ふふふ。手を繋いでいなくても、はぐれないよ」
「あっ、そうよね……! ごめんなさい」
恥ずかしそうに慌てだすベラの動きが可笑しくて、私はまた笑ってしまう。ベラは気を取り直して、駅まで私を案内してくれた。
電車に慣れない私のことを守るように、ベラは手取り足取り電車の乗り方を教えてくれる。まるで昔お世話になった家庭教師の先生のようで、なんだか懐かしさを感じた。
どうにか電車に乗り込み、ベラは空いている席に座った。私もその隣に腰を下ろす。
「電車はどう? ロミィ。結構いいでしょう?」
今の時間は空いているようで、席も空いているし、立っている人はあまりいない。
私は周りをきょろきょろと見回し、新聞を読み込んでいる人や、会話に夢中な人たちを順番に視界に入れる。
地下鉄だから、外の光が見えない代わりに電球が時折通り過ぎる。
「ええ、そうね。皆の生活の一部なのね。とても馴染んでいるわ」
「うん。今や欠かせないの」
ベラはくすっと笑い、肩を揺らす。
「そういえば、エレノアは今日ニアと一緒にいるんだったよね?」
「そう。ニアが迎えに行ったはず」
「そっか。気分転換になるといいなぁ」
友達思いのベラは、エレノアのことを気遣うような表情をする。
「ワイナリーの話、今日会えたらしようと思う」
「ええ、そうしましょう」
それから、ベラが今抱えている学校の課題のことに話題は移り、あっという間に目的の駅まで着いてしまう。電車を降りて地上に戻ると、落葉が足元で揺れ踊り、私たちを出迎えてくれた。
会場の公園はすぐ近く。そういえば、今日はハロウィンだった。街中を歩くと、目に入るかぼちゃたちがそのことを思い出させてくれる。
ハロウィンは、特に家では何かすることはない。だからこうやって街中でちょっといつもと違う雰囲気を彩ってくれていると、まるで自分もそのイベントに参加しているような気分になれて、息が弾んだ。
会場が近づいてくると、否応なしに楽器を鳴らす音が聞こえてくる。人々はその音に誘われるかのように公園へと入っていく。聞きなれない、テンポの速い力強い演奏。そこに歌声が乗ると、別世界に来た気分。
私はベラと顔を見合わせ、開かれた新たな扉の向こうへと足を踏み入れる。
公園の中心にステージがあり、バンドがお客さんたちを盛り上げている姿が見える。ベラは大喜びで両手をあげて、すぐにその群衆の中に飛び込んでいった。
私は、こういった場には慣れていないから少し控えめにその後ろを歩く。ベラの順応力の高さには驚かされる。けれど、それに勇気を貰えるのは気のせいだろうか。
ベラを見失わないように慎重に歩いていると、視界に見慣れたシルエットが入る。
集う人たちの隙間から、ニアとエレノアがバンドの煽りに楽しそうに手を挙げて、盛り上がっているのが見えたのだ。ニアはサングラスをかけていて、一瞬、人違いかと思ってしまった。
「ベラ!」
音楽と歓声に負けないように、私はベラの背中に声をかける。幸いにもベラはすぐに振り返ってくれた。
「ニアとエレノア、見つけたよ」
「え!? 本当!? どこどこ?」
ベラはぴょんっと跳ねると、私の視線を探る。そして二人を見るなり、群衆をかき分けてそちらへと向かう。当然のごとく、私の腕を掴んで。
今日はベラが私の保護者。もうそれは認めるしかない。
「エレノア! ニア!」
ベラのよく通る声に、二人は一斉にこちらを見る。ニアはサングラスを外し、大きく手を振った。
「ベラ、ロミィ、一緒にいたんだね!」
「そう! 今日はロミィ、電車に乗ったのよ!」
「え? ロミィが? 本当? すごいじゃないか!」
ニアは大げさに拍手をする。ちょっと、これではまるで赤子じゃない。
ライブでテンションが上がっているのか、ニアはベラと同じく顔が高揚しているように見える。いつもより口角が上がっているし、声も弾んでいる。
「今来たところなの?」
「ええ、そうなの」
比較的冷静なエレノアに、私はそう答える。
「ライブは大盛り上がりね」
「本当。すごく楽しいわ。このバンド、絶対有名になると思う!」
エレノアはどこぞの名プロデューサーのように目を光らせる。
「サイン貰っておくべきかしら?」
「ふふ、そうかもね」
やっぱり、冷静そうに見えたけど、エレノアもこのライブを楽しんでいるみたい。気分転換になっているのなら、それはとてもいいことだと思う。
私はそう思いながら、舞台上に目を向ける。そういえば、オルメアはどこにいるのかな。
バンドのメンバーを見ていると、その裏にいるはずのオルメアのことが気になってくる。
「ねぇねぇ、ニアもワイナリーに行きましょうよ!」
いつの間にか、ベラはワイナリー計画のことを話していた。興奮しているベラは、何の躊躇もなくニアを誘う。よくやった、ベラ。とてもいい提案だわ。
「いいのか? 君たちの邪魔ではない?」
「全然、邪魔なわけないじゃない! ね、エレノア?」
「勿論。皆で行った方が楽しいわ」
エレノアの天使の微笑みに、ベラは嬉しそうにニアを見る。
「そうしたら、決まりね?」
「ああ、分かったよ。……ロミィ」
「……うん? なぁに?」
急に名前を呼ばれて、私は気を取り戻してニアの方を見る。
「俺も一緒に行ってもいいかな?」
「ええ、当たり前じゃない。何を遠慮しているの?」
私が答えると、ちょうどバンドの演奏が終わった。ワーッという歓声に包まれて、ニアたちの声は聞こえなくなってしまった。
盛り上がる人々に流されないように、私は引き続きライブを楽しむ三人に断りを入れて、舞台の前から離れた。人ごみにちょっと酔ってしまいそうになった私は、ドリンクを探してうろうろと会場の公園を歩く。
キッチンカーもいくつか来ているみたいで、本当にこの場はフェスティバルみたいになっている。ハロウィンだし、退屈を嫌う人たちにはちょうどいいのかもしれない。
だけど、問題がある。全然、ドリンクが買えそうにない。
お店は並んでいるし、疲れてしまったから、少し座って休んだ後でドリンク探しを再開しよう。私はそう決めて、ふらふらとベンチのある方面へと向かう。お願いだから、空いていて。そう祈りながら。
そんな私に、神様は無慈悲に現実を突きつける。
ベンチが、空いていないじゃない。
まぁ、それはそうよね。皆、このお祭り状態を楽しんでいるのだから、座りたくもなるものよね。
私は肩を落として踵を返す。結局、ドリンクを探すしかなさそう。そう諦めていたところに、救世主のような声が聞こえてくる。私に向けられた声ではないけれど、その音域は、私の耳にスッと入ってくる。
その声を求めると、やっぱりそうだ。
オルメアだ。オルメアが、スタッフの人に何かを伝えている。
今日は裏方として来ているから、ニアと比べてもかっちりとした服を着ていて、それがオルメアの精悍さを際立たせている。
「オルメア」
声をかけても大丈夫かな、なんて、そんなこと、考えている暇がなかった。でもオルメアは、純粋に驚いた顔をしてこっちを見てくれる。
「ロミィ、来てくれたのか?」
「ええ。さっき来たばかりだけれど」
どうしてもドキドキしてしまうから、私はそれを誤魔化すために後ろで手を握る。
「ありがとう、ロミィ。君はこういうの、慣れないだろう?」
ただの推測でしかないし、特に私に関してはちょっとした勘だけで分かってしまうことだけれど、オルメアがそんなことを言ってくれると、私のことを頭の隅にでも置いておいてくれたみたいで嬉しかった。
「そうね。でも、みんな楽しそうだし、ドメイシアさんのパーティーの参考にもなるわ」
「そうか。それは良かった。役に立てているかな?」
「ええ!」
必要以上に力強く頷く。すると、オルメアの視線が私の顔を捉えたまま止まってしまった。そんな風に見つめられると、ちょっと、困ってしまう。どうしよう、鼓動が早くなる。
私のそんな気も知らないオルメアは、容赦なくその綺麗な瞳を私に向けてくる。
え? どうしたのかな? 私、何か変なものついてる?
怖くなってきてどぎまぎとしていると、オルメアの長い指がそっと私の襟元に添えているスカーフに触れた。
「ごめんね、折角のタイが、歪んでしまったね」
「……え!?」
慌ててスカーフを見る。どうやら群衆にもまれて歪んでしまったらしい。オルメアに直してもらったスカーフは、すまし顔で元の位置に戻っている。
「ありがとう、オルメア」
恥ずかしくなって、耳が熱くなっていくのが分かった。
「ううん。ロミィはこういうこと、大切にしているからね」
オルメアの言葉が私の心を貫く。
そういうところ。私の隙をついてくるところ。
私は、ぎゅっと両手を強く握りしめる。汗で少し湿っていた。
「ロミィ」
まだ、私の顔を捉えている。オルメアの瞳に映り続ける私に、意味もなく嫉妬してしまいそう。
「顔色が良くないね、大丈夫?」
「……え? そ、そうかな?」
「ちょっと休んだ方がいいよ。……って、言っても埋まっちゃってるか……」
オルメアが悔しそうな顔をする。端正な顔がしかめられると、彫刻のように正確で少し恐ろしささえ感じる。
「だ、大丈夫だよ。ごめん……なんか……気を遣わせて……」
「いいや。これは運営側の課題でもある。来てくれたゲストの人たちに不便な思いをさせてしまっては、期待に応えられていないと言えるだろう? 僕たちの責任だよ」
「……そ、そうかもしれないけど」
正論だと思う。でも、私はオルメアを責めたくない。
「ロミィ、こっち」
「え?」
オルメアが手招く方へと目を向けると、少し先に運営のスタッフ向けの休憩場所があった。
「あそこで休んで」
「で、でも、それこそ、迷惑じゃ……」
「迷惑だと思うわけないだろ」
正直、いい具合に体温が上がってきたせいなのか、さっきよりも視界もクリアだし、足取りもしっかりしてきたところだけれど、オルメアの頼もしさに身を任せたくなるのは我儘だろうか。
遠慮がちに頷いて、私はオルメアの後ろについて休憩場所まで向かう。
「気にしないで、ゆっくり休んで」
まだ仕事があるオルメアは、私を椅子に座らせるとそのまま蝶のようにふわりと去ってしまった。
オルメアの余韻を残したまま、私は鼓動を落ち着けようと深呼吸をする。
今日、オルメアに会いたいな、と思ってはいた。
でも、仕事だから、会えたらいいな、くらいだった。
だから。
私はせわしなく動き回るスタッフたちに気づかれないように、顔を隠して嬉しさを噛み締めた。
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