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50 一歩一歩
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エヤとミケが天界に帰ってからもうすぐ三週間。
俺の日常は徐々に二人と出会う前の頃のように戻っていき、朝の睡眠時間も若干伸びた。
だけど料理をする回数は前よりも増えて、俺の新しい趣味、特技と言ってもそろそろいいかもしれない。
心寧は二人がいなくなったことが寂しいと何度か家を訪ねては悲しんでいたが、その度に料理を振舞っているうちにいつの間にか俺の専属料理評論家に成長していた。
職場でも相変わらず。特に大きな変化はない。
弁当を持っていかない日の方が多くなったから、藍原さんに「飽きちゃった?」と突っ込まれたくらいだ。
今日も春海と一緒に買いに行った弁当を食べ終え、あと少しで終わる昼の貴重な時間を持て余しているところだった。
最近は料理動画とかを見るのが好きだけど、一本見るには中途半端な時間。
なんとなくスマホを起動させ、何をしようかと画面を見下ろす。
容量も迫ってきたことだし、アプリの整理でもしようかな。
そう思いズラッと並んだアイコンを眺めてみる。しばらく触っていないアプリの一覧を確認し、どれを消そうかとスクロールを続ける。
すると、ある一つのアイコンに目が留まった。
エンチャンテッドロード。
もう二か月以上ログインしてない。
ゲームは結構容量を食ってしまう。……………………消すべきか。
だがアンインストールの文字を見つめたまま指は動かない。
消す前に、もう一度ログインしてみようか。
ふとそう思い立ち、俺は流れるままにゲームのアイコンをタップした。
鮮やかな映像をスキップしてホーム画面に移る。ずっと触ってこなかったから、なんだかタイムリープしたみたいな気持ちになった。
待ち構えていたアバターと目が合う。ミケが着せ替えたままの装備を着ていて、どこか他人の世界に入り込んだような気がしてしまう。
積み上げた戦績や報酬。そのどれもが自分のものとは思えなかった。
確かにもう削除してもいいのかもしれないんだけど……。
ぼんやりとした思いが浮かぶ中、適当にあちこちを触ってみる。
そういえば、こんなに長い間ログインもしないとフレンドって減ってるのかな。皆、愛想尽かして去っているかも。でもまぁ、俺は直音さん以外のフレンドとは疎遠になっていたんだし、今更か。
そんなことを考えながらフレンド一覧を表示させた。
フレンドはそんなに多くない。だけど思ったより減ってないものだ。
意外な結果だとしても驚きもなくスクロールを続ける。ログインが新しいほどに上部に表示されるフレンドたち。一番下にいるフレンドが見えてくると俺の指は思わず止まってしまった。
“無自覚なスマートさんへ
傍にいてくれて、ありがとうございました。いつも心強いです。
また、いつの日か”
三つ編みをしたキャラクターの笑顔の横の自己紹介文に書かれた言葉たち。
「直音さん……」
それは紛れもなく、彼女が記したものだった。
思いがけず瞳が潤み、俺は慌てて上を見た。
キャラクターの無邪気な笑顔。もう一度見ると、今度は自然と口元から力が抜けていった。
入院中、スマホを触っていたところは見ていない。いつの間に彼女はゲームにログインしていたのだろう。
彼女が遺したいたずらに頬が温まっていく気がした。
主のいないこのキャラクターはこれから動くこともない。いつかデータも消えてしまうはずだ。だけど、彼女と過ごした日々は例え記録がなくなったとしてもなかったことになんてならない。
俺が年を取って、記憶が混乱してきてしまっても。
それでも、その日々は幻でもなんでもない。
彼女たちと歩んだ、ちょっとした奇跡に誘われた愛おしい日々だ。
あの笑顔も何もかも、空気に染みこんで永遠に手放されることはないのだろう。
また会おうねと言ってくれたエヤとミケ。
俺にも必ずいつかのその機会は来る。だけど、二人には悪いんだけど……。
「樫野くーん! ごめんっ。ごめんなんだけど、これ、運ぶの手伝ってー!」
物思いにふけって職場にいることを一瞬忘れかけていた俺を呼び戻したのは雨臣さんだった。
執務室の向こうの方で、何やら大量の段ボール箱を前に戸惑っている様子。
「あっ。雨臣さん、私も手伝いますよっ」
「ありがとう咲来ちゃん。でもこれ重いから、男の人に持ってもらった方がいいかもしれないわ……あっ!」
「どうしました?」
「これも、セクハラ……!?」
雨臣さんは手で口を抑えてみるみる青ざめていく。
「いえ、これはセーフです」
慌てる雨臣さんの前を冷静な声が横切り、手を伸ばした春海が段ボール箱を一つ抱え込む。
ほっと胸を撫で下ろす雨臣さん。藍原さんは春海とともに荷物を手に取ってくすくすと笑っていた。
俺もこうしちゃいられないな。
スマホを机に置き立ち上がる。スマホの裏面を覆うケースから顔を覗かせるのは、ニヒルに笑う洋館のマスター。
「俺も手伝いますっ」
椅子をしまい、彼らのもとへと合流する。
「ありがとう樫野くん! 助かるわぁ」
「じゃあ樫野さんは一度で三つ持てますよね」
「なんでだよ」
「あー! 春海くん無理して二つ持っちゃだめだよっ!」
荷物を運ぼうとするや否や賑やかな声が飛び交っていく。
春海の挑発には乗らないようにして、一つの箱を抱え込んで雨臣さんに聞いた場所へと運び始める。
そうこうしているうちに昼の休憩は終わってしまうけど、まだ段ボール箱がいくつも待っていた。
手に持った箱の重みを感じながら、それでもなんだか心は軽かった。
理由なんて分からない。
いや、むしろ理由なんてないんだろう。
エヤ、ミケ。にんげんたちはそうやって与えられた時間を生きるみたいだ。
だから、これからも君たちのことを困らせてしまうかもしれない。
もし二人に会うことがあったら呆れられるだろうか。
俺はまだそんなつもりなんてない。だけど「またね」という言葉が、いつかの楽しみになることを願おう。
でもまぁ、当分のところは……。
こうやって人生らしきものを歩むのも悪くはないなと思えてしまうから。
彼女たちに会うのは、まだまだ御免だ。
俺の日常は徐々に二人と出会う前の頃のように戻っていき、朝の睡眠時間も若干伸びた。
だけど料理をする回数は前よりも増えて、俺の新しい趣味、特技と言ってもそろそろいいかもしれない。
心寧は二人がいなくなったことが寂しいと何度か家を訪ねては悲しんでいたが、その度に料理を振舞っているうちにいつの間にか俺の専属料理評論家に成長していた。
職場でも相変わらず。特に大きな変化はない。
弁当を持っていかない日の方が多くなったから、藍原さんに「飽きちゃった?」と突っ込まれたくらいだ。
今日も春海と一緒に買いに行った弁当を食べ終え、あと少しで終わる昼の貴重な時間を持て余しているところだった。
最近は料理動画とかを見るのが好きだけど、一本見るには中途半端な時間。
なんとなくスマホを起動させ、何をしようかと画面を見下ろす。
容量も迫ってきたことだし、アプリの整理でもしようかな。
そう思いズラッと並んだアイコンを眺めてみる。しばらく触っていないアプリの一覧を確認し、どれを消そうかとスクロールを続ける。
すると、ある一つのアイコンに目が留まった。
エンチャンテッドロード。
もう二か月以上ログインしてない。
ゲームは結構容量を食ってしまう。……………………消すべきか。
だがアンインストールの文字を見つめたまま指は動かない。
消す前に、もう一度ログインしてみようか。
ふとそう思い立ち、俺は流れるままにゲームのアイコンをタップした。
鮮やかな映像をスキップしてホーム画面に移る。ずっと触ってこなかったから、なんだかタイムリープしたみたいな気持ちになった。
待ち構えていたアバターと目が合う。ミケが着せ替えたままの装備を着ていて、どこか他人の世界に入り込んだような気がしてしまう。
積み上げた戦績や報酬。そのどれもが自分のものとは思えなかった。
確かにもう削除してもいいのかもしれないんだけど……。
ぼんやりとした思いが浮かぶ中、適当にあちこちを触ってみる。
そういえば、こんなに長い間ログインもしないとフレンドって減ってるのかな。皆、愛想尽かして去っているかも。でもまぁ、俺は直音さん以外のフレンドとは疎遠になっていたんだし、今更か。
そんなことを考えながらフレンド一覧を表示させた。
フレンドはそんなに多くない。だけど思ったより減ってないものだ。
意外な結果だとしても驚きもなくスクロールを続ける。ログインが新しいほどに上部に表示されるフレンドたち。一番下にいるフレンドが見えてくると俺の指は思わず止まってしまった。
“無自覚なスマートさんへ
傍にいてくれて、ありがとうございました。いつも心強いです。
また、いつの日か”
三つ編みをしたキャラクターの笑顔の横の自己紹介文に書かれた言葉たち。
「直音さん……」
それは紛れもなく、彼女が記したものだった。
思いがけず瞳が潤み、俺は慌てて上を見た。
キャラクターの無邪気な笑顔。もう一度見ると、今度は自然と口元から力が抜けていった。
入院中、スマホを触っていたところは見ていない。いつの間に彼女はゲームにログインしていたのだろう。
彼女が遺したいたずらに頬が温まっていく気がした。
主のいないこのキャラクターはこれから動くこともない。いつかデータも消えてしまうはずだ。だけど、彼女と過ごした日々は例え記録がなくなったとしてもなかったことになんてならない。
俺が年を取って、記憶が混乱してきてしまっても。
それでも、その日々は幻でもなんでもない。
彼女たちと歩んだ、ちょっとした奇跡に誘われた愛おしい日々だ。
あの笑顔も何もかも、空気に染みこんで永遠に手放されることはないのだろう。
また会おうねと言ってくれたエヤとミケ。
俺にも必ずいつかのその機会は来る。だけど、二人には悪いんだけど……。
「樫野くーん! ごめんっ。ごめんなんだけど、これ、運ぶの手伝ってー!」
物思いにふけって職場にいることを一瞬忘れかけていた俺を呼び戻したのは雨臣さんだった。
執務室の向こうの方で、何やら大量の段ボール箱を前に戸惑っている様子。
「あっ。雨臣さん、私も手伝いますよっ」
「ありがとう咲来ちゃん。でもこれ重いから、男の人に持ってもらった方がいいかもしれないわ……あっ!」
「どうしました?」
「これも、セクハラ……!?」
雨臣さんは手で口を抑えてみるみる青ざめていく。
「いえ、これはセーフです」
慌てる雨臣さんの前を冷静な声が横切り、手を伸ばした春海が段ボール箱を一つ抱え込む。
ほっと胸を撫で下ろす雨臣さん。藍原さんは春海とともに荷物を手に取ってくすくすと笑っていた。
俺もこうしちゃいられないな。
スマホを机に置き立ち上がる。スマホの裏面を覆うケースから顔を覗かせるのは、ニヒルに笑う洋館のマスター。
「俺も手伝いますっ」
椅子をしまい、彼らのもとへと合流する。
「ありがとう樫野くん! 助かるわぁ」
「じゃあ樫野さんは一度で三つ持てますよね」
「なんでだよ」
「あー! 春海くん無理して二つ持っちゃだめだよっ!」
荷物を運ぼうとするや否や賑やかな声が飛び交っていく。
春海の挑発には乗らないようにして、一つの箱を抱え込んで雨臣さんに聞いた場所へと運び始める。
そうこうしているうちに昼の休憩は終わってしまうけど、まだ段ボール箱がいくつも待っていた。
手に持った箱の重みを感じながら、それでもなんだか心は軽かった。
理由なんて分からない。
いや、むしろ理由なんてないんだろう。
エヤ、ミケ。にんげんたちはそうやって与えられた時間を生きるみたいだ。
だから、これからも君たちのことを困らせてしまうかもしれない。
もし二人に会うことがあったら呆れられるだろうか。
俺はまだそんなつもりなんてない。だけど「またね」という言葉が、いつかの楽しみになることを願おう。
でもまぁ、当分のところは……。
こうやって人生らしきものを歩むのも悪くはないなと思えてしまうから。
彼女たちに会うのは、まだまだ御免だ。
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