手のひらのしかくい地球

冠つらら

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 初橋さんとイベントに行ってから五日が経った。彼女とはまたゲームの中で会話を続けている。
 そのせいか俺がゲームをする時間が増え、スマホをいじれないミケは少し不満そうに横から画面を見続けるようになった。隣で静かな圧を常に感じているのでたまに根負けしそうになる。だから出来る限り短い時間でゲームは終わらせるようにしているけど、毎回初橋さんにゲーム終了を告げるのはなんだか心苦しかった。

 親戚の子どもが来ているとは言った。でも二人が家にいることまでは言っていない。
ミケが傍にいるから通話はできない分チャットでしかやりとりはできないけど、それでも彼女と一緒にゲームをするのは楽しかった。協力プレイなんてどちらかといえば気を遣うから好きじゃなかったけど、初橋さんが相手だとそれも気にならない。
 そんな感覚がまた新鮮で、俺は寝る前にするゲームのささやかな習慣が憩いとなっていた。

 ゲームイベントの感想を雨臣さんに伝えると、彼女の子どもも友達と会えたみたいで大いに満喫できたようだった。今は、その子たちの気持ちも分からなくない。
 一人で好きに遊ぶのもいいけど、誰かと気持ちを共有するのもそれはまた違う楽しさがある。
 カタカタとキーボードを打ち込み、今日もまたゲームの時間が取れるだろうかと頭の中で計算をした。
 終業時刻を迎える三十分前。机の上に置いていたスマホが突如として鳴る。
 机の上で震えるものだから、隣にいる藍原さんも即座に反応した。

「すみません……」
「いいのいいの」

 頭を下げながらスマホを手に取ると、藍原さんはふんわりと笑って受け流してくれた。

「はい。大志さんですか?」

 席から立ち、執務室を出て廊下で電話を受ける。画面に表示されていた浦邉大志という名前。もしや二人に何かあったのかと俺は嫌な汗をかく。
 けど大志さんは電話の向こうでいつもみたいな陽気な声で答えた。むしろそのボリュームが大きくて、俺は思わずスマホを耳から離してしまった。

『至さん、まだお仕事中でしたかね? すみません! 急に電話なんてしちゃって』
「いえ、大丈夫です。どうかされましたか?」

 南米の音楽のように奏でられる彼の声に、薄く張っていた俺の緊張感はどこかへと飛んでいった。

『いやどうしても至さんにすぐに報告がしたいってエヤちゃんが言っていて……。今日、迎えに来ることってできますか?』
「え? エヤが? ……はい。大丈夫ですけど……」

 一体どうしたのだろう。
 これまでエヤたちは二人だけで平気な顔をして帰ってきていたのに。

「報告……って、なんですか?」

 大志さんが提示してくれた僅かなヒントをもとに、俺はあらゆる可能性を思い浮かべる。
 え。まさか誰かを怪我させたりとか何かを壊したりとかしてないよな?
 いやしてないはずだ。大志さんの声を聞く限り、ネガティブなことは起こっていないことだけはなんとなく分かるし。

『それは本人が言いたがっているので、俺からは言えません』

 大志さんは大きな声で威勢よく笑う。それだけで彼の笑い顔がすぐに想像できるくらい、彼はよく笑ってくれる人だった。耳に届く笑い声を聞いていると、なんかここが職場じゃないみたいに辺りが華やぐ。

「そうですか……。分かりました。あと少しで終わるので、もう少し預かっていてもらえますか……? すみません。できるだけ急ぎますので」

 こうなると終業時間を待つのがもどかしく感じる。皆はもう帰っているのだろうか。大志さんになんだか申し訳なくて心だけ先に退勤しそうになった。

『大丈夫ですよー。ゆっくりで! 何時でも待ってますから』
「ありがとうございます。では、また後で」

 誰もいないのに癖で頭を下げた後で通話を切る。
 お迎えか……。
 時計を見上げ、また一日の残り時間のスケジュールをざっくりと組んでみる。
 エヤたちと一緒に買い物にでも行ったら、これまでの経験上二人が色んなものに目移りをして結構時間がかかってしまいそうだ。休日に一緒に買い出しに行くと、いつも想定より遅くなる。ということは……たぬきの塾よりも手前にあるスーパーで買い物をして、そのまま迎えに行って……。あ、でもエヤの報告ってなんだ? そこでも少し話を聞く必要があるだろうし……。

 いや、ちょっと待て。そういや明日はたぬきの塾で紙芝居の発表があるとか言ってたな。まだその制作も終わってなかったし、それも手伝ってやらないと終わらないだろう。
 ご飯を食べて、紙芝居を作って……。いつまでかかるか分からないし、先に片付けをして……あ、そういや掃除もしないと……。
 ………………今日はゲームをするのは難しいかも。

「……しょうがないか」

 まぁ今週は結構ゲームしちゃってサボってたとこもあるし……。
 家で過ごす時間についてここまで計画的に考えたことがこれまであっただろうか。
 エヤとミケのおかげで、随分と俺も日常に気を遣うようになったものだ。
 どこかやるせなさを感じてしまい、微かに肩を落として席に戻る。
 終業まであと二十五分。
 そわそわとした心のまま、俺は無心でディスプレイと向かい合った。

 予定通り買い物を済ませてからたぬきの塾へと向かう。
 本当は真っ直ぐ迎えに行っても良いんだが。どうか許して欲しい。大志さんには申し訳ないけど、ゆっくりしていいよ、という言葉に甘えさせてもらった形になる。

「エヤ、ミケ、迎えに来たよー」

 受付にいた大学生のアルバイトの人に挨拶をした後で、俺は一番大きな部屋へと向かう。靴箱にはもう二人分の靴しか残っていなかった。今日は他の皆はもう帰ってしまったのだろう。そう思うと、やっぱり買い物を済ませてきたことに罪悪感を抱く。

「あ! カシノ! お疲れ様だす!」

 部屋に入るなり、畳に寝転んでいたエヤが勢いよく起き上がる。

「ありがとうエヤ」

 俺がそう答えると、エヤの隣でパズルをしていたミケも顔を上げた。

「至さん、お仕事お疲れ様です。すみませんねぇ、突然呼び出しちゃって……」
「いえ。気にしないでください。言い出しっぺはエヤなので」

 俺が迎えに来たことに気づいた大志さんが、座っていた縁側から立ち上がってこちらに来る。秋を越えてもう冬を迎えかけている今。寒くなってきたというのに彼は甚平なんか着ていた。いや寒そうだ。彼はそんなことないのかな。
 軽めのコートを着ている俺は涼やかな顔をしている大志さんを見て思わずそんな疑問が頭をよぎった。

「そうだそうだ! エヤちゃん、早速報告してあげないとね!」

 大志さんは俺の言葉にぴんっと背筋を伸ばしてからエヤの方を向いてしゃがみ込む。
 エヤは大志さんに向かってにっこりと頷き、勿体つけるように二人して俺の方を見てきた。
 にやにやと何か悪だくみをしているようなその表情に、俺は一体何を言われるのかと妙な覚悟が身体を走り、ごくりと息をのみ込んだ。
 ミケはそんな二人のことはお構いなく、あと少しで完成しそうなパズルと睨み合っていた。

「ふっふっふっふふふふふふ…………」

 いつにも増して妙な笑い声がエヤの喉から聞こえてくる。
 随分と余韻を堪能した後で、エヤは両手を腰に当てて仁王立ちになって堂々とした表情をこちらに向けた。

「タチャーン! なんとこのエヤとミケ、たぬきの塾のディスカバリー隊の一員に任命されましただすっ!」

 どーん! という効果音を背負ってそうなエヤの姿を、大志さんが隣で手をひらひらとさせて称える。

「でぃ、ディスカバリー隊……?」

 なんだそれは。
 いかにも重大事件が起きたのかと思いきや聞いたこともない単語の登場だ。
 拍子抜けした頭の中を素直な感想と疑問が駆け巡る。

「まぁようは、ボーイスカウト、ガールスカウトみたいな青少年活動の一環です。座学だけでは学べないことや決められた教科だけでは補えない知恵も学ぶ楽しさの上で必要だろうからねぇ」

 ぽかんとしている俺に向かって大志さんが優しく教えてくれた。

「な、なるほど……そういうこともしているんですね」
「はい。クラブ活動みたいな感じで思っていただければいいかなと」

 よいしょと立ち上がった大志さんは、俺に報告できたことに満足しているエヤと一回ハイタッチをする。
 そういう活動はいいかもしれない。二人ともたぬきの塾に通うのをいつも楽しみにしているし。外での活動機会が増えるのは二人にとっても良いことだろう。
 でもそれなら帰ってからでも報告してくれればいいのに。
 エヤが今すぐにでもと待ちきれなかった理由が分からず、ふと頭を小さく傾ける。それを見た大志さんは、俺の心などお見通しなのだと思う。ふふ、と笑って一枚の紙を差し出してきた。

「でね、一応保護者の方の了承が必要なんだ。課外活動になるからさ。もちろん、子どもたちの安全は全力で守るけど、あとあと問題にならないように。子どもたちもその方が余計なこと考えなくて済むだろうから」

 大志さんから受け取った紙には、ディスカバリー隊入隊届、と書いてあった。そうか。確かに外で遊ぶことにもなるんだろうし、保護者の確認も必要になるか。

「なるほど」

 思わず独り言が落ちる。

「お家で書いてもらえばいいよって言ったんだけど、今すぐに入隊したい! ってエヤちゃんが。ははは。目をキラキラさせるものだから、つい電話してしまいました」

 大志さんは、ごめんなさい、とエヤたちに聞こえないように小声で俺だけにそう言いつつウィンクをした。

「そうだったんですね。お気遣いありがとうございます。すみません、エヤが我儘を……」
「いえいえ。意欲的な隊員は大歓迎ですから!」

 大志さんが小粋に笑うと、エヤが俺をじーっと丸い瞳で見上げてくる。

「カシノ、入隊してもいい?」
「うん。もちろん。ミケも入るんだよね?」
「うん」

 パズルの最後のピースを埋めたミケはようやく顔を上げると、こちらの会話に参加してくれるようになった。
 俺は大志さんからペンを借りて、その場で承諾の旨をサインする。
 隣ではエヤがうずうずとした様子で俺が動かすペン先を見守っていた。瞬きをしないから、だんだんその目はじんわりと苦しそうに滲む。

「はい。書いた」

 目が赤くなってしまう前にエヤにサインした紙を見せる。

「ほぉおおぉ」

 するとエヤは一度瞬きをした後で一段と大きくなった目を見開いた。

「タイシサンタイシサン!」

 紙を受け取ったエヤは賞状のように大志さんにそれを差し出す。威風堂々が流れてきそうな光景だ。いやでもあれは卒業か。まだエヤたちに流れることはない曲だ。
 勝手な音楽を脳内に流している間に、大志さんは丁寧に膝を畳についてから恭しく紙を受領した。

「確かに受け取りましたっ! これでエヤちゃんとミケちゃんも、今日からディスカバリー隊の一員だね!」
「やったぁー!」

 エヤはぴょこんっと飛び上がると、ぺこりとお辞儀をしたミケの手を取ってぶらぶらと揺らした。

「カシノ! ありがとう!」

 ミケと手を繋いだまま、エヤは俺の足元まで駆けてくる。

「お呼び出しして悪かっただす! でも、迎えに来てくれたの、とっても嬉しいだす!」

 エヤはそう言ってから大志さんの方を振り返る。

「隊長! また明日! だす!」
「うん。また明日ね、エヤちゃん、ミケちゃん」
「さようなら」

 ミケも控えめに大志さんに手を振っていた。

「カシノ!」

 大志さんが手を振り返してくれるのを見ると、エヤは勢いのままに正面に向き直し、床に放置されている二人の鞄を拾い上げ肩にかけようとしていた俺のことをまた見上げてきた。
 エヤの笑顔はいつだって朝日のようだ。今が夜だということを忘れそうなほど疲れを知らない笑顔でエヤはこう呼びかける。

「さぁ! カシノ、一緒に帰ろうだすっ!」

 外に出ると、冷たい風が夜の街を通り過ぎていった。鼻先を赤くして一生懸命に話す彼女たちの今日一日の冒険話を聞きながら、月のライトが照らす道を二つの小さな影と並んで歩く。
 両脇にあるぽかぽかとした足音に、そろそろ鍋の準備をしようかなんて、そんなことを思いながらゆっくりと家を目指した。
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