手のひらのしかくい地球

冠つらら

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5 不意打ち

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 稚拙な策だけど、とりあえず今のところは順調だ。
 スーパーで買い物を終え、少し肌寒さを感じる夜を急ぎ足で歩く。土曜にショッピングセンターでたくさんの本を買い、日曜にはネット配信での映画やドラマの見方も教えた。

 そのおかげか、木曜日の今日までエヤとミケは山積みになった本を読み漁ったり、映画を次から次へと見ていくことでどうにか昼間の時間を過ごせている。
 土曜に見た二人の嬉しそうな姿を思い出すと、平日は基本的に家に閉じこもることになってしまう現状に少し心が痛む。いつまでも本や映画に頼っているわけにもいかないし。

 足を止めて空を見上げ、俺はどうにか教えを請う。
 お願いします神様、いや、マーフィー様。俺に妙案をください。
 心の奥底から願ったところでマーフィーたちには届いていないだろうけど。
 修行が終わらない間、天界の住人である存在すら放任しているのだから。でも、ちょっとの気まぐれを起こしてくれることを期待した。俺にはもう考える頭がない。

 家に帰ると、毎日のように出迎えてくれるエヤが待ってましたとばかりに駆けてくる。たまに出遅れることもある。だけど、なんか申し訳ないから俺はエヤが来るまで靴は脱がないでおくことにした。一週間で変わったのは、そんな俺の習慣くらいだろう。

「今日は何を作るんだすか?」

 もはや俺は今やエヤとミケの専属シェフだ。昼も彼女たちが冷凍ご飯ばかりを食べるのは少し気が引けるので、夕飯を翌日に持ち越せるように量を増やした。

「お好み焼き」
「うわーいっ!」

 エヤは何を作ると言ってもこうやって喜ぶ。きっと、食べることが好きなんだろうな。なんとなくその反応が楽しみになって、俺は思わずつられて笑う。
 ネット配信を使いこなせるようになってから、ミケは午前は漫画、午後は映画、とスケジュールを決めたようだ。帰ってきた時には大体映画がクライマックスを迎えている。どんなジャンルも好むようで、昨日は扉を開けた途端ホラー映画の断末魔が聞こえてきて慌ててミケをパソコンから離してしまった。

 彼女たちに映画の年齢制限なんて関係ないのに、つい神経質になってしまう。
 われは悪魔だよ。なんてミケが冷静に言うものだから、余計に俺が滑稽に見えた。
 鞄からスマホを取り出し、バッテリーの残量を確認する。二人が来てからはゲームをする余裕もないからすっかり充電の減りが鈍くなった。良いことなんだろうけど、少し寂しい。

 ゲームアプリを起動したくなる衝動を抑えながら、心を鬼にして画面の明かりを消す。
 名残惜しいけどスマホをソファの上に置き、俺は大人しくお好み焼き作りへと頭を切り替える。ホットプレートでも出して、二人にも焼いてもらおう。叔母さんに押し付けられたホットプレートの存在を思い出した俺は、冷蔵庫の上に置きっぱなしになっているそれを手に取った。
 滞りなくお好み焼きの準備を進めていると、不意に玄関の呼び出し音が鳴る。

 ピンポーン

 宅配か? なら、下のゲートがまず鳴るはずだけど。誰かのついでかな。
 ホットプレートを温めようとしているエヤが目をぱちぱちとさせて玄関の方を見るので、俺は生地を混ぜる手を止めてインターフォンの前に立つ。

「はい」

 画面を見た途端、発作のように心臓がどぎまぎと跳ねた。画面の向こうでカメラに顔を近づけてくる姿に一気に全身に緊張が走る。このまま消してしまおう。応答ボタンをもう一度押し、俺は画面を消した。

「ちょっとーっ!」

 玄関の向こうから大声が響く。やばい。もうそこにいる。
 俺の表情が強張るのを見て、エヤはミケと顔を見合わせた。

 ピンポーン

 もう一度呼び出される。続けて、直に扉を叩く鈍い音も続く。

「おにーちゃん、開けてよー! いるんでしょー?」

 玄関の方に顔を向け、画面に映る妹の不機嫌な表情が横目に映った。前に会った時よりも前髪が伸びていて、珍しく額を出しているせいか妹が怒っていることがよく分かる。

「うるさい。ドア叩くな。いいから待ってろ」

 それだけ答えると、俺は視界から妹を消す。

「どなただすか?」

 エヤが不思議そうな顔で見上げてくる。ホットプレートはまだ冷えたままだ。

「妹。……心寧」
「ココネ?」

 エヤがオウム返しのように妹の名前を口に出した。俺は小さく頷き、混乱したままとりあえず玄関へと向かう。どうしよう。帰ってもらうべきか。いや帰ってくれないと困るだろ。盲点だった。まさか心寧が来るとは。

 二つ年下の心寧はキュレーションメディアの運営をしているベンチャー企業に勤めている。軌道に乗ってきた会社ではあるが、まだまだ忙しいみたいでここのところはあまり会えていなかった。
 まさか久しぶりの再会がこのタイミングで来るなんて予想していなかった。というか来るなら連絡くらいしてくれよ。

「あー……!」

 とりあえず顔を合わさないとまずい。頭を掻いてぐしゃぐしゃになった髪の毛のまま俺は玄関を開ける。

「なんだよ心寧。来るならちゃんとアポを取れ。聞いてないぞ」

 久しぶりに会った兄の家に見ず知らずの少女二人が居座っていたら一体どんな気持ちになるんだろうか。未知の感情が恐ろしくて俺は内心怯えていた。
 心寧は俺が顔を出したことに少し怒りを鎮めてくれたのか、トーンダウンしたまま俺を睨みつける。

「えー? なんで? 駄目なのー? せっかく久しぶりに会いに来たのにー」

 妹は俺を責めるようにぶすっとした顔で腕を組む。

「いや駄目だろ。人様の家に訪ねるんだからさ。都合が悪かったらどうするんだよ」
「お兄ちゃんケチだなぁ。どうせ都合が悪いことなんてないじゃん」
「決めつけんなよ」

 つい呆れてため息が出て行く。玄関扉を半分だけ開けたまま、断固として動こうとしない俺を見て心寧は訝し気な眼差しを上げる。

「あ、もしかして、誰か来てるの?」

 ちょっと違うけど、ここは流れ乗っておこう。

「そうそう。だから今日は帰れ」
「え、だれだれ? 気になるっ。少し挨拶しちゃだめ?」
「だめだ」
「ちっ。けちぃ」

 ぴしゃりと断ると、心寧はまた俺を睨む。いい。そんな睨みくらいならいくらでも受けてやる。だから今は帰って欲しい。俺はがっちりとドアノブを掴んだまま愛想笑いをした。

「んー……お兄ちゃんがそこまで言うなら……まぁいいけど……」

 納得はできないようだけど理解はしてくれたみたいだ。心寧は手に持っていたワインボトルを俺に押し付ける。

「これ会社で貰ったんだけど、私飲まないから。これだけ渡しに来た。ちょうど近くで取材してたから」
「わざわざ悪いな」

 ちょっと罪悪感を抱いてワインボトルを受け取る。心寧は首を横に振って突然来たことを詫びた。余計に心証が悪いけど、今は致し方ないと自分に言い聞かせる。今度の誕生日プレゼントはちょっと良いものを贈ろう。それで埋め合わせだ。

「じゃあまたね」

 そう言って心寧が手を振った瞬間。そう、俺の緊張の糸が緩んだ瞬間だった。

「ぃやあああああーーっつうぅう!」

 ダイニングの方からホラー映画顔負けの叫び声が聞こえてきた。
 俺は慌てて振り返り、驚きと絶望でワインボトルを落としそうになる。帰ろうとしていた心寧も耳慣れない声にぎょっとしたようで思わず前のめりになって玄関扉を強引に開けた。

「なに!? えっ、なにごと!?」

 当然の反応だ。心寧は目を丸くしてきょろきょろと家の中を見回す。そして玄関に小さな靴が二つ並んでいることに気づく。

「はっ!? え? ええっ?」

 俺の顔と靴を交互に見て、心寧の目には徐々に不信感が広がっていった。

「あーもう……! どうしたんだよ!」

 もうどうでもいい。
 俺は考えることを放棄した。叫び声を上げたのはエヤだ。あんな声を聞いた今、心寧に隠し通すことなんてもはや不可能。願わくば兄としての尊厳を守りたかった。けどもうそれも無理だ。

「エヤ! どうした?」

 ワインボトルを持ったままエヤのもとへと向かう。エヤはホットプレートの前に座り込んで、ふぅふぅと小さな人差し指に息を吹きかけていた。

「や、やけどしちゃっただすー……」

 目にはほんの少しの涙が浮かんでいた。ワインボトルを床に置いた俺は、とりあえず冷水をボウルに溜めようと流し台に行く。

「だから、触っちゃだめだって言ったのに」

 エヤの隣ではミケが冷静な声で言い聞かせる。エヤは反省をしているのか、弱弱しい声でごめんなさいと謝った。

「ほら」

 ボウルを渡すと、エヤは冷水に人差し指を突っ込む。天使もやけどとかするのか。まぁ下界限定かもしれないけど、人体だもんな。
 痛みが落ち着いてきたのか冷たさに紛れたのか、エヤは大人しくなってじっとボウルを見つめる。ホットプレートも温まってるし、もう焼いてもいいだろう。そんなことを思っていると、背後で鞄が落ちる音がした。

「あ……」

 心寧だ。
 ちゃっかり家に上がってきた心寧は、持っていた鞄を床に落として、俺のことを侮蔑するような目で見下ろしてくる。

「おにーちゃん……これは、一体……その子たちは……」
「心寧。これには複雑すぎるワケが……」
「ぎゃっ! 近寄んなヘンタイ!」

 立ち上がってワケを話そうとすると、心寧は自分の身を守るようにしてさっと後ろへ引いた。自分の兄のことを、彼女が嫌いな毛虫を見る時と同じような目で見ることが出来るとは知らなかった。
 だがこの反応も想定の範囲内。悲しくて肩を落としつつも、心寧の心情は理解した。

「あっ! あなたがココネチャンだすかっ?」

 兄妹の間に流れる不穏な空気を知ってか知らずか、エヤが顔だけで振り返って心寧を見上げる。

「はじめましてだす! 私はエヤ! こっちはミケっていうんだす!」
「…………心寧、です」

 エヤの無垢な笑顔に流されたのか、心寧は丁寧に頭を下げて自己紹介をした。

「って、そうじゃなくって!」

 そして我に返り、再び俺のことを冷たい眼差しで見る。

「この子たち誰!? おにーちゃん、まさかとは思うけど誘拐してきた!?」
「んなわけないだろ」

 心寧の大げさな手振りに、俺は呆れたように返す。しかし一体どう説明すればいい。困り果てた俺は精神的な疲労で鈍くなった頭をどうにか働かせる。
 すると。

「悪魔」

 ミケが心寧の目の前まで出てきて自分を指差す。

「え?」
「修行中の、悪魔、です」

 もじもじと恥ずかしそうにしながらミケは心寧にそう訴えかける。だが心寧はミケが何を言っているのか分からず、きょとんとしたまま固まってしまった。

「わっ、私は、天使だす! 修行中の!」

 エヤも負けじと大きな声を出して身分を明かす。ボウルから手が離せないのか、エヤはもどかしそうにちらちらとこちらを見ている。

「は? どういうこと……? おにーちゃん、この子たち、どこで……?」

 心寧の顔から血の気が引いていくのが分かった。流石は兄妹。反応がそっくりだ。

「しょ、証拠もあるだすっ!」

 エヤはミケと目を合わせると、ボウルから手を引き上げて立ち上がる。
 そして俺は、初めて彼女たちの人体が仮のものなのだという事実を目の当たりにした。
 二人は、息を止めて少し表情に力を入れてから、ばっと一気に酸素を吸い込む。

 エヤとミケが呼吸を取り戻したと同時に、二人の背中からは小さな羽がふよふよと生えてきた。
 白い羽と、黒い羽。
 丸みを帯びた小さな小さなその羽は、ぴょこぴょこと生物のように動いている。

 俺と心寧はその光景に思わず目を見合わせた。
 ほんの僅かな時間だった。
 羽を出していると疲れてしまうのか、二人はもう一度呼吸を止めてその小さな証明を潜める。

「…………説明するから、まずはお好み焼き食べてもいいか?」

 まさか二人に羽があるなんて知らなかった。俺も心寧と同じでこれには目が眩みそうになった。
 それに、いい加減お腹も空いてきて余計に頭が働かない。

 俺は茫然としている心寧をソファに座らせ、どうにか夕食にありつこうとした。心寧は頭が真っ白になっているんだろう。何も反論はせずに大人しく座ったままホットプレートに流し込まれる生地を見つめていた。
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