手のひらのしかくい地球

冠つらら

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4 にんげん

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 夕飯を食べ終えて、食器を自分で下げたがる二人に続いて流し台へと向かう。

「今日のドリアも美味しかっただす! ごちそうさまでしたっ」

 エヤは綺麗に食べ尽くした皿を俺に渡し、軽く頭を下げた。

「エヤとは味覚の趣味が合うみたいだね」

 こんなに真正面からそんなことを言われた経験の無い俺はなんだか照れくさいのでそう言って誤魔化す。

「二人とも、明日も片付けの続きを頼むよ?」
「うん」

 ミケが小さく返事をした。
 それにしても、この部屋を叔母さんから借りられたことは今となっては本当に良かったと思う。
 片付けを終えてそそくさとソファに向かう二人を見送り、俺は身に染みてそれを感じた。

 不動産業界で働き、賃貸マンションのオーナーもしている叔母さんは、俺が病院に勤めることになってすぐにこの部屋を貸してくれた。
 ちょうど空きが出たとかで、優しい叔母さんは俺のことを気にかけてくれたのだ。
 2DKの部屋を安価で貸してくれたおかげで、断捨離をする前は荷物が多かった俺にとっては随分と快適な生活が送れた。けど一年前にゲームにハマってからはそれまで趣味だった別のことにはあまり気にかけなくなって、いっそのことと思いだいぶ物を捨てた。

 だから寝室じゃない方の部屋は持て余していて、エヤとミケの部屋として使うことができたのは皮肉にも都合が良かったみたいだ。
 マーフィーはこれも見越していたんじゃなかろうか。
 皿を洗いながら、俺はぶつぶつと頭の中で言い訳を唱える。
 断捨離なんてしなければよかった。物を捨てれば幸福が訪れるとか、やっぱり動機を作るための方便だ。
 俺の断捨離が呼び寄せたのは、断捨離の提唱者すらきっと青ざめるくらい厄介な状況なのだから。


 翌日には、エヤとミケはすっかり片付けを終わらしてくれた。ちょうど次の日は古紙回収がある。残された段ボールを束ねて収集所に持っていけば、家の中は二人が来る前と同じくすっきりとした。
 エヤは達成感からか、ラグの上で寝っ転がってごろんごろんとしている。ミケはその間もずっと漫画に夢中だ。

 今日は休み。ようやく迎えた休息の日だというのに、俺はまったく心が休まらない。
 明後日からのエヤたちの行方を考えなければ。
 俺に残された大きな課題など知る由もなく、二人はマイペースに心地の良い時間を過ごしていた。
 託児所に預けるか? いやいや。それにしては二人は大きすぎる。それに、生活費を貰えるとはいえあんまりにもお金を使いすぎるとマーフィーに嫌な顔をされそうだ。
 ベビーシッター的な人を雇ってもいいんだろうけど、やっぱり無理だ。他人を巻き込めない。
 素直に学校に通わせられればいいものを……。ああ、でもその場合も、手続きとかいろいろあるし、そもそも俺の存在が謎すぎるよな。マーフィーはきっと天界パワーでどうとでもなるんだろうけど、俺はただの一般人。なんの力も持ってない。

 ソファに座って頭を抱え込む俺の腕を、ミケがちょんちょんとつついてくる。
 なんだよ。俺の心でも読んでくれたのか?
 天界パワーとやらに期待して隣を見ると、ミケは読み終わった漫画を見せつけてきた。

「この続き、ある?」
「…………まだ発売してないよ」

 ミケたちは未熟者。マーフィーはそう言っていた。なら、あの人のような不思議なパワーもまだそんなにないんだろうな。
 漫画の続きが読めないことにがっかりしているミケ。そんな悲しい顔をされると、どうすればいいのか困るだろ。

「あ、そうか……」

 そこで俺は思いつく。褒められた案ではないのは自覚している。だけど、一週間くらいなら持つかもしれない。
 声色が変わった俺に気づいたエヤは寝ころんだまま顔を上げ、首を傾げる。

「二人とも、ちょっと出かけよう」
「えっ!? いいんだすかっ!?」
「いいの?」

 俺の提案に、二人は声を揃えて目を丸くした。驚いているけど、嬉しそうなのは分かる。

「うん。買い物。行く?」
「はいはいはい! エヤ行くだす!」
「ミケも」

 二人はぴしっと手を挙げた。

「そうとなればお顔を洗うだす!」

 エヤは早速洗面所まで駆けて行き、ミケもゆっくりその後に続いた。
 俺はパソコンが置いてある机の隣にある棚に目を向け、重たい足取りでそこを目指す。

「確かここに…………」

 一番上の引き出しを開け、奥を探る。最近はあんまり整理していなかったから、思ったよりも中はごちゃついていた。

「……あった」

 それらしき形状に指先が触れ、俺はそっとそれを取り出す。入居した時に貰ったスペアの鍵だ。
 今はまだだけど、いつまでも二人を閉じ込めておくわけにもいかないし、その時にはこの鍵が役に立つだろう。
 俺はスペアキーを失くしていなかったことに安堵し、見やすい手前に鍵を置きなおした。

「カシノー!」

 顔を洗ったのかスッキリした表情のエヤが扉の向こうから顔を出す。

「おでかけしましょー!」
「はいはい」

 引き出しを閉めた俺は、うずうずとしているエヤとミケと一緒に外に繰り出す。知り合いにだけは会いませんように。そんな妙な緊張が漂うけど、二日ぶりに外に出た二人は軽い足取りで前を歩く。

「どこに行くだすか?」

 バスを待っている間、エヤはそう言って俺の顔を覗き込む。

「ショッピングセンター。二人の本を買う」
「本? どうしてだすか?」
「修行してる身だろ? 下界の勉強しないとな」
「それならミケは映画が見たい」

 エヤの隣にいるミケが小さく自己主張をした。

「それもいいな。でも映画は配信で見れるから、あとで見方を教えるよ」
「いんたーねっと?」
「そう」

 自信がなさそうに首を傾げるミケ。二人は下界に来て五年だというけど、あんまりそういうものには触れてこなかったんだろうか。まぁ、マーフィーがいたら、そんなものは必要ないか。
 妙な納得感に包まれていると、二人の後ろに並んだおばあさんが俺のことをちらりと見てきた。
 まずい。誘拐犯とか思われてないよね?
 だらだらと嫌な汗をかきそうになりながら、おばあさんの視線から逃れようと空を見上げる。

「あのう……」

 俺の静かな抵抗も虚しく、おばあさんが穏やかな声をかけてくる。
 嘘だろ? 俺、そんなに不審人物に見える?

「な……なんでしょう……?」

 どうにか平静を装ってにこやかにおばあさんの方を見る。おばあさんの優しい眼差しがこちらを向いていて、なんだかとてつもない罪悪感に襲われる。俺、悪いこと何もしてないはずなのに。
 おばあさんは一緒に振り返ったエヤとミケをちらりと見ると、一段と柔らかに笑う。

「可愛らしいお嬢さんたちねぇ。双子ちゃんかしら?」
「…………は、はははは……どうも……」

 二人は似てはいないけど、背丈も一緒だし、見ようによってはそう見えるのか。俺は顔が引きつりながらも笑顔を返す。良かった。とりあえず、誘拐犯だとかは思われてなさそう。なんでこんなに後ろめたいんだよ、俺は。

「あらまぁ。ふふふ。一緒にお出かけ、いいわねぇ」
「はいっ! カシノ、本を買ってくれるんだす!」
「あらあら、それは羨ましいわぁ」
「んふふふふふふ」

 ここはエヤの無邪気さに救われた気がする。エヤとおばあさんが盛り上がっていると、待ちに待ったバスが姿を現す。これほどまでにバスが待ち遠しかったことがあるだろうか。
 三人分の運賃を払い、一番後ろの席に並んで座る。

「イタル。本、漫画でもいい?」
「……いいけど、それで勉強になる?」
「にんげんが書いてるんだから、十分な参考書だよ」

 にんげん、ねぇ。
 漫画を買えると知って満足したのか、ミケは窓の外の景色へと視線を移す。俺を挟む形で座っているエヤとミケ。エヤは前に見える景色を楽しんでいるようで、真っ直ぐに座ったまま何も言わない。
 この二人にとって、俺も”にんげん”の一人なんだろうな。
 未だに実感が湧かないけど、二人は”にんげん”じゃないんだし。
 両脇に座る小さな姿を交互に見て、俺は頭を背もたれに預ける。

 二人にとって、俺って一体どんな存在なんだ。
 下界でのお目付け役。無力な人間。ご飯を作ってくれる人…………。
 なんでもいいけど、なんか一人で勝手に思い悩んでいる自分がばかみたいに見えてくる。
 エヤたちは下界に修行をしに来ているんだ。
 合格基準なんて知りもしないけど、もう五年も経つのだから、二人だって早く天界に帰りたいよな。

「あ、カシノカシノ」

 腕を組んで考え込んでいると、エヤが俺の服を引っ張った。

「次で降りるんだすよね? エヤ、ボタン押したいだす」
「はいはい」

 エヤが座っている近くにはボタンがない。俺は大人しく席を交換し、早速手を伸ばしてアナウンスを待つエヤを見守った。
 アナウンスがかかると同時にボタンを押したエヤは嬉しそうに笑う。
 天界と下界では時間の流れも違いそうだ。だからこのエヤもミケも、見た目こそは幼いが本当はもっと長い間生きているのかもしれない。
 もしかして普通に年数だけで言えば俺の方が年下ってこともあり得るんじゃ……。
 勝手な憶測をしていると、エヤはきょとんと首を傾げて俺の顔を見る。

「降りないんだすか?」
「あっ、そっか」

 いつの間にかバスは停留所を捉えている。俺は慌てて立ち上がり、エヤとミケを連れてバスを降りた。
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