9 / 12
9 癒しのふわふわ
しおりを挟む
騎士団本部の広大な庭は、今日は特に賑やかだった。
中央にはサーカスのような大きなテントが張られていて、その中からは興奮に満ちた歓声が聞こえてくる。
「ありがとうございましたっ!」
大型猫の魔獣に囲まれたルートゥが派手なお辞儀を見せると、観衆たちは一斉に拍手を送った。ルートゥはその音に満足そうに歯を見せて笑う。
「それでは、この後は外で魔獣と触れ合っちゃってくださいね」
ルートゥは陽気に皆に呼び掛けると、もう一度頭を下げて猫の魔獣たちとともにテント裏へと消えていった。
客席で久しぶりに妹のステージを見ていたペトラは、勇ましいその姿を誇らしげに見送った後で観客たちの顔を見渡す。
前方の席で見覚えのある大男の姿を見つけたペトラは、彼の隣にいる青年を確認してから表情を凛々しくさせる。
この日はルートゥの所属している魔獣園に協力を得て、騎士団本部に特別巡回に来てもらっていた。これこそがペトラがルートゥにお願いしたことだった。
魔獣は魔物たちとは違い人間が手懐けることが出来る生物。
そのため、騎士団本部に魔物とは異なる、人間によって訓練されている魔獣たちと触れ合ってもらうことで、予測不能な動きを見せる生物たちの生態を知る演習、という名目でペトラが呼び込んだのだ。
上長はこれまでにない試みに賛同してくれ、ルートゥのおかげもあってスムーズに計画は進み、無事当日を迎えることができた。
まずはルートゥたち魔獣使いによる魔獣とのショーを観覧し、これから騎士団本部の騎士、スタッフたちと魔獣との交流がはじまる。
参加は自由としていたが、想定よりも多くの人が来てくれていた。
ペトラはラドミールの姿が目視できたことに一安心し、魔獣に会いに外に出て行く人々とすれ違うようにして急ぎ足で彼らのもとへと向かう。
もちろん騎士団の皆にイベントの一つとして楽しんで学んでもらうことが目的ではある。だが彼女にとっての一番の目的は違った。
「ラドミールさん! 来てくれたんだね」
席を立って出口が空くのを待っているラドミールと彼の同僚の大男の前に躍り出たペトラは嬉しそうに彼らに話しかけた。
ラドミールと大男はペトラの方を振り返ると、ショーの余韻を引きずった笑顔で頷いた。
「はい。とても楽しいショーでした。この魔獣園の企画、ペトラさんが考えたって聞きました。貴重な経験をありがとうございます」
「いえいえ! 楽しんでくれたみたいで何より、です」
お手本のようなラドミールの感謝の言葉にペトラは小さく頭を下げる。
(でもまだ、メインディッシュはここからだからね、ラドミール・ヴィーカ)
頭を上げたペトラは、自身の狙いを胸に秘めたまま笑顔でそれを隠す。
「お。そろそろ空いてきたな。ラドミール、俺は一旦フロアに戻るわ」
「え? 魔獣見ないの?」
「後で見るよ。俺、魔獣園の常連だし、見慣れてるしな」
「そうなんだ。知らなかったよ」
「じゃ、そういうことだから。お前は魔獣と触れ合ってこい」
出口を監視していた大男はラドミールの背中を叩いてそのまま外へと出て行った。
すっかり人が少なくなったテントの中、ペトラは大男を見送るラドミールのことを探偵のような深い目で窺う。
(今回はまだ子どもで可愛い魔獣も連れてきてもらったことだし、ラドミール・ヴィーカにはとことん触れ合ってもらわないと)
ペトラは気合いを入れるあまりラドミールのことを睨むすれすれまで来ていた。
彼女の狙いはこうだった。
ルートゥの笑顔に癒された時にふと思いついた案。
ペトラ自身もルートゥの影響で昔から魔獣と触れ合う機会が多く、彼女は魔物とは違うその愛らしい存在に触れる度にいつも癒されてきた。
心が癒しに絆されると、張り詰めていたものがどうでもよくなるような、すべての緊張が溶かされていく。
ペトラはそこにヒントを得た。
仕事に心身のすべてを捧げるラドミール。
彼の心は騎士団に助けられた恩と、その時に見つけた憧れや使命で燃えている。
その志は素晴らしいし、立派なことだと思っていた。けれどある種のそんな緊張が、恐らく彼の中をずっと駆け巡っているはずだ。
しっかりした彼のことだから、その巡りにも隙は無い。
それならば、普段はない刺激を与えて、恐ろしいくらい緻密に整列した彼の油断のない心に緩みを生じさせればいい。
彼が魔獣嫌いだと意味がないので、そこはしっかりと女神に確認を取った。
どうやら彼は魔獣のような可愛らしい生物のことも好きなようだ。
一度でも心が緩めば、ラドミールの考えも少し変化するかもしれない。
せめて今日だけでも、仕事のことを忘れて欲しかった。
一日だけ。たった一日だけでももはや構わない。その僅かな緩みから、きつく縛られたタイがゆっくり解けていけばいい。
やけになってきたペトラは手段も選ばず、ラドミールの延命計画に僅かな望みをかけることにしたのだ。
「ペトラさん?」
気づけばラドミールがペトラの不敵な微笑みを首を傾げて見ていた。
ペトラは慌てて表情を作り直し、「なんでもないっ」と誤魔化す。
「それよりも、外に行こうよ。魔獣たちと触れ合いましょう?」
「はい。そうですね。魔獣なんて久しぶりに見たから、なんかわくわくしちゃいます」
ラドミールはペトラの不自然な態度にも何の疑念も抱かずに穏やかに笑ってくれた。
(ふふ。いい笑顔! この調子だね)
ペトラはそれが嬉しくて、久しぶりにほんわかとした気分が心を駆ける。
二人はテントを後にして小規模な簡易魔獣園としてすでに盛り上がりを見せている群衆の中へと混じっていった。
ラドミールがあちこちで愛想を振りまいている魔獣たちをきょろきょろと楽しそうな様子で見るので、ペトラは思わず彼のことばかりを気にしてしまう。
(楽しんでくれてる。良かった……。これで少しは、仕事の疲れが取れるかな?)
彼が魔獣と触れ合っている時も、ペトラは愛らしい魔獣たちよりもラドミールの様子ばかり見る。自分が魔獣と触れ合うことを楽しんでしまわないように責務に集中するためでもあった。
しかしラドミールはペトラがただ遠慮ばかりしているように見えてしまったのだろう。自分はいいと魔獣との交流を断ってばかりのペトラに対し、ラドミールは少し寂しそうに眉を下げた。
プチ魔獣園をあまり心から満喫できていない様子のペトラを見かねたラドミールは、ちょうど人の輪が解消されてきた一角を指差す。
「見てペトラさん。この子、まだこんなに小さいですよ」
「え? どの子?」
ペトラは魔獣にうっかり絆されてしまわないように律していた眼差しをそちらの方向へと向ける。
するとそこには、まだ生まれて半年ほどのユニコーンの赤ちゃんがちょこんと座っていた。
その子をお世話している魔獣使いが毛並みを整えていて、ユニコーンがなんとも気持ちの良さそうにしているのが見てとれる。
「かわいいぃぃ…………!」
思わず感情が先走って口から出て行ってしまった。ペトラは慌てて口をふさぐ。
(いけない。油断するところだった)
だめだめ、と首を横に振り、コホンと咳をする。
「か、可愛いですよね。ラドミールさん、見てみる?」
「はいっ。ぜひ」
ラドミールはニコッと笑い、こくりと頷いた。
「こんにちは。今、大丈夫ですか?」
先程まで人が群がっていたのを見ていたペトラは、ユニコーンのストレス状態を気にして世話役に尋ねてみる。
「大丈夫ですよ。この子は人間が好きでね。抱っこしてもらえないと駄々こねるんですよ。だから大歓迎です!」
世話役の女性は毛並みを整える手を止めてユニコーンの頭を撫でた。ユニコーンは嬉しそうに鳴き、潤んだ瞳をペトラへと向ける。
自分が可愛いことをよく分かっているようだ。ペトラはあざとい天の使いに向かってしゃがみこむ。
「ふわふわですね」
真っ白の毛は滑らかなのに綿のようにもこもことしていて、まだ身体も丸々としている。
ペトラはたまらず手を伸ばしそうになり、急いでひっこめた。
「ラドミールさん、抱っこする?」
「……うーん」
ラドミールは顎に手を当てて考える仕草を見せる。ペトラはなおも眼下で揺れ動いている白い物体に目を向けないようにラドミールのことを見上げた。
しかしユニコーンは忍耐強く我慢しているペトラの足に容赦なく頬を撫でつけてきた。
「ははっ。その子、ペトラさんのこと気に入ったみたいですね」
その光景を見たラドミールは朗らかに笑う。
「ペトラさんが抱っこしてあげてください」
「えっ」
それじゃ駄目だよ!
そう言いそうになったところをペトラはどうにか抑えた。
足にくっついてくるユニコーンを恨めしそうに見下ろし、ペトラは小さく唇を尖らせる。
「もう、だめだよ。私じゃないんだよ?」
小声でユニコーンにささやかな苦言を呈した後で、ラドミールの催促する視線に負けたペトラはそっと小さな角が生えた真っ白な頭を撫でる。
「くーん!」
ユニコーンが愛らしく笑ったように聞こえた。
「かっ…………かわいい…………」
これにはペトラの頬も崩壊した。溶けたアイスのように絆されていく表情からは力が抜け、ペトラはユニコーンのぬいぐるみ以上のふわふわ感に心を囚われる。
「抱っこしても大丈夫ですよー」
世話役の女性が補助をしてくれて、ペトラはそのままユニコーンを腕に収めた。
ユニコーンは本当に抱っこが大好きなようで、身体を丸めてペトラの顔を見上げてくる。温厚なその大きな瞳にペトラは吸い込まれそうになって愛おしさのあまりぎゅうっと抱きしめる。
計画がちゃんと上手くいくのか終わるまで不安だったペトラの緊張がゆっくりと溶けていく。
ラドミールは彼女の表情が柔らかになっていく様をそっと見守り、安心したように微笑んだ。
「ラドミールさん、見て見て。こんなに小さい……!」
ユニコーンは成獣になればとても抱っこなんて出来たものではない。
大きいもので全長三メートルにもなるユニコーンのまだあどけない姿に、ペトラは感動を覚えてラドミールに見せつける。
「今だけの特権ですね」
「うん。そうだね。ふふふ…………すごくかわいい……!」
胸の中で寛ぐ温かいふわふわの感触を撫でた後で、ペトラはラドミールを見上げた。
「……そうですね。かわいい、ですね」
ペトラの言葉にラドミールが穏やかな笑顔を返してくれたので、ペトラはつられて彼と同じように笑った。
いつまでも抱っこしていたいユニコーンを断腸の思いで世話役のもとへと戻し、ペトラは服についた毛を少し手で払った。
「ねぇどうですか? 魔獣園。楽しんでもらえた?」
再び歩き始めたラドミールに並んで、ペトラはずっと気になっていたことを直接聞いてみた。ユニコーンに絆され、思わず言えてしまったのだ。
「はい。とても癒されました。元気が貰えた気がします」
「本当っ?」
「はい! 最高の企画です」
ラドミールはペトラに念を押すように明るく答える。ペトラは彼の眩しい笑顔に心が弾み、ユニコーン以降緩んでしまった頬を口角とともに上げる。
その時、ラドミールが腕につけた時計に目をやった。ペトラはその瞬間、ハッと緊張が走る。
そろそろ仕事に戻らなきゃ。
そう言われるのが怖かったのだ。だがペトラは彼が何を言うのかは聞けなかった。ラドミールが時計から目を離したのと同時に、テントの裏側からルートゥがペトラのことを呼んだからだ。
「あ……えっと…………」
大きく手を振って自分を呼んでいるルートゥを見ながら、ペトラはどうしようかと目を泳がせる。ラドミールは迷っている彼女に対し、にこりと笑いかけた。
「妹さん、魔獣使いなんですよね。大丈夫ですよ。俺のことは気にしないで」
「え……でも……」
「ほらほら」
「わっ」
ラドミールを置いていくことを躊躇っているペトラの背中を優しく叩き、彼女の足を一歩前に出させる。
ペトラは名残惜しそうにラドミールのことを振り返り、彼がこの後仕事に戻ってしまうのかを憂慮した。
ラドミールは軽く手を振り、ペトラにルートゥのところへ行くようにと促す。ペトラは彼の動向が気になりながらもどうにかルートゥの方へと歩いていった。
中央にはサーカスのような大きなテントが張られていて、その中からは興奮に満ちた歓声が聞こえてくる。
「ありがとうございましたっ!」
大型猫の魔獣に囲まれたルートゥが派手なお辞儀を見せると、観衆たちは一斉に拍手を送った。ルートゥはその音に満足そうに歯を見せて笑う。
「それでは、この後は外で魔獣と触れ合っちゃってくださいね」
ルートゥは陽気に皆に呼び掛けると、もう一度頭を下げて猫の魔獣たちとともにテント裏へと消えていった。
客席で久しぶりに妹のステージを見ていたペトラは、勇ましいその姿を誇らしげに見送った後で観客たちの顔を見渡す。
前方の席で見覚えのある大男の姿を見つけたペトラは、彼の隣にいる青年を確認してから表情を凛々しくさせる。
この日はルートゥの所属している魔獣園に協力を得て、騎士団本部に特別巡回に来てもらっていた。これこそがペトラがルートゥにお願いしたことだった。
魔獣は魔物たちとは違い人間が手懐けることが出来る生物。
そのため、騎士団本部に魔物とは異なる、人間によって訓練されている魔獣たちと触れ合ってもらうことで、予測不能な動きを見せる生物たちの生態を知る演習、という名目でペトラが呼び込んだのだ。
上長はこれまでにない試みに賛同してくれ、ルートゥのおかげもあってスムーズに計画は進み、無事当日を迎えることができた。
まずはルートゥたち魔獣使いによる魔獣とのショーを観覧し、これから騎士団本部の騎士、スタッフたちと魔獣との交流がはじまる。
参加は自由としていたが、想定よりも多くの人が来てくれていた。
ペトラはラドミールの姿が目視できたことに一安心し、魔獣に会いに外に出て行く人々とすれ違うようにして急ぎ足で彼らのもとへと向かう。
もちろん騎士団の皆にイベントの一つとして楽しんで学んでもらうことが目的ではある。だが彼女にとっての一番の目的は違った。
「ラドミールさん! 来てくれたんだね」
席を立って出口が空くのを待っているラドミールと彼の同僚の大男の前に躍り出たペトラは嬉しそうに彼らに話しかけた。
ラドミールと大男はペトラの方を振り返ると、ショーの余韻を引きずった笑顔で頷いた。
「はい。とても楽しいショーでした。この魔獣園の企画、ペトラさんが考えたって聞きました。貴重な経験をありがとうございます」
「いえいえ! 楽しんでくれたみたいで何より、です」
お手本のようなラドミールの感謝の言葉にペトラは小さく頭を下げる。
(でもまだ、メインディッシュはここからだからね、ラドミール・ヴィーカ)
頭を上げたペトラは、自身の狙いを胸に秘めたまま笑顔でそれを隠す。
「お。そろそろ空いてきたな。ラドミール、俺は一旦フロアに戻るわ」
「え? 魔獣見ないの?」
「後で見るよ。俺、魔獣園の常連だし、見慣れてるしな」
「そうなんだ。知らなかったよ」
「じゃ、そういうことだから。お前は魔獣と触れ合ってこい」
出口を監視していた大男はラドミールの背中を叩いてそのまま外へと出て行った。
すっかり人が少なくなったテントの中、ペトラは大男を見送るラドミールのことを探偵のような深い目で窺う。
(今回はまだ子どもで可愛い魔獣も連れてきてもらったことだし、ラドミール・ヴィーカにはとことん触れ合ってもらわないと)
ペトラは気合いを入れるあまりラドミールのことを睨むすれすれまで来ていた。
彼女の狙いはこうだった。
ルートゥの笑顔に癒された時にふと思いついた案。
ペトラ自身もルートゥの影響で昔から魔獣と触れ合う機会が多く、彼女は魔物とは違うその愛らしい存在に触れる度にいつも癒されてきた。
心が癒しに絆されると、張り詰めていたものがどうでもよくなるような、すべての緊張が溶かされていく。
ペトラはそこにヒントを得た。
仕事に心身のすべてを捧げるラドミール。
彼の心は騎士団に助けられた恩と、その時に見つけた憧れや使命で燃えている。
その志は素晴らしいし、立派なことだと思っていた。けれどある種のそんな緊張が、恐らく彼の中をずっと駆け巡っているはずだ。
しっかりした彼のことだから、その巡りにも隙は無い。
それならば、普段はない刺激を与えて、恐ろしいくらい緻密に整列した彼の油断のない心に緩みを生じさせればいい。
彼が魔獣嫌いだと意味がないので、そこはしっかりと女神に確認を取った。
どうやら彼は魔獣のような可愛らしい生物のことも好きなようだ。
一度でも心が緩めば、ラドミールの考えも少し変化するかもしれない。
せめて今日だけでも、仕事のことを忘れて欲しかった。
一日だけ。たった一日だけでももはや構わない。その僅かな緩みから、きつく縛られたタイがゆっくり解けていけばいい。
やけになってきたペトラは手段も選ばず、ラドミールの延命計画に僅かな望みをかけることにしたのだ。
「ペトラさん?」
気づけばラドミールがペトラの不敵な微笑みを首を傾げて見ていた。
ペトラは慌てて表情を作り直し、「なんでもないっ」と誤魔化す。
「それよりも、外に行こうよ。魔獣たちと触れ合いましょう?」
「はい。そうですね。魔獣なんて久しぶりに見たから、なんかわくわくしちゃいます」
ラドミールはペトラの不自然な態度にも何の疑念も抱かずに穏やかに笑ってくれた。
(ふふ。いい笑顔! この調子だね)
ペトラはそれが嬉しくて、久しぶりにほんわかとした気分が心を駆ける。
二人はテントを後にして小規模な簡易魔獣園としてすでに盛り上がりを見せている群衆の中へと混じっていった。
ラドミールがあちこちで愛想を振りまいている魔獣たちをきょろきょろと楽しそうな様子で見るので、ペトラは思わず彼のことばかりを気にしてしまう。
(楽しんでくれてる。良かった……。これで少しは、仕事の疲れが取れるかな?)
彼が魔獣と触れ合っている時も、ペトラは愛らしい魔獣たちよりもラドミールの様子ばかり見る。自分が魔獣と触れ合うことを楽しんでしまわないように責務に集中するためでもあった。
しかしラドミールはペトラがただ遠慮ばかりしているように見えてしまったのだろう。自分はいいと魔獣との交流を断ってばかりのペトラに対し、ラドミールは少し寂しそうに眉を下げた。
プチ魔獣園をあまり心から満喫できていない様子のペトラを見かねたラドミールは、ちょうど人の輪が解消されてきた一角を指差す。
「見てペトラさん。この子、まだこんなに小さいですよ」
「え? どの子?」
ペトラは魔獣にうっかり絆されてしまわないように律していた眼差しをそちらの方向へと向ける。
するとそこには、まだ生まれて半年ほどのユニコーンの赤ちゃんがちょこんと座っていた。
その子をお世話している魔獣使いが毛並みを整えていて、ユニコーンがなんとも気持ちの良さそうにしているのが見てとれる。
「かわいいぃぃ…………!」
思わず感情が先走って口から出て行ってしまった。ペトラは慌てて口をふさぐ。
(いけない。油断するところだった)
だめだめ、と首を横に振り、コホンと咳をする。
「か、可愛いですよね。ラドミールさん、見てみる?」
「はいっ。ぜひ」
ラドミールはニコッと笑い、こくりと頷いた。
「こんにちは。今、大丈夫ですか?」
先程まで人が群がっていたのを見ていたペトラは、ユニコーンのストレス状態を気にして世話役に尋ねてみる。
「大丈夫ですよ。この子は人間が好きでね。抱っこしてもらえないと駄々こねるんですよ。だから大歓迎です!」
世話役の女性は毛並みを整える手を止めてユニコーンの頭を撫でた。ユニコーンは嬉しそうに鳴き、潤んだ瞳をペトラへと向ける。
自分が可愛いことをよく分かっているようだ。ペトラはあざとい天の使いに向かってしゃがみこむ。
「ふわふわですね」
真っ白の毛は滑らかなのに綿のようにもこもことしていて、まだ身体も丸々としている。
ペトラはたまらず手を伸ばしそうになり、急いでひっこめた。
「ラドミールさん、抱っこする?」
「……うーん」
ラドミールは顎に手を当てて考える仕草を見せる。ペトラはなおも眼下で揺れ動いている白い物体に目を向けないようにラドミールのことを見上げた。
しかしユニコーンは忍耐強く我慢しているペトラの足に容赦なく頬を撫でつけてきた。
「ははっ。その子、ペトラさんのこと気に入ったみたいですね」
その光景を見たラドミールは朗らかに笑う。
「ペトラさんが抱っこしてあげてください」
「えっ」
それじゃ駄目だよ!
そう言いそうになったところをペトラはどうにか抑えた。
足にくっついてくるユニコーンを恨めしそうに見下ろし、ペトラは小さく唇を尖らせる。
「もう、だめだよ。私じゃないんだよ?」
小声でユニコーンにささやかな苦言を呈した後で、ラドミールの催促する視線に負けたペトラはそっと小さな角が生えた真っ白な頭を撫でる。
「くーん!」
ユニコーンが愛らしく笑ったように聞こえた。
「かっ…………かわいい…………」
これにはペトラの頬も崩壊した。溶けたアイスのように絆されていく表情からは力が抜け、ペトラはユニコーンのぬいぐるみ以上のふわふわ感に心を囚われる。
「抱っこしても大丈夫ですよー」
世話役の女性が補助をしてくれて、ペトラはそのままユニコーンを腕に収めた。
ユニコーンは本当に抱っこが大好きなようで、身体を丸めてペトラの顔を見上げてくる。温厚なその大きな瞳にペトラは吸い込まれそうになって愛おしさのあまりぎゅうっと抱きしめる。
計画がちゃんと上手くいくのか終わるまで不安だったペトラの緊張がゆっくりと溶けていく。
ラドミールは彼女の表情が柔らかになっていく様をそっと見守り、安心したように微笑んだ。
「ラドミールさん、見て見て。こんなに小さい……!」
ユニコーンは成獣になればとても抱っこなんて出来たものではない。
大きいもので全長三メートルにもなるユニコーンのまだあどけない姿に、ペトラは感動を覚えてラドミールに見せつける。
「今だけの特権ですね」
「うん。そうだね。ふふふ…………すごくかわいい……!」
胸の中で寛ぐ温かいふわふわの感触を撫でた後で、ペトラはラドミールを見上げた。
「……そうですね。かわいい、ですね」
ペトラの言葉にラドミールが穏やかな笑顔を返してくれたので、ペトラはつられて彼と同じように笑った。
いつまでも抱っこしていたいユニコーンを断腸の思いで世話役のもとへと戻し、ペトラは服についた毛を少し手で払った。
「ねぇどうですか? 魔獣園。楽しんでもらえた?」
再び歩き始めたラドミールに並んで、ペトラはずっと気になっていたことを直接聞いてみた。ユニコーンに絆され、思わず言えてしまったのだ。
「はい。とても癒されました。元気が貰えた気がします」
「本当っ?」
「はい! 最高の企画です」
ラドミールはペトラに念を押すように明るく答える。ペトラは彼の眩しい笑顔に心が弾み、ユニコーン以降緩んでしまった頬を口角とともに上げる。
その時、ラドミールが腕につけた時計に目をやった。ペトラはその瞬間、ハッと緊張が走る。
そろそろ仕事に戻らなきゃ。
そう言われるのが怖かったのだ。だがペトラは彼が何を言うのかは聞けなかった。ラドミールが時計から目を離したのと同時に、テントの裏側からルートゥがペトラのことを呼んだからだ。
「あ……えっと…………」
大きく手を振って自分を呼んでいるルートゥを見ながら、ペトラはどうしようかと目を泳がせる。ラドミールは迷っている彼女に対し、にこりと笑いかけた。
「妹さん、魔獣使いなんですよね。大丈夫ですよ。俺のことは気にしないで」
「え……でも……」
「ほらほら」
「わっ」
ラドミールを置いていくことを躊躇っているペトラの背中を優しく叩き、彼女の足を一歩前に出させる。
ペトラは名残惜しそうにラドミールのことを振り返り、彼がこの後仕事に戻ってしまうのかを憂慮した。
ラドミールは軽く手を振り、ペトラにルートゥのところへ行くようにと促す。ペトラは彼の動向が気になりながらもどうにかルートゥの方へと歩いていった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
アラフォーOLとJDが出会う話。
悠生ゆう
恋愛
創作百合。
涼音はいきなり「おばさん」と呼び止められた。相手はコンビニでバイトをしてる女子大生。出会いの印象は最悪だったのだけれど、なぜだか突き放すことができなくて……。
※若干性的なものをにおわせる感じの表現があります。
※男性も登場します。苦手な方はご注意ください。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

Red Assassin(完結)
まさきち
ファンタジー
自分の目的の為、アサシンとなった主人公。
活動を進めていく中で、少しずつ真実に近付いていく。
村に伝わる秘密の力を使い時を遡り、最後に辿り着く答えとは...
ごく普通の剣と魔法の物語。
平日:毎日18:30公開。
日曜日:10:30、18:30の1日2話公開。
※12/27の日曜日のみ18:30の1話だけ公開です。
年末年始
12/30~1/3:10:30、18:30の1日2話公開。
※2/11 18:30完結しました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる