魔法狂騒譚

冠つらら

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最終部

92/長い一日

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 バルクは、リルとモウロとともに駆け付けた警備隊に捕らえられ、放心状態のまま連行された。その表情は、多少歪んではいたものの、恐ろしいほどに涼しいものだった。

 ジェイロイトも術を解かれたところで自白をし、世間を煽動し、破壊を企んでいたことを罰してほしいと、バルクの後に続いた。

「ねぇ、あなた」

 リルがエルテを見る。エルテは視線だけでリルを捉えた。

「ロッドよね?あなたが監理長官に警備隊を動かすように掛け合ってくれていたのね?」
「…………」

 エルテは何も答えなかった。

「おかげさまで、こっちもスムーズに事が運んだわ。研究所の方も、警備隊の方で包囲してくれたようだしね。まぁ、あっちはあの子のおかげなんでしょうけど」

 リルはくすっと笑った。

「とにかく、お礼を言うわ。それと、監理長官が呼んでいらしたわよ」
「…ああ。分かった」

 エルテは頷くと、トゥーフランディラントの残骸を見ているシャノの方を見た。

「おい」
「ん?俺?」

 シャノは陽気に答えた。トゥーフランディラントから目を離さず、興味津々でそれを見ている。

「あんたもこい」
「えっ!?なんで?」

 シャノは意外な誘いに対して勢いよくエルテを見る。

「いろいろ説明するのに、人手が足りないんだよ。ジェイロイトと一緒にいたのはお前だろ」
「…そっか!分かった!」

 シャノは納得したように頷くと、明るく笑った。

「エルテの頼みならしょうがないなぁ」
「…………行くぞ」

 エルテはシャノを呆れたような目で見ると、そのまま部屋を出て行った。シャノはスキップをするような軽い足取りでその後に続いた。

「モウロ…さん」

 ティーリンは、警備隊を見送っているモウロに声をかける。モウロは、優しい笑顔で振り返った。

「どうしたんだい?」
「あの、聞きたいことがあるんですけど」
「うん?」

 ティーリンはおもむろにポケットから手紙の残骸を出した。ついこの間、ティーリンに送られてきた匿名の手紙だ。

「これ、モウロさんですよね?」
「…………!」

 モウロは、焦げ付いた手紙の残骸を見て、驚いた表情をしている。

「はははっ、術で消えちゃうはずなんだけどなぁ!」
「すみません…咄嗟に解いてしまいました」
「流石はティーリン!リルの従弟君だね。いやぁ、参った!」

 モウロは軽快に笑うと、ティーリンの肩を叩いた。

「そうだよ。俺が君に送った。バルクが受け継いだ遺言書の隠し場所を、ギリギリのところで突き止めたからね。俺は下手に動くと内部のものに気づかれてしまうから、ちょっとした細工しかできなかったが、どうにか役に立てたのかな?」
「はい。とても助かりました」

 ティーリンはほっとしたように微笑んだ。その穏やかな表情には、少しの疲れが見える。モウロは、そんなティーリンの顔を見て、気遣うように目を細めた。

「君たちのおかげで、劣悪な歴史を刻まずに済んだ。君たちには、感謝してもしきれない。いつか、共に働ける日が来るのかもしれない。その時が楽しみだ。俺も腕を上げておかないとな」

 モウロの笑みに、ティーリンは嬉しそうに頷いた。すると、その背後からリルが近づいてくる。

「顔が綻びすぎよ。情けない表情はやめなさい」

 相変わらずの強気な口調に、ティーリンは少しだけ安心した。シュタイフォードのことを、リルが知らないはずがなかった。

「ヴィルキィガルデンは今、ごちゃごちゃよ。外も警備隊だけでは心配だわ。あなたも少し手伝ってくれない?」

 リルはティーリンを上目で見ると、腕を組んでため息を吐いた。

「いないよりはマシなのよ」
「…分かった。できることはする」

 ティーリンはそう言って頷いた。その穏やかな声に、リルは僅かに微笑んだ。そして部屋の中にいるゾマーに近づいた。モウロとティーリンは先に部屋を後にする。

「ゾマー」
「…はい?」

 リルに話しかけられたゾマーは、きょとんとした様子でリルを見た。まだ、この騒動の余韻が抜けきらないようだ。

「研究所の方は、あの子がよくやってくれたわ。警備隊の方で保護もして、無事に事は済んだそうよ。研究員たちは、皆、一度警備隊の方で確保をしているわ。研究所の再生は、これからね」
「…はい、ありがとうございます。…あれ?でも…」

 ゾマーは当初の計画とは違う点に気づき、その違和感に肩をすくめる。

「記憶は消してしまうんじゃなかったかな…?」
「どうやら、違うみたいね」

 リルはそう言って微笑んだ。その笑みの美しさに、ゾマーは少し驚いた。

「忘れさせないことで、過ちを繰り返させないようにするそうよ。忘れてしまったら、何が悪かったのかも、何も考えられないものね。それでは、己の過ちには気づけないわ」

 リルはゾマーの瞳を覗き込むようにして見た。

「一人の賢い研究員が、そう警備隊に伝えたみたい」

 そしてくすっと笑うと、続けて、ゾマーの隣にいるレティを見る。レティは蛇に睨まれた蛙のように、緊張で怯えたような顔をした。

「あなたが、シャドウハイルを扱うのね…?」

 リルの耽美な視線が、レティにとっては恐怖でしかなかった。この人は執政府との関係も深い人物だ。シャドウハイルがそんな存在にまで広まってしまったら、自分はもうおしまいだ。レティは、顔が青ざめてきた。

 しかしリルは、そんなレティの視線に合わせて少しだけ屈みこむと、意外な言葉を放った。

「素晴らしいわ。あなたはとてもよく研究を重ねたのでしょうね。もっと自分を誇りなさい」

 レティは、ぽかんとした様子で、リルの美しい瞳を見つめ返した。

「あなたの魔法のおかげで真実が皆に届いたわ。あなたの信じた魔法は、希望を届けてくれたのよ」
「……あ、あの」

 レティは、思いがけない言葉に頬を赤らめる。

「無意味な制限など、くだらないわ。多様性のない世界は息苦しいわね。シャドウハイルのこと、もっと私たちにも教えてくれると嬉しいわ。私もまだ勉強をしてみたいの」

 リルはそう言って微笑むと、颯爽と部屋を出て行った。レティは、リルの言葉にのぼせそうな顔を両手で包み込むと、嬉しそうにはにかんだ。どうしてもその照れは隠しきれなかった。

「なんか、そんなに怖い人じゃないのか?」

 ゾマーはリルの去った後を目で追いながら、ぼそっと呟いた。そして背後にある、自分で壊したトゥーフランディラントを見る。これで、しばらくは表の世界との関係は絶たれるだろう。トゥーフランディラントの再建は、そんなに簡単なことではない。

 ゾマーは、恋しそうにその残骸を見た。あちらの世界に行ったことはない。しかし、その世界への想いだけは、ずっと変わらない。生まれた時からずっと持っている宝物のような感情だ。
 ゾマーの寂しそうな瞳を、レティは見上げる。

「ゾマー…よかったの…?」
「…ああ。これが、お互いにとって一番だ」

 ゾマーはレティを見ると、自分を心配そうに見ているその瞳に優しく応えた。

「……そっか」

 レティがトゥーフランディラントに目をやると、ほっとした心に油断したのか、ジェイロイトの緩和術が切れたのか、不意に右太ももが痛みだした。レティは忘れていた痛みに思わず太ももを抑える。もう、普通の打ち身のような痛みではあったが、やはりまだしばらくは痛みが残りそうだ。

「どうした?レティ」

 不思議に思ったゾマーは、レティのスカートの下から覗く太ももの淀みに気づいた。ひどく内出血をしたようなその傷痕は、少し見えているだけでもその痛々しさを物語っている。

「おい、そんな怪我をして…大丈夫か?レティ」

 今度はゾマーが心配そうにレティを見る。

「大丈夫。ジェイロイトさんが診てくれたんだけど、ダメージはすぐには戻らないよね。ダニーの…」

 レティはそこまで言って目を哀しそうに伏せた。ゾマーは何が起きたのかを察し、落ち込んでいるレティを気遣うように見る。

「…大丈夫だよ、私の痛みなんて」

 レティの声は切なかった。気丈に振舞っているのがすぐに分かった。

「皆、同じくらい怪我をした。傷ついた。大切なものを、失った…。皆の方が、ずっと苦しいのに…」

 レティはティーリンの顔を思い浮かべている。相棒のみならず、彼は今日、血の繋がった祖父を亡くした。レティの傷の痛みなんて、なんてこともない。レティはそう思っていた。

「レティ…」

 しかしゾマーはそうは思わなかったようだ。片膝をついて、レティの太ももの傷痕を、自分の外套の裾を破った布切れで包帯のように巻いて隠した。

「人の痛みは比べるものじゃないだろ?」
「…ゾマー」

 レティはこちらを見上げるゾマーを見て、その瞳が揺れる。

「痛いときはちゃんと、痛いって言え。辛いときも、悲しいときもそうだ。人と比べなくていい。苦しいときは、それに素直に向き合おうな?」

 ゾマーの優しい声に、レティはゆっくり頷いた。その眼差しを見て、今日が終わったことに気づいた。一気に肩の力が抜け、レティはようやく自然と笑うことができた。

「うん…ゾマー、ありがとう」

 太ももは痛むが、それ以上に、レティは嬉しかった。自分たちの魔法が、明日の希望を救ったかもしれない。
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