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五部
75/虹色の瞳
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一番上のフロアは、他のフロアに比べてがらんとしていた。広場を抜けると、靄のかかっているエリアに入った。この奥の部屋に、カウチェたちがいる。
モモは、躊躇せずに進んだ。ゾマーたちは、モモを見失わないようにその後に続いて行った。
「ゾマー」
「なんだ?」
「ありがとう」
「何が?」
ゾマーは、靄の中で目を凝らしながら、後ろを振り返った。
「ニックの仲間を助けようって言ってくれて」
「……当たり前だろ」
ロドリーの表情を見て、ゾマーは微かに笑った。
「だが、お礼を言うのが早すぎるだろ」
「…うん、そうだったね」
ゾマーは、ここに来る前に聞いたロドリーの言葉を思い出した。
-誰にも傷ついて欲しくないね
そんなロドリーの純真すぎる優しさに、ゾマーは思わず笑みがこぼれた。ロドリーの希望に応えてやらなくては。そんな義務感も、不思議と心地よかった。
すると、突然モモがぴたっと止まった。ゾマーは、モモにぶつかりそうになる寸前で足を止めた。ロドリーは見事にゾマーの肩にぶつかってしまった。
「どうしたの?」
ロドリーが顔を覗かせると、モモが見ている方面から、何やらギーギー叫ぶ声が聞こえてきた。人間の声ではない。カウチェの声でもない。ゾマーは、耳を澄ませる。
その叫び声は、だんだんと近づいてくる。ゾマーとロドリーは、荷物を床に置くと、それぞれ身構えた。
モモが、何かを見つけてギクッとその目を震わせる。そして慌てた様子でゾマーに何か伝えようとした。しかしゾマーの目にも、その姿はもう見えている。
黒い小さな物体の大群が、こちらに向かって飛んでくる。バサバサと音を立てて翼を動かし、鋭い牙が小さな口の中から見える。蝙蝠のような姿をしたその生物は、ふさふさの毛で覆われた目をギラリと光らせていた。
「うわぁ!キュプアリスの大群だ!」
ロドリーが大慌てでそう言った。モモは、咄嗟に天井に身を隠した。ゾマーとロドリーは、襲い掛かってくるキュプアリスから身を護るように腕を頭の方に上げる。
「ロドリー!こいつらがここを警備しているんだ!」
「ということは、ニックもこいつらに襲われたの!?」
ロドリーは、ゾマーの言葉にそう返した。
「ああ!そうだ!」
ゾマーは腕輪を構えて、「ビッゲレーゲンヒフ!」と叫んだ。腕輪の鉱石は、それに応えるように光を放ち、透明な傘でゾマーを覆った。
「クレージアムヨーゼヌ」
続けてそう唱えると、辺りは眩しい光に包まれた。キュプアリスは、その光に驚いて攻撃を止め、宙を暴れ回った。
「キュプアリスは光が苦手なんだよね」
ロドリーが、暴れまわるキュプアリスを見て呟いた。そして、ニックを袋から出すと、その袋に腕輪をつけている方の腕を突っ込んだ。
「ここ、移送術は使えないんだよね?」
「ああ、その通りだ」
ゾマーは、残念そうに答える。
「分かった」
ロドリーは頷くと、ぐっと表情に力を入れた。その真剣な表情には不安が見える。ロドリーが何をしようとしているのかは分からないが、ゾマーは、ロドリーに声をかけた。
「ロドリー、お前、無茶だけはするなよ?」
「分かってる。そんなの誰も望んでないよね」
ロドリーはにこっと笑うと、すっと立ち上がった。もうじき、光と防護の術は切れる。ゾマーは、ごくりと息を呑みこんだ。誰も傷つけたくはない。それは、ロドリーも例外ではない。ゾマーは、彼がそれを自覚しているのかが気がかりだった。自己犠牲の精神は、もう十分だ。
ロドリーは、自分の頭上を勢いよく飛び回っているキュプアリスを見上げる。
「ロドリー!傘が切れるぞ!」
ゾマーがそう叫ぶと、防護の術が解け、光も消えていった。キュプアリスは、一斉にロドリーに向かって降りかかっていく。キュプアリスの大群が、ロドリーを覆ったところで、辺りがまた靄に包まれ、ロドリーの姿も見えなくなった。
「フネクトリー・ファング!」
ギーギーという耳をつんざく鳴き声を突き抜けるように、ロドリーの逞しい声だけが聞こえてきた。ゾマーは目を凝らし、靄を払った。
「シルメヴェル!」
視界を晴らすと、ゾマーはうずくまっているロドリーのもとへと駆け寄った。キュプアリスの鳴き声は聞こえてこない。ニックが、ロドリーに寄り添って心配そうに鳴いている。
「ロドリー!」
ニックの哀しそうな鳴き声に、ゾマーは心臓を打たれたような衝撃が走った。
「おい、ロドリー!大丈夫か!?」
まさか、やめてくれよ。そう祈りながら、ゾマーはロドリーの肩に手をかけた。生きた心地がしないというのは、こういう感情だろうか。こんな感情は知らなくても良かった。
モモも、天井から一つ目を下ろしてきた。
「ロドリー…!?」
ゾマーがロドリーの肩を起こすと、何かを抱きかかえるようにしてうずくまっていたロドリーが、ゆっくりとその顔をゾマーに向けた。
「へへへ。僕、うまくいったみたい」
力のない笑顔を見せると、ロドリーはかすれた声でそう言った。
「大丈夫か…?」
「うん。大丈夫……」
ゾマーは、キュプアリスの翼でボロボロになったロドリーの外套を見た。帽子も、ずたずたになって吹き飛んでいる。ロドリーの髪の毛はぼさぼさになっていた。
「見て……」
ロドリーは、抱えていた袋をゾマーに見せた。袋を覗き込むと、中には、ミニチュアサイズほどになったキュプアリスの置物が、たくさん入っている。
「これって…」
「うん。一時的にだけど、動物を置物にできる術だよ。初めて実戦で使ったから、うまくいくか不安だったんだ」
ロドリーははにかんだ。
「うまくいってよかった。この袋に、引き寄せ術をかけておいて良かったよ」
「…………よかった」
ゾマーは、全身の力が抜けた。そのまま尻もちをついて、ほっとしたように息を吐いた。
ロドリーは、腕輪のついた方の手でニックを撫でる。ロドリーの鉱石は、ストロベリーの色をしていた。
「あとで、この子たちも逃がしてあげよう」
「…ああ、そうだな」
ゾマーは頷くと、モモを見上げた。モモも安心したような表情をしているように見える。一つ目しか見えてはいないのだが。
「ここからが本番だな」
荷物を持ち上げて、ゾマーは改めて気を引き締めた。ロドリーは、建物の前にいた頃とは別人のように、精悍な表情で頷いた。
靄はすっかりと晴れ、一番奥の部屋の扉がしっかりと見えてきた。ゾマーは、母に教わった関係者用の呪文を唱える。すると、扉の鍵が開く音が聞こえた。
そっと扉を開けると、中は廊下と同じくらい薄暗かった。ロドリーが後ろで、明かりを照らしたのが分かった。その明かりで照らされると、室内はしんと静まり返った。
「…いるの?」
ゾマーは思わず呟いた。中は何もない部屋だった。カウチェたちは、この中のどこかにいるはずだ。
ゾマーの足元を、ニックが駆け抜けていった。ロドリーも部屋に入り、何もないその様子に首を傾げる。
「本当にここにいるのかな?」
きょろきょろと部屋の中を歩き回るニックを見て、ロドリーがそう言った。ゾマーは少しだけ考えると、何かをひらめいたように顔を上げた。
「エキヘラべッキ」
そして、念のため持っていた杖翼を振ってそう唱える。ゾマーの言葉に応えるように、部屋の中は蜃気楼のように歪み、その仮初めの光景は消えていった。
蜃気楼が崩れた後の部屋には、無数のカウチェが姿を現した。それを見たニックは、嬉しそうに飛び跳ね、仲間たちのもとへと駆け寄っていった。ニックと同じくらいの大きさのカウチェもいれば、もっと小さな子供もいる。そして、少し大きいサイズのカウチェもいた。ニックは、仲間たちとの再会を喜び、朗らかな声で鳴いた。仲間たちも、同じくらい嬉しそうだった。
「…よかった」
ロドリーが、ほっとした様子で呟いた。肩の力が抜け、すっかり安心してしまったようだ。
ゾマーは、杖翼をポケットにしまった。ここは近代科学魔法研究所だ。古代魔法を使うなんて、普通は思わないだろう。だからこそ、持ってきておいて良かった。
人生で初めて、ゾマーは杖翼に感謝をした。
「さぁ、長居は無用だ」
ゾマーはそう言うと、持っていた荷物を床におろし、その箱を開ける。ロドリーも同じように持っていた荷物を開けると、中から、折りたたまれたフラフープのような輪を取り出した。
「シャノって、なんでも持ってるんだね」
くすくすと笑うロドリーは、その輪を広げると、ゾマーの持っていた輪とくっつけた。
「厄介なやつだろ?」
ゾマーもそう言って笑った。そして、口笛を鳴らすと、カウチェたちの気を引き付ける。
「さぁ、みんなおいで。家へ帰ろう」
ニックは、ゾマーの言葉に従って、仲間たちを輪の中へ誘導した。三十頭のカウチェは、導かれるままに輪の中に入り、大人しく待っている。
「本当に、いい子たちなんだな」
「ゾマーが悪い奴じゃないって、知ってるんだよ」
ロドリーは、カウチェたちを見てそう呟いた。照れくさくなったゾマーは、それを隠すように咳払いをした。
「じゃあ、はじめるぞ。行き先は、この近くの小川でいいな?」
「うん」
ゾマーは腕輪を大きな輪にくっつけると、ニヤリと笑った。
「もう自由だぞ、お前たち」
鉱石部分が輪に触れると、そこから虹色の波がカウチェたちを囲う輪のふちに広がった。
「綺麗……」
カウチェたちは、ロドリーのその言葉に耳を傾けながら、次第にその姿を消していった。ここは移送術は使えない。それならばと、シャノがこの輪を貸してくれた。町の商人から譲り受けたもののようで、数多の荷物などを近くに送る時に使っていたものらしい。遠い距離を移動することはできないが、この輪そのものに術をかけているので、制御されることはない。
ゾマーは、カウチェたちを見送りながら、その美しい光景に目を細めた。虹色の光に包まれるカウチェたちの瞳は、その光を映し、宝石に勝るほどの輝きを放っている。
光が消えると、カウチェたちも無事に姿を消していた。ロドリーと顔を見合わせて笑い合うと、ゾマーの耳に、一頭のカウチェの声が聞こえてきた。
「ニック…?」
ロドリーは、自分のもとへ駆け寄ってきたニックを受け止めると、困惑したように眉を下げた。
「どうしたの?一緒に行かなかったのか?」
ニックは、ロドリーの頬に顔をこすりつけると、嬉しそうに鳴いた。ロドリーは、目を細め、今にも泣きだしそうなほどに、その目元と頬を緩める。
「なんだよ。まだ、危険なのに。だめじゃないか」
しかし言葉とは裏腹に、ロドリーの声は嬉しそうだった。ニックをぎゅっと抱きしめ、その小さな身体を抱え上げた。
その光景を微笑ましく見ていたゾマーは、ふと、隣にモモがいることに気づいた。
「…………」
からかっているような視線を送ってくるモモと気まずそうに目を合わせると、ゾマーは急いで平常心を装った。
「カウチェたちが消えたこと、直にダッドレアたちも気づくだろう」
「…うん」
「その前に、ここの研究所を一時的にダウンさせないとな。厄介なことになりそうだ」
「そうだね」
ゾマーは、キュプアリスの入った袋を肩にかけた。
「…慎重に」
そう自分に言い聞かせながら部屋を出ようとすると、行く手を阻むように、何者かがゾマーの前に立ちはだかった。
モモは、躊躇せずに進んだ。ゾマーたちは、モモを見失わないようにその後に続いて行った。
「ゾマー」
「なんだ?」
「ありがとう」
「何が?」
ゾマーは、靄の中で目を凝らしながら、後ろを振り返った。
「ニックの仲間を助けようって言ってくれて」
「……当たり前だろ」
ロドリーの表情を見て、ゾマーは微かに笑った。
「だが、お礼を言うのが早すぎるだろ」
「…うん、そうだったね」
ゾマーは、ここに来る前に聞いたロドリーの言葉を思い出した。
-誰にも傷ついて欲しくないね
そんなロドリーの純真すぎる優しさに、ゾマーは思わず笑みがこぼれた。ロドリーの希望に応えてやらなくては。そんな義務感も、不思議と心地よかった。
すると、突然モモがぴたっと止まった。ゾマーは、モモにぶつかりそうになる寸前で足を止めた。ロドリーは見事にゾマーの肩にぶつかってしまった。
「どうしたの?」
ロドリーが顔を覗かせると、モモが見ている方面から、何やらギーギー叫ぶ声が聞こえてきた。人間の声ではない。カウチェの声でもない。ゾマーは、耳を澄ませる。
その叫び声は、だんだんと近づいてくる。ゾマーとロドリーは、荷物を床に置くと、それぞれ身構えた。
モモが、何かを見つけてギクッとその目を震わせる。そして慌てた様子でゾマーに何か伝えようとした。しかしゾマーの目にも、その姿はもう見えている。
黒い小さな物体の大群が、こちらに向かって飛んでくる。バサバサと音を立てて翼を動かし、鋭い牙が小さな口の中から見える。蝙蝠のような姿をしたその生物は、ふさふさの毛で覆われた目をギラリと光らせていた。
「うわぁ!キュプアリスの大群だ!」
ロドリーが大慌てでそう言った。モモは、咄嗟に天井に身を隠した。ゾマーとロドリーは、襲い掛かってくるキュプアリスから身を護るように腕を頭の方に上げる。
「ロドリー!こいつらがここを警備しているんだ!」
「ということは、ニックもこいつらに襲われたの!?」
ロドリーは、ゾマーの言葉にそう返した。
「ああ!そうだ!」
ゾマーは腕輪を構えて、「ビッゲレーゲンヒフ!」と叫んだ。腕輪の鉱石は、それに応えるように光を放ち、透明な傘でゾマーを覆った。
「クレージアムヨーゼヌ」
続けてそう唱えると、辺りは眩しい光に包まれた。キュプアリスは、その光に驚いて攻撃を止め、宙を暴れ回った。
「キュプアリスは光が苦手なんだよね」
ロドリーが、暴れまわるキュプアリスを見て呟いた。そして、ニックを袋から出すと、その袋に腕輪をつけている方の腕を突っ込んだ。
「ここ、移送術は使えないんだよね?」
「ああ、その通りだ」
ゾマーは、残念そうに答える。
「分かった」
ロドリーは頷くと、ぐっと表情に力を入れた。その真剣な表情には不安が見える。ロドリーが何をしようとしているのかは分からないが、ゾマーは、ロドリーに声をかけた。
「ロドリー、お前、無茶だけはするなよ?」
「分かってる。そんなの誰も望んでないよね」
ロドリーはにこっと笑うと、すっと立ち上がった。もうじき、光と防護の術は切れる。ゾマーは、ごくりと息を呑みこんだ。誰も傷つけたくはない。それは、ロドリーも例外ではない。ゾマーは、彼がそれを自覚しているのかが気がかりだった。自己犠牲の精神は、もう十分だ。
ロドリーは、自分の頭上を勢いよく飛び回っているキュプアリスを見上げる。
「ロドリー!傘が切れるぞ!」
ゾマーがそう叫ぶと、防護の術が解け、光も消えていった。キュプアリスは、一斉にロドリーに向かって降りかかっていく。キュプアリスの大群が、ロドリーを覆ったところで、辺りがまた靄に包まれ、ロドリーの姿も見えなくなった。
「フネクトリー・ファング!」
ギーギーという耳をつんざく鳴き声を突き抜けるように、ロドリーの逞しい声だけが聞こえてきた。ゾマーは目を凝らし、靄を払った。
「シルメヴェル!」
視界を晴らすと、ゾマーはうずくまっているロドリーのもとへと駆け寄った。キュプアリスの鳴き声は聞こえてこない。ニックが、ロドリーに寄り添って心配そうに鳴いている。
「ロドリー!」
ニックの哀しそうな鳴き声に、ゾマーは心臓を打たれたような衝撃が走った。
「おい、ロドリー!大丈夫か!?」
まさか、やめてくれよ。そう祈りながら、ゾマーはロドリーの肩に手をかけた。生きた心地がしないというのは、こういう感情だろうか。こんな感情は知らなくても良かった。
モモも、天井から一つ目を下ろしてきた。
「ロドリー…!?」
ゾマーがロドリーの肩を起こすと、何かを抱きかかえるようにしてうずくまっていたロドリーが、ゆっくりとその顔をゾマーに向けた。
「へへへ。僕、うまくいったみたい」
力のない笑顔を見せると、ロドリーはかすれた声でそう言った。
「大丈夫か…?」
「うん。大丈夫……」
ゾマーは、キュプアリスの翼でボロボロになったロドリーの外套を見た。帽子も、ずたずたになって吹き飛んでいる。ロドリーの髪の毛はぼさぼさになっていた。
「見て……」
ロドリーは、抱えていた袋をゾマーに見せた。袋を覗き込むと、中には、ミニチュアサイズほどになったキュプアリスの置物が、たくさん入っている。
「これって…」
「うん。一時的にだけど、動物を置物にできる術だよ。初めて実戦で使ったから、うまくいくか不安だったんだ」
ロドリーははにかんだ。
「うまくいってよかった。この袋に、引き寄せ術をかけておいて良かったよ」
「…………よかった」
ゾマーは、全身の力が抜けた。そのまま尻もちをついて、ほっとしたように息を吐いた。
ロドリーは、腕輪のついた方の手でニックを撫でる。ロドリーの鉱石は、ストロベリーの色をしていた。
「あとで、この子たちも逃がしてあげよう」
「…ああ、そうだな」
ゾマーは頷くと、モモを見上げた。モモも安心したような表情をしているように見える。一つ目しか見えてはいないのだが。
「ここからが本番だな」
荷物を持ち上げて、ゾマーは改めて気を引き締めた。ロドリーは、建物の前にいた頃とは別人のように、精悍な表情で頷いた。
靄はすっかりと晴れ、一番奥の部屋の扉がしっかりと見えてきた。ゾマーは、母に教わった関係者用の呪文を唱える。すると、扉の鍵が開く音が聞こえた。
そっと扉を開けると、中は廊下と同じくらい薄暗かった。ロドリーが後ろで、明かりを照らしたのが分かった。その明かりで照らされると、室内はしんと静まり返った。
「…いるの?」
ゾマーは思わず呟いた。中は何もない部屋だった。カウチェたちは、この中のどこかにいるはずだ。
ゾマーの足元を、ニックが駆け抜けていった。ロドリーも部屋に入り、何もないその様子に首を傾げる。
「本当にここにいるのかな?」
きょろきょろと部屋の中を歩き回るニックを見て、ロドリーがそう言った。ゾマーは少しだけ考えると、何かをひらめいたように顔を上げた。
「エキヘラべッキ」
そして、念のため持っていた杖翼を振ってそう唱える。ゾマーの言葉に応えるように、部屋の中は蜃気楼のように歪み、その仮初めの光景は消えていった。
蜃気楼が崩れた後の部屋には、無数のカウチェが姿を現した。それを見たニックは、嬉しそうに飛び跳ね、仲間たちのもとへと駆け寄っていった。ニックと同じくらいの大きさのカウチェもいれば、もっと小さな子供もいる。そして、少し大きいサイズのカウチェもいた。ニックは、仲間たちとの再会を喜び、朗らかな声で鳴いた。仲間たちも、同じくらい嬉しそうだった。
「…よかった」
ロドリーが、ほっとした様子で呟いた。肩の力が抜け、すっかり安心してしまったようだ。
ゾマーは、杖翼をポケットにしまった。ここは近代科学魔法研究所だ。古代魔法を使うなんて、普通は思わないだろう。だからこそ、持ってきておいて良かった。
人生で初めて、ゾマーは杖翼に感謝をした。
「さぁ、長居は無用だ」
ゾマーはそう言うと、持っていた荷物を床におろし、その箱を開ける。ロドリーも同じように持っていた荷物を開けると、中から、折りたたまれたフラフープのような輪を取り出した。
「シャノって、なんでも持ってるんだね」
くすくすと笑うロドリーは、その輪を広げると、ゾマーの持っていた輪とくっつけた。
「厄介なやつだろ?」
ゾマーもそう言って笑った。そして、口笛を鳴らすと、カウチェたちの気を引き付ける。
「さぁ、みんなおいで。家へ帰ろう」
ニックは、ゾマーの言葉に従って、仲間たちを輪の中へ誘導した。三十頭のカウチェは、導かれるままに輪の中に入り、大人しく待っている。
「本当に、いい子たちなんだな」
「ゾマーが悪い奴じゃないって、知ってるんだよ」
ロドリーは、カウチェたちを見てそう呟いた。照れくさくなったゾマーは、それを隠すように咳払いをした。
「じゃあ、はじめるぞ。行き先は、この近くの小川でいいな?」
「うん」
ゾマーは腕輪を大きな輪にくっつけると、ニヤリと笑った。
「もう自由だぞ、お前たち」
鉱石部分が輪に触れると、そこから虹色の波がカウチェたちを囲う輪のふちに広がった。
「綺麗……」
カウチェたちは、ロドリーのその言葉に耳を傾けながら、次第にその姿を消していった。ここは移送術は使えない。それならばと、シャノがこの輪を貸してくれた。町の商人から譲り受けたもののようで、数多の荷物などを近くに送る時に使っていたものらしい。遠い距離を移動することはできないが、この輪そのものに術をかけているので、制御されることはない。
ゾマーは、カウチェたちを見送りながら、その美しい光景に目を細めた。虹色の光に包まれるカウチェたちの瞳は、その光を映し、宝石に勝るほどの輝きを放っている。
光が消えると、カウチェたちも無事に姿を消していた。ロドリーと顔を見合わせて笑い合うと、ゾマーの耳に、一頭のカウチェの声が聞こえてきた。
「ニック…?」
ロドリーは、自分のもとへ駆け寄ってきたニックを受け止めると、困惑したように眉を下げた。
「どうしたの?一緒に行かなかったのか?」
ニックは、ロドリーの頬に顔をこすりつけると、嬉しそうに鳴いた。ロドリーは、目を細め、今にも泣きだしそうなほどに、その目元と頬を緩める。
「なんだよ。まだ、危険なのに。だめじゃないか」
しかし言葉とは裏腹に、ロドリーの声は嬉しそうだった。ニックをぎゅっと抱きしめ、その小さな身体を抱え上げた。
その光景を微笑ましく見ていたゾマーは、ふと、隣にモモがいることに気づいた。
「…………」
からかっているような視線を送ってくるモモと気まずそうに目を合わせると、ゾマーは急いで平常心を装った。
「カウチェたちが消えたこと、直にダッドレアたちも気づくだろう」
「…うん」
「その前に、ここの研究所を一時的にダウンさせないとな。厄介なことになりそうだ」
「そうだね」
ゾマーは、キュプアリスの入った袋を肩にかけた。
「…慎重に」
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