魔法狂騒譚

冠つらら

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三部

49/白い世界

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 レティは雪が降りそうな雲の下で、マフラーをしっかりと巻き直し、シャドウハイルの新しい術を試行錯誤していた。ここはゾマーのお気に入りの丘でもある。レティは、ここでこっそりと研究を続けるのが日課となっていた。たまに、ゾマーも一緒に鍛錬することがある。レティは、それが楽しみでもあった。

 今日は、風邪気味のゾマーは部屋で休んでいるようだ。レティは、寒空の下で自分の世界に没頭していた。

 田園を見ると、レティが咲かせた花は、またその数を増やしていた。それを見たレティは、ほっとしたように笑った。この世界にも、まだ花は咲かせられる。きっとこの世界もそれを待っている。

 レティは、気合いを入れ直した。ゾマーの言っていた話はずっと頭のどこかにある。もし、その一大事が起きてしまった時、自分が何もできないのは嫌だ。後悔どころの話ではない。きっと自分のことを一生恨んで、信用できなくなってしまうだろう。自らで刻んだ深い傷は、そう簡単には治らない。

 レティはそれを避けるために、今できることに取り組んでいた。その後のことは、その時考えればいい。自分に何ができるのか、それを探していくことが大事だ。

「…寒い…」

 思わず、そう声にした。レティは、むずむずする鼻をこすった。もうじき、学年が変わる。その時に、世界はどうなっているのだろうか。
 この世界に渦巻いている思惑は、静かに、しかし加速的に動いていた。

「…くしゅっ」

 小さなくしゃみが出た。すると、レティを包み込むように雪の粒が舞った。レティは、そのきらめきを見て、術が暴発したことを知り、がっかりした表情をした。

「君も風邪をひくよ」

 レティは背後から聞こえてきた声に、勢いよく振り返った。冷え切っている身体から、また体温が引いた。ティーリンだ。マフラーを上品に巻いて、黒い手袋をつけている。

「……どうしてここに」

 レティは、動揺を隠さずに、警戒して尋ねた。

「君がよくここにいるって、シャノから聞いてね」
「……シャノ」

 この場にいないシャノを、レティは軽く恨んだ。どうせまた何かに釣られて話したのだろう。そもそも、ここに居ることを秘密にしているつもりはなかったが、なんだか裏切られた気分だ。

「私に、何か用なの?」
「青の魂…ダニーのこと、謝りたくてね」
「は?」

 ティーリンは、相変わらず穏やかな様子だ。レティは、ティーリンがダニーのことを口にするとは思わず、気の抜けた表情をした。

「君たちのことを巻き込んでしまってすまなかった」

 ティーリンが頭を下げる。レティは、予想していなかった展開に、また動揺した。

「ティーリンがけしかけたわけじゃない…でしょ?」
「ああ、そうだ。だが、ダニーの暴走には、僕の責任もある。無関係なわけがない」
「…でも」

 レティは、気まずそうな顔をした。

「あなたも、ダニーが墓守だってこと、知らなかったんでしょ…?」
「確かに知らなかった。だけど、それを言い訳にはしたくない。みんなに迷惑をかけた。それに、僕が知ろうとしなかっただけで、本当は、ダニ―から何か信号が出ていたのかもしれないだろう。ダニーは、シュタイフォードの墓守なのだから」
「…え?」

 レティにとってそれは初耳だった。目の前にいるティーリンの表情が、憂いて見える。自分のことを責めているのではなく、ただ純粋に、ダニーの運命を嘆いているようだ。

「しかしそんな事情は、君たちには関係ない。それなのに巻き込んでしまった。…止められなかったんだよ」
「ティーリン…」

 ティーリンの反省の言葉に、レティは思わずティーリンに同情した。自分の弱みを握られていることなど、忘れてしまいそうだった。レティは、慌てて気を引き締める。

「それだけ…?」

 そして、早くこの場を立ち去りたくて、そう続けた。

「いいや」

 しかしティーリンは見逃してくれそうになかった。ティーリンの返事に、レティは全身に緊張が走るのを感じた。

「君は、とても活躍したようだね」
「…………」
「メーナが感激していたよ。君が青の魂を捕まえたってね。並大抵の力でできることではない。初見で、青の魂と対峙して、戦況を有利に持っていくなんてね」

 ティーリンの眼光に、レティはたじろいだ。

「一体、どうしたらそんなことができるのか。ただがむしゃらなのか、運が良かったのか…君が素晴らしい才能を身につけているのか、ぜひ教えを請いたいと思ってね。僕も、大事な人をいざと言う時に守れるような人間になりたいんだ」

 ティーリンはにっこりと笑った。古代派のファン達なら、さぞその笑顔に歓喜したことだろう。しかしレティは、その対象ではなかった。その笑顔を見て、小さく身震いをした。

「……何が言いたいの」
「きっと、分かっているだろう?」
「…………」

 レティは、ポケットに入っている筆を握った。誤魔化しなんて通用しないことは分かっている。

「君の魔法を、ぜひ見てみたいな」

 ティーリンはそう言うと、田園に咲いた花に気づいた。そして、ニヤリと笑った。

「君は、優秀な魔法使いみたいだね」
「…………」

 もう何も言わないで欲しかった。レティは、俯いたまま唇を軽く噛んだ。せっかく、ゾマーと一緒に新しい希望が見れそうなのに。

「…………どうして君は、シャドウハイルを研究しているんだ?誰も扱っていないその術を習得するなんて、並大抵の執念じゃないだろう。しかも独学だとしたら…」
「…私だけ」

 レティは、ぼそっと呟いた。

「誰にも教わったことなんてない」
「……そう」

 ティーリンは、レティのかすかに見える表情を見ると、軽く相槌を打った。恐らく、信用していないだろう。レティは、この尋問が早く終わることだけを祈っていた。

「しかし、何故シャドウハイルなんだろうね。ずっと昔に封印されて、人々の記憶からも薄れてしまった。あるとすれば、それは闇魔術だったから葬られたというもの。みなそう信じている。でも、実のところ、シャドウハイルがどうして禁じられたのか知っている者はいないんだ。誰かがそう決めたのか、ただ、時の流れとともに風化していったのか。…君はどう思う?」

 ティーリンは、レティの前まで近づいてきた。身体を屈め、レティの表情を窺おうとしている。

「私は…」

 レティは、ティーリンから顔を逸らすと、元気のない声を出した。

「私はただ、シャドウハイルには、人を救える力があると思っただけ。闇魔術なんて言うのは、ただのいいがかり。嫉妬。いいがかりの悪口を言えば、勝ったつもりになれるから。…少しだけ、危険な魔法があるけど、でもそれは、古代魔法だって近代科学魔法だって変わらない」
「……うん」

 ティーリンは、少し間をおいて頷いた。

「僕もそう思うよ。魔法は、どう使うかだからね」

 ティーリンの笑顔に、レティは顔を上げる。本当に、今の言葉はこの人が言ったのだろうか。レティは、自分の耳が信じられなかった。

「僕も、シャドウハイルのことは君ほど知らない。だけど、どんな魔法にも危険はある。英雄にも悪役にもなれる。それには、僕も同意かな」
「……古代魔法以外、認めないんだと思ってた」
「ははは。まぁ、そう思うのも無理はないよね」

 レティの素直な感想に、ティーリンは笑った。

「たしかに、近代派の主張は好きじゃなかった。いい印象も持っていなかったしね。だけど僕は、古代魔法以外をなくしたいわけではないから…」
「…知らなかった」

 レティは、ようやくティーリンの顔を正面から見た。意外と、そこまで融通の利かない人ではないのかもしれない。レティの緊張が少し和らいだ。

「この頃は、僕は、色々と考える機会が多かった。それなのに、昔からの考えやプライドが邪魔をして、何も考えられていなかった。僕のかつての望みすら忘れていたんだ」
「望み…?」
「それならいっそのこと一回、全ての考えを停止させてしまおうと思ってね。だから、気分転換にシャドウハイルのことも、もっと知りたいと思ったんだ。ゼロから何かを知るのは、リフレッシュにちょうどいい」

 ティーリンは、レティに微笑みかける。

「君は、古代派も近代派もない、唯一の存在だ。君の信じるその魔法を、僕にも教えてくれないか?」
「………………」

 レティは、ティーリンをただ見つめ返した。なんと返事をすればいいのだろう。この人は、私の存在を認めてくれないものだと思っていた。レティは、困惑していた。

「レティ、君は、シャドウハイルは希望をもたらすものだと思っているんだろう?」

 ティーリンは、再び田園の花に目を向ける。

「魔法は、本来希望を与えるものだ。僕は、ようやくそれを思い出した」
「……希望を」
「昔、僕は病弱な母を喜ばせたかった。いつも、悲しい顔をしている母を笑わせたかったんだ。…それが、僕が魔法を習得しようと必死になれた理由。ただあの人の笑顔が見たかっただけなんだ」
「…ティーリン」

 レティは、ティーリンの穏やかな目元を見た。垣間見えたこの人の過去は、きっと今のこの人に繋がっている。その気持ちに、嘘はないだろう。

「いがみ合っている場合ではないのだと、やっと目が覚めたんだ。争いは、奴らの思惑に加担するだけだ。今、僕たちにできるのは、魔法の本来の力を取り戻すこと」
「……」
「レティ」
「…はい」
「君の力を貸してくれないか?」

 レティは、ティーリンを見上げた。ちょうど本物の雪が降ってきて、二人の頭上に真っ白なパウダー状の雪が降り注いでいる。ティーリンの髪の毛にも、少しずつ雪が積もっていた。
 レティは白い息を吐いた。寒さで、頬も鼻も手も赤くなってきた。しかし、身体の中は温かかった。

 この人をどこまで信用していいのかは分からない。それでも、信じたいという気持ちがあるのも事実だ。もし、その手を取ったら、後悔するだろうか。その言葉を信じて、傷ついたりはしないだろうか。だが、何よりも大事なのは自分の気持ちだ。そうして、レティはここまで独自の道を歩んできた。

 今更、難しく考える必要があるのだろうか。
 レティの眠そうな目には、光が宿っていた。もう答えは出ているのだろう。
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