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二部
24/馴染みにて
しおりを挟むリル・ハイディは、夜の街を歩いている。それぞれが目的地に向かって街に繰り出している中、リルは、飲食店の立ち並ぶ道を進み、一度通り過ぎようとした店の扉を開いた。
中に入ると、正面のステージでは、数人の華やかなダンサーが衣装をきらめかせながら踊っている。テーブル席は満員で、バンドの演奏する軽快な音楽にのせて踊るダンサーを、立ったままグラスを片手に鑑賞する人でひしめき合っていた。観客は二階まで一杯で、店内は心地の良い熱狂に包まれている。
リルは足を迷わせることもなく、後方にあるテーブル席に向かうと、空いている席に座った。
「どうも、モウロ」
そして美しい笑みを見せると、先客に挨拶をした。
「リル……」
一人でそのテーブルを占領していたモウロ・アイデルトは、リルの顔を見るなり顔をひきつらせる。少し太ったお腹は、着ているスーツのボタンが閉まらなくなっていた。恐らく、サイズがあっていない。
「どうしたんだ、こんなところまで」
「あら、いいじゃない」
リルは、モウロの言葉をはぐらかすようにそう答えると、片手を上げ、そばを通りかかったウェイターを呼んだ。ステーキを注文したリルは、気を取り直してモウロを見る。
「ねぇ、たまにはお話ししましょうよ」
「リルと話すときは、だいたい仕事の話だけじゃないか」
「十分だと思うけど?それとも、学生時代の思い出話でもする?」
「いいや。いい」
モウロは、小さく息を吐いた。人のよさそうなモウロは、自分もワインのお代わりを頼むと、手を机の上で組んだ。
「で?何を話す?」
「モウロは察しがよくて大好きよ」
「はぁ。好きでそうなったんじゃないんだけどな」
リルの吸い込まれるような瞳も、モウロの前では無力だった。二人は、法曹院での同期だ。リルが優秀なのは言わずもがなだったが、モウロもそのリルに劣らないくらい優秀だった。おまけに人柄も良かったため、その点ではリルよりも人望があった。
そんな二人は、互いに良きライバルとして切磋琢磨し、対等な関係を築き上げてきた。リルにとっては珍しく、モウロは自分の能力を伸ばすきっかけをくれる人物となった。
現在、モウロは執政府に籍を置き、秘書の一員として働いている。いずれは、執政府で本格的に指揮を執り、世の中のために働きたいと考えている。
「いいわ。そういうところも気に入っているの」
「どうして気に入られちゃったかなぁ…」
切っても切れない腐れ縁となってしまった二人は、こうしてたまに会っている。リルも、モウロのことを信頼していた。
「ランドルフのことよ」
リルがそう言うと、モウロは真顔になった。気軽にできる話ではないことを察したようだ。
ちょうどその時、リルが頼んだステーキが運ばれてきた。リルは、小さな鉄板風のお皿の上で音を立てて焼かれているステーキを見ると、猟奇的な笑顔を見せる。
「先にいただくわ」
そして、ナイフとフォークを手に取ると、勿体つけるように肉の塊に切り込みを入れた。食欲を誘う匂いが、モウロの鼻にも届いた。
リルは、まるで肉食動物のような目つきで大きめに切られたステーキの欠片を口に運んだ。気品のある振る舞いではあったが、その肉を噛む表情は、恍惚に満ちていた。
モウロはそんなリルを横目に、ワインの入ったグラスを口元に持っていった。リルは、肉を食べるときは決して話さない。その至福の時間を邪魔してはいけないと、モウロは知っている。
ステーキを食し終えると、リルは満足げな表情でモウロを見た。その瞳は煌々としている。
「それで?ランドルフの何だ?」
店内は、気がつけばダンサーのショーは終わり、ジャズバンドの演奏が流れていた。ステージでは、一人の燕尾服を着た男が、左右の手と左足で全ての楽器を操っている。客はそれぞれの会話を楽しみ、店内は先ほどとは違うざわめきに溢れていた。
「ええ。ランドルフは今、一体どこにいるのかしらね?」
「知らないさ。部下が何人もランドルフの自宅を訪ねたが、ランドルフの姿はなかった。家の中は荒らされた様子もなく、つい先ほどまで生活していたようだったと聞く。ランドルフが持っていた旅行用のトランクもなくなっていたから、また旅行にでも出たのではないかと思っていたが、一向に帰らん。ランドルフには家族がいないから、行きつけのお店にも聞いてみたが、誰も行方を知らんと言っていた。ただ…」
「ただ?」
「一人の研究員が、手紙を受け取っていたんだよ」
「手紙?」
リルは片眉を上げた。リルの癖だ。
「ああ。そこには、やはり旅に出ると書いてあったそうだ」
「そうなの?本当にそう思う?」
「いや…正直、俺はそうは思えないな。実際に、ランドルフが姿を消す前に、何やら思い悩む様子を目撃した研究員が何人もいる。変わり者だが、いつも明るかったランドルフのことだ。何か深刻なことが起きたと思って見てもおかしくはないだろう」
モウロはそこまで言うと、背もたれに寄りかかり、ため息を吐いた。
「…結局、君には話してしまうんだな」
「いいじゃない。私たちの仲よ。隠し事なんていらないわ」
「はぁ……」
モウロは、リルの顔を見てもう一度ため息をついた。結局、腹を割って話せるのは彼女だけなのだ。それを改めて思い知らされる。
「モウロはどう思うの?」
「俺は、この件はあまりにも強引な話だと思っている。後任のダッドレアも、突然出てきた人物だし。誰かが手を引いていると言っても、あながち間違っちゃいないと思うよ」
そこまで言うと、モウロははっと目を見開いた。
「でもリル、この件にあまり首を突っ込むのを俺は奨めない。いくら君でも、わざわざ見えている闇に手を出すことはないだろう。執政府でも、暗黙の了解のようなものだ」
「モウロ、そんなのでいいの?」
「いや、よくはないが…」
「まぁ、でもあなたの言う通りね。こんなこと気にするのは、愚かなことよ。自らを危険に晒しかねないってのに…」
「リル?」
モウロは、いつもとは調子の違うリルを見て首を傾げた。まるで誰かに言い聞かせているようだ。
「ありがとうモウロ。とても参考になったわ」
「いや、いいんだ。……それよりも」
「なあに?」
モウロは、リルにそっと顔を近づける。
「古代魔法保護団体への献金の件、あれはどうなっているんだ?」
「どういうこと?」
リルはモウロを怪訝な表情で見る。
「あまりに額と回数が多すぎる。いくらハイディ家でも、そこまでのことはしなくてもいいだろう」
「……お爺様は、私にも何を考えているのか分からないのよ」
リルは少し肩を落とした。リル自身も心配している様子だった。
「でも、あの人は目的のためなら出来ることはすべてやるわ。ある意味で純粋なのよ。純真すぎて、汚れに気がつかないの。物の善悪を、もはや普通の基準では判断できなくなっているわ」
リルはシュタイフォードを気遣うような表情をした。
「だからお願い。もし、お爺様が間違った方向へ進もうとしているなら、私の手を引いて」
「どうしてだ?」
「私は、お爺様のことを嫌いになれないの。尊敬していたわ。だから、迷いが出るのは明白よ。私まで正常な判断ができなくなる。そうなった時は、私を切り捨てていいわ。でももし、まだ間に合うのなら、私の手を引いて欲しいの」
「なぜ俺に頼む?」
「決まってるでしょ。あなたは私の唯一の好敵手だからよ」
リルはそう言うと席を立った。モウロは、そんなリルに一枚のメモを渡した。
「君は、まずは自分の目で確かめるんだろう?」
そして、優しく微笑むと、ワイングラスを片手に、ステージに立つバンドの方を向いた。
リルは手にしたメモをぐっと掴むと、表情を一切変えることなく店を出た。
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