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一部
4/カフェ・ジジ
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金曜日。今日はカフェ・ジジの営業時間は夕方で終了した。しかし店内では、従業員である生徒たちが大急ぎで準備を進めている。その中の一人、2年のメーナ・シャルテは、可愛らしく跳ねた二つ結びの髪の毛を弾ませながら、テーブルを拭いていた。ストロベリーブロンドの髪の毛は、淡い水色のメッシュが混ざっていて、まるで綿あめのようだ。その瞳は店内の光を取り込み、キラキラと輝いていて、そこに星を落としたようだった。
「メーナ、飾りはこんな感じでいいと思う?」
同僚であり先輩の一人が、店内を囲むようにあしらったガーランドを杖翼で指した。
「良いと思います!」
メーナは、きっちりと整えられたボブカットの黒髪の先輩に向かって親指を立てた。
店内には、オールディーズと呼ばれる音楽が絶え間なく響いている。メーナは、時折リズムに乗りながら、店内の清掃を進めた。
「掃除が終わったら、みんなが来るまで休んでていいよ」
「はーい。ありがとうございます」
メーナは、明るく返事をすると、杖翼を使ってモップや箒を動かした。ふと店の窓ガラスを見ると、外はすっかり暗くなっていて、夜の帳が下りている。メーナは、窓ガラスに反射する自分の姿を見た。頭にはウエイトレスの白いレースのカチューシャ。青と白のストライプのワンピースの上には、白い前掛けのエプロンをしている。メーナは、この制服が大好きだった。ずっと前に取り寄せた表の世界の映画の中で、女性たちは大きな夢を持ちながら、このような制服を身にまとい、ウエイトレスをしていた。
なんて可憐で美しいのだろう。
メーナは、そんな女性たちの姿に憧れた。そして夢を見ることを教えてもらった。希望を持ち、困難を乗り越え、夢を掴む彼女たちが、本当に格好良かったのだ。
「お掃除終わりました!」
メーナはそう言うと、杖翼をエプロンのポケットにしまった。
「ありがとう。そろそろみんな来る頃かしら?」
先輩は、そう言って大急ぎで飾り付けを終えた。
「みんな、今日はありがとう!」
嬉しそうな声が店内に響いた。声の主は、メイズだった。ショコラカラーのポニーテールの髪の毛を震わせ、感激の笑顔を見せてくれる。
「お誕生日おめでとうございます!」
メーナは、鈴のような声でお店からのプレゼントを渡した。メイズは、大きなそのプレゼント箱を受け取ると、「ありがとう」とメーナの頬にキスをした。
「今日は、店主様がとびきりのケーキを作ってくれましたよ」
「本当?ここのケーキ、本当に美味しいのよね」
「店主様も喜んでいます!」
メイズのぱっと輝く表情に、メーナは自分もうれしくなった。カフェ・ジジの店主は当然生徒ではない。しかし、あまりその姿を見せないため、従業員以外はその存在をたまに忘れてしまっていた。
「あれ?今日は、エルテは来ないの?」
メイズの友人の一人が、首を傾げた。店内を見回すと、多くの招待された生徒たちが、それぞれ机を囲んで食事や会話を楽しんでいる様子が見えたが、そこにエルテの姿はなかった。
「来ないわ」
メイズは、少し寂しそうに答える。店内に流れるアップテンポな曲が、その声をかき消してしまいそうだった。
「来ないの!?エルテって、本当何考えてるか分からない!あんなにメイズが気にかけているのに!」
「いいの。エルテは、いつもこうだから。むしろ顔を出したら、何かあったの!?って、心配になっちゃう」
「メイズ、あなたは本当に健気ね」
「そんなことない。少しだけ辛抱強いだけ」
メイズは、小さく舌を出して笑った。メーナは、その様子をカウンターの中から横目で見ている。来客たちが次々にドリンクを持っていく中で、メーナは絶え間なく新しいドリンクを注いだ。
すると、カフェの扉の鈴が鳴った。優しく開けられたその扉の向こうからは、背の高い、スラッとしたシルエットが見える。店内にいる者は、一斉にそちらを見た。思わず目を奪われてしまう、そんな存在だった。一同は、数秒そちらを見ると、またすぐに自分たちの会話に戻った。
「どうしても君は目立ってしまうね」
「…気のせいだ」
ダニーの励ましに、ティーリンは外套を脱いだ。
「ハイディさん!」
メーナは、どこに座ろうかときょろきょろしているティーリンたちに、手を上げて合図した。
「こちらにどうぞ!」
カウンターの前の席を指し、メーナは軽やかに笑った。
ティーリンとダニーは、言われた通りの椅子に腰を掛け、カウンターに前傾姿勢でもたれた。賑やかな声が、背後から聞こえてくる。今日の主役に挨拶をしなくては。そう思いながら、ティーリンは少しだけ店内を見回そうとした。
「ハイディさんたちも来てくれたんですね!」
メーナが、その動きを阻止した。意図したものではなかったが、メーナは、純粋にティーリンたちが来てくれたことが嬉しいようだ。
「ああ。シャノに招かれて。肝心のシャノの姿が見えないけど」
「シャノは、すぐにどこかにいなくなるから」
「そうだな」
「ハイディさんたちは、なに飲みます?」
「君のお勧めでいいよ」
「そうしたら、アップルディをどうぞ!リンゴがベースなんです」
カフェ・ジジでは、アルコールは飲めないが、カクテルのように、様々な趣向を凝らしてブレンドしたジュースが好評だった。
「ありがとう」
ティーリンは、今度こそ店内を見回した。主役のメイズは、一番大きなテーブルで、友人たちに囲まれてケーキを食べている。とても楽しそうな笑顔だった。
噂によると、メイズはエルテのことをよく気にかけているようだ。入学したころから、それは続いていて、メイズは積極的にエルテに向かっているようだが、エルテの方は決まって何の反応もなかった。こんなに良い子なのに、どうしてそんなにエルテにばかり気を揉んでいるのだろうか。ティーリンには、理解できなかった。
「ねぇハイディさん、私、この前“小さな精霊”を呼び出せたんですよ」
メーナが、仕事の手を止めることなく話しかけてきた。
「前にハイディさんとランバートさんが、高等部の統一集会で見せてくれた魔法です。私、あれにすっごく憧れて、部屋でいつも練習していたんです。…あ、もちろんこっそりと。内緒ですよ?」
寮内での不必要な魔法は、原則禁止されている。修練専用の部屋があるので、そちらで行うようにするのが本来のルールだ。しかし、生徒たちの中には、この規則を破っている者もいる。たいていは、自主練のためだったりするので、あまり騒ぎにすることもないが、それも暗黙の承知で、当然グレーだ。
「すごいじゃないか。メーナ」
「あの魔法、結構コツがいるんだよ。メーナはなかなか筋がいいな」
ティーリンに続いて、ダニーもうれしそうにそう言った。
「本当ですか?嬉しい」
メーナがはにかむと、その場が一気に和らいだ気がした。メーナは中立派の人間だが、才能としては古代魔法の方が良い素質を持っている。ティーリンは、初めてメーナを見た時からそう思っていた。しかし彼女を古代派の人間へと引っ張り出そうとはしなかった。彼女は、そこまで脆くはなかった。
ティーリンがアップルディを静かに飲み、ダニーがメーナと会話を弾ませていると、突然、グラスの割れる音と同時に、ドサッという、鈍い音が店内に響いた。
「キャー!」
女子生徒の悲鳴が聞こえ、生徒たちのざわざわという喧騒が、一層大きくなった。
「どうしたの!?」
メーナが、従業員としての使命を感じたのか、カウンターから身を乗り出して人だかりの方へと叫んだ。
「倒れた!」
メーナの友人も居合わせていたようで、何かを丸く囲っている人の輪の中から、小柄な女子生徒が顔を出した。
メーナは急いでカウンターを出ると、その輪をかき分けて前に進もうとした。
「ティーリン」
ダニーとティーリンは顔を見合わせると、立ち上がってその後を追った。
ティーリンたちが近寄ると、生徒たちはさっと道を作った。メーナも、その二人の後に続いた。中心まで来ると、一人の男子生徒が倒れている。右腕には、シルバーのブレスレットが見える。その黒髪の生徒は、白目をむいて、口を半分開けたまま倒れていた。全身が血の気のない白さで、少しだけ左腕が痙攣しているのが見える。
「何事?」
メーナは、口を抑えてその姿を見ていた。少し顔が青ざめている。
「メーナ、水を運んできてもらえるかな?」
「…あ、はい!」
ティーリンは彼女の気分が悪くなる前に、メーナに仕事を依頼した。役割がある方が、冷静でいられるだろう。
「ティーリン、これは…」
「ああ、古代魔術の…血抜きだな」
ティーリンはダニーにそう言うと、そっと倒れている生徒の傍らに寄り添った。恐らく彼は、近代派の一人だろう。腕輪に刻まれた文字が、それを示している。彼の家の名前である、“トルードーズ”は、近代科学魔法を違法に研究している罪で捕まった男の名前と同じだ。
ティーリンがトルードーズの傍らにつくと、他の生徒は少しだけ落ち着いた表情を取り戻してきた。青ざめていた生徒も、震えていた生徒も、驚いて涙が出てしまった生徒も、みなティーリンが何をするのかそっと見守っている。
「持ってきました!」
メーナが、水の入ったグラスを片手に戻ってきた。
「ありがとう」
ティーリンはそれを受け取ると、自分の杖翼を取り出した。そして何かを念じる様子を見せると、杖翼をくるくると回し、杖先で小さな円を描き始めた。すると、反対の手に持っていたグラスから、中に入っている水が、細い糸のようになって杖先に導かれるようにしてそっと出てきた。
そのまま、ティーリンはその水をトルードーズの額まで導いた。額までやってきた水の糸は、そのまま額の中に入っていくように、額に小さな泉を作り、浸透していった。
一同は、その様子を息を呑んで見守っていた。回復魔法は高度で、基本的な処置しか行えない生徒が多い。このような魔術は、この敷地の中では先生が使っているところしかお目にかかれないだろう。
グラスの水が徐々に減っていき、それに比例するように、トルードーズの肌に血色が戻ってきた。
「…よかった」
メーナの、小さな声が漏れる。グラスの水がなくなると、ティーリンは杖翼を軽く一振り下ろし、トルードーズの目を閉じさせた。
「応急処置は済んだ。誰か診療室へ」
ティーリンの言葉に、そばにいた生徒が飛び出してくる。二人の生徒に抱えられ、トルードーズはカフェを後にした。ちょうどその時、すれ違うようにしてシャノがカフェに入ってきた。
「うわぁ。なんか、ひどい顔してたけど?」
カフェを出ていくトルードーズを見送るシャノは、身震いするふりをした。
「ハイディさん。ありがとうございます」
安堵を取り戻したカフェ店内は、ティーリンの見事な処置に、感心の声を上げる。メーナは、そっとティーリンからグラスを受け取ると、柔らかい表情でそう言った。
「ティーリン、来てくれて良かった」
店内がまた平穏なざわめきを思い出したころ、シャノは外套を着て店を出ようとするティーリンに話しかけた。隣にいるダニーは、苦笑いをしている。
「今そう聞くと、なんだか違う意味みたいだな」
「何言ってるんだよ。俺がこの騒ぎを予測できたとでも?」
「ああ、言えるだろう。シャノが事前に誰かに血抜きの薬でも渡していれば、どうとでもなる」
「そんな薬つくる能力、俺にはないよ」
ティーリンの刺すような眼差しに、シャノはへらっと笑ってみせる。
「でも、あれは古代派のやつがトルードーズに仕掛けたのは間違いないだろう。この間の電光石の件、正当を重んじる古代派には面白くないだろう?今日だって、こんなに人が集まっていたら、あまり目立たないしね」
「何が言いたい?」
「何って、そのままだよ。君の復讐を、誰かが果たそうとした。まぁ相手は、ゾマーじゃなかったけど」
ティーリンは、面白い話を話すように淡々と見解を言うシャノの顔を見て、怪訝な表情をした。
「まぁ結局、君はこういう場では助けてしまうんだけどね」
シャノはそう言うと、手をひらひらと振りながら店の奥の席まで消えていった。
「相変わらずだな」
「…ああ」
ダニーの言葉に、ティーリンは口を動かさずに返事をした。
店を出る前に、一人、挨拶をしておかなければいけない相手がいる。ティーリンは、ダニーを入り口付近で待たせ、友人に囲まれているその人のもとへと向かった。
「メイズ」
ティーリンが顔を出すと、メイズは嬉しそうに笑った。
「ティーリン!さっきはありがとう!」
そして、持っていたプレゼントを椅子に置き、ティーリンの前まで出てきた。
「いや、僕は…」
「それに、来てくれてうれしい!ティーリンがこういうところに来るなんて、最近じゃあんまりなかったから」
「そんなこと…。メイズ、先ほどはすまなかった」
「どうしてティーリンが謝るの?」
メイズは、くすくすと笑った。
「メイズも分かっているよね?誰が狙われて、そして誰がそれをやったのか…」
「…うん。それはティーリンのせいじゃないと、私は思ってるから」
「……言うのが遅くなってしまったけど、メイズ、誕生日おめでとう。もう、残りも少ないけど、良い誕生日を」
ティーリンはそう言って微笑むと、ダニーの待っている入口へと向かった。メイズは、ティーリンの背中に笑顔を送ると、またすぐに友人のもとへと戻った。
店を出ると、ティーリンは黙って寮へと歩き出した。こういう時、ダニーは何も口を挟まないことにしている。ティーリンは、静かな夜を歩いた。頭の中で、メイズのことを回想した。大事な誕生日に、パーティーを台無しにされて、嫌な思いをしているはずなのに。どうしてあんな笑顔ができるのだろうか。それに、エルテに対する一途な態度。彼女は、少しばかり優しすぎるのではないだろうか。
「メーナ、飾りはこんな感じでいいと思う?」
同僚であり先輩の一人が、店内を囲むようにあしらったガーランドを杖翼で指した。
「良いと思います!」
メーナは、きっちりと整えられたボブカットの黒髪の先輩に向かって親指を立てた。
店内には、オールディーズと呼ばれる音楽が絶え間なく響いている。メーナは、時折リズムに乗りながら、店内の清掃を進めた。
「掃除が終わったら、みんなが来るまで休んでていいよ」
「はーい。ありがとうございます」
メーナは、明るく返事をすると、杖翼を使ってモップや箒を動かした。ふと店の窓ガラスを見ると、外はすっかり暗くなっていて、夜の帳が下りている。メーナは、窓ガラスに反射する自分の姿を見た。頭にはウエイトレスの白いレースのカチューシャ。青と白のストライプのワンピースの上には、白い前掛けのエプロンをしている。メーナは、この制服が大好きだった。ずっと前に取り寄せた表の世界の映画の中で、女性たちは大きな夢を持ちながら、このような制服を身にまとい、ウエイトレスをしていた。
なんて可憐で美しいのだろう。
メーナは、そんな女性たちの姿に憧れた。そして夢を見ることを教えてもらった。希望を持ち、困難を乗り越え、夢を掴む彼女たちが、本当に格好良かったのだ。
「お掃除終わりました!」
メーナはそう言うと、杖翼をエプロンのポケットにしまった。
「ありがとう。そろそろみんな来る頃かしら?」
先輩は、そう言って大急ぎで飾り付けを終えた。
「みんな、今日はありがとう!」
嬉しそうな声が店内に響いた。声の主は、メイズだった。ショコラカラーのポニーテールの髪の毛を震わせ、感激の笑顔を見せてくれる。
「お誕生日おめでとうございます!」
メーナは、鈴のような声でお店からのプレゼントを渡した。メイズは、大きなそのプレゼント箱を受け取ると、「ありがとう」とメーナの頬にキスをした。
「今日は、店主様がとびきりのケーキを作ってくれましたよ」
「本当?ここのケーキ、本当に美味しいのよね」
「店主様も喜んでいます!」
メイズのぱっと輝く表情に、メーナは自分もうれしくなった。カフェ・ジジの店主は当然生徒ではない。しかし、あまりその姿を見せないため、従業員以外はその存在をたまに忘れてしまっていた。
「あれ?今日は、エルテは来ないの?」
メイズの友人の一人が、首を傾げた。店内を見回すと、多くの招待された生徒たちが、それぞれ机を囲んで食事や会話を楽しんでいる様子が見えたが、そこにエルテの姿はなかった。
「来ないわ」
メイズは、少し寂しそうに答える。店内に流れるアップテンポな曲が、その声をかき消してしまいそうだった。
「来ないの!?エルテって、本当何考えてるか分からない!あんなにメイズが気にかけているのに!」
「いいの。エルテは、いつもこうだから。むしろ顔を出したら、何かあったの!?って、心配になっちゃう」
「メイズ、あなたは本当に健気ね」
「そんなことない。少しだけ辛抱強いだけ」
メイズは、小さく舌を出して笑った。メーナは、その様子をカウンターの中から横目で見ている。来客たちが次々にドリンクを持っていく中で、メーナは絶え間なく新しいドリンクを注いだ。
すると、カフェの扉の鈴が鳴った。優しく開けられたその扉の向こうからは、背の高い、スラッとしたシルエットが見える。店内にいる者は、一斉にそちらを見た。思わず目を奪われてしまう、そんな存在だった。一同は、数秒そちらを見ると、またすぐに自分たちの会話に戻った。
「どうしても君は目立ってしまうね」
「…気のせいだ」
ダニーの励ましに、ティーリンは外套を脱いだ。
「ハイディさん!」
メーナは、どこに座ろうかときょろきょろしているティーリンたちに、手を上げて合図した。
「こちらにどうぞ!」
カウンターの前の席を指し、メーナは軽やかに笑った。
ティーリンとダニーは、言われた通りの椅子に腰を掛け、カウンターに前傾姿勢でもたれた。賑やかな声が、背後から聞こえてくる。今日の主役に挨拶をしなくては。そう思いながら、ティーリンは少しだけ店内を見回そうとした。
「ハイディさんたちも来てくれたんですね!」
メーナが、その動きを阻止した。意図したものではなかったが、メーナは、純粋にティーリンたちが来てくれたことが嬉しいようだ。
「ああ。シャノに招かれて。肝心のシャノの姿が見えないけど」
「シャノは、すぐにどこかにいなくなるから」
「そうだな」
「ハイディさんたちは、なに飲みます?」
「君のお勧めでいいよ」
「そうしたら、アップルディをどうぞ!リンゴがベースなんです」
カフェ・ジジでは、アルコールは飲めないが、カクテルのように、様々な趣向を凝らしてブレンドしたジュースが好評だった。
「ありがとう」
ティーリンは、今度こそ店内を見回した。主役のメイズは、一番大きなテーブルで、友人たちに囲まれてケーキを食べている。とても楽しそうな笑顔だった。
噂によると、メイズはエルテのことをよく気にかけているようだ。入学したころから、それは続いていて、メイズは積極的にエルテに向かっているようだが、エルテの方は決まって何の反応もなかった。こんなに良い子なのに、どうしてそんなにエルテにばかり気を揉んでいるのだろうか。ティーリンには、理解できなかった。
「ねぇハイディさん、私、この前“小さな精霊”を呼び出せたんですよ」
メーナが、仕事の手を止めることなく話しかけてきた。
「前にハイディさんとランバートさんが、高等部の統一集会で見せてくれた魔法です。私、あれにすっごく憧れて、部屋でいつも練習していたんです。…あ、もちろんこっそりと。内緒ですよ?」
寮内での不必要な魔法は、原則禁止されている。修練専用の部屋があるので、そちらで行うようにするのが本来のルールだ。しかし、生徒たちの中には、この規則を破っている者もいる。たいていは、自主練のためだったりするので、あまり騒ぎにすることもないが、それも暗黙の承知で、当然グレーだ。
「すごいじゃないか。メーナ」
「あの魔法、結構コツがいるんだよ。メーナはなかなか筋がいいな」
ティーリンに続いて、ダニーもうれしそうにそう言った。
「本当ですか?嬉しい」
メーナがはにかむと、その場が一気に和らいだ気がした。メーナは中立派の人間だが、才能としては古代魔法の方が良い素質を持っている。ティーリンは、初めてメーナを見た時からそう思っていた。しかし彼女を古代派の人間へと引っ張り出そうとはしなかった。彼女は、そこまで脆くはなかった。
ティーリンがアップルディを静かに飲み、ダニーがメーナと会話を弾ませていると、突然、グラスの割れる音と同時に、ドサッという、鈍い音が店内に響いた。
「キャー!」
女子生徒の悲鳴が聞こえ、生徒たちのざわざわという喧騒が、一層大きくなった。
「どうしたの!?」
メーナが、従業員としての使命を感じたのか、カウンターから身を乗り出して人だかりの方へと叫んだ。
「倒れた!」
メーナの友人も居合わせていたようで、何かを丸く囲っている人の輪の中から、小柄な女子生徒が顔を出した。
メーナは急いでカウンターを出ると、その輪をかき分けて前に進もうとした。
「ティーリン」
ダニーとティーリンは顔を見合わせると、立ち上がってその後を追った。
ティーリンたちが近寄ると、生徒たちはさっと道を作った。メーナも、その二人の後に続いた。中心まで来ると、一人の男子生徒が倒れている。右腕には、シルバーのブレスレットが見える。その黒髪の生徒は、白目をむいて、口を半分開けたまま倒れていた。全身が血の気のない白さで、少しだけ左腕が痙攣しているのが見える。
「何事?」
メーナは、口を抑えてその姿を見ていた。少し顔が青ざめている。
「メーナ、水を運んできてもらえるかな?」
「…あ、はい!」
ティーリンは彼女の気分が悪くなる前に、メーナに仕事を依頼した。役割がある方が、冷静でいられるだろう。
「ティーリン、これは…」
「ああ、古代魔術の…血抜きだな」
ティーリンはダニーにそう言うと、そっと倒れている生徒の傍らに寄り添った。恐らく彼は、近代派の一人だろう。腕輪に刻まれた文字が、それを示している。彼の家の名前である、“トルードーズ”は、近代科学魔法を違法に研究している罪で捕まった男の名前と同じだ。
ティーリンがトルードーズの傍らにつくと、他の生徒は少しだけ落ち着いた表情を取り戻してきた。青ざめていた生徒も、震えていた生徒も、驚いて涙が出てしまった生徒も、みなティーリンが何をするのかそっと見守っている。
「持ってきました!」
メーナが、水の入ったグラスを片手に戻ってきた。
「ありがとう」
ティーリンはそれを受け取ると、自分の杖翼を取り出した。そして何かを念じる様子を見せると、杖翼をくるくると回し、杖先で小さな円を描き始めた。すると、反対の手に持っていたグラスから、中に入っている水が、細い糸のようになって杖先に導かれるようにしてそっと出てきた。
そのまま、ティーリンはその水をトルードーズの額まで導いた。額までやってきた水の糸は、そのまま額の中に入っていくように、額に小さな泉を作り、浸透していった。
一同は、その様子を息を呑んで見守っていた。回復魔法は高度で、基本的な処置しか行えない生徒が多い。このような魔術は、この敷地の中では先生が使っているところしかお目にかかれないだろう。
グラスの水が徐々に減っていき、それに比例するように、トルードーズの肌に血色が戻ってきた。
「…よかった」
メーナの、小さな声が漏れる。グラスの水がなくなると、ティーリンは杖翼を軽く一振り下ろし、トルードーズの目を閉じさせた。
「応急処置は済んだ。誰か診療室へ」
ティーリンの言葉に、そばにいた生徒が飛び出してくる。二人の生徒に抱えられ、トルードーズはカフェを後にした。ちょうどその時、すれ違うようにしてシャノがカフェに入ってきた。
「うわぁ。なんか、ひどい顔してたけど?」
カフェを出ていくトルードーズを見送るシャノは、身震いするふりをした。
「ハイディさん。ありがとうございます」
安堵を取り戻したカフェ店内は、ティーリンの見事な処置に、感心の声を上げる。メーナは、そっとティーリンからグラスを受け取ると、柔らかい表情でそう言った。
「ティーリン、来てくれて良かった」
店内がまた平穏なざわめきを思い出したころ、シャノは外套を着て店を出ようとするティーリンに話しかけた。隣にいるダニーは、苦笑いをしている。
「今そう聞くと、なんだか違う意味みたいだな」
「何言ってるんだよ。俺がこの騒ぎを予測できたとでも?」
「ああ、言えるだろう。シャノが事前に誰かに血抜きの薬でも渡していれば、どうとでもなる」
「そんな薬つくる能力、俺にはないよ」
ティーリンの刺すような眼差しに、シャノはへらっと笑ってみせる。
「でも、あれは古代派のやつがトルードーズに仕掛けたのは間違いないだろう。この間の電光石の件、正当を重んじる古代派には面白くないだろう?今日だって、こんなに人が集まっていたら、あまり目立たないしね」
「何が言いたい?」
「何って、そのままだよ。君の復讐を、誰かが果たそうとした。まぁ相手は、ゾマーじゃなかったけど」
ティーリンは、面白い話を話すように淡々と見解を言うシャノの顔を見て、怪訝な表情をした。
「まぁ結局、君はこういう場では助けてしまうんだけどね」
シャノはそう言うと、手をひらひらと振りながら店の奥の席まで消えていった。
「相変わらずだな」
「…ああ」
ダニーの言葉に、ティーリンは口を動かさずに返事をした。
店を出る前に、一人、挨拶をしておかなければいけない相手がいる。ティーリンは、ダニーを入り口付近で待たせ、友人に囲まれているその人のもとへと向かった。
「メイズ」
ティーリンが顔を出すと、メイズは嬉しそうに笑った。
「ティーリン!さっきはありがとう!」
そして、持っていたプレゼントを椅子に置き、ティーリンの前まで出てきた。
「いや、僕は…」
「それに、来てくれてうれしい!ティーリンがこういうところに来るなんて、最近じゃあんまりなかったから」
「そんなこと…。メイズ、先ほどはすまなかった」
「どうしてティーリンが謝るの?」
メイズは、くすくすと笑った。
「メイズも分かっているよね?誰が狙われて、そして誰がそれをやったのか…」
「…うん。それはティーリンのせいじゃないと、私は思ってるから」
「……言うのが遅くなってしまったけど、メイズ、誕生日おめでとう。もう、残りも少ないけど、良い誕生日を」
ティーリンはそう言って微笑むと、ダニーの待っている入口へと向かった。メイズは、ティーリンの背中に笑顔を送ると、またすぐに友人のもとへと戻った。
店を出ると、ティーリンは黙って寮へと歩き出した。こういう時、ダニーは何も口を挟まないことにしている。ティーリンは、静かな夜を歩いた。頭の中で、メイズのことを回想した。大事な誕生日に、パーティーを台無しにされて、嫌な思いをしているはずなのに。どうしてあんな笑顔ができるのだろうか。それに、エルテに対する一途な態度。彼女は、少しばかり優しすぎるのではないだろうか。
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父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
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