君は天国を信じるか?

一崎トキ

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最終話 記憶

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夕の記憶
 
 もし、あの屋上で出会う前から優夜のことが気になっていたと言ったら、君はどう思うのだろうか。
 
 
2014/05/06
 
「ねぇ、中原さんは誰とも会話しない不良の話を聞いたことある?」
 
 松村さんはノンビリした声でそんなことを話してくる。
 入学して一ヶ月。
 私に対して、用も無く話しかけてくる生徒はもう誰も居ないのに、松村楓さんだけは私が拒絶のオーラを出しても、なぜかたま雑談を持ちかけてくる。
 理由はわからない。ただ、私はいつものように松村さんの話を流すだけだ。
 だけど、今日の話は少しだけ気になった。
 
「……初めて聞いた」
 
「そうなんだ。もう結構有名なんだけどね」
 
「まだ一ヶ月経ってないのにか?」
 
「そうみたい。生徒、先生関係無く、話しかけられても全部無視。運が良くて殺意満点の視線を向けてくる人らしくてねー」
 
「へぇ……」
 
 ……
 少しだけ。
 ほんの少しだけその不良に興味が湧いた。
 
「その不良の名前は?」
 
「……」
 
 なぜか松村さんの目が見開いている。
 
「?どうした?」
 
「……いや、中原さんから質問してくるなんて珍しいなって」
 
「……」
 
 確かに、初めてだったと思う。
 
「あ、で質問の答えだけど、件の不良は上谷って言うらしい。下の名前は知らない」
 
「へぇ……」
 
 上谷君、か。
 ……誠実な人なんだろうな。
 私は勝手にそう思った。
 
 
2014/05/09
 
 上谷君を初めて見たのは、松村さんから話を聞いた三日後のことだった。
 
「上谷っ、お前いい加減にしろ!!」
 
「……」
 
 先生はずっと上谷君に向かって叫んでいるが、上谷君は視線をときたま先生に向けるだけで、返事どころか視線を動かす以上のリアクションを一切示さない。
 それが私には不器用な生き方に見えた。
 上谷君が人の言葉を全部無視してるのは、人と関わりたくないということの意思表示だろう。
 ただ、本当に人と関わりたく無かったら、適当に受け答えして流した方が、無難なはずだ。
 私がそうしているように。
 現に、そうしてなかったから、上谷君は先生に捕まって怒鳴られている。
 上谷君は、誠実なのだろう。
 損得よりも、堂々としていることを選んでいる。
 それは自分にはできない在り方だったから、素直にすごいと思ってしまった。
 ……
 そして、少しお喋りがしてみたいと思ってしまった。
 それはあの事故から初めてのことだった。
 でも、それは叶わない。
 だって、彼は誰とも喋らないから。
 だからこそ、私は彼と喋りたいと思ったのだから。
 
 
2014/06/04
 
「……」
 
 今日、なんとか学校に来てみたものの、授業に出たいとは思えなかった。
 それでも私は立派にしなきゃいけないから午前の授業には出た。
 だけど、午後の授業が始まる今、私は教室には居ない。
 だって、今日は。
 
「……輝明」
 
 輝明の命日。
 ……
 
「輝明」
 
 適当に人が居ない場所を探していたら、屋上に辿り着いた。
 ここに入るのは確か校則違反だった気がするが、そんなこと私の知ったことじゃない。
 ここは、風が気持ちいい。
 
「輝明」
 
 私はずっと弟の名前を呟く。
 輝明。
 私の愛しい弟。
 明日から、ちゃんと頑張るから、今日だけは泣くのを許して欲しい。
 泣くのは立派とは言えないけど、誰も知らないってことは、存在しないのと同じだから。
 だから、私の涙は存在しない――
 
 ガチャ。
 
 ……え?
 今、なんか扉が開く音がしなかったか。
 私は恐る恐るかつ素早く顔を上げる。
 そこには上谷君が呆然と立っていた。
 
「は?」
 
「え?」
 
 私と上谷君は互いに素っ頓狂な声を出す。
 ……
 …………
 ………………思考が真っ白になる。
 えっと、まずは涙を拭こう。
 袖でさっと目元の涙拭く。
 というか、上谷君はなんでこんな授業中の時間に校則違反のエリアに来てるんだ。
 ダメだろう、それは。
 
「君、屋上には入ったらダメだぞ。それに今は授業中だ」
 
「お前に言われたくねぇ!」
 
 ……驚いた。
 動揺して、つい思ったことを口に出しただけだったのだが、かなり元気の良いツッコミが来た。
 上谷君は人と喋らないはずなのに。
 上谷君の方も、『つい』というヤツなのだろう。
 それがなんとも可笑しくて
 
「ふふ。それもそうだな」
 
 私は笑ってしまう。
 そして、私はそのまま上谷君を手招きする。
 もうここまで色々やらかしてしまったのだ。どうせ、これ以上は無視されるだろうが、ダメ元で誘ってみよう。
 そう思っての手招きだったが、上谷君が素直にこっちに近付いてくるものだから、再び驚く。
 私はそのまま手で床を何度かポンポン叩き、座るように勧めると上谷君は素直に座る。
 ……
 ここまでしてくれたんだから、話しかけても大丈夫かな……?
 
「君は、何しにここに来たんだ?」
 
 私は上谷君に質問する。
 実質、初めての上谷君との会話だ。(さっきのはただの事故だ)
 ……答えてくれるかどうか、少し怖い。
 
「飯を食いに来ただけ」
 
 上谷君は手に持っているビニール袋を軽く掲げる。
 ……返事がもらえて、良かった。
 
「なるほど。私は今日初めて屋上に来たが、ここは風が気持ち良い。昼ご飯の場所に選ぶのもわかる」
 
 私はウンウンと頷く。
 ……
 
「というか、君、普通に話してくれるんだな」
 
 冷静に考えると、これはかなりの驚きだ。
 あの決して誰とも喋らなかった上谷君が、普通に会話に応じているんだなんて。
 どうして、返事してくれたんだろう。
 それが気になった。
 
「は?どういうことだ?」
 
 上谷君は首を傾げる。
 
「だって、上谷君、誰とも口を利かないじゃないか」
 
「……俺、お前とは違うクラスだったよな?」
 
「そうだが、生徒にも先生にも口を開こうともしない不良というのは、この学校ではとても珍しい。有名になっても仕方ないと思うぞ?」
 
「そうかよ……」
 
「それにしても、君、クラスメイトの顔をちゃんと覚えているのか?」
 
「覚えてるわけないだろ」
 
 ……そんな気はしていたが、それだと一つ、今の会話に疑問が残る。
 それが私の顔に出ていたのだろう、
 
「なんだ、悪いかよ」
 
 上谷君は少しバツが悪そうにしている。
 
「なんで、私が君のクラスメイトではないとわかったんだ?」
 
 私は素直に聞くことにした。
 そしたら、上谷君は納得の表情を浮かべ、
 
「それは、俺もお前のことを知っていたからだよ。中原」
 
 と、答えた。
 ……びっくりした。
 こっちが上谷君のことを知っていることがあっても、その逆は無いと思っていた。
 
「お前、目立ち過ぎなんだよ。俺なんかが知っているって相当なモンだぞ」
 
「そうだったか?あんまり目立つのは好きじゃないが、せめて、悪くない方だとありがたいとこだな」
 
 というか、そんなことより
 
「話を戻して良いか?」
 
 なんで会話してくれているのか、気になる。
 
「……戻すような話なんてあったか?」
 
「あったぞ。この短時間に忘れるな」
 
 上谷君は誤魔化しているとかではなく、本気で忘れていそうだ。
 
「君、なんで返事してくれたんだ?」
 
 私は聞き直す。
 
「あ?」
 
「正直、無視されると思ってたし、こっちに来てくれるなんて、思ってもいなかった」
 
「思ってなかったのに、手招きしたのかよ」
 
「ものは試し、というヤツだ。成功してよかった」
 
 正直、嬉しかった。
 ……というか
 
「また話を逸らしたな」
 
「そういうつもりじゃねぇ……」
 
「じゃあ、もう一度聞くが、なんで返事してくれたんだ?」
 
「……」
 
 上谷君は黙る。まるで、何かを躊躇っているかのように。
 数秒経つと、意を決したかのように、上谷君は口を開いた。
 
「……お前が、泣いてるように見えたから」
 
「え?」
 
 私は本気で驚く。
 私達は今日このときまで、何も接点が無かった。
 
「……泣いてるヤツの言葉を、無視するわけにはいかないだろ」
 
 そんな見ず知らずの他人が泣いてるからってだけで、今までみたいに無視をせずに会話に応じてくれてたのか、この人は。
 でも、それを私が肯定するわけにはいかない。
 
「……私は泣いてなんかいないが、どうした?」
 
 私は泣いてはいけないのだから。
 私は全力の作り笑いを浮かべる。
 
「そうだったか。見間違えた」
 
 上谷君は特に私の言葉を否定しない。
 気を遣ってくれたのは明らかだった。
 ……
 
「なぁ、今日は暑いよな」
 
「?確かに少し暑いが、それがどうした?」
 
 いきなりの話題転換で少し驚く。
 そしたら、上谷君は袋から二本一組のアイスを取り出して、それを一本ずつに切り分け、そのうち一本を私に差し出してきた。
 
「食うか?」
 
「……」
 
 ……もしかして、この人は私を慰めようとしているのか?
 私は驚きのあまり、呆然とする。
 そうしていたら、上谷君が更に一言を追加してきた。
 
「……二本も同じの食べたら飽きるだろ。だから、もう一本は余分なんだよ」
 
 少し頬を赤らめながら。
 それを見て、私は
 
「ふふ」
 
「あ?」
 
「ははは」
 
 笑ってしまう。
 この人の不器用な優しさが、可愛くて、嬉しくて。
 
「ふはははははは!!!!」
 
 私は先程の作り笑いとは違う、本物の笑い声を三年ぶりに大きく上げる。
 
「なんだよ、もう……」
 
 私の様子を見た上谷君が拗ねた表情を浮かべながら、そっぽを向く。
 なんだ、君は私を悶え殺す気か?
 
「あはははははは!!!!」
 
「もう好きなだけ笑え……」
 
 上谷君は更に拗ねて、私は余計に笑って。
 本当に久し振りに、『楽しい』と心から感じた。
 
 
「優夜。優しい夜って書いて優夜だ」
 
 下の名前を聞くと、上谷君はそう答えた。
 優しい夜。
 不器用な優しさを持つこの人にはぴったりな、良い名前だ。
 だけど
 
「なんだかホストみたいな名前だな」
 
「うるせぇ」
 
 上谷君は嫌そうな顔をする。
 
「でも、良い名前だと思うぞ」
 
「……ホストみたいな名前なんだろ」
 
「ホストみたいな名前かつ、良い名前だ。優しい夜だなんて、ロマンチックな響きじゃないか。私は好きだぞ」
 
「そうかよ」
 
 ……上谷君は自分の名前が好きじゃないのかな。
 優夜。
 私は結構好きなんだがな……
 よし、今度から心の中では、優夜って呼ぶことにしよう。
 ……
 次があると、良いな。
 
 
2014/06/05
 
 昼休み。私は屋上へとゆっくり歩く。
 ……優夜は今日学校へ来てくれてた。
 小さくて、本人にとってはどうでもいいことだったのかもしれないけど、それでも『また、明日』という再会の約束を守ってくれた。
 そして、今日の朝も当然のように会話をしてくれた。
 それが、私には嬉しかった。
 だから、私はこの階段の先に彼がいるのかどうか、楽しみで、そして同じぐらい不安だった。
 彼はあの屋上に来てくれるだろうか。
 ……
 悩むと歩みのスピードが遅くなってしまう。
 だが、遅くなっても歩みは止めない。
 ゆえに、いつかは辿り着く。
 目の前には、屋上に続く扉。
 
「すぅー、はぁー」
 
 扉の前で深呼吸する。
 ……よし、覚悟は決めた。
 扉を開ける。
 そこには、
 
「お。上谷君もここに来てたんだな」
 
 先に来ていた、優夜が居た。
 私は何気ない調子で、優夜に声をかける。
 本当はすごく嬉しかったのに、それはおくびにも出さない。
 なんとなく、強がってみたかったのだ。
 
 
2014/10/01
 
 私は上谷優夜に恋をしている。
『どこが好き?』と聞かれたら、『全部』としか答えようがない。
 あの優しいところも、可愛いところも、カッコいいところも、嬉しいことを言ってくれるところも、全部好きだ。
 だから、
 
「はっ。あんたこの前、伊野君と楽しそうに話していたじゃない」
 
 こういう勘違いは甚だ迷惑だった。
 さっきから優夜を待たせている。早く一緒にお昼ごはんを食べたい。
 適当に会話を流す。
 
「あんたさ、男何人囲めば気が済むわけ?」
 
「なんのことだ」
 
「上谷のことだよ」
 
 そしたら、飯田さんは優夜のことにまで言及した。
 ……弱ったな。
 私は優夜に対しては、他の誰よりも気にかけている。
 彼に対してのポジティブな感情……感謝や好意などはなるべく伝えるようにしたりとか、彼に可愛いと思われたくて、デートの時に服装を長時間悩んだりとか。
 もし、男の子に自分を好きになってもらいたいと願った行動が『色目を使う』ってことならば、私は優夜には確かに色目を使っていた。
 
「あんた、上谷を懐柔させたあと、次は伊野君ってわけ?この売女」
 
 でも、この物言いにはちょっとイラッとした。
 そもそも伊野君には興味無いのに話しかけられて、少し迷惑してるぐらいなのに……
 ただ、イラッと来たのは私だけでは無かったようだ。
 視界の端には、優夜の体の端しか見えないが、それでも怒っているのが伝わってきた。
 というか、こっちに来そうだ。
 ……私のために怒ってくれるのは少し嬉しかった。
 でも
 
「なぁ、飯田さん」
 
 私は優夜の足を止めるよう、わざと大きな声を出す。
 こんなくだらないことに、優夜を関わらせたくない。
 
「さっきから、あなたは何がしたいんだ?」
 
 適当に追い払って、優夜とゆっくり昼休みを過ごそう。
 
 
「さっき話で出た伊野とやらは、どんな奴なんだ?」
 
 飯田さん達を追い払って、優夜とアイスを食べてる最中、彼はそんな事を言い出した。
 優夜はなんでそんな事を気にするのだろう。
 ……
 もしかして
 
「……気になるのか?」
 
「そりゃあ、それがさっきの面倒ごとのキッカケの奴なんだろ?気になるさ」
 
「伊野君は爽やかなスポーツマンって感じだな。実際どこかの運動部に所属していたはずだし」
 
「仲良いの?」
 
 なんで、私と仲良いかどうかを気にするのだろう。
 
「さぁ。だが、最近事あるごとに話しかけられるな」
 
 事実をそのまま言う。
 
「ふーん……」
 
 そしたら、優夜はどこかつまらなそうな顔をした。
 もしかして、優夜は嫉妬しているのか?
 私がクラスメイトの男に言い寄られたから?
 ……
 どうしよう。
 すごく嬉しい。
 私の勘違いかもしれない。
 優夜は単純に話題の伊野君が気になって、私が面白くない回答をしたから、退屈そうにしてるだけかもしれない。
 でも、それでも、私はニヤつきを抑えるのに、全力を費やさなければならなかった。
 
 
2014/10/18
 
 文化祭が終わり、私と優夜は二人で夕暮れの廊下を歩く。
 今日はとても楽しかった。
 二人で過ごせて、本当に楽しかった。
 でも、今回も私は彼を誘えなかった。
 映画に誘ったのは優夜で、今回の文化祭を誘ってくれたのも優夜だ。
 私はあの屋上で初めて会ったときから、優夜からたくさんのものを貰っている。
 それは目に見えないけど、目に見えない心に着実に溜まっていっている。
 なのに、私は彼に何も与えられていない気がする。
 私は優夜が好きだ。
 でも、優夜が私を好きになる理由は無い。
 ……
 流石に、友達としては仲良いと私は思う。
 でも、恋愛という意味で好かれてるという自信は無い。
 私は優夜に恋をしている。
 でも、その逆はない。
 だから、これは片想いだ。
 ずっと胸に秘めておく片想い。
 だから、彼に『好き』とは言えないけど、少しずつ伝えたい。
 君のおかげで、私は今笑顔なのだと。
 そうだ。これで問題ない。
 問題ないはずなのに、この事を考えると、なぜかいつも胸が締め付けられる。
 
「夕」
 
 そんな事を考えていたら、優夜に名前を呼ばれた。
 
「うん?どうした?」
 
 私は優夜の方に振り向く。
 優夜は今まで見た中で、一番真剣な表情を浮かべている。
 
「好きだ」
 
「え?」
 
 ――今、彼はなんて言った?
 いや、聞き取れた。ちゃんと聞き取れはした。
 でも、内容があまりにも、あり得なさ過ぎて、脳が受け付けない。
 
「俺は夕のことが好きだ」
 
 彼は今何を言っている?
 
「いつからかはわからない」
 
 私のことを好きと言ったのか?
 
「お前のことをずっと考えるようになった」
 
 そんなわけない。そんなの冗談でしかあり得ない。
 でも、
 
「お前のことを愛おしいと思うようになった」
 
 優夜の表情は真剣そのものだ。
 
「もう一度言うぞ」
 
 そして、優夜は
 私の大好きな人は
 
「俺は中原夕のことが好きだ」
 
 私に恋の告白をしてくれた。
 私の頭の中は真っ白になる。
 少し前まで何を考えていたのかわからなくなる。
 言葉が何も出てこない。
 でも、優夜を好きな気持ちが溢れてきて。
 優夜の言葉が嬉しくて。
 優夜のことが大好きで。
 だから、言葉は出てこなくても、好きという衝動のままの行動を取った。
 私は無言のまま、優夜の襟を掴み、そのまま自分の方に引き寄せる。
 そして
 
 私は優夜の口にキスをした。
 
 ……ああ。
 キスって、こんなにも幸せなものだったんだな。
 私の好きの感情が優夜に流れていくかのような。そして、優夜の好きという感情が私に流れ込んでくるような。
 そんな夢心地で、幸せな時間。
 ……
 ……もし、いきなりキスをして、はしたない女だと思われたらどうしよう。
 
 
2015/04/12
 
 優夜と恋人になってから色んなことを一緒に過ごした。
 一緒に料理を作ったりもしたし、ショッピングモールや遊園地など、様々な場所でデートした。
 私の家に優夜を呼んだこともあった。
 そして、私は優夜の家に何度か泊まった。
 そんな風に、私は優夜と一緒に幸せに過ごしていた。
 それで今日は、優夜と一緒に花見をしに来ている。
 
「綺麗なもんだな」
 
 優夜は顔を上に向けたまま、ボソリと呟く。
 
「うん」
 
 私も顔を上に向けながら頷く。
 
「夕、ちょっとそこで立ってみてくれ」
 
 優夜は綺麗に桜が咲いている場所を指さしながら、そんなことを言い出す。
 
「うん?わかった」
 
 私は、優夜が何をしたいのかわかっていなかったが、とりあえず言うことに従う。
 だけど、すぐに優夜が何をしたいのかわかった。
 
「優夜、写真でも撮るのか?」
 
 優夜は携帯を構えている。
 
「ああ。お前と桜を一緒に撮ったら、なんか絵になると思ってな」
 
「そうかな」
 
「実際、今絵になってるから安心しろ。写真、撮るぞ?」
 
「ああ」
 
「はい、チーズ」
 
 パシャ。
 ……
 優夜は撮れた写真を見て、満足そうに頷いている。
 その満足げな顔のまま、優夜は私にその写真を見せてくる。
 
「ほら、ちゃんと綺麗だ」
 
「……」
 
 私は優夜が撮ってくれた写真をジッと見つめる。
 そこには、照れくさそうだけど、どこか楽しそうに笑っている私が写っていた。
 ……
 私って、こんな風に楽しそうに笑うんだ。
 自分の顔を見ることなんて滅多にないが、一年前は、どんなときだろうが絶対にこんな表情をしていなかっただろう。
 いや、作り笑顔なら浮かべていた。
 だけど、この写真には、そんな偽物とは違う、本物の幸せが写り込んでいた。
 
「なんかまずかったか?」
 
 私が無言で感慨に浸ってしまうものだから、優夜に変な勘違いをさせてしまったようだ。
 
「ううん、上手く撮れてる。ありがとう」
 
 私に幸せをくれて、ありがとう。
 優夜。
 
 
2017/10/11
 
 痛い。
 今までの人生の中で一番の痛みだった。
 そして、その痛みが人生を終わらせるものだと、否応にも分からせられた。
 ……
 はぁ。
 なんだか、眠いなぁ。
 でも、寝る前に。
 優夜に会い――
 
「夕!????」
 
 男の人の叫び声が聞こえる。
 それは私が愛している男の声だった。
 ……心の声ぐらい最後まで言わせてくれ。
 私の願いを叶えるのが早過ぎるぞ、優夜。
 ……
 優夜が一緒にいてくれるから、私の心は落ち着く。
 痛みも遠のく。
 幸せな時間だ。
 いつも二人で過ごしてきた時間だ。
 でも、それももう、あと少ししか残されていない。
 そう考えると、途轍もない恐怖に襲われてしまう。
 怖い。
 泣きたくなるほど、怖くて、嫌だ。
 でも、それを優夜に見せるわけにはいかない。
 優夜はこれからも生きていくんだから。
 だから、私は願う。
 
「私の事はなるべく早く忘れて欲しい」
 
 私という悲しみを背負わないで、幸せに生きて欲しいと。
 
「……あ?何を言ってるんだ?」
 
「だから、私が死んだら他の女を作れって言っているんだ。たまにいるだろ、死んだ女を忘れられなくて、孤独死する男の人。私は優夜には幸せになって欲しいから、キチンと家庭を築いて欲しい」
 
 私は笑顔で、そう言った。
 ……
 
「……そうか。わかった」
 
 ……
 これで、良いんだ。
 
「ああ。良かった」
 
 これで良かったんだ。
 そう思おうとしているのに
 
「嘘だよ、バーカ」
 
 優夜はそれを拒否した。
 
「……え?」
 
「お前、何考えてるんだ?俺がお前のことを忘れるなんて、できるわけないだろ」
 
「だから、そうするなって私は……」
 
「それにさ」
 
 優夜は私の言葉を遮る。
 
「お前、さっきどんな表情してるか気付いてたか?」
 
「……え?笑顔だったと思うが」
 
 笑顔だった、はずだ。
 私は作り笑顔が得意だから。
 
「違うよ」
 
 でも、優夜はそれを否定した。
 
「今にも泣き出しそうな顔してたよ、お前」
 
 ……え?
 
「お前、ポーカーフェイスが上手いんだろうが。そのお前がポーカーフェイスができないくらい辛いんだったら、そんなふざけたことを言うんじゃねぇ」
 
 優夜は怒っているような、慰めるような声でそんなことを言う。
 その優夜の言葉は嬉しい。
 嬉しい。だけど
 
「でも、そうしないと優夜が幸せになれない」
 
 君には、泣かないで欲しいから。
 ……
 
「夕、お前は激しい勘違いしている」
 
 優夜は私の目をジッと見つめながらそう言う。
 
「勘違い……?」
 
「ああ」
 
 優夜は強く頷く。
 
「俺はお前と一緒だから幸せなんだ。それは他のもので代替できない、たった一つの大切なものだ」
 
「だから、それでも……」
 
「無理だよ。絶対無理だ。お前より好きな奴なんて、いや、お前以外に好きな奴なんて、どこにだって居やしない。俺はお前だけのものだ。俺はお前の虜になっちまったんだ。お前のせいだ。だから、他の女のものになれなんて無責任なことを言うな」
 
「……無責任なんて言うな」
 
「あ?」
 
「私だって、優夜とずっと一緒にいたい!優夜にずっと好きでいてもらいたい!でも、それは優夜が辛いだけだろう!」
 
 いやだ。
 優夜は私のだ。
 他の誰にも渡したくない。
 私は優夜のことを、他の誰よりも愛している。
 だけど
 
「私は優夜が好きだ。私は君を、愛している。……だけど、君もそれだと……」
 
 君が辛くなるだけだろう……
 
「だから、それが勘違いだってんだ」
 
「え……?」
 
「俺がお前を好きでいるのが辛いってこと」
 
 優夜は私に優しく笑いかける。
 笑いかけてくれる。
 
「お前が死んだら悲しい。大声で泣くだろうな。心もぶっ壊れちまうだろう。でもさ、お前を好きな気持ちだけは、俺の中で絶対大切で、決して失いたくなくて、一番幸せな感情なんだよ」
 
 その笑顔がものすごく眩しくて。
 幸せそうで。
 私は黙って、優夜の言葉を聞く。
 愛してる人の言葉を聞く。
 
「俺は夕が好きだ。俺は夕を愛している」
 
 優夜は片手をポケットに突っ込み、ある箱を取り出す。
 その箱は
 
「俺は夕を永遠に愛する」
 
 優夜は片手で箱を開ける。
 
「だから、夕さん」
 
 そこには
 
 
「僕と結婚してくれませんか?」
 
 
 小さい宝石が付いてる指輪があった。
 ……
 …………
 私の頭の中が真っ白になる。
 少し前まで何を考えていたのかわからなくなる。
 なんでだろう。
 どうして優夜の言葉は、いつも私を満たしてしまうのだろう。
 あの、屋上でも。
 あの、夕暮れの廊下でも。
 彼の言葉いつも私を幸せで満たし、それ以外何にも考えられなくなる。
 優夜は私を永遠に愛してくれる。
 そして、私も永遠に優夜を愛してる。
 だから、私の答えはもう決まっていた。
 
 
「はい」
 
 
 私は笑みを浮かべながら頷いた。
 涙を流しながら。
 このとき私は初めて、嬉しさで流す涙があるのを知った。
 優夜。
 ありがとう。
 君のおかげで、私は誰よりも幸せだ。
 
 
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