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日常編

5話 ミノタウロスの赤ワイン煮

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「この研究資料はこちらに!あと、手の空いている者はこの作業を手伝ってくれ!」
 メガネをくいと上げ、1人の女性が席を立った。ここは城の広い研究室の中。王の命令で研究を続けている。この女性は研究者の中でもリーダーのような立場だった。
「実験結果はどうだった?」
「やや成功といったところでしょうか。存在については確証を持てるのですが、まだ、そこへ行くことは……」
 彼らが研究しているのは、もう1つの世界について。彼らの住んでいる世界以外にもパラレルワールド――平行世界があるという神話があった。信仰心の強い王はこれを信じ、研究者たちに研究の命令を出したのだ。
 そしてこの女性こそが、異世界の存在を発見した人物である。
 女性は日々研究で忙しかった。
「そろそろ日も暮れるか……。今日は終わりにしよう!」
 女性は作業を切り上げて、今日は帰ることにした。
 薄暗い帰り道、女性は肩をゴキゴキと鳴らしながら歩いていた。疲れた。今日くらいは酒を飲みたい。
「あれ、ここは……」
 いつの間にか街を外れて、森の入り口へと差し掛かっていた。危険だし、戻ろうかと思ったとき。ぼうっと明かりが見えたのだ。
 こんなところに民家?魔物もいるし危険なのでは……。正義感に任せてズカズカと進んでいった。たどり着いたのは、1軒のレストラン。明かりもついているし、人がいるようだ。すると。
 大きな頭に翼。鋭い爪。暗がりでよく見えないが、もしかして、これは……。
「きゃぁぁっ!!!ど、ドラゴン?!?!」
「どうしました?!」
 と、そこで女性のもとへ飛び出してきたのがアリア。女性は、アリアに見覚えがあるようだった。
「ひ、ひゃぁっ!!誰っ、て、アリア?!」
 女性は混乱していた。尻もちをついた女性を起こし、アリアは優しく説明する。
「大丈夫ですか、先輩?安心してください、このドラゴンは人を襲いませんから。ここは私のお店です。」
「え、え?アリアのお店……?」
 混乱した女性を優しく、アリアは店の中へと連れて行った。
 店の中は明るく、温かい。そしていい匂いが漂っている。アリアは女性を席につかせた。
「あの、先輩。お久しぶりです。その……すみません」
「いや、アリアが元気でよかったよ。私もパニックになってしまってすまない」
 メロが窓から2人を覗き込む。
「ねえ、アリア。この女は誰なの?」
「あぁこの人は私の先輩。前の職場の先輩だよ。」
「前の職場……っていうと、城の研究室だったかしら?」
「そうそう!」
 それは5年ほど前。毎日の研究に嫌気がさしたアリアはもっと自分にはできることがあるはずだと思い、置き手紙を残し研究室を飛び出した。両親にはこっぴどく叱られたが、後悔はしていない。
「もう……突然いなくなるから心配してたんだぞ。」
「すみません。王様と大臣には仕事を辞める報告はしてたんですが……」
「それで、今は何をしてるんだ?」
「今はここでレストランをしています!」
「じゃあ、腹減ってるし、何か貰おうかな。あと、今日は酒も飲みたい気分だし」
「はい!わかりました。今持ってきますね」
 女性は椅子の背もたれに寄りかかりながら、いい匂いに心を躍らせていた。アリアは厨房で、鍋で肉を煮込んでいた。
「なぁ、アリア。この香りはなんだ?とてもいい匂いだ」
「ふふ、ヒントは魔物の肉ですよ」
「え?」
 アリアは地下室から赤ワインを持ってきた。
「まぁまぁ。今はワインとおつまみ食べてゆっくり待っててください」
「あぁ。」
 アリアが出したのは、生ハムとチーズ。ピンクが鮮やかな生ハムと、黄色いチーズ。ワインをグラスに注ぐと、ぶどうの華やかな香りがふわっと広がった。
「そのワイン、どうですか?最近人から貰った品なんですけど、なかなか良いワインらしいんです」
「そうだな。香りも良いし、なかなか美味い。どんなツテがあってこんな良いものを貰ったんだ?」
「えへへ……ちょっと知り合いから、ですね」
 女性は笑った。
「守秘義務ってやつか」
 そう言うと、口に生ハムを放り込んだ。生ハムは嫌な匂いもなく、とろけるような食感がとても良かった。女性はチーズをつまみながら、アリアに話しかける。
「なぁ、アリア。戻ってくる気はないか?」
「ごめんなさい。戻る気はないんです」
 女性は手を止める。
「どうして?」
「私はこの店こそが自分のやりたいことだって気づいたんです。料理人としてはまだまだですけど……。色々なお客さんに料理を出して喜んでもらうことが楽しいんです。私はここにいたいんです」
「そうか……」
 女性は少し寂しそうな目をしていたが、アリアにバレないようにぐっとワインを飲み干した。グラスに残っていたワインを飲み干したせいか、少し顔が火照ってきた。
「そろそろメインを頼む」
「あっ、そうですね」
 鍋から皿へと煮込んだ肉を盛り付ける。最後に香草を乗せて、完成。
「はい、ミノタウロスの赤ワイン煮です」
「み、ミノタウロス?高級品じゃないか!」
 ミノタウロスは古来から迷宮に住み着く魔物でとてつもなく強い。英雄にしか倒せないと言われている。そんな魔物の肉はとても貴重で、倒してきたという証拠や王様への献上品として扱われている。
「ええ、庶民の口には普通入らないような高級品です。冒険者の方にお願いして、協力する代わりにお肉を少し譲ってもらいました。」
「戦ったってことか?!」
「まぁ……はい。魔法は得意なので。でも怖かったですね、えへへ」
「アリアはすごいな。いただくよ」
 噂では固いと聞いていたミノタウロスの肉はとろとろで柔らかく、獣や魔物の匂いもなかった。
「長時間煮込むのは大変でしたけど、そのおかげで良いものができました」
「あぁ、美味いよ!ワインにもよく合うしな!」
「よかった……」
 女性はミノタウロスの肉をゆっくり味わって食べていた。見ているアリアもお腹が減ってくるほど、美味そうな食べっぷりだった。
「そうだ!アリア。私達の研究が成功した暁には、一緒に異世界へ来てくれないか?」
「え、えぇ?!異世界の研究まだやってるんですか?王様も諦めが悪いですね……」
「頼む!きっと異世界との交流は貴重な機会だし、きっとこの店のためにもなる!もちろん、報酬金は払うしな」
「うーん……まぁ、考えさせてください。先輩にはお世話になりましたし……」
「そうか!頼んだぞ」
 スプーンで残りの肉を掬って頬張る。柔らかい肉の食感はとても良く、いくらでも食べられそうだと女性は思った。最後の一口のワインを飲み干した。
「美味かった。ありがとう、アリア」
「いえいえ、喜んでもらえて私も嬉しいです」
 女性は財布から、代金と光るペンダントを取り出した。
「これをアリアに。これは神話に伝わる石がはめ込まれていて、お守りになるらしい。これを持っておくといい」
「あ……はい。ありがとうございます」
 女性は扉を開けて振り返る。
「じゃあまたな。アリア」
「ええ、また!」
 アリアも大きく手を振った。
 女性は外にいるドラゴン、メロに声をかけた。
「すまないな、驚いてしまって。ドラゴンをこの目で見るのは初めてだったんだ」
「そう。って何するのよ!」
 女性はメロの顔をすりすりと撫でていた。メロは顔をぶんぶんと横に振って、女性の手を振り払った。
「冷たいんだな」
「違うわ!人間に触られ慣れてないだけよ!これ以上やると丸焦げにするわよ!」
「おー、こわいこわい。じゃあ私はもう帰るから」
 女性は口元についていたソースをぺろりと舐めた。美味かったあの味が少しだけ口の中に戻る。
「明日も研究、頑張らないとなぁ」
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