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おまじないは解けても、彼の愛は止まらない【終】

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 ──パタン。
 不意にすぐ近くでドアが開くような音がした。
 シュティルの真後ろの見えない壁に貼り付いていたおまじないの羊皮紙が、ちりっと焼ける音を立てながら灰になる。
 すると、身体の両脇に感じていた壁の存在が空気に溶け込むかのようにすっと喪失した。
 解除条件を達したことで、おまじないが解けたのだ。

「はぁ……イヴ……」

 シュティルが熱く私を見つめてくる。
 その情熱に感化されて、私も同じくらい熱くシュティルを見返した。
 もう何の隔たりもないというのなら、我慢することはない。

「一ヶ月も、イヴに会えなくてしんどかった……」
「……私も、寂しかった」

 素直になって呟くと、アメジストの瞳に情熱を込めたままシュティルの顔が近づいてきた。
 迫るキスの予感に私はそっと目を閉じる。
 そして──

「あ~、マスターだぁ~。シュティルもいる~」

 おまじないが解けたことで私たちの気配を察知できるようになったのだろう。
 のんびりとした声が落ちてきて、私は大慌てでシュティルを押し退けた。

「一体どこに行ってたの~? 急に消えて、びっくりしたよ~」
「あ、あぁ、うん。ごめんねベオ。ちょ、ちょっとね……」

 昼寝から目覚めたベーリー・オルクスがカウンターの上から顔を覗かせていたので、私はすっかり乱れた姿を見られないようにさりげなく背を向けた。
 その隙にいそいそと下着を穿いて、ワンピースの乱れを直す。

「シュティル~」
「なに、ベーリー・オルクス」

 カウンターの上からしゅたっと飛び降りたベオがとたとたとシュティルのもとへと歩いていく。
 そういえば、咄嗟のこととはいえさっきはシュティルを押し退けてしまった。
 良いところだったので不機嫌になってやいないかと気になってシュティルのほうに目を向ける。
 露わになっていた素顔はふたたび前髪に隠され、乱れていた制服もちゃんと整えられていた。良かった、まるだしではなくて。
 あと、たぶん不機嫌ではなさそうだ。口元しか見えないので、ただの予想だけど。

「綺麗な首輪~、ありがとうね~」
「ああ、気に入ったんだ。ウィヒ……俺のほうこそ、ありがとう」

 ベオはただ贈られた首輪のお礼を告げにいったみたいだ。
 貰ったのは一ヶ月前のはずなのに、本当にマイペースな黒猫である。
 着けている首輪が見えやすいようにか、ベオは首を伸ばしてシュティルのほうへと顎を向けた。
 顎を向けられたシュティルは、いつもの変な笑いを浮かべながらベオの顎の下を撫で始める。首輪を見せるというより撫でられたかったのかもしれない。ベオは気持ちよさそうに目を細めてシュティルの手を受け入れていた。

「……なんであんたがお礼を言ってるのよ」
「だって、ベーリー・オルクスのおかげで離れている間もイヴのことを見る・・ことができたから」
「は? 見る?」

 シュティルの言ったことが理解できなくて、私は首を傾げた。

「イヴ……可愛かったなぁ……俺が来ると思ってついライムミントソーダを作ってみたり」
「え」
「ちらちらと窓の外を覗いたり、頻繁に庭に出たりして」
「え、え?」
「何度もライム、だめにしちゃってごめん。あとでお金あげる……」
「え、ねぇ待って」
「昨日、マフィン作ってるとき、鼻歌うたってたね。すっごく可愛かった……ウィヒッ」
「ねぇ!? なんで知ってるの!?」

 するとシュティルはベオを撫でていないほうの手で制服の上着のポケットをごそごそと探り始める。
 数秒後、取り出されたのは見たことのある小瓶。

「あ、違うこっちじゃない」
「あんた、それまだ持ってたの……」
「イヴに貰ったものだから一生の宝物にする。……これ」

 私に見せようとしたものを間違えたらしい。
 小瓶をポケットに戻して、入れ替わりに取り出されたものは、ベオが着けている首輪に飾られているものとそっくりな石だった。
 ただ、持ち運びしやすいようにするためか紐が通されている。ポケットにしまっているなら紐は要らないような気がするけど。
 綺麗な紫色が妖しく輝く。──なんか嫌な予感がする。

「……なにこれ」

 シュティルの手のひらの上にあるその石を覗き込むと、石にはシュティルの姿が映っていた。
 しかも、下のほうから見上げているかのようなアングルで。
 その姿は写し絵なんかではない。現在進行形のシュティルの姿のように見えた。

「ベオ、ちょっとこっち向きなさい」
「ん~? なんで~?」
「いいから!」

 相変わらずシュティルに撫でられたままのベオに強く言うと、残念そうにしながらベオがこちらを振り向く。
 振り向いたベオと、シュティルの手のひらにある石を交互に見比べる。
 シュティルの手の中にある石は、さっきまで彼の姿だったのに今は私の姿を映している。

 ──完全に理解した。

「これ、キャメラ石ね!?」
「うん、そう。頻繁に稽古を抜け出せないから、いつでもイヴに会える方法を探して手に入れたんだ」

 しれっとシュティルは言い放った。なんでもないことのように。
 キャメラ石とは二つでひとつのものだ。片方で映像を取り込み、もう片方で取り込んでいる映像を見ることができる代物なんだけど、家庭では自身の留守中のペットの様子を見るために使われていると聞いたことがある。

「これがあるからこの一ヶ月はイヴに会えなくても耐えられた……日頃のイヴを見てたら、イヴも俺のことが大好きなんだって実感してと力が沸いた」

 返す言葉が見つからず、私はかたまっていた。
 シュティルはキャメラ石をポケットへと戻した。それから私の手を取る。

「ねぇイヴ……イヴには俺がいないとダメで、俺にはイヴがいないとダメなんだ。イヴを一生離さないし、イヴから一生離れない」

 長い前髪の向こうから熱い視線を感じる。

「例えイヴが俺の前から去っても、俺は必ずイヴを見つけ出してみせるから。だから、イヴ……俺と一緒にいてくれるよね?」

 シュティルは私の秘密を「そんなこと」と軽く言ってくれたが、実際、後々に問題になるだろう。
 そうなったときはもちろん一緒に解決できるように努力をするつもりでいたけれど、未来のことはまだ分からない。
 ひとりぼっちだった私の日々が、シュティルが加わったことでどんな風に変わるかもまだ想像できない。

 ただひとつ分かっているのは、シュティルの愛からは逃げられそうにないということだけ。
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