ままならぬ太陽に月はじれったい ―冷徹眼鏡公爵とツンデレ伯爵令嬢の不器用な結婚―

蒼凪美郷

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5.思うようにいかない

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 滞りなく、式は終わった。

 参列者たちから祝福のフラワーシャワーを受けながら乗り込んだ馬車の中。
 真上から少し降りた位置にある太陽の光が小窓から差し込み、ぽかぽかと温かく馬車を照らしている。
 陽のあたる場所は温かいが、新たに夫婦となった二人の間はそうでもなく……

「…………」
「…………」

 ソルフィオーラはブルームと向かい合わせに座り、身を硬くして縮こまっていた。
 やっと二人きりになれた喜ばしい時間の筈なのに、馬車内を支配しているのは沈黙である。
 カタカタと舗道を進む馬の蹄の音だけが響き、とても気まずい空気が流れていた。
 そんな空気に耐え切れずソルフィオーラは嘆く。

(ああっもうっ! わたくしってば一体どうしたっていうの……!)

 口には出さず心の中で、だが。
 全てが想像通りにいかない。
 この日再会したらこうしようと考えていた事が何一つ出来ていないのだ。

 会えたら色んな事を聞いたり話したりして、にこやかな雰囲気の中で互いの事を知り合えたらと考えていた。
 しかし話そうと思っていた言葉は全てどこかへ消え、しかもブルームの顔を見ると胸のドキドキが最高潮に達し緊張して何も言えなくなってしまうのだ。
 これにはどうしたものかと、何度か彼の顔を見ようと目を向けたが直視できず、すぐに逸らしてしまうこと数回。

(ベールを上げられる前までは平気でしたのに……)

 教会に到着し馬車を下りて遠目にブルームを確認した時、バージンロードを歩くブルームの姿を目にした時、父から離れてブルームの腕を取った時、式の最中ちらちらと彼の顔を伺い見ても、嬉しさばかりが込み上げてくるだけだった。誓いの言葉の時や指輪交換の時は流石に緊張したが。
 ソルフィオーラとしては、薄布越しに対面するのではなく、早く覆いも全て取り払いずっと想い続けていた相手の顔をはっきりと目に映したいと思っていた。

 ベールが上げられ目を開けた瞬間飛び込んできた彼の顔は、あの夜のままだった。
 美しい蒼銀の髪に双眸、端麗な顔立ち。不機嫌だと言われている彼の表情にそんなものは見られず、熱の籠った眼差しで自分を見つめている。

 自分を欲しいと言ってくれた、想い人。
 二年ぶりに対面を果たしたその人へ、ずっと夢に見ていた初めてを捧ぐその瞬間とき────鳴りを潜めていた緊張の波がぶわりと押し寄せたのだ。
 ぼっと火が噴き出したかのように顔が熱くなって、身体が凍りついたようにかちこちに硬くなった。すると、平常を保っていた表情がみるみるうちに強張っていくのが自分でも分かった。

 きっと、見るに耐えられないものになってしまったのだろう。
 ブルームが不機嫌そうに眉根を寄せたのに気付き、近づいた彼の唇が触れたのはソルフィオーラの唇──ではなく、鼻頭だった。
 口づけはブルームの大きな手に隠されていたので、そうとは知らない参列者達の大きな拍手に包まれソルフィオーラの胸はずきりと痛んだ。

 想いを寄せあった二人だからできる特別な行為、それがキスだ。
 読書が好きなソルフィオーラは物語の中でたくさんの恋人たちが口づけるところを目にし、そして見る度にいつか来る時を夢に見た。
 それが一世一代の大イベントの中で叶えられそうだったのに、好きな人から口づけを避けられてしまうという最悪な展開となってしまった。

(さぞ……がっかりされたでしょう、ね……)

 今日の為に誂えた純白のドレスも、涙で滲んで濁って見える。
 ブルームががっかりした理由、ソルフィオーラは別の所にも原因があると考えていた。
 俯き、見下ろした胸元。慎ましい胸を少しでも良く見せようと考え、大きな花のモチーフが飾られた場所。

 ────そう、胸の事だ。

 正面から見ればボリュームがあるように見えても、上から見られればすぐに分かる。
 どんなに誤魔化そうと、誤魔化し切れない平坦な胸。ブルームはソルフィオーラよりも頭一つ分背が高い。
 誓いのキスをしようと屈んだときに嫌でも見えたことだろう。

 ブルームとソルフィオーラはあの舞踏会の夜以来、今日まで一度も会っていない。
 恐らくブルームにはあの時の自分が普段よりも数倍良く見えていたのだ。でなければ自分を嫁になどと言う筈がない。
 そしていざ久しぶりに対面してみたらこんなものだったかと落胆してしまったのだ。

(……何かお話した方がいいわよね……?)

 目の前に座るブルームの眉間に刻まれた二本の皺。
 静かに目を伏せ腕を組んで座る彼の姿は不機嫌そうな印象が醸されている。とても話しかけられそうな雰囲気ではない。

(……一体どうしたら、いいの……エル……)

 ソルフィオーラは途方に暮れた。
 唯一相談できる相手エルは馬車の警護についているし、まずこの馬車は二人の為の物なのでソルフィオーラ達以外が相乗りできる筈もなかった。
 ソルフィオーラは零れそうな涙を必死に堪え、俯きドレスを強く握りしめた。

「…………旅の」
「……え?」

 不意に漏らされた低い声音にソルフィオーラは急ぎ目尻に溜まった涙粒を拭う。
 顔を上げ正面を見れば、閉じられていた瞼が持ち上がり綺麗な蒼銀の瞳が現れた所だった。その瞳はちらりと一瞬だけソルフィオーラを映し、気まずげに彼女から視線を外す。
 ソルフィオーラもブルームを真っ直ぐに見ることが出来なかったので視線がかち合うことは無かった。

「旅の間……我が騎士たちが失礼をしなかったか」

 ソルフィオーラから目を逸らしたまま、ブルームが続きの言葉を紡ぐ。

「い、いえ……特には……」
「……そうか」

 ブルームと同じように顔を見ないまま答えた。
 そして答えた後で、酷く後悔した。

(特には……! 特にはって……! わたくしは何を言っているの、ここは素直にお礼を申し上げるところでしょうに!)

 気の利いた言葉の一つも言えない自分を心の中のソルフィオーラが激しく叱咤してくる。この馬鹿、と。
 沈黙が破られたのはほんの一瞬だった。おかげで今またこの場を静寂が支配し始めている。

 この雰囲気がとても重苦しい。カタカタと聞こえる蹄の音の軽快さが憎い。

 ブルームがせっかく声を掛けてくれたというのに台無しにしてしまった。
 何とか場の空気を変えようとソルフィオーラは話題を考えるが、何も浮かばない。魚のように口をぱくぱくとしただけで言葉一つ漏れ出なかった。

(……どうして、こうなってしまうの?)

 あんなに待ち望んていた特別な日だというのに。
 毎日毎日、早く一日が過ぎていかないかとブルームと過ごせる日々に思いを馳せ溜め息ばかりついていた。
 だが今は一刻でも早くこの苦しい時間が過ぎていかないかという嘆きしかない。

 そして今の自分がどんな風に見えるかをソルフィオーラには考えられなかった。
 俯いては溜め息を吐く花嫁など、どう見ても幸福な結婚式を終えたばかりには見えない。そしてそんな花嫁を見ては小さく吐息する花婿に、俯いているソルフィオーラが気づけるはずもないのだった。



 領主夫妻の結婚祝いは、グレンツェン一のレストランを貸し切ってでの宴となった。
 式とは違いセレネイド・フランベルグの両家から招待を受けた客だけで開かれたパーティーである。

 ソルフィオーラは花嫁衣裳から金色の髪が映える鮮やかなブルーのドレスに着替えた。その姿を披露した時、まるで青空に浮かぶ太陽のようだと招待客からは大絶賛の嵐だったのだが、肝心のブルームから花嫁を褒める言葉が出てくることはなかった。

 そしてそのブルームはというと、光沢のある黒地で作られたタキシードを着ている。ソルフィオーラが昼中の青空なら、ブルームは深夜の闇空。対照的な二人である。

 だがとても似合う。
 ソルフィオーラはブルームの端麗な姿に惚れ惚れしていた。

 だが、ふとした拍子に目が合うと急に恥ずかしくなって顔を背けてしまっていた為にソルフィオーラもまた彼に褒め言葉を伝えられずにいた。

 やはり、ブルームと顔を合わせてしまうと駄目なようだ。
 目が合った瞬間、二年間積み上げた想いと会えた嬉しさより照れ臭さや恥ずかしさが勝ってまともに見ることが出来なくなる。
 自分らしさというものがポーンとどこかへ行ってしまうのだ。

 パーティーにはブルームの騎士学校時代の友人たちも来ていた。
 ブルームから紹介されソルフィオーラはにこやかに対応したのだが、彼は何故か急に不機嫌さを露わにし話を早々に切り上げてしまう。
 何か彼らに失礼なことをしてしまったかと夫の顔を窺い見ていれば不意に目が合ってしまい……顔を逸らす妻を見てはブルームの眉間に皺が二本刻まれる。ソルフィオーラは泣きそうだった。

 ────さて、晴れて夫婦となった二人にはその夜大事な時間が待っている。

 その事をソルフィオーラは思うようにいかない自分に嘆くばかりですっかり忘れていた。
 思い出したのは、セレネイド家に到着しソルフィオーラの為に用意された一室でのこと。

「さて、お嬢……いえ、もう奥様ですね。夜着を新たにいくつかご用意致しましたが、どちらになさいますか?」

 入浴を終え頭にタオルを巻きバスローブ姿で出てきたところへ、ソルフィオーラは目の前に広げられた物たちを見て固まった。

 それらは夜着というにはとても────とても、布地が薄く。
 夜着というより下着と言った方がいいのではないかと思える代物であった。数枚ある内の一枚なんかは、透け透けである。

「これを……わたくしが着るの……?」
「……奥様、もしかしてお忘れですか?」
「何をですの?」
「あの……これから奥様は所謂……旦那様との初夜を過ごすのですよ……?」

 本当に忘れている様子を見せるソルフィオーラに、エルは戸惑いつつ恐る恐る告げた。
 果たして初夜とは何だったか考えること数秒。

「わ、わ、わたくし! そんな! どうしましょう……っ!」
「そ、ソルフィオーラ様!?」

 ソルフィオーラは真っ赤になった顔を手で覆い、その場に蹲った。
 いつも落ち着いているエルが珍しく急な主の変化に慌てる様子を見せた。

「大丈夫ですよ、ソルフィオーラ奥様。今夜は旦那様に身を任せれば良いのです、きっと旦那様が優しく導いて下さりますから」

 すぐに落ち着きを取り戻したエルが動揺しているソルフィオーラの背中を撫でながら言う。
 おそらくエルは緊張のあまり取り乱してしまったのだと思っているだろう。
 だが、そうじゃない。
 ソルフィオーラはぶんぶんと首を振った。

「ち、違うの……違うの……! わ、わたくし、ブルーム様の前では、おかしくなってしまうのです……!」
「……おかしくなる?」

 ベールアップの時、目が合った瞬間それまで緊張していなかったのに急にそれが押し寄せてきたかのように身を硬くしてしまった事。
 恐らくその時変な表情になってしまい、怪訝に思ったブルームがキスを唇にしてくれなかった事。
 ソルフィオーラはそれらをたどたどしく話始めた。

 何度目を合わせても彼の顔が直視出来ず、どうしても顔を背けてしまう。他の人には普通に接することが出来るのに。
 間違いなくブルームを不快な気持ちにさてしまっただろう。
 彼はずっと眉間に皺を寄せ不機嫌そうだった────

「それは……奥様、さぞ不安だったでしょう。お気づきになれず申し訳ございませんでした」

 拙い話が終わると、エルはそう言って申し訳なさそうな表情をする。背中を撫でるエルの手から、彼女の気遣いが伝わってくる。
 今日、エルはずっと警護に回っていたのでソルフィオーラの傍にはいなかった。
 彼女は自分の世話役でもあるが、護衛でもある。主の大事な祝いの場を壊されぬよう守りに努めるのは当然の事とソルフィオーラも分かっていた。
 それでもエルはソルフィオーラの不安を汲み取り気遣ってくれた。その優しさが嬉しく、ソルフィオーラの目にじわりと涙が滲んだ。

「そのせいで旦那様に嫌われたかもしれないとお思いなのですね?」
「……ええ、だって……わたくし、まともにお顔も見れませんでしたもの……」
「大丈夫ですよ、奥様。ソルフィオーラ様はただ、ひどく緊張されているだけです」

 言いながらエルは手を差し出しソルフィオーラを立たせ、鏡台の前に座らせた。
 頭に巻かれたタオルをはらりと取り去り、水分を含んでいるソルフィオーラの髪をやわやわと拭き取られる。
 タオルに覆い隠された視界の中、頼りになる優しい声音が降ってきた。

「二年ぶりにお会いになられたでしょう? つまり、恋心を自覚してから初めて会うのです、緊張しないわけがありません。想い人を前にして自分らしく振る舞えない事もあります」
「……恋とはそういうもの、なのかしら……」
「ええ、恋とはそういうものです」

 エルの言葉にぽつりと漏らすように呟けば、さらりと言い切られた。
 鏡越しにエルの表情を窺い見ると、中性的な顔が何かを思い出すように目を細めていた。
 エルとは四六時中一緒という訳ではないのだが、毎日のように顔を合わせるし、離れるのはエルが鍛錬のため出かける時くらいである。
 社会で言う婚期を過ぎ女盛りの頃を自分に仕えるために捧げてくれたエル。きっと自分の知らないところで人生経験を積んでいるだろう。自分が結婚した今、彼女にも是非幸せになってもらいたいとソルフィオーラは思った。

「二人きりで一度ゆっくりお話してみれば、きっとブルーム様もソルフィオーラ様の思いを分かってくださいます。だから、そんなに不安に思う事ありませんよ」

 エルは洗面台に置かれた琥珀色のボトルを手に取ると、中身を手のひらへと出す。
 すると、一拍おいてエルの手元からハチミツ林檎の匂いが香り立った。
 エルが両手のひらをすり合わせると、ふわりと香りが広がっていく。
 お気に入りの匂いに包まれ、ソルフィオーラは身体にそれを塗り込む丁寧な手に身を任せた。

 保湿液が肌に浸透するように、エルの言葉もすっと心に染み込んだ。彼女が言うからそうなんだろう。

 今日一日を思い返しても、会話らしい会話なんて一切できなかった。二人が主役の一日だったので二人きりになれたのは行き帰りの馬車の中だけ。それでも話なんてできなかったが(主に自分のせいで)。
 この後は正真正銘二人だけの時間だ。きっとまた緊張してしまうだろうが、しっかりと自分の想いを伝えてブルームと幸せになりたい。

 ソルフィオーラは夜着に青色を選んだ。

 さらさらと光沢のある生地で作られた青のネグリジェに、胸下辺りから水色のレースでひらひらと下半分を覆っている。少し丈は短いが、シンプルであまり大胆ないやらしさがないデザインだ。

 青はブルームを象徴する色。
 仕上げに挙式のときにもつけていた青バラの髪飾りをまとめ上げた所に添えてもらい、ソルフィオーラは静かに彼を待つ。だが、心臓だけはやけにうるさく────

 コンコンと控えめなノックの音が響いたのはそれから数分後の事だった。
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