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19.月の機嫌 ①
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グレンツェン領から北へまっすぐに。
ひと山越えて王都に続くロゼ街道。
ブロッサムの木が立ち並び、春になると桃色の花びらで可愛らしい絨毯を敷いてくれる。
しかし今は満開のピークを過ぎ、ブロッサムの花びらはほとんど散ってしまっていた。
敷き詰められていたはずの桃色は、風に吹かれ今頃遠い地へと運ばれていることだろう。
もしくは、無残にも土砂に押しつぶされているかもしれない。
(……ソフィー……)
妻の愛称を心の中で呟く。
この道は先日、愛しき新妻ソルフィオーラが通った道である。
もしも大雨とココを彼女が通るタイミングが被っていたらと思うとゾッとする。
────そうなっていたら、彼女との再会は叶わず、結ばれることもなかっただろう。
そうならなくて本当に良かった。
本当に本当に良かった。
本当に本当に本当に良かったと、心から思っている。
しかしそんな思いとは裏腹に、事あるごとに我が家のある方向に視線を向けては息を吐いては眉間に二本の皺を刻み……ブルームは不機嫌な公爵モードとなっていた。
(ソフィーの顔が見たい。ソフィーの声が聞きたい……!)
復興作業は順調に進んでいる。
だがしかし、三日も愛しい妻と離れ離れになるのは少々(かなり)辛過ぎた。
(ああ、ソフィー……)
ソルフィオーラに恋をしたあの日からの二年間に戻ってしまったかのような気分だ。
身体はちゃんと仕事をしているが、頭の中はソルフィオーラのことばかり。
大きなミスを一つもしていないのがおかしいくらいだ。
「この調子だと、あと数日ほどで復興できそうですね」
共に復興作業にあたっていた部下が話しかけてくる。
私設騎士団であるサファイアの月に所属する若い青年だ。
振り向かなくても声だけ聞けばちゃんと誰であるか把握できる。
部下の青年は、普段であれば騎士団のテーマカラーである蒼銀の甲冑に身を包みグレンツェンの平和を護っているのだが、甲冑姿は復興作業に不向きであるため今は身軽な服装をしていた。
「……ああ、そうだな」
「厄介な大岩が転がっていないのが幸いでしたね!」
「……ああ、そうだな」
「これが地すべりによる災害だったらもっと掛かってましたね」
「……ああ、そうだな」
しっかり返事はしていても、ちゃんと話を聞けているかどうかは別である。
同じ返答ばかり繰り返せばさすがに部下の青年も上司の状態が悪いことを察するだろう。
しかし青年は敢えて話しかけるという選択をしたようだ。
「────奥様、とてもお可愛らしい方ですよね」
「ああ、そうだろう。ソフィーの愛らしさは本当に太陽のようだ……あの顔を見ているだけで心が晴れやかになるような気がするのだ」
「ハハハッ。領主様は奥様を愛称で呼んでいらっしゃるのですね」
「────ハッ!?」
ブルームは我に返った。
青年の口から出た単語に反応したことで、ブルームの頭の中は新妻ソルフィオーラでいっぱいだというのがバレてしまった。
────体面上は普通を保っていたのに。
しかしそう思っているのは本人だけ……というのは、割とよくある事。
更に深く眉間に皺を寄せて青年を見ると、彼はクスクス笑っていた。
ブルームは静かに息を吐く。ちょっとうっかりしていたと。
ソルフィオーラの愛称は自分だけのもの。
特別なものであるから誰にも教えるつもりはなかったのだ。
「…………妻の呼び名は……聞かなかったことにしてくれ」
「はい、わかってます。特別なんですよね? 仲睦まじいようで何よりです」
言えば、すかさずフォローの返事。
青年の物分りの良さにホッとするブルームであったが、何故か頭は仲睦まじいという言葉に引っ掛かりを覚えていた。
「……ああ。そう、だな」
無感情な声がブルームの口から漏れる。
愛称で呼ぶようになってから気まずかった二人の関係はグッと近づいたように思う。
身も心も結ばれたような気がした夜。
寝夜を共にする度に心はソルフィオーラでいっぱいになり、退屈だった自分の中身が満ち足りていく。
微かにではあるが、先日ソルフィオーラがやっと笑顔をみせてくれたのだ。
ずっと会いたかった太陽のような笑顔に────は少し届かないが、それでも充分心が温かくなるほどだった。
しっかりと、ぎこちなくも、着々と絆は深まっている。
しかしそれでも引っ掛かってしまうのは、彼女の口から愛の言葉を聞けていないからだ。
(……焦ってはいけない。焦ってはいけない、と。あの教本にも書いてあっただろう)
あの日図書館で読んだ指南書。重要なところはちゃんと覚えている。
頭の中で何度も何度も本に書いてあった文章を繰り返す。
だが、それでも。
────それでも、あの可憐で可愛らしい声で『ブルームさま……好き』なんて言われたい。
(ぐうぅう……ッ、ソフィー……!!)
ぎりぎりぎりぎりと眉間に皺を寄せる。
皺を寄せすぎてとんでもない風になっていたのか、上司の表情を目にした青年がぎょっとする。
「りょ、領主様? どこか苦しいので……?」
「なんでもない……ッ」
「で、でも……」
「なんでもない……! いつも通りだ……!」
青年には苦悶に満ちた表情に見えたのかとても心配された。
ブルームは何でもないと誤魔化す。本当の理由なんて言える訳が無かった。
想像だけで再生したソルフィオーラの声、その破壊力が凄まじかったなんて。
絶対に言うものか。
ひと山越えて王都に続くロゼ街道。
ブロッサムの木が立ち並び、春になると桃色の花びらで可愛らしい絨毯を敷いてくれる。
しかし今は満開のピークを過ぎ、ブロッサムの花びらはほとんど散ってしまっていた。
敷き詰められていたはずの桃色は、風に吹かれ今頃遠い地へと運ばれていることだろう。
もしくは、無残にも土砂に押しつぶされているかもしれない。
(……ソフィー……)
妻の愛称を心の中で呟く。
この道は先日、愛しき新妻ソルフィオーラが通った道である。
もしも大雨とココを彼女が通るタイミングが被っていたらと思うとゾッとする。
────そうなっていたら、彼女との再会は叶わず、結ばれることもなかっただろう。
そうならなくて本当に良かった。
本当に本当に良かった。
本当に本当に本当に良かったと、心から思っている。
しかしそんな思いとは裏腹に、事あるごとに我が家のある方向に視線を向けては息を吐いては眉間に二本の皺を刻み……ブルームは不機嫌な公爵モードとなっていた。
(ソフィーの顔が見たい。ソフィーの声が聞きたい……!)
復興作業は順調に進んでいる。
だがしかし、三日も愛しい妻と離れ離れになるのは少々(かなり)辛過ぎた。
(ああ、ソフィー……)
ソルフィオーラに恋をしたあの日からの二年間に戻ってしまったかのような気分だ。
身体はちゃんと仕事をしているが、頭の中はソルフィオーラのことばかり。
大きなミスを一つもしていないのがおかしいくらいだ。
「この調子だと、あと数日ほどで復興できそうですね」
共に復興作業にあたっていた部下が話しかけてくる。
私設騎士団であるサファイアの月に所属する若い青年だ。
振り向かなくても声だけ聞けばちゃんと誰であるか把握できる。
部下の青年は、普段であれば騎士団のテーマカラーである蒼銀の甲冑に身を包みグレンツェンの平和を護っているのだが、甲冑姿は復興作業に不向きであるため今は身軽な服装をしていた。
「……ああ、そうだな」
「厄介な大岩が転がっていないのが幸いでしたね!」
「……ああ、そうだな」
「これが地すべりによる災害だったらもっと掛かってましたね」
「……ああ、そうだな」
しっかり返事はしていても、ちゃんと話を聞けているかどうかは別である。
同じ返答ばかり繰り返せばさすがに部下の青年も上司の状態が悪いことを察するだろう。
しかし青年は敢えて話しかけるという選択をしたようだ。
「────奥様、とてもお可愛らしい方ですよね」
「ああ、そうだろう。ソフィーの愛らしさは本当に太陽のようだ……あの顔を見ているだけで心が晴れやかになるような気がするのだ」
「ハハハッ。領主様は奥様を愛称で呼んでいらっしゃるのですね」
「────ハッ!?」
ブルームは我に返った。
青年の口から出た単語に反応したことで、ブルームの頭の中は新妻ソルフィオーラでいっぱいだというのがバレてしまった。
────体面上は普通を保っていたのに。
しかしそう思っているのは本人だけ……というのは、割とよくある事。
更に深く眉間に皺を寄せて青年を見ると、彼はクスクス笑っていた。
ブルームは静かに息を吐く。ちょっとうっかりしていたと。
ソルフィオーラの愛称は自分だけのもの。
特別なものであるから誰にも教えるつもりはなかったのだ。
「…………妻の呼び名は……聞かなかったことにしてくれ」
「はい、わかってます。特別なんですよね? 仲睦まじいようで何よりです」
言えば、すかさずフォローの返事。
青年の物分りの良さにホッとするブルームであったが、何故か頭は仲睦まじいという言葉に引っ掛かりを覚えていた。
「……ああ。そう、だな」
無感情な声がブルームの口から漏れる。
愛称で呼ぶようになってから気まずかった二人の関係はグッと近づいたように思う。
身も心も結ばれたような気がした夜。
寝夜を共にする度に心はソルフィオーラでいっぱいになり、退屈だった自分の中身が満ち足りていく。
微かにではあるが、先日ソルフィオーラがやっと笑顔をみせてくれたのだ。
ずっと会いたかった太陽のような笑顔に────は少し届かないが、それでも充分心が温かくなるほどだった。
しっかりと、ぎこちなくも、着々と絆は深まっている。
しかしそれでも引っ掛かってしまうのは、彼女の口から愛の言葉を聞けていないからだ。
(……焦ってはいけない。焦ってはいけない、と。あの教本にも書いてあっただろう)
あの日図書館で読んだ指南書。重要なところはちゃんと覚えている。
頭の中で何度も何度も本に書いてあった文章を繰り返す。
だが、それでも。
────それでも、あの可憐で可愛らしい声で『ブルームさま……好き』なんて言われたい。
(ぐうぅう……ッ、ソフィー……!!)
ぎりぎりぎりぎりと眉間に皺を寄せる。
皺を寄せすぎてとんでもない風になっていたのか、上司の表情を目にした青年がぎょっとする。
「りょ、領主様? どこか苦しいので……?」
「なんでもない……ッ」
「で、でも……」
「なんでもない……! いつも通りだ……!」
青年には苦悶に満ちた表情に見えたのかとても心配された。
ブルームは何でもないと誤魔化す。本当の理由なんて言える訳が無かった。
想像だけで再生したソルフィオーラの声、その破壊力が凄まじかったなんて。
絶対に言うものか。
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