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14.心臓が破れそう

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 晒された肩がほんの少しだけ寒い。

 そう思った矢先、キスの雨はやはり降り始めて頬や唇、首筋にポツポツとキスが落ちてくる。
 降り注ぐ雨に震える中、ソルフィオーラは胸元に乗せられた大きな温もりを感じていた。

 ボタンを外され顕にされた慎ましやかな胸はブルームの大きくて逞しい手のひらの中にあった。

 その場所を通じて彼の温もりと脈動────ドクドクと波打つ血管がブルームの緊張を伝えてくる。
 触れられた瞬間身体が強張ったが、冷静そうに見える夫もまた緊張しているのだと思うと自然と解れていった。

「……ソフィーのここは、とても可愛らしい」

 小さくとも柔らかい肌にブルームの指先が沈む。
 ふにふにと感触を確かめるかのような手付きがソルフィオーラを労っているかのようで、甘やかな痺れが優しく脳天を突いてくる。

「ンッ……ふ、ぁあ……っ」
「柔らかくて小さな膨らみも……愛らしくて……私はそれで、貴女が欲しくて仕方がなくなった」
「ひあっ……!」

 ブルームの吐息が膨らみの先に振りかけられ、甲高い声が漏れる。
 初夜の時にも味わった感覚。
 そのままちゅっとキスを落とすようにブルームの唇が触れた。
 ブルームが紡ぐ言葉も、触れ方も、全てがくすぐったかった。

「恥ずかしげな表情も、甘い声も……ソフィーの全てが、私を狂わせる」

 ブルームの声がソルフィオーラの心をさわさわと撫で通り過ぎていく。
 繊細な指先にきゅっと尖りを摘まれ、もう一方にざらりとした温かな感触が添えられた。ぞくぞくと甘やかな刺激が走り抜ける。

 今やソルフィオーラが抱いていた緊張はふわふわと空に浮かぶような感覚に変わり始めていた。
 初夜の時はただ恥ずかしくて仕方がなかったが、甘やかな擽ったさは変わらずとも今得ているものはそのときとは別物のように思える。

 ブルームから与えられるもの全てが────とにかく甘いのだ。

「ああ、ソフィー……本当に、堪らない」
「ふぅ……ッ、あ、あぁ……」
「貴女の、すべてが、好きだ……」

 あの夜を思い返してもブルームは切羽詰まったようにソルフィオーラの名を呼ぶばかりで、こんな風に言葉を掛けられたりしていない。
 ソルフィオーラは胸元に顔を寄せるブルームをそっと見下ろしてみる。

 すると、眼鏡を掛けていないブルームの──凛々しいサファイアの眼差しに熱く射抜かれた。
 ドクン、と胸の奥が疼く。

「ブ、ルーム……さ、……ぁッ」

 見つめ合った夫の名を呼ぶも、熱い息が漏らされる唇に塞がれた。
 慣れた・・・ように舌を絡めとられ控えめに吸われれば、口腔内まで敏感になったように甘い刺激が迸った。
 
 深いキスを続けるブルームの逞しい手が、腰のあたりまで伸びたソルフィオーラの長い髪を撫でる。
 ゆるゆると波打った糸を辿るようにするすると下りていく。
 その手は腰のあたりでまた上り、夜着の残りのボタンを全て外しに掛かった。

 これを全て外されたら、上半身だけではなく下半身まで──つまり全身がブルームの前に晒されることになる。
 咥内を侵すブルームの舌に翻弄されながらも、ぷちぷちと外されていくボタンに再び緊張が顔を出し始めた。

「……っはぁ、ぶるぅむ……さま……ぁっ」

 唇がようやく離されたとき、ソルフィオーラはもう絶え絶えだった。

(……心臓が、破れそう、ですわ……)

 ドクンドクンと強い鼓動を鳴らす音がとてもうるさい。
 ただはふはふと呼吸を整えることしかできず、ソルフィオーラは次の行動を待つ。
 滲んだ視界で見上げると、その瞳に紺色のガウンを羽織るブルームの姿が映り込む。

 今日踏み出した一歩は確実にソルフィオーラを変えていた。
 目が合っても、正面からその視線を絡めることが出来る。
 些細なようでとても大きな変化──いや成果だった。

 これでもう素直になれる。
 きっといつもの自分らしく振る舞える。

 そんな希望と幸福感に身を包まれ、ソルフィオーラの心は空に浮かぶ風船のようにふわふわと舞い上がりつつあった。 

「……ソフィー……」

 吐息混じりに呟かれた愛称と共に最後のボタンが外されようとした。
 眇められた蒼色の瞳は切なく、だが熱くソルフィオーラを見つめている。
 愛しい夫の眼差し────
 そのサファイアのような輝きに初めて自分から触れてみたくなってソルフィオーラはそっと手を伸ばした。

 触れたのは。さらさらと優しい手触りの生地。
 ブルームが羽織っているガウンだった。

 そのときソルフィオーラはゆっくりと理解した。
 彼がまだ衣服を身に着けていることを。
 ブルームの素肌はまだ晒されていなかったのだ。

「ブルー、ム……さまは、脱がないの……ですか?」

 言葉は考える間を設けずぽろりと零れ、ブルームの手をピタリと止めた。
 動いたのはボタンを外されてソルフィオーラの肌を滑り落ちる夜着だった。

 何故自分だけが肌を晒しているのだろう──そんな疑問からつい口に出してしまっただけなのだが、動きを止めたブルームにソルフィオーラは小首を傾げる。
 そしてふと我に返り、気づいた。心の風船がひゅるひゅると萎んで落ちる。
 あの言葉は、言い換えてみれば────貴方の裸を見たいと同義であった。

「あ……あっ、あの、ち、ちがうのです……! べ、べつにブルームさまの裸が見たいから……なんて、そういう意味ではありませんのよ……っ!」

 みるみるうちに顔まで熱が昇ってきて、ソルフィオーラは慌てて否定した。
 妻の言動に動きを止めていたブルームもハッと我に返った。

「い、いやこちらこそ、すまない。そ、そ、ソフィーにだけは、肌を露出させる、など」

 すちゃっと眼鏡を掛け直すように眉間を押し上げるブルームだが、そこに眼鏡が無いことを彼は失念していた。
 目の前でブルームの癖を見ていたソルフィオーラだったが、自分の言動を振り返ることに忙しいがために気付かなかった。

「わ、私も脱ごう……!」
「あ、あ、あブルームさま……」

 眉間を揉むのをやめたブルームが紺色のガウンに手を掛ける。
 ソルフィオーラは名前を呼びながらその手を制止し、続けざまに叫んだ。

「な、なんなら、わ、わたくしが脱がせてさしあげますわよ……っ!?」

 ────あなた何を言っていますの!?
 言い放った直後、内なるソルフィオーラからすかさず指摘された。
 ソルフィオーラは慌てて口を手で隠したものの、飛び出た言葉は口の中に戻ってはくれなかった。

 結局、変わっていたようで変わっていなかったのかもしれない。
 何故こうも肝心な時にやらかしてしまうのだろうか。
 なんて頑固な性質なのだと思わずにはいられない。

(ああ、こんなの……なんていやらしい女なのかと呆れられてしまいますわ……っ!)

 自分よりも一回り年上の男性に向かって『脱がせてあげる』など、失礼極まりない。
 夢にまで見た初恋の相手と結婚し憧れのデートも出来てせっかく距離が縮まったというのに。自らの失敗につくづく嫌気が差す。
 ドキドキと高揚していた心が落ち着きを取り戻していく。

 ────しかし。

「あ、ああ……で、では、ぬぬ脱がせてく、くれるだろうか」

 ブルームの方は特に何か思うものはなかったようだ。
 くいっと眉間を押し上げ、さあどうぞと言わんばかりに腕を開いている。
 完全にソルフィオーラへ身を差し出すような恰好であった。

「え、え、えあ、あの……かしこまりまし、た……」

 予想外の反応にソルフィオーラはどぎまぎしながら身を起こし、膝立ちで腕を広げるブルームの前にちょこんと座る。
 自身は既に上半身を露わにし、残すは秘密を覆う布一つだということも忘れて。

「…………」
「……で、では……失礼いたします……」
「…………ああ、よろしく頼む」

 妙な気分だった。
 ガウンの腰紐に手を伸ばせば再び胸の奥がドキドキと疼き始めて、しかしそれとは裏腹に頭は冷静だった。
 妙な流れに持って行ったのは他でもない自分なのだが、ソルフィオーラはそれをちゃんと自覚していた。

 何というか、初夜|(ではないが)というのはこんな感じなのだろうかと思わずにはいられない。
 ロマンチックのかけらもない雰囲気につい首を傾げそうになる。
 目が疲れたのだろうか? ブルームは相変わらず眉間を押し上げているし、その瞳はあらぬ方向に向けられている。

 腰紐を引っ張ればするりと解け、ガウンの前が開かれた。
 ブルームは紺色の下に青空のような色のナイトシャツを着ていた。
 滑らかな生地と光沢がソルフィオーラの瞳に映る。

 妻が愛しい夫を想像して青系統の色を選んでいるように彼もまた愛しい妻を想像していたのだと、ソルフィオーラはその事実を想像できない。
 ブルームの秀麗さを際立たせるような青空に見惚れていたのだ。

 思わず漏らした吐息に甘さが混じる。
 改めて想像してしまう。自分はこの人に────初恋の人に抱かれるのだと。
 胸の奥ではないもっと奥底の方で何かがきゅうと疼いた気がした。
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