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9.太陽は嘆いて
しおりを挟む気まずい朝食を終えた後、ソルフィオーラはエルと共にまっすぐ庭園へと向かった。
しっかりと手入れが行き届いているそこは、ブルームと出会った中庭にどことなく似た雰囲気があった。
花壇の中では春の花たちが植えられほのかな風に揺れている。登り始めた陽光に照らされどことなく嬉しそうに見える――――と普段のソルフィオーラなら花を眺めてそう思った事だろう。
しかし今のソルフィオーラに、花を愛でる余裕などない。
「ああ、エル……! わたくし、一体どうしたらいいの……っ?」
今日で三度目となる嘆きの声が庭園に響き渡る。
それを受け止めるのはソルフィオーラに名前を呼ばれた、騎士兼侍女のエルである。
エルは困ったように眉を下げ、縋り付く可愛い主を見下ろす。
「素直でない、しかもがっかりするような貧相な身体に、やっぱり愛想が尽きてしまわれたのですわ……っ」
「そんな事はありませんよ、奥様」
「……そんな事、あるわ……! だって……だって」
もしそうなら、あんな不機嫌丸出し(周りからしたらいつもの――二倍増しである)で食事に出てくる筈がない。
もしそうなら、そもそも毎夜共にしてくれる筈だ。そればかりかずっと別行動で食事の時以外全く顔を合わせもしない。
意識的に避けているのはソルフィオーラも同じであったが、顔を合わせたところで何を話せばいいか、どんな顔で振る舞えばいいのかも分からないのだ。それはブルームの方もなのだが(彼については気まずさの方が大きかったが)彼の身に何が起きたのかを分かっていないソルフィオーラに事情を推察するのは難しいことだった。
「奥様……」
ちなみにこんなやり取りも三度目である。
何を言ってもソルフィオーラの耳に弾かれ聞き入れてもらえない。なんだか恋をしたばかりの、お嬢様だった頃を見ているようだとこっそり苦笑いしていたエルの顔をソルフィオーラは見ることが出来ない。
一応、エルにはあの夜の事を包み隠さず話していた。
ブルームの下衣の真ん中が膨らんでおり、そこが濡れているようだったこと。なのでもしかしたら自分は本当に粗相をしてしまい、それでブルームが引いてしまったのではないかと思っていること。
そして――――最中は恥ずかしくてずっと目を瞑ってしまっていたが、触れられて嬉しかったこと。
全てを聞いたエルは事情を察したようで、ブルームに何があったのかは『自分の口からは申し上げられない』と言って教えてはくれなかったが、ソルフィオーラが悪いのではないというのは強調して教えてくれた。
結婚してから三日、あの夜からもう二日が経った。
新婚だというのに甘い雰囲気にいっさいなれず、それどころか余所余所しい関係だ。
初恋が実って彼の妻になれたというのに、今の状態がとても悲しくて仕方がない。傍で二人の様子を見ていたエルも傷ましく思う程に。
「奥様……やはり一度しっかりと向かい合ってお話するべきです」
「でも……わたくし、ブルーム様のお顔を……まっすぐ見ることができないの……」
「恥ずかしくて見られないのなら、見なくてもいいのです。――ですが、ちゃんとその事を伝えましょう。きっと奥様の事ですから、まだお伝えになられていないのでしょう?」
「…………」
おずおずと、ソルフィオーラは頷いた。
流石幼少時から共にしているだけあり、エルは自分の事をとても分かっている。
素直に頷いたソルフィオーラにエルがクスリと柔らかな笑みを浮かべる。
「そうですね、二人きりですと余計緊張してしまうでしょうから……まずは人目のある場所へお出かけになられてみてはいかがですか?」
「お出かけ……?」
「はい、いわゆる逢引きというものです。ソルフィオーラ様には少しハードルが高いかもしれませんが、自分も傍に控えるように致しますし何なら執事様にも協力をお願いしましょう」
「……でぇと……!」
ポッと頬に熱が灯る。
デート、それは恋焦がれていたあの頃に夢見ていたことの一つであり、ブルームと結ばれたら叶えたかったことの一つでもあった。
片思いだった頃なら断られるのが怖いからと協力の申し出があっても遠慮していたところだろうが、今は違う。
現状がどうあれ、もう夫婦になってしまったのだ。そう簡単に反故に出来る関係ではない。
ブルームだって、生活を共にするなら気まずいのは嫌だろう。多少なり関係が良好な方が面倒も少ない筈だ。
――――なんて、デートの単語を聞いて一気に前向き思考に変わり始めたソルフィオーラである。
「ど、どこがいいかしら……!」
「そうですね、ソルフィオーラ様がソルフィオーラ様らしく振る舞い易い環境が一番良いのですが―――あっ、そういえばグレンツェンには王都のものよりも凄く立派な図書館があるそうですよ。確か旦那様とお話になられたきっかけは本でしたね?」
「そ、そうよ……! 図書館なら、もしかしたらわたくしも素直にブルーム様とお話できるかしら……!」
気持ちはもうデートする気満々だった。
大好きな本に囲まれた環境なら、あの夜のようにブルームと話ができるかもしれない。そんな淡い期待が心を突き動かしていた。
「では、早速執事様にもお話して……」
「――――こちらにおいででしたか、奥様」
そこへ乱入してきた声に振り向くと、今まさに会いに行こうとしていた見目麗しい執事――ノクスが花壇の向こうから現れた所だった。
ノクスの姿を目に止めたエルが佇まいを直しぺこりと礼をして、彼も『失礼します』と頭を下げソルフィオーラ達の傍にやって来て、エルの横に並ぶように立った。
エルもノクスも、ほぅと息を呑むほどに眉目秀麗である。体格もどことなく似ており、美男子が二人目の前にいる光景は眼福という他にない。エルは立派な女性だが。
「執事様! ちょうど良い所にいらっしゃったわ。わたくし達も今執事様にお伺いしようと思っていたところだったのです」
「奥様、私めの事は是非ノクスと呼び捨てて下さいませ。本当にちょうど良いタイミングです、実は旦那様より伝言を預かっておりましてそれを伝えに参ったのです」
「ブルーム、様から……?」
彼の名前を聞き、一気に緊張がソルフィオーラの身を包んだ。
「よろしければ先に奥様のご用件をお伺いしますが……」
「い、いえっ、いいの! 執……ノクスの方からお話して。ブルーム様は何と仰りましたの……?」
ドキドキしながらノクスの顔色を窺うように美麗な顔を見上げる。
最初に自分の要件を告げても良かったのだが、ブルームの名前が出たら最後彼の事で頭がいっぱいになる。今彼はどう思っているのか知りたくて知りたくて仕方がなくなった。
「ではお言葉に甘えまして……旦那様が、奥様を是非我がグレンツェンが誇る図書館にお連れしたいと申しております。よろしければこれから如何でしょうか? ……とのことでございます」
思いがけない伝言に、ソルフィオーラは言葉を失った。
思考を停止した頭で、たった今ノクスが告げた事をゆっくりと反芻する。
(私を……お連れしたい? これから? 図書館へ? それって、つまり――――?)
デートのお誘いであった。他でもない、ブルームからの。
ようやくそれを理解して、ソルフィオーラの表情がパッと明るくなった。それこそ太陽のような明るさを持った笑顔である。それがすぐにわたわたと慌てたようになって、その変わりようにクスっと笑みを漏らしたのはエルだった。
「こ、こうしてはいられませんわ! エル、すぐに支度を! ノクス、じゅ、十分程お待ちくださるかしら!? ブルーム様に、是非行きますとお伝えしてくださいまし!」
そしてソルフィオーラはエルの背中をぐいぐいと押して急ぐように庭園を後にする。
「ハハハ、……十分どころか、奥様が『行く』と言ったらブルームはいつまででも待つのに」
苦笑まじりに呟いたノクスの独り言は、あっという間に静かとなった庭園の空気にかき消える。
あの様子なら、きっと大丈夫だ。そう思ってノクスも庭園を後にする。
奥様の反応を告げたら、幼馴染はどんな面白い顔を見せるだろうか。
ノクスも、エルも、ブルームもソルフィオーラも――――誰もが楽しみな外出となりそうだった。
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