5 / 6
5
しおりを挟む一人息子として、いずれ伯爵家を継ぐことは決まっている。しかし、エルネストは逃げ出したかった。
まだ線の細い少年だった彼は、父親から精神的な虐待を受けていた。愛する妻を産褥熱で失った父は子供のエルネストを憎み、強い口調で罵ったかと思うと数週間にわたって放置する、そんな毎日だった。
ある日、学園に向かう途中だったエルネストは、公園で迷っている少女を見かけた。服装から見て、明らかに貴族の娘だ。
散歩に来て、供の者からはぐれてしまったのだろうか。
警備の厳しい上流階級向けの公園ではあるものの、幼い少女が一人でいるのはさすがに危険だ。
『大丈夫かい? 従者はいないの?』
声をかけると、少女は泣きそうな顔をしてうなずいた。
『最近伏せってばかりのお姉さまのために、綺麗なお花を探していたの。でも、いつの間にか、誰もいなくなってしまって』
『そうか。じゃあ、ここで一緒に待っていようか。この場所は開けているから、きっとすぐ見つけてくれるよ』
安心させるようにゆったりと微笑むと、彼女はほっとしたのか、こらえていた涙をぽろりとこぼした。
やがて青い顔をした従者が駆けつけてきて、無事少女を引き渡すことができた。
少女は別れ際に丁寧なお辞儀をした。
『助けてくれてありがとうございました。あなたは騎士さまなの?』
さっきまで泣いていた少女が、ころりと態度を変えて瞳を輝かせる。
エルネストは首をかしげた。
『いや、単なる王立学園の生徒だよ。どうして騎士だと思ったの?』
『騎士さまはお姫さまが困っていると助けてくれるんだって、お姉さまの持っているご本に書いてあったのよ』
『あー』
おそらく若い女性向けの小説なのだろう。エルネストは読んだことがない。
『いや、俺はそばにいただけだよ。きみを助けてもいないしね』
『ううん、物語の中の騎士さまより素敵です』
幼い少女が信頼し切った瞳で見上げてくる。
一緒にいたのはわずかな時間なのに、どうしてここまで人を肯定的に見られるのだろう。彼女の輝く瞳を見ていると、まるで自分が価値のある人間のように思えてくる。
父親に否定されつづけ、その父親に影響を受けた家の使用人にも軽く見られていたエルネストには、新鮮な驚きだった。そして、その出来事はずっと彼の心に残り、エルネストは騎士の道を選んだ。
それ以来、十年間、彼はひそかにリリアーナを見守っていた。やがて、優しく無邪気なまま女性らしく成長した彼女に恋をして、ついに求婚した。
そこまでは順調だった。
しかし、リリアーナの家の古いしきたりのせいで、エルネストは彼女の姉と結婚することになってしまった。
(あれは誤算だった。だが、こうしてリリィを束縛できるようになったのだから、逆に幸運だったな)
エルネストは裏から手を回し、マルコーニ家の借金が増えるように仕向けた。そして多額の結納金を提示し、子供が生めないという姉の代わりにリリアーナを寄越すように圧力をかけた。
十年の間に彼の想いは凝り固まり、エルネストにとっては彼女だけが唯一の救いに思えていた。
72
お気に入りに追加
99
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました
大好きな義弟の匂いを嗅ぐのはダメらしい
入海月子
恋愛
アリステラは義弟のユーリスのことが大好き。いつもハグして、彼の匂いを嗅いでいたら、どうやら嫌われたらしい。
誰もが彼と結婚すると思っていたけど、ユーリスのために婚活をして、この家を出ることに決めたアリステラは――。
※表紙はPicrewの「よりそいメーカー」からお借りしました。

【完結】呪いを解いて欲しいとお願いしただけなのに、なぜか超絶美形の魔術師に溺愛されました!
藤原ライラ
恋愛
ルイーゼ=アーベントロートはとある国の末の王女。複雑な呪いにかかっており、訳あって離宮で暮らしている。
ある日、彼女は不思議な夢を見る。それは、とても美しい男が女を抱いている夢だった。その夜、夢で見た通りの男はルイーゼの目の前に現れ、自分は魔術師のハーディだと名乗る。咄嗟に呪いを解いてと頼むルイーゼだったが、魔術師はタダでは願いを叶えてはくれない。当然のようにハーディは対価を要求してくるのだった。
解呪の過程でハーディに恋心を抱くルイーゼだったが、呪いが解けてしまえばもう彼に会うことはできないかもしれないと思い悩み……。
「君は、おれに、一体何をくれる?」
呪いを解く代わりにハーディが求める対価とは?
強情な王女とちょっと性悪な魔術師のお話。
※ほぼ同じ内容で別タイトルのものをムーンライトノベルズにも掲載しています※
騎士団長の幼なじみ
入海月子
恋愛
マールは伯爵令嬢。幼なじみの騎士団長のラディアンのことが好き。10歳上の彼はマールのことをかわいがってはくれるけど、異性とは考えてないようで、マールはいつまでも子ども扱い。
あれこれ誘惑してみるものの、笑ってかわされる。
ある日、マールに縁談が来て……。
歳の差、体格差、身分差を書いてみたかったのです。王道のつもりです。
責任を取らなくていいので溺愛しないでください
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
漆黒騎士団の女騎士であるシャンテルは任務の途中で一人の男にまんまと美味しくいただかれてしまった。どうやらその男は以前から彼女を狙っていたらしい。
だが任務のため、そんなことにはお構いなしのシャンテル。むしろ邪魔。その男から逃げながら任務をこなす日々。だが、その男の正体に気づいたとき――。
※2023.6.14:アルファポリスノーチェブックスより書籍化されました。
※ノーチェ作品の何かをレンタルしますと特別番外編(鍵付き)がお読みいただけます。

日常的に罠にかかるうさぎが、とうとう逃げられない罠に絡め取られるお話
下菊みこと
恋愛
ヤンデレっていうほど病んでないけど、機を見て主人公を捕獲する彼。
そんな彼に見事に捕まる主人公。
そんなお話です。
ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる