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「これ、なんて読むんだっけ? ひじょ……?」
「ヒメナギ、だろ。日女薙ひめなぎトンネル。ミツルもさあ、人気配信者になりたいなら、ちょっとは検索するってことを覚えたら?」
「だって面倒くさいし。簡単に稼ぎたいから、動画クリエーターを目指すんだろ?」

 あはは、とミツルと呼ばれた若い男が、スマートフォンの地図アプリを見ながら軽薄な笑い声を上げた。
 そこそこ整った顔立ちに甘い声。やや身長が低いけれど、それすらも年上の女性の庇護欲をかきたてるようで、衣食住に困ったことはない。定職につかず女性の経済力に頼って暮らす、いわゆるヒモだ。本人は「これから有名になる俺に先行投資をしてもらっているだけ」とまったく悪びれない。

 それでも、大学に行った友人たちが就職しはじめると多少不安になったらしく、動画配信で稼ぐと言いはじめた。
 その撮影係をやってくれと頼まれて引き受けてしまったことを、車の運転手を務めている和真かずまはかなり後悔していた。数日前に呼び出され、安い居酒屋で珍しく奢られたことが、こんなに高くつくとは思わなかったのだ。

「そんな楽に稼げるわけがないと思うけどな」
「まぁまぁ、やってみなけりゃわからないって」

 妙に自信満々なミツルが、助手席でスナック菓子の袋を開けた。座席が汚れるからやめてほしいのだが、押しの弱いところのある和真には強気なミツルを注意することができない。

 高校の同級生だったミツルとは卒業以来疎遠になっていたが、和真のアルバイト先のカラオケ店に偶然ミツルがやってきたことで友人関係が復活した。そのときは素直にうれしかったが、今となってはよかったのか悪かったのかわからない。

「ホラー系の動画ってそんなに受けてるのか?」
「さあ……」
「じゃあ、ミツルはなんで始めようと思ったんだよ」
「単に好きだから? ゾワゾワチャンネルくらいの動画なら、簡単に作れそうじゃない?」

 ミツルは都市伝説の類を扱う有名な動画配信者の名前を出した。
 簡単そうに見えるけれど、実際に企画から編集まで金が取れるレベルでやろうとしたら、かなり大変なのではないかと和真は思っている。それをいい加減な性格のミツルができるとも思えない。

 今回も結局、都市伝説の下調べから車の運転までミツルのいいように使われている。それでも、それを嫌みに思わせないあっけらかんとしたところが、ミツルのヒモとしての才能なのかもしれなかった。

「そろそろ日女薙トンネルだぞ」
「おお、ついに俺の動画デビューの地が近づいてきたか」
「本当に行くのか。日女薙村への旧道は通行止めだし、日女薙トンネル自体も立入禁止のはずだけど」
「そのくらいしないと、新規参入組はさすがに注目されないっしょ。ヒメナキ……ヒメナギだっけ? 数ある都市伝説の中でも、マジでヤバいって評判らしいし。ゾワゾワチャンネルで言ってたぜ」
「結局、情報源はそこかよ」
「和真、おまえさぁ、ゾワゾワチャンネル、馬鹿にすんなよー」
「してないよ」

 どちらかというと、馬鹿にしているのは、二十二歳にもなって動画配信で一発当てたいと小学生の夢みたいなことを言っているミツルに対してだ。
 けれど、四月になったら冴えない中小企業に就職しなければならないという現実を目の前にして、ほんの少しだけミツルと同じ夢を見てみたいという気持ちも確かにあった。

「あ、あれがトンネルじゃねぇ!?」
「トンネルに入る前に一度止まるぞ」
「そうだなー、入り口の撮影もしておこう」

 これまで快適にドライブしてきた県道から、車がようやくすれ違えるくらいの細い道が分岐していた。深い山の中の道は一応アスファルトが敷かれているものの、砂利や泥、落ち葉で埋まっており、かなり荒れている印象だ。

 生い茂った木々の向こうに、古いトンネルが見えた。そこにあると知らなければ、見過ごしてしまいそうな場所だ。トンネルは老朽化しているが崩壊はしておらず、なんとか車で通り抜けられそうだった。

「日女薙トンネル……」

 車を降り、トンネルの入り口まで歩く。
 アーチの上部にトンネルの名称が彫られているのをスマートフォンのカメラに収め、トンネルの奥を覗きこんだ。得体の知れない蔓植物がトンネルを覆い隠すように垂れ下がっており、中は薄暗く出口は見通せない。

「一応、村までは車で行けそうだな」

 ミツルがはしゃいで言った。確かに立入禁止の看板は立っているが、ロープや金網などの設備はない。

「でも、やっぱり不気味じゃないか? もう誰も住んでいない廃村なんだろ。気持ち悪い噂もあるみたいだし」
「だから、いいんだって。誰も撮っていない最恐スポットに、俺たちが初潜入するんだ。話題になるぞ!」

 ミツルに促され、車に乗りこみアクセルを踏む。
 そのとき和真は、インターネットの世界では有名らしいその村に誰も近づかないことの意味を深くは考えていなかった。有名とはいってもマニアの間だけのことで、実際はそれほどのこともないだろうと高をくくっていたのだ。

 早春の午後の日差しが、日女薙トンネルを押し潰すように覆いかぶさる山の頂上付近を照らしていた。
 山あいの日没は早い。この分では明るいうちには帰れないかもしれないと、ふと和真は嫌な予感を覚えた。


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