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留守宅の新妻 ①
しおりを挟むクリストフと最初に出会ったのは十年前、わたしが八歳のときだ。
わたしの曽祖父が当時の国王の弟で、臣に下るのと引き換えに公爵の爵位を賜わった。今は王族ではないものの、公爵家として王家とかかわることも多い。
ふだんはそれほど王族の近縁であるという立場を意識していなかったけれど、国を挙げての行事があったりするとわたしの身のまわりの警護も厳しくなる。
その日は第二王子の誕生を祝うパーティーが開催され、わたしもエリクソン公爵家の一員としてお呼ばれしたのだった。
わたしは当然ずっと両親や護衛の騎士と一緒にいたのだけれど、魔の時間とでもいうのだろうか。ほんの少しの間、たったひとりになってしまった。
そこを反体制派の貴族に狙われてしまったのだ。わたしは大広間の外に連れ出され、誘拐されそうになった。
それを助けてくれたのが、クリストフだった。
クリストフは二十歳、まだ騎士団長ではなく近衛騎士のひとり。大広間の警備をしていたその若き騎士が、わたしの危機に気がつき、さっそうと駆けつけて命を救ってくれたのだ。
彼は体も大きいし、とても険しい顔をしていたけれど、全然怖くなかった。
幼いわたしの前にひざをつき、目線を合わせてくれたクリストフは、優しい緑色の瞳をしていた。
『お嬢さん、怖かっただろう。あとは俺がきみを守る。もう大丈夫だ』
眉間にしわを刻んだまま、いかにも慣れていない笑顔を作ろうとして強張った表情の騎士。
わたしはその瞬間に恋をした。まだ子どもだったけれど、この人しかいないと思った。
もちろん、初めての恋だった。
それから九年間。年ごろになったわたしのもとには、婚約の話がいくつも舞い込んできていた。
それらをなんとか理由をつけて断って、クリストフ・ラーシェンの情報を集め、ついに婚約を受けてもらえたのが一年前。
わたしは舞い上がってしまって、年の離れた娘との政略結婚を押しつけられた彼の気持ちなんて考えもしなかった。
思えば婚約中もそうだし、結婚式の当日ですら、彼はわたしに興味がなさそうだった。浮かれているのはわたしだけで、クリストフはまるで職務であるかのように淡々と儀式をこなしていく。
そして、初夜。
ドキドキしながら支度をすませて寝室に入ってきたわたしをちらりと見た彼は、必要最低限のあいさつだけしてさっさと眠ってしまった。それからひと月経っても、わたしたちの間にはなにもない。
(クリストフさまは今、どのあたりにいらっしゃるのかしら)
眠っているわたしを置いて、クリストフはまだ夜も明けないころに登城したようだ。
昨日彼が言っていた長期の地方視察の仕事で、出発前の準備もたくさんあるだろうから早めに出かけたのだろう。
大きなベッドのすみっこで目が覚めて、ぼんやりと、ひとりであることを自覚する。
夫婦らしい行為はしていなくても、彼が横で寝ている気配はもう身に染みている。やけにベッドが広く感じてさびしくなった。
しばらくして軽いノックの音が聞こえ、寝室にそっと入ってきた侍女がカーテンを開けながらあいさつをしてきた。
「奥さま、おはようございます」
「おはよう、エミリ」
まぶしい光があたりに満ちる。さわやかな初夏の風が窓から流れてきた。
わたしは起き上がって、大きく背伸びをした。
「んーっ。それでも朝は来る! 落ち込んでいてもしょうがないわよね。がんばろうっと」
気合いを入れるためのひとり言だったのだが、穏やかな声の返事が返ってきた。
「おさびしいでしょうけれど、わたくしたちもおりますから、いつでも頼ってくださいね」
「え?」
母親くらいの年齢の侍女が、微笑みながらこちらを見守っている。
彼女、エミリはいつもわたしのそばについていて、身のまわりの用事をこなす侍女のひとりだ。
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