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七.揺れる森
しおりを挟むなぜかあれから。
ラヌは邪道機械の対策を何も口にしなかった。
食事と就寝の他は完全に放っておかれている。
ボクが知らない塔の奥へ篭もって何かにかかりきりになっているようだった。
自然とその間はギュイヌとの会話が多くなる。それがなくなると一人でぼうっと岩砂漠の峰を眺めた。塔の外へ出てみたい、と思いながら。そしてある日、ボクは狭い階段を下り始めた。
狭くて通りにくい。
真っ暗な隙間はどっちに曲がっているのやら。
手と足で探りながら踏み外さないよう、じっくり進んで行く。
延々と時が過ぎる。昼下がりの静かな時間――。
時折現れる窓から高度を確かめるけど、塔は高くてなかなか地上へはたどり着かない。
疲れた。
石の階段の広くなっている所に腰を下ろし、しばらく休むことにした。
食事の用意をしてくれる、謎な生き物の顔を思い出す。
(居室以外では見たことないけど、どこかで働いてんだよなぁ……こんなとこで出くわさなきゃいいけど)
――考えてゾッとした。
足下の暗がりは闇一色。どうも気になる。
足先をのばしてプラプラさせてみると、何も触らない。
「あ、あれれ?」
階段が途切れているのだろうか?
真っ暗な足場を覗き込むと、深さは分からないが空洞になっているようだった。
「うそ、ここまで来て!?」
どうやら先へ行けそうにない。
降りる階段はそこで終わっていた。
どこか別に降りる場所は――壁は?
両手を這わせてみる。
「そういえば、階段の他に部屋がある筈なんだよなぁ……見た目分からないようになってるかも知れない」
ガコ……。
壁が音を立てた。
「え?」
回転する。手をあてて寄りかかっていたのだから、弾みでひっくり返る。
「う、うわ! ちょ、ちょっと……」
腰からずり落ちたボクはよろけてバランスを崩した。
(まずい!)
背筋に冷たいものが走る。既に宙に浮いていた。
――ドスン!
「いったぁ……」
何かの上に落ちた。束になった紙のような感触だ。
どうやら大量の書類を積み重ねた上にいるらしい。明かり窓から射す光線に埃が舞っている。
衝撃と痛みで全身が痺れて動かない。ゆっくりと手足を解きほぐすように指を動かしてみる。固まっていた体が次第にじわり、と暖かくなってきた。
カツカツ……と靴音がして、正面の扉がギィ、と音を立てる。
「!」
身を隠す暇もなかった。
「人間? 誰だ?」
濃い緑の衣装に身を包んだ人物が現れる。顔を見ようとしたが強い反射に目が眩んだ。
「う……」
「カツミ!? なぜここに……」
声は穏やかで思慮深い。が、妙に親しみを感じるのはなぜだろうか。
「ああ、眼鏡が眩しいのか」
目を閉じてグラス・オブ・アイを外すと髪が揺れる。よく知ってる顔だが、穏やかな眼差しは別人を見ているようだった。
「あ、その……調べ物をしてたのか……」
こんなトコで!? と思ったが敢えて口にすまい。無様に書類の山に落っこちたのはボクの方でそもそも他人の家?だ。
それにしても――。
「?」
無垢な表情を浮かべ、首を傾げて見せる。何とも言えずラヌらしくない。
というか法衣を着てないじゃないか!
不躾な視線に気づいても、気を悪くした様子はない。
「これか? 書を詠む時は文衣が集中しやすいのでな。ミクビルの子供でも落ちてきたかと思ったぞ」
慎ましく袖を確かめながら、そんなことを言う。
不覚にも一つ一つの仕草に胸が高鳴った。
(いやいや……ありえないから!)
「?」
「あ、あはは……」
どうやら心まで読まれずに済んでいるようだ。彼女は今、別の作業に意識を向けているらしい。
「その……敢えて言わなかったが、カツミが今私に異性を感じている気配が伝わってくる」
「えっ!? ええええっ!?」
ラヌは少し笑っていた。
同じ年頃の男子をからかうような、意地悪な笑みじゃない。
素朴で飾り気のない、あるがままの心。
「少し戸惑ったが……心地よさを感じる」
素直に想いを篭めて告げる。
観念した。
「……いや、いつもと雰囲気違うからさ」
今度はボクを見てにこっと笑った。
「書斎に来るがよい。椅子がある」
壁一面、恐ろしく高い書棚に櫓のように足場が架けられていた。
恐らくラヌが歩くための足場ではなく、ミクビルたちが作業するためのものだろう。
上の方は暗くて見えない。天井まで届いているのだろうか?
「先ほどの部屋は古い書庫だ。自然換気になっておる。天井に通気させている穴に落ちたのだな。――そこで休んでいるがよい」
示された場所には上等な椅子があった。体を休めることができるよう、肘掛けと深々と広い背靠れがついており、柔らかい布が張られている。
痛む所はないか?と尋ねたので、大丈夫だと答えると、ラヌは傍らの机に戻って調べ物を再開した。
やわらかい光の窓。落ち着いた調度品に囲まれて書に見入っている。
品の良い深いブラウンの眼鏡をかけ直し、まるで良家のお嬢様……。
伝わって、クスッと笑う。
「やれやれ、これではお互い集中できんな」
「ううう……」
指先で書を繰りつつ、話しかけてくる。
「我は読書を好む。こと、大陸の起源に連なる湖の一件は興味深かったのでな。最近は公吏を午前に終わらせ、午後は調べ物に夢中になっておった」
「へぇ……」
文学少女なんだな。
「? 書官のことか? それはともかく話の続きだが――ガルメイはまだ、湖の秘密を明かしておらん」
「えっ!?」
ラヌの雰囲気が変わる。鋭く発した言葉は意外だった。
同盟の確約に漕ぎ着けたのはむしろ暁光――上出来と安心していたのに――。
「ガルメイは『邪道機械が冽碧へ侵攻するならば』と言った。理由は分からんが、奴は邪道機械が湖へ侵攻することはない、と確信している」
「ど、どういうこと?」
「それが分からない」
ちりんちりんちりんちりん……。
幾つもの鈴が現れて、書庫の宙を軌道を描いて回り始める。
「ここまでだな。ギュイヌが呼んでいる」
古木に磨いた床に魔方陣。神木に古い材を貼り合わせた多層構造の床。
法衣に召し変えたラヌとボク、ギュイヌが集った。
「先ほど早文でたゆたいの森から届きました」
ギュイヌは肩に小さな猛禽を宿していた。小さな塊をラヌに渡す。
ラヌは指先で掴み、底を打ちかけた薬瓶より貴重な一滴を垂下して命じた。
「帳開せよ。微睡みの露」
幾層にも畳まれていた羊皮紙はひとりでに開き始める。ポスターのような大きさに開ききったところでラヌはそれを手に取った。
「砦が同盟と共にあらんことを願う――急ぎ迎えたし」
「出発の用意はできております」
(あんな大きな紙にそれだけ?)
ボクの疑問に気づいたラヌから羊皮紙を手渡された。
「エルフの森の地図が描いてある――相当に精密なものだ」
受け取って眺めてみる。
うずまき? 星の印? 記号化された波模様……。
ラヌは壁の棚から金属の箱を選んで戻ってきた。
「マーシュリィはミスリカの力を借りたようだ」
「さようで」
そしてボクの手から地図を取り戻すと、再びそれを閉じて小さな塊に圧縮し、箱の中へ丁重に保管し施錠した。
「もう見なくていいの?」
「目に付く所へ置くのは危険なのでな」
(分かる者が見ればそれくらい重要な内容ってことか……)
ラヌがじっと見ていた。
「どうしたの?」
「ラヌさま……」
ギュイヌも雰囲気が固い。
「先ほどのような事があったばかりで、私もカツミを同行させることに気乗りしませんが……」
(そういうことか)
ラヌの瞳を、あるがままに見返す。そして心で呟いた。
「自分で呼び寄せておいて、我も勝手なものだ……だが、これからの行動はカツミを守る戦いであることも肝に命じて置かなければな」
ギュイヌは首肯した。
塔の上では双子の雲が待っていた。
「カツミ、こっちだ」
ラヌとギュイヌは別の方向へ向かっている。その先にあるものは――前後に大きなフックがついた紡錘形のボートのような形をしている。先端は半円の風防がついていた。中央の天板は小さなデッキになっているらしい。
「え?」
疑いつつも二人について行く。身長の二倍ほどの高さの昇降梯子を登り切ると水晶の窓で全面を覆ったドームが端まで届いている。ギュイヌが天板の床を開くと、中へ降りる階段が現れた。
中は幾つかの部屋を歩いて移動する作りになっていた。中央の書斎と後方の客室、前部は先端の操縦席へ通じている。階下は船倉になっているようだ。
ギュイヌとラヌは点検を始めた。
ラヌは中を確かめながら呟いた。
「しばらく使っていなかったが、手入れは行き届いているようだな」
足のすぐ下をドドド……と物音が駆け抜けた。
「うわっ!」
思わずたたらを踏んでしまう。
「ミクビル共を連れていくほどの旅にはならんのでな。急ぎ降りるよう命じた」
「あ、あはは……」
不意に足が揺れた。
「カツミ?」
ラヌに抱き止められた。
「どうした? 大丈夫か?」
「あ、うん。ちょっとくらっとしただけだから」
ギュイヌが手を止めて戻ってくる。
「どうされたのですか? カツミ」
「先程塔の中で転落したからな……一時的なものだと思うが客室で休ませた方がよかろう。ギュイヌ、悪いが後は任せる」
「よろしゅうございます。森までは私と竜共でお運び致しますので」
お大事になさって下さい、と告げてギュイヌは監視台の方へ向かった。
「だ、大丈夫だから」
ボクは足を付いて立ち上がるが、ラヌは腕を放さなかった。
「客室へ連れて行く」
コン……。
カン!
カコーン!
カッ、カカッ!
球が弾ける。
幾つもの球に伝わって弾け合う。
高速の衝撃が伝播して激しくぶつかりあった。
ガコン!
その一つが音を立てて穴に消えた。
赤いビロードのドレスに身を包み、絹張りの台に手を付いて狙ってる。
さっきまで散らばっていた球は、中央で隙間なく固まり合い、身動きできなくなっていた。
半端な衝撃では散らせない。
狙い所を変えながら、一手一手、確かめる。だが、どうやっても手詰まりに見えた。
(……これもダメだなぁ)
同じ視線で狙いながら、有効な手がないことを伝える。
(僅かでも偏ってる所を探して……そう! そこだよ。大丈夫、一度壁に当てて狙えば入るよ。そうすればもう一度壁に跳ね返って何度も通?できるから……)
ボクの意図が伝わって目を輝かせる。
狙い所が見えたからなのか。
気持ちが通じたことなのか。
多分その両方。
ラヌは一気に打ち抜いた――――――。
柔らかい感触。
優しく抱かれている。
安らぐような涼しい寝息。
やや厚めの緑の生地が頬を包んでる……。
――膝枕されていた!
(え? あ……)
頬がカーッと熱くなる。
だけどこのひととき――心地よさには抗えない。
チラ、と下から覗いて見ると、覗き込むようにして目を閉じているラヌの顔がある。
動揺した。
「ん……」
唇から息が漏れる。
「カツミ……」
夢うつつにボクの名前を口にする。
「一緒に……カツミ……」
夢の中で――ラヌは、ボクと一緒に球を狙っていた。
ギュイヌから到着の知らせを受けたラヌとボクは水晶のドームへ移動していた。
森を眺めつつ、ラヌは目的地を探っていた。
「カツミ、体の調子はどうですか?」
「よくなったよ」
「そうですか」
窓の外には竜の体が間近に見えている。
ラヌが前方の竜へ向けて意志を伝える仕草をすると、彼らは方向を変える。
その作業を繰り返しながら進んで行く。
眼下に覗く森は鬱蒼と暗かった。
「随分深い森なんだね」
「古い森ですので魔力を持っています。人を惑わす力がありますので気を付けて下さい」「森が意志を持ってるの?」
「私は一度迷子になったことがあります。正直今でもあまり気持ちの良い場所ではありません。巨大な木の精霊たちは侵入者を嫌いますので」
「……」
「竜たちが森の景色に酔わないよう進まなければなりませんので、地図がなければラヌ様でさえ森の民の住処へは辿り着けないのです」
遠くで轟音が響いた。
「ム!?」
ギュイヌは会話を中断して音のした方角へ目を向けた。
「森を襲っている――邪道機械だ」
既にラヌは敵の分析を始めていた。
森が土煙を上げている。その中心に架橋を伸ばした邪道機械が浮かんでいる。
煉瓦色で表面は角張っており、八方に展開していた。
「ギュイヌ、操舵を代われ」
「御意」
ギュイヌは急ぎ階段を降りて先端の操縦席へ向かう。
ラヌが目配せした。
「カツミ」
「うん」
千里眼の視鏡を描き出し、武装したラヌを敵へ向けて送り出す。
ボクはすかさず階段を下りた。
「ギュイヌさん! あっちに向けて!」
通路の先の操縦席に向かって叫ぶと、デッキへと飛び出した。
「グル……」
竜がかすかにうなり声を上げて旋回していく。太い幹のような足下へ飛び移り、竜脚に取り付けられた手すりを掴んで戦場を見た。ラヌが下方の目標に向けて空中を滑って行く。
これまでにない速度で滑るように空を翔ける。
その速度が、魔力と共に加速していく。
威力は充分に高まっている。一撃の間合いに凝縮していた。
だが……。
「!」
邪道機械は八方に広げた架橋構造を折り畳む。
体を形作る煉瓦が組み直され、新しいフォームを構成、変型した!
(くっ……どこを――狙う!?)
架橋構造が触腕のように伸びて、突入する軌道に柱を立てる。
「うっ!」
「ラヌ!」
変型の速度が異常に速い!
(ダメだ!)
ボクはその考えを打ち消して自分の中にあるイメージを。
避ける、そう信じるイメージを。
スキーの回転競技、旗門だ!
エッジを利かせて方向を入れ替え、足場を踏み換える――これだ!
伝達されてきたイメージを肉体に伝える。
次々と繰り出されてくる柱の壁。
側を掠めて行くが恐怖はない。
染みこむように、深く、速くチェンジインされてくる。
狙いを外さずにいられた。
ギリギリで、確信を持って躱しながら、駆け抜けて行く。
「中心を――打ち抜く!」
最後の柱を縦に回転して突破すると、そのままの勢いで斜め上から振り抜いた。
――バキィィッ!
岩を割るような炸裂音。
すれ違いざまの強力な一発で邪道機械は真っ二つに裂けた。
滑走の速度を落として頭上を振り返る。
やったか!?
割れた煉瓦が崩れ落ちる――。
崩れ落ちていた筈だった。
それが――。
瓦礫が集まり固まって行く!
「何だって!?」
「何!?」
二人の心に同時に警鐘が響いた。
架橋構造を作っていた煉瓦が集まってさらに巨大な塊を形成する。
「ま、まさか……や、やめろ――ッ!」
カツミの声に反応してラヌは頭上に向かって加速する。しかし……。
「まだ、十分な威力が……」
ボクにもそれが伝わった。悟って躊躇する。
「無理だ! 避けてラヌ!!」
「くっ!」
邪道機械へ向かうコースを大きく曲げて上空へ逸れた。
邪道機械が巨大な岩塊を投下する。もはや止めようがなかった。
爆音と共に激しく粉塵が巻き上げられる。
巨木の列がなぎ倒され、爆風が森を穿ち噴出する。
激震する森を深く傷つけ、邪道機械は身を折り畳むと、そのまま真上へ急速に退いて行った。
クレーターのように陥没し、土砂で薙ぎ倒された森の跡――そこに三人は降り立った。
延々と焼けた砂漠の景色が広がっている。
岩と森の残骸に埋め尽くされた間に倒木の欠片が覗いている。ラヌは憤って呟いた。
「なんということを……無残な」
ラヌの体が身震いする。そこには憤りとは別の感情が見て取れた。
ボクは言葉が出なかった。
思い出してゾッとする。あの時止めなかったらラヌがどうなっていたか……。
ここまでの激しい戦いは今まで想像したことがなかった。
そして――その覚悟もなかった。
「この辺りにもエルフたちが居たはずだ……しかしこれでは……」
「ラヌ様!」
幾重にも折り重なった古木が積み重なって埋もれていた。
「なんでここだけ……」
「まだ意識がある」
「え?」
ラヌは横たわる幹を前に静かに瞳を伏せた。深く集中していく。
物言わぬ巨木の残骸に語りかけるようだった。
唐突に地面が持ち上がる。古木の根が累積する土砂をはね飛ばして持ち上がった。
「アムミルバ! メゾストーラ!」
名前を呼ぶと竜たちが突進して古木の根に頭を突っ込んだ。そして支えるようにして持ち上げる。
「カツミ、ギュイヌ! 掘り出すぞ!」
言われるがままに持ち上がった根の下にできた空隙へ滑り込む。長い耳と緑色の髪、透き通るように整った肌と美しい顔立ち。三人の森の民が半分土砂に埋まって失神していた。ギュイヌと共に必死になって土砂を掻き出すと、露出した肩を掴んで引きずり出す。二人は青年、一人は少女だった。
三人を外へ連れ出すと砂埃を上げて古木は崩れ落ちた。
「……」
ラヌは衰えていく古木をじっと見つめる。幹が蘖を刷いた。それは急速に成長して羽根のついた種子を飛ばす。それが最後の力だったのだろう。朽ちて完全に抜け殻となった。ラヌは懐紙に種子を受け止める。保存の処置を施すと、畳んでそっと袖に仕舞い込んだ。
「無念だが先へ行くよりあるまい。ここでできることはもうない」
着陸すると竜たちは羽ばたきを止めた。
甲板の上から見ていると、下層へ行くに連れ緑の色が変わるのが分かった。地面近くは古い色褪せた色に染まっている。空からは完全に枝葉に覆い隠されて分からない小さな広場があった。
空気がひんやりとして、ミストが場を満たしている。苔生した大地に降りると、足下にごく薄く冷たく感じられる層があり、風が奔っている。
竜たちが運んできたエルフを甲板から下ろす。三人に外傷はないが深く眠っていた。
数人のエルフ達が全く気配を感じさせず現れた。マントに身を包み、人間で言えば青年くらいの顔立ちをした背の高いエルフを先頭にラヌに歩み寄る。
他のエルフたちは眠っている仲間の元に急いだ。
「ラヌ、しばらくだ。見違えたな」
「人の身であればな。マーシュリィ」
マーシュリィと呼ばれたエルフは、至極敬意を表し一礼した。
「今や君に並ぶ領主はいない。邪道機械を倒し、湖と仮の同盟を結んだのだから」
「そういう言葉は適切でない」
それはボクの気持ちと全く同じだった。
マーシュリィは感情の少ない面立ちに謝意を浮かべる。
「君の言う通り、浮ついた挨拶は不似合いだった。そちらのヒトにもお詫びしよう」
全てを見通すかのような、透き通った瞳を向けられる。
「良き木僚と領民への心遣いに感謝する。気持ちの休まる場所で休んで頂こう」
ラヌは袖から紙片を取り出すと、そっとマーシュリィに差し出した。
「すまない」
マーシュリィはラヌの肩に手を添え、共にボクたちを呼んで森へ招いた。
樹海に月が昇る。
目の前に伸びた枝越しに、樹上から月を見ていた。
あてがわれた宿舎は何層も部屋がある。ギュイヌが退いて二人、夜の森に広がる静寂の中に押し黙っていた。
「敗北は人を臆病にする」
眠衣のラヌがぼそり、と言った。
何かを言わなくはならない。
出発前、ラヌはボクを守って戦わないといけないと言った。
ボクはラヌに危険な戦闘を行わせたくない。
武装したラヌが危険だと感じたのは初めてだった。
ラヌが呟いた言葉――それを跳ね返すだけの拠り所がボクたちにはない。
勝ち続けることでボクたちは最高の巡り合わせだったから。
敗北が二人の間に敷いた虚ろは果てしなかった。
結局、何も言えないまま、床に横たわる。
そのまま眠ってしまった。
少女の意識は流れ込んでこない。
お互い別の場所へ紛れ込み、探すけど出会えないでいたのかもしれない。
探していたけどどこか会いたくなかったのかもしれない。
一人、自分を鍛えていた。
スラロームのコースでスキーの速度を上げていく。
ひたすらギリギリのタイムを狙って凌ぎを削る。
無理だと分かっていても更に攻めた。
しくじった瞬間時間が止まる。
最後のイメージ――限界を超えて派手にフッ飛んだ。
真っ白な景色が高速で広がった。
開いた薄目に月明かりが射し込む。
目の前にあどけない少女の顔があった。
こんなに近くにいるのに……
まるで何も伝わらないのは、意識の中でボクを探してるんだろうか。
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足りないのは自信だけ。
もう一度戦う。
双子の雲が着陸した広場は、森のあらゆる場所に通じる分岐だったようだ。
竜たちは何処か別の場所へ行ったのか姿を消している。
道と共に脈が通じてたゆたいの森全体に神気を送り込んでいた。
マーシュリィの案内でナシュークの一行は森の小径を進む。
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マーシュリィは説明した。
「先日は三名巻き込まれたが、領民の被害は極力避けられている」
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明るい森の入り口へ辿り着いた頃には暮れ始めていた。
「随分と離れたな」
マーシュリィは数人の逞しい男たちと共に若いエルフを呼び寄せて紹介する。
「帰りの案内はカルナフにさせる。どういう戦況になるか分からないからな。彼はここに待たせておくから、万一の場合は合流してくれ給え」
「お言葉だけ頂いておこう」
ラヌは型通りの礼を言った。マーシュリィは配置を説明する。
「長弓と石殺しの矢を持たせ樹頂に待機させている。領民の半数を揃えた」
近くの梢が囁くだけにしか聞こえないが、多くのエルフが参戦しているのだろう。
説明に耳を澄ます。
「ここは若い森だ。万一八脚が自分の一部を切り離して投下すれば森は深刻な痛手を負う。皆それが分かっているから懸命に戦うだろう。ただ、困ったことがある」
「攻撃すると破片を集めて投下してくることか? しかも再構成が異常に速い」
マーシュリィは忌々しげに、エルフ特有の鼻に漏れる音を立てた。
「先日の君たちの戦いは遠視のできる者に観測させていたが、救って頂いた三人が目覚めるまで実際の速度や質量、規模が分からなかった。我々は一方的に奴に攻撃を受けていたため変型することすら知らなかったのだ」
攻撃隊長らしき一名が申し出た。
「王よ、我々はそれを上回る早さをお見せしましょう。破片が無数にあっても正確に破壊できます」
他のエルフたちも瞳に強い決意を覗かせた。
「ああ、そうであろう。決戦の前にそれが分かったことは幸いだった」
マーシュリィは毅然と指揮を振るう。
「奴が現れるまでに万全を期せ」
エルフたちは号令を受け、瞬時に森へ姿を消した。
ひっそりと暮れる。
夜の静寂が広がる冥い空が天球に広がった。
僅かな星明かりに黒い影が生じる。
森に潜むエルフたちは一斉に攻撃態勢に入った。
空気が震えてラヌとボクは同時に立ち上がる。
「……」
一気に場の緊張が増す。
広げた八本の脚が頭上に迫っていた。
幅広の鏃が一斉に樹上の標的へ向かう。
邪道機械を形作る煉瓦の一つ一つを食い千切るために無数に打ち込まれる。そして火を噴いた。八脚が変型を始める。炎に焼かれる脚を一斉に下方へ向け、尖らせた。
瞬間、ボクはラヌの手を取っていた。
今日、始めて正面からその瞳を覗き込む。
心の距離が0になる。再び繋がったと分かるくらいラヌの決意が伝わってくる。
何も伝えられなかったけど、ただこう告げる。いつか言ったあの言葉を――。
「勝とう。勝てるから、ボクのイメージを信じて!」
充分伝わっている――そんな瞳だった。
風になった。
梢を超えて夜の空へ。月に影を踊らせて空にいた。
目の前で降下する邪道機械へ無数の矢が走って行く。
千里眼の視鏡が現れて、ラヌの姿を変えて行く。
攻撃隊長たちが低く走る声での檄を飛ばす。
射手たちは鏃を変えて第二波を一斉に放つ。
地下の水脈から掘り出した氷水晶が次々と燃える煉瓦を穿った。温度差が亀裂を生じて破砕させて行く。
執拗に繰り返され、跡形がない程に邪道機械を砂の欠片に変えて行く。
大量の砂煙が空気を汚した。
マーシュレイは木々を震わせてよく届く声を響かせる。
「このまま粉砕せよ!」
さらに大量の矢が隙間なく打ち込まれた。
砂煙が重たく空に止まった。星の明かりが地上に届かない。
それらは瞬時に凝縮した!
無数の岩塊が形成される――そして、落下を始めた。
黒い星たちが落ちてくる。
「なんということだ……」
マーシュレイは愕然と見た。
エルフたちは算を乱して樹上から撤退していく。
さらに頭上に広がった八本の脚の落下が加速して迫ってくる。
森全体に悲鳴が上がった。
ラヌは空を滑って加速して行く。
(あのチェンジインは――カツミ……やっぱり……信じてた)
もう迷わなかった。落ちていく黒い球を狙いながら、槌に魔力を蓄えて行く。
ボクは空から通撃のポイントを探っていた。
何をすべきかは自ずと明らかだ。後は狙い所を間違わなければいい。
(落ち着け……一度に破壊しないと)
二度と復元できないよう、魔力を散らすほど激しいインパクトを、全ての球に。
(え?)
出発の時に見た地図の記号が、不意に頭に流れ込む。全ての球が絶妙のタイミングで配置の中に収まった。
「そこだ! ラヌ!!」
既にポイントは目の前に合った。
微妙に魔力を制御しながら進入角度を変え、”突き”の態勢に入る。
(破壊するインパクトじゃない……魔力を潜ませ……雷を奔らせる。連続するインパクト)
先端に全ての魔力を込め、球を叩いた!
そのまま飛ばした黒球と加速していく。黒球は広げた橋脚に跳ね返ったが、ラヌは素早くそれを躱して上空へ突き抜ける。
煉場走の広げた脚と、他の黒球の間で激しく打ち合った。
鋭い打撃音が炸裂し合い、夜の森を震撼させた。
森の上に広がっていく粉塵の雲――カツミは息を呑んでそれを見ていた。
それはもやのように広がっている。弱々しい魔力で空に止まっていた。
(まだ再生する力があるのか? まずい!)
そのもやを切り裂いて火焔が奔る。
「えっ!?」
焼き尽くして森の上空が晴れて行く。
ラヌは足下を奔る火焔に明々と照らされて息を呑んだ。
新たに現れた巨大な影が灼熱を吐いている。
甲冑のような鱗がその身を包んでいた。
「ドラゴール!」
ギュイヌは満足そうに夜空を見上げた。
「竜たちが間に合いましたか」
表皮を失い、八脚が金属の梁を顕わにする。
ラヌの突進を阻むように道を塞ぐが既に動きが鈍かった。
槌に蓄えた威力で中心を打ち抜かれる。
鈍い金属音がして縦に亀裂が入った。
全ての魔力を散らして輝きと共に霧散する。
八脚は完全に消滅した。
静けさの戻った森の上で、竜達の脚に捕まったまま、ラヌと戦友を迎える。
「ドラゴール、感謝する」
「礼に及ばぬ。約を果たしたまでである」
そして巨大な瞳にボクを映した。
本当に有り難かった。
つい、
「あ、ありがとう」
瞳がギロリ、と見開かれる。
「風よ、また会おう。等しく勝利は我らの物である」
不躾な友情の言葉とともに翼をはためかせ、ドラグーンの王は去って行く。
見送ってラヌは……嬉しそうだった。
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