大魔法Hit!インパクト

夏々蜜柑

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二.ナシュークの領域

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 円壇を描くように、対円、大円、隊円。
 地面に描かれたのは広大なステージだ。
 塗りペイントではない。
 ――木。
 木の板、方向を持った。
 まるで甲板のように円形に疾る。
 硬質な樹脂で表面をコーティングされているから、ローラーの摩耗にも耐えている。
 雨の日の池に拡がる波紋のように。
 ガ――、ガ――ッ!
 車輪の転がる、舞台を削る音が、勢いよく響いて行く。
 これは競技だ。
 マリンルックの選手たち――いや、元マリンルックだった、というべきか。華やかに彩ったシンプルなフレアをなびかせて風を切る。手にしているのはアイスホッケーの道具のようだが、長尺でガッシリとしている。細身でありながら、破壊力に長けたそれはハンマーと呼ぶのが相応しい。
 ブーツのローラーで『甲板』の上を滑りながら、一撃必殺のタイミングを狙って体を丸め、力を蓄える。打撃をふるえば、固いコースターはウイングを広げて飛んで行く。飛行点速度フライング・ポイントへと発火するためだ。――インパクト。
 走る、選手たちは、交互に打撃を揮うため。
 走る、翼を広げたコースターを追って。
 隊円、対円、大円。
 回って重なり、いくつもの図匠を時の綾に描いていく。広がり空間に溶けていく。
 ボクはそれを――
 まるで脈動する陣のようだ、と思った。

 それは、いつも唐突に終わる。
 ボクだけが見る競技は、ボクが観客でなくなった時に世界の向こうへ封印される。

 それは朝だった。
 まぶたの裏に感じる光――でも、白過ぎる。
 蒼の縞を束ねた、白。
 異質な目覚め。
 いつもの部屋、世界ではなかった。
 眼を開く頃には、すっかり思い出していた。
 昨日、見たばかりの、この部屋も。

 窓の外――高い塔の上から、一面の、広い砂漠が広がっていた。
 髄分と、殺風景な景色。
 時折、微かに風がカタカタと、どこかで扉を叩く音を運んで来る。
 それも一瞬だった。

 窓の反対、部屋の内側は……
 重い本棚を、何重にも重ねて、塞いだ壁。
 木枠の重なりの向こうの狭い暗がりに、扉が覗いている。
「どこかへ行くと思ったのかな……」
 途端、重い壁のように塞いでいた本棚が、左右に次々と開いて通路を開く。
 扉が開き、真っ暗な本棚の隘路に、光が漏れ出す。
 重い法衣を重ねた魔導士が現れた。
 ゆっくりと、こちらへ歩いて来る。
 慌てたけれど、着のみ着のままだったことを思い出す。
 ラヌは、すぐ側まで歩いて来て、目の前に立った。
「目覚めより数刻、訪問には差し支えないと思ったが?」
 こちらをうかがっているようだった。
「あ、ああ、構わないよ」
 じっと見る。
「眠る時、眠具が必要なら、そう言うべきだ」
 ボクの衣類に不躾な視線を感じた。つまり、寝間着の用意が要るか?ということか?
 着替えてないことが分かるのか?
「就寝中は精神が解放される。魂が休息に入った肉体から自由になる。我らがするように眠りに際しては、活衣アクティガウンでなく、しかるべき眠衣レムガウンで魂を防御すべきだ」
「寝てないのが分かるの?」
「活動も公履も就寝も同じか? まことに奔放に魂を扱う。それではいざと言う時に力を集中できないであろう?」
 ものぐさでだらしないって意味なら当たってるけど。
 ボクは、昨日ラヌと話し合って、この世界についてある程度の知識を得た。
 一つはっきりしてるのは、昼間の公履の時間は、理詰めで皆、動く。ここは相当御堅い土地柄だと言う事。
 人を無理やり、こんな面白みもない場所へ呼び寄せたのは理由があるらしい。
 ラヌが期待しているのは、ボクの世界との理力の交換、チェンジインだと言う事だ。
 彼女(と言うとまた怒られるが)たちが脅かされている、攻撃に対抗するには他に手段がないらしい。この世界の武器や魔法では歯が立たないそうだ。
 実際には、この塔自体が敵の攻撃を、無害な威力へ変換するチェンジインの効果で守られているそうだが、領土は荒される一方だ。見ての通りの砂、砂、砂……。
「領土などと耳障りな造語を用いる……なぜ大地と地下と空を区別する必要があるか? 等しく我らの物、我らの影響下にある。する風も大気の精霊も異なる。領域と呼べ」
 などと注意を受けることにも、そろそろ慣れてきた。
 焦りと、理不尽な怒りが込み上げる。
 右も左も分からない。
 こんな土地に置き去りにされればどうなるか。
 しかしながら、状況的に、ラヌの機嫌を損ねる訳にはいかなかった。
 突然、ラヌは窓を勢い良く開け放った。
(驚かせるな。気にくわないことでもあったのか?)
 多分、違うだろう。今、ラヌは公履という状態の筈だ。昨日理解したのは、ラヌは、あのぶ厚い法衣を纏って、ボクに会っている時は心から感情を切り放しているということだ。
「早いな……十の一時だと言うのに? 機を乱したか」
 振り返り、ボクに命令をした。
「我の後に付け」
 ついて来い、と言わんばかりに、書棚が開けた通路へ早足を進めた。
「確認する。後に付け、と言った。後に付け、だ」
 後ろを振り返ると、睨みつけてくる。
 ボクは従った。

 螺旋階段を昇って行く。天井の低い、展望台のような場所へ出た。
 ラヌとは異なる法衣に身を包み、頭を白い布で包んだ男が待っていた。
「ラヌさま」
 ラヌは、男には目もくれず、窓の外――遠くを指さした。
「見ろ、『砂荒れ』の円場走えんばそうだ。ギュイヌ、下がってよい」
 男は素速く階下へ消える。窓の外には――
 輝く白砂の丘、そして天を覆う蒼、くすんで紫色の雲の連なりが浮かぶ。
 岩の山脈の上を走って来る奇怪な物体。頑丈な木製の円盤――重心があるらしい――が上下しながら、ピストンのような脚を岩肌に打ち込みつつ、傾けた前方へ進んで来る。遠目に見た大きさ、響いて来る岩を打つ音、相当に巨大なことが分かる。
「あの円場の脚柱は、我が領域に魔力を打ち込みつつ歩行する。岩は砕け、土は風に運ばれる。『砂荒れ』は、領域を砂漠へと変える円場だ」
「あれが敵なの……?」
「奴を魔法で退けようとしたが無駄だ。各脚に込められた魔力が常に領域に打ち下ろされて、あらゆる呪文を散らしてしまう。砂荒れが途切れることなく、かなでるように魔力を注入し続けている為だ」
「それでボクを呼んだの?」
「ひとまずは奴を止めるために、だ。出来る物なら、今すぐ役に立ってもらう」
「どうすればいいのか分からないけど?」
「……通用する威力を込めた道具、防壁、そういった物をチェンジインで変生して貰う」
「ラヌに武装を与えるってこと?」
「これから行うのは、知識ではなく、物体のチェンジインだ。高速で打ち込まれる魔力に対抗する威力を我に与えようとせよ」
「……」
 ラヌが何を言いたいかは分かった。やり方は簡単。ボクの世界の法則にあてはめればいい。あくまでボクの解釈になってしまうけどね。だけど……
「威力を我に与えよ」
「――ヘンな物が浮かんで来る。これを物に置き換えても、役に立たないと思うよ……」「それは防壁か?」
 首を振る。
「威力か?」
 首を振る。
 人が成し得る極限の運動。
 止まらない回転。
 輪転する力場。
 いつも意識の底で見ている世界。
 半分は自分の世界だが、自分の世界のどこにもない競技。
「ならば武装ウォーガウンか?」
「……そういうことなるのかな」
「ならば武装のチェンジインを助ける呪符コードを作り出す」
 ラヌが手を掲げると、胸の前に黒い札が現れる。
「領域の……加護を得て顕現する」
 差し出された札は、ズシリと重い。ボクを呼び出した時と同じように、等価の金属を用いて作り出した物らしい。
「これに移せばいいの?」
「汝の世界の法則を写し取らせろ」
 ボクの『居た』世界、の所有物ではない。
 ――知らないぞ。
 頭に思い描いた法則が流れ出す。交換するようにラヌを包んで飛ばした。
 それは、アッと言う間に行われていた。
 領域の加護――つまり、その領域のルールにより、その領域の法を守る。
 これに対するボクの世界の法則は『円板の上を走る規則』だ。
 高速に精神と肉体を反応させるには、あの法衣は体を縛り付け過ぎる。もっと直接肉体から魔力へ、力を行き渡らせるべきだ。つまり、超活衣スーパーアクティガウン。というか、風を切るセールが必要。マリンルックという、如何にも不似合いな衣裳をラヌに与える?
 魔力を打ち込む敵の脚へ、魔力をぶつけるのは槌。固い、扱い易い、威力ある一撃を産み出す。
 手は拳の威力を伝えるグローブ、精密な肉体の機能なので、この世界のガントレットの防護力を加味した。
 その他、剥き出しの弱点を効率的にカバーする……もっといい装備はあると思うが、ぼくの頭に浮かんだのはウインターシーズンに使われるゴーグルだ。
 機動力を、激しい体重移動を支えられる硬質のローラーを持つブーツに変えておこう。
 こんなものか?
 長い髪の毛を固定する髪止めはせめてものサービス。
 後から文句が出そうだが……
 もう一つサービス。口を塞いでおこう。
 スティック・オブ・ガム。
 いいのか?
 とりあえず、オーダー通り。
 ボクは自分の仕事に満足した。

 砂漠には、赤と黄色のリボンを腕にはためかせた、細身のハンマーを抱えたマリンルックの選手が不敵にガムをかみ締めて立っていた。
 ラヌは内心戸惑う。しかし、このスタイルでいる間、眼光の鋭さは失ってはならないと札に流れ込んだ法則に要求されている。
(た、帯衣がほとんど……肌が露出している? これでは意識が――保てない。ほんとにこれが武装なの?)
 ハッと気づく。
 言葉、思考、魂が縛りを失って、情念が入り込んでくる。
 自らの身内に興る昂ぶりだ。体が激しい動きに備えて、筋肉が震えている。
 不安定で、頼りないのに、肉体は、応えてしまっている。
 防御、飛翔、精神統一……
 熟練の魔導士であるラヌは、流れるように自然に身にまとう呪文を紡いで行くが、効果は目に見える間完結しない。ほとんどが魔力を支える『場』ではなく、武装に注がれていく。
 儚げで頼りない薄い布が、鎧よりも堅く、風よりも軽く、動きを増幅していく。
 魔導士にとって、体を動かすということは、最も不得手なことだ。だが、このすがすがしさはどうだ。鷹の素速さ、象の雄々しさ、虎の鋭さで宙を駆ける。
 踏み締めた砂の足場を瞬時に蹴散らして飛翔。
 体は滑るような勢いで宙を運ばれて滑走して行く。
 『砂荒れ』の円場は目の前に接近している。
 魔力を蓄えた柱が、頭上からかすめるように打ち込まれる。
 恐怖――決して公履では感じない筈の感情が剥き出しになる。
 クチャ、と口の中を噛むが、柔らかい感触が受け止めて、舌は噛み切らなくて済んだ。
 ひるがえると、体は宙を舞う。
 なびく胸元の布が、体より遅れて、脳に、思考に動きを教えてくれた。
 理解する。
 肌は、直に守護する風に触れて運ばれる。
 運ばれる時は空かされ、落下する時は魔力がれ合う。
 風がき出しの脚に触れるたび、鳥肌が立つ。
 しかし、相手にダメージを与えるべく紡いだ火と雷の呪文は全く発生しない。
 何度も攻撃しているのに……
 それは爆発寸前で槌へと伝わっていた。
(この槌は空洞? 攻撃を蓄えて威力が高まっている。まさか、これを……ぶつける? 直接、叩く?)
 考えた時には、腕が動いていた。続け様に打たれた円場の柱は、槌の一薙ひとなぎで弾かれる。魔力がぶつかって火花を散らす。
 何かが――弾けた。
 気持ちいい?
 スッ、と胸が晴れていく。緊張テンションが一気に解き放たれて『砂荒れ』に雪崩なだれ込む。
 キン、と鉄を打つカン高い音――武器職人が、彼らの炉のある作業場で聞くような、空気を震わせる声――が耳をついた。
 驚いた『砂荒れ』を、火と雷の鎖が走って覆う。
 あかい鎖。
 伝う電光。
 威力がまとわりついて、流れる。
 一気に『砂荒れ』を焼き尽した!
 落下して行きながら、焼け焦げた『砂荒れ』の跡――焼き砂――が迫る。
 着地と共に、熱い砂煙に覆われていた。
 もうもうと舞い立つ。
 熱い砂が肌に弾ける感覚にゾクゾクする。
 体が、グンと引っ張られる。
 送り出されたのと同じ力で。
 法則が消えていく。
 血に飢えた、胸のたかぶりと共に冷めていく――。

 ボクは――一部始終を、目の前の出来事のように見ていた。
 ラヌの『札』は、ボクの意識を、視力を歪めて戦闘の場へ連れて行った。
 間近でカメラを構えていたように、宙に舞い踊るラヌの、ひるがえる衣から覗く肌まで――
 プッツリと途切れた。

 目の前――法衣のラヌが再構成されていた。
 見張り台に、出し抜けに実体化する。
 呆然と、焦点の合わぬ目でボクの前に立った。
 胸元で光っていた札がハラリ、とほどけて赤いスカーフのように法衣の重ね目に貼付いた。
 ラヌはほのかに頬を染めている。
 ――あまりに似合わない光景だった。
「…………」
 し、知らないぞ。
 言うとおりにしただけだ。
 ボクの倫理もくつがえったけど、ラヌの精神的世界を構築するルールを全て踏み破ったことも想像できた。この途惑いが冷めた時、混乱といきどおりがどこにぶつけられるか――
「恐ろしい威力だ」
 へ?
「考えても見ぬことだった。発現前の威力を蓄えて通撃インパクトするなど。それを、可能にしたのがあの武装なのか……
 しかも、身に付けた防壁が軽い。飛翔もする。全く術に集中する必要がなかった……魂の力、湧き上がった術の源を吸収してまとい、直接術者に力を与える……」
 そうなのか? 目的は達成できたのかな。
「なるほど結論は……肉体による攻撃か……しかし――」
 ラヌはモジモジと体を揺さぶり、ボクを見た。
「汝、知っていたのか? 見ていたな?」
 そろそろと待ち構えた理不尽な尋問の気配が迫って来た。
 かろうじて体裁を保っていたが、明らかに取り乱している。
「知らないよ。無理やりチェンジインさせといて……」
「それもか? まさか自らの魔術力まで引き出してしまうとは思わなかったぞ」
 ラヌの視線の先――
 ボクは、ラヌを追った視力の正体を理解した。
 と同時に、動かぬ証拠を残してしまった気まずさも……
 布と同じ、赤い光で宙に描かれた、千里眼の視鏡スペクタクルズ・アイが浮かんでいた。
 まるで慌てて隠したように目の前で消滅したことが、怒りに火を注ぐ。
「我の肌を捉えた汝の視力識力、邪な魂の気配を感じたぞ。肉体から抜け出た魂を捉えようと、さらされた肌を狙う悪魔的欲望の眼差しだ!」
 理屈の組み立ては理解できないが、たどたどしく言葉を選びながら告げた事から、体験の乏しい出来事だったことが分かる。また、通常、魔導士の生活上、在り得ない出来事だったことも。
 ラヌの怒っている訳が分かった。
 すっかり頭に血が昇って――赤面してる。
「あ、あの武装、もう少しなんとかならぬのか? 帯衣で魂を守っていないと……その、些細な感情にたかぶって、気分が落ち着かぬ」
「いっ、今は……?」
 ラヌは物言わず、法衣と同化した胸元の赤い布に目をやる。
「……落ち着かぬ。これのせいだ」
 キッとボクを見る。
「よくも我を辱めたな?」
「じょっ、冗談だろ!?」
「屈辱だ……在り得ない」
「お陰で撃退できたじゃないか」
「忘れろ、今すぐ!」
「何を?」
「我のその……肉体の記憶を……」
 ラヌは最後まで言えずに、頭から煙を吹いた。
 言われると、余計意識される。
 膨らみとか、しなやかな張りとか……衣の端に踊っていた……
「忘れろ――――ッ!」
 呆然となっていたボクの思考をはかり、ろくでもない事を思い出していることが伝わってしまったようだ。
「おかしな気配をこれ以上振りまくな! わっ、我までおかしな気分に……酔いそうだ」
 相手の思考まで、研ぎ澄ました魔力の感覚で分かってしまう。
 そんな魔導士であることの脅威。
 彼女の引き出しを開けたのは、疑いなくチェンジインだった。
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