大魔法Hit!インパクト

夏々蜜柑

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序文

一.召喚儀

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 ボクは知っていた。
 もう一つの世界。
 そこは巨大な生物が動き回る砂漠。
 魔法の世界。
 すごく身近に感じられる。
 最初は眠っている時だけだった。
 今は起きている時も、その世界を感じている。
 その世界と、ぼくは知識を交換していたからだ。
 風――?
 空――?
 交換の儀式を入れ替えチェンジインと名付けた。
 だけど、それは、もう一つの世界で意味と実体を持ってしまった。
 どんどん、本当になっていく。
 こちらの世界とあちらの世界の鍵として、両方に存在する。
 作ったのはボク。

 学校へ向う日常。
 校門には風紀委員が立っている。
 現実にホッとすると、すぐにまた、あの世界を感じたくなる。
 図書館には図書委員。
 放送室には放送委員。
 教室には保健委員。
 校内には美化委員。
 その他もろもろ。
 皆が、この学園の世界を作るルールの番人になっている。


 現国の授業中、ボクはずっと、朝の出来事を考えていた。

    ×    ×    ×

 ぼうっとして、茂と麻美が呼びかけていることにも気づかなかった。
「あ――ぁ、こりゃ、全然進んでねぇじゃないか」
 美術部員の二人は、キャンパスの上の真っ白い画用紙を睨んで苦笑する。
「せめてデッサンか下絵くらい、できてると思ったのに」
 美術の実習は、休憩時間になっていたらしい。
 二人にからかわれ、渋々と手を動かす。
 一本の線が走った。
「な、なんだこりゃ……」
 茂が息を呑んで見る。それは擦れて引っ掻いた模様だった。
 続き模様が描かれている。
 頂点を向かい合わせにくっつけた正三角形。
 その二つを囲む四角。
 砂時計だ、と思った。

 砂時計――
 壁、窓ガラス、到る所にそれは見えて来る。

    ×    ×    ×

 あれは――なんだったんだろうか?
 ざわざわと胸が騒ぐ。教室の到る所から時計が浮き上がって来る。
「?」
 異変に気づいたのか、教師も、生徒たちも立ち上がって辺りを見回す。
 遠くで声が聞える。
 呼んでいる。
 招いている。
 足下の世界から、何かが!
「うわっ!」
 教師の叫び声、生徒たちの絶叫――
 教室全体が掴まれた。それほどの大きな力。


 砂時計の続き模様。
 それが、画用紙に描かれた象形インクの正体だった。
 指先で宙をなぞると、小さな砂時計で大きな砂時計を描く。
 直線が閉じると、それは光を放った。


 景色が――置き変わって行く。それはボクが作った現象。
 思考ではなく、入れ替えチェンジインが物体と空間に作用している。
 いたずらに描いた模様が、とある世界を暗示していたとしたら?
 異世界の門は容易く開いてしまうのかもしれない。
 扉はどこへ開くのか?

 肉体?
 魂?
 それとも時間に?
 空間――それは在り得ない。
 異なる世界は、異なる空間に存在するのだから。
 時間を遡れば、出発の前に広がる世界は存在できるかもしれない。
 ただ、そこへたどり着くみちはないだろう。
 世界は上へ行くほど先広がりになっている漏斗を、合わせ鏡のように、水面の上下に映しているようなものだ。
 上の広がりと等しく、下の広がりと同じ位置に、自分が存在したらと思うことがある。
 それは対象世界になる。
 価値がひっくり返る。
 ちょうど砂時計をひっくり返したように。

 天地が逆になる。
 それは、透明な地面の下に、存在していたものが、現実になること。
 目に見えるものが、全て裏返る。
 ボクは気づいてしまった。
 砂時計の本当の意味に。
 三分進めば、三分戻る。
 失われた三分は、別の世界へ消える。
 時間が進んでいる訳じゃなかった。
 別の時間へ、三分旅をして。
 元の世界の三分後へ戻って来る。
 でも、その三分が、永遠に戻らなかったらどうだろう?
 世界はひっくり返って、透明な地面の下の世界は、夢、幻、もう一つの現実が元に戻らなかったとしたら――?

(まさに、その法をかたどって貴方がある)
 一気に濃密な知識を潜った思考が、次第に理解する。
 漠然と恐れていた、その世界の危うさを知らされて。
 砂時計の砂粒が、細いガラス管をこぼれ落ちた。
 砂粒は二度と、元へ戻れない。
 これが、理解というものなのか?
「我が召喚儀に記された者よ。汝はこの世界の紫金千斤、濃鉄二十丕、少量の赭鉦しゃしょう及び灰銀と引き換えに召し出された。汝の技は確かか? 入れ替えチェンジインの可能なのはどこまでか?」
 黄灰色のローブ――ローブというのが正しいのであれば――をまとい、厚手の織物を何重にも重ねた、少女が問い詰める。
 断定的かつ一方的。
 この場の雰囲気を握っているのは、その人だった。
 つまり――拒否できない。答えなければ、ボクの存在自体が消え去る。
 暗く重厚に磨かれた堅い材の連なる天井――圧し潰されそうだ。
「汝の考えていることが……分かる。汝は、激しく言葉を入れ替えチェンジインしている。その魔力の軌跡が読める。
 汝が想うのは、我々の建物や服装の類似概念か? 『ローブ』とは、もっと具体的だ。すなわち、我の帯衣である法衣を差す。なぜ、装いに興味を募らせる?」
 それは――貴女が女だからです、とは言い兼ねる。
 それが、相手の心象に、どういう影響を与えるか、想像するだに恐ろしい。
 しゃれ、と言った人間の機微きびで通じ合える相手ではなさそうだ。
 同級生の女の子とは、威厳格式共に異質なほどに違う。
 まるで、道を極めた一界いっかいの人物に圧倒されているようだ。
「汝は我を道の大家と感じたか? それは的確な入れ替えチェンジインだ。畏怖や眼力といった対人概念は通じるようだ。次第に我の言葉が分かるようになって来たであろう?
 しかし、一方で汝は、我の性に執着しているな? これは不適格な入れ替えチェンジインだ。今は公履の時、汝と我の間に血は通わず、情を通じ得ない、儀式の不完全な相対関係だ」
 最初、彼女はボクを『貴方』と呼んだ。敬語で聞えていた。
 今は一方的に詰問されている。考えを読まれている。
 これは、彼女がボクとの関係を、急速に支配していると言うことか?
 では、呼ばれたのはボクの方――
「そうとも、汝は映しの身であった。水鏡の者、水月の世界の人よ。ところで、『彼女』という概念は曖昧な入れ替えチェンジインだ。汝の使う言葉には、伴侶や性的な相手の意味が含まれている。我の概念を正確に捉えよ。
 我は魔導の器、ラヌ・シュマリ。深淵なる精神を法衣に包み、今や満たされた器である。我は汝と異なり、この身一つの中に充実しているのだ」

 人間の本能をバッサリ、否定。
 つまり、理力で通じ合えと?
 心の問題は――見えない。
「あ……」
「喋るが良い。汝は自由。ただし、我は汝の存在を用いたい。もっとも……」
 ラヌは瞳を閉じて、意識を探る。
「……まだ理力が伴わぬか。無理もないのだが」
「元の世界へは……」
「気の毒だが、戻すための時間を積まねば機会も来ぬ」
「!」
「汝の声……まるで歌い手チャンターのように響く。入れ替えチェンジインは声の儀式なのか? 感覚を用いて魔法を成すとは……その声のみで、我が堂の空気が変わってしまった」
「……(喋るとまずいのか?)」
「いや、よい。ただし、入れ替えチェンジインを成す時は、あらかじめ我に申せ」
 ほっ、とした。恐る恐る言葉をつむぐ。
入れ替えチェンジインの意味が分からないんだけど……」
「御主の世界の法則を、我々の世界の物体に及ぼすことだ。名は何という?」
 唐突だった。
 名前の存在すら忘れていた。
「汝自身の『識』を高めよ。我もそれにならう」
「克巳」
「カツミ……? 聞かぬ言葉だ」
 単語としての意味はないだろう。
 言わば造語だから。
「なるほど、意味を偶しているのか」
 ラヌは、とうとうと語りつむぐ。
「言葉の上ではあるが入れ替えチェンジインを続けよう。もっと、言葉と思考が通じねば」
 ラヌがボクを解放するまでには、およそ半日の時が流れた。
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