都会の灯

いなぐ

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 兄弟は、都会の道端で立ち尽くしていた。都会に出てきたからといって、今までの貧しく惨めな生活が一変するわけではない、それは二人とも分かっていた。しかし、見渡す限り自分達と自分達の住む人間も建物も無い、荒涼とした土地に生まれ育ったサイムとウィルの兄弟は、高い建物が所狭しと並び、舗装された広い道を多くの人々や馬車がぶつかりそうになりながら移動している光景に目が眩んだ。もちろん、二人は学校や仕事のために地方の小さな町に行ったことはあったけれど、この国で一番人口の多いこの都市の賑やかさは比べ物にならなかった。繁華な光景に圧倒されながら、何か、予想もつかないようなことがこれから起きるだろうと、二人とも確信に近い気持ちを抱いていた。すると突然、誰かが兄のサイムにぶつかり、小柄なサイムはよろめいて、慌てて謝った。相手は三十代くらいの長身の男性で、サイムをきっと睨むと「田舎者が」と吐き捨て、素早く立ち去った。男が去った方向を呆然と見つめているサムに、弟のウィルは「何だよあの野郎。兄貴、大丈夫か?」と話しかけたが、サイムは黙ったままだった。田舎者だと思われたのは、短い謝罪の言葉にも訛りが隠しきれていなかったからだろうか?もしくは古い型の服を野暮ったく着ているから?それとも、都会の空気に飲まれてぼんやりしている態度のせいか?環境が変わっても人間はそう簡単に変わることができないが、ともかく自分は弟と共にこの都会で生活していかなくてはならないのだ、サイムは背筋をしゃんと伸ばすと自分よりも背の高い弟を見上げた。
「とりあえず、住むところを何とかしないとな」
「ああ」
 ほっとしたように頷くウィルを見たサイムは、いくら図体ばかりがデカくなっても目の前にいる弟はやっぱりまだガキなんだ、と思った。母親を失って以来、雛鳥のように自分の後ろにくっついてきたウィルの面倒を見る責任がまだ自分にはある、サイムの気持ちを強くしていたのはその自覚だった。本格的な冷え込みはこれからで、田舎だったら野外でも何とか耐えられる季節ではあったが、都会でそこらで寝ていたら、作法もろくに知らない田舎者は何をされるかわかったものじゃない。習性をよく知っている野生動物よりも、何をするか想像もつかない人間の方が怖い。ひとまずは安い宿屋を探すことが先決だと、サイムは周囲を見回したが、馴染みのない瀟酒な造りの建物は、一見して何のためにあるのか分からなかった。慣れない列車による移動で不自然に痛む体は休息を必要としていて、立ちこめる馬糞の臭いと飛び交う人々の声に頭も痛くなってきた。
「兄貴、やっぱり具合が、」
「いや。平気だ」
 ウィルの心配をはねつけるようにサイムはきっぱりと言い、少し声を落として「あそこの店の看板の字を読んでくれ」と向かいにある建物を指し示した。学校教育を受けた弟は、家族の中でただ一人、文字の読み書きができた。二人は雑踏に足を踏み入れる覚悟をすると同時に、寝床が見つかるまでにこの人混みの中で離れ離れにならないことを祈った。

 今までの人生で嫌というほど体を動かしてきたサイムとウィルは____特にサムは肉体労働に長い間従事してきた____体力に自信があったが、人工的な硬さを持つ街の道路は兄弟の足に負担をかけたようだ。真っ暗な部屋に入った兄弟はその瞬間、床の上に寝転がってもおかしくないほど疲れていた。サイムが部屋にある古びたランプをつけても、街灯が立ち並ぶ外の方が明るいようで、お互いの顔を判別するのにはだいぶ近づかないといけなかった。
 二人はできるだけぱっとしない外観の宿屋を当たってみたが、都市の繁華な場所にある宿屋の部屋の多くはすでに埋まっていた。不便な位置にある狭い部屋が残っているのを見つけたとしても、どこも非常に高い価格であったし、まごつく田舎者に対する受付の人の冷たい目線から田舎町のように交渉なんてできないことを二人は悟って、惨めに退散するしかなかった。サイムとウィルはかなりの距離を歩き、やっと納得できる値段の部屋を見つけた時には、もうすっかり日が暮れていた。その宿は都市の中心部から離れたところにあり、かなり年季の入った小さな建物だった。サイムが一泊分の代金を差し出すと無愛想な宿の主人はひったくるように受け取り、階段を上がって右に二つ目の部屋に行くよう兄弟に指示した。主人である年老いた男のしわがれた低い声は、この宿屋の雰囲気に合っていた。鍵はとっくに機能していないようで、軽く押しただけで扉が開いた。なぜかベッドは部屋の中央に置かれていて、そのそばにランプがあり、奥の壁____ベッドの頭側が向いている方だ____に小さな窓がある。他に目ぼしいものは何もない、質素な部屋だった。椅子もテーブルもないため、二人はベッドに腰をかけると、床と同様にギシ、と軋んだ。サイムは僅かに残った体力を振り絞って靴を脱ぎながら、二人で寝るにはベッドが少し狭いことを不安に思った。兄弟はこの数年間、二人で仕事を求めて各地を転々とし、貧しい生活をしていた。その間に別々の寝床があてがわれることはほとんどなかったので兄弟で寝床を共にするのは慣れたものだが、弟は寝相が悪いので壁際に寝ないと落っこちてしまう。サイムは弟に立ち上がるように指示し、二人でベッドを壁際に寄せようとしたが、ベッドは釘で床に打ち付けられていたのでぴくりとも動かなかった。若い二人の体には重い疲労がのしかかっていて、今すぐにでも寝たいという願望が一致していた。
「別に平気だよ。この高さじゃ落ちたって死ぬどころか、かすり傷だってできないさ。兄貴の瞼の方が今にも落っこちそうだぜ。早いとこ寝よう」
 元々口数の多くないサイムは喋る気力がないようで、無言で上着を脱いだ。ウィルは、この八歳年上の兄に気にかけられるのが嬉しかったが、最近は苛立ちも感じるようになっていた。俺はもう十八だ、いつまでも鼻水を垂らしているガキじゃない。ウィルのサイムへの愛情は、ただ一緒にいたいという気持ちから、一番に頼りにされたいという気持ちに変化していた。目まぐるしいことが次々に起こってすっかり忘れていたが兄弟は夜の寒さを思い出し、サイムが布団にくるまるようにベッドに寝転がると、ウィルもぴったりとサイムにくっついて横になった。一枚の薄っぺらい掛け布団はそんなに暖かいものじゃなかったが、二人で体温を共有すると自然に寝落ちた。
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