崩壊

いなぐ

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第一話-③:加山(兄)

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[兄:加山優也]


 最近、というかずっと、僕に接している時の拓也に違和感があった。拓也は世界で一番に大切な弟で相手もそう思っていることに疑いはなかったが、僕に対して壁を作っているように感じることがたまにある。思春期だし、何もかも全て打ち明けてほしいとは言わない。ただ、たった二人きりの兄弟なのだからもっと気を使わないでほしいと常々思っていた。
 和明くんの提案はそんな僕にとってまさに渡りに船で、おそらく拓也と一番親しい人物であろう和明くんにこのことをそれとなく相談する良い機会だと思った。和明くんは聡明な努力家で、賢い弟と気が合うのは納得がいく。ぼんやりして頭の鈍い兄の僕よりも、同級生で感覚も近い和明くんとの方が拓也との会話が弾むはずだ。
「お邪魔します。」
「どうぞ。」
 和明くんの部屋はいつも片付いていて、本や参考書、ノート類がたくさんあって、いつも関心させられた。二つ下とはいえ、そんな優秀で勉強熱心な和明くんに勉強を教えてもらえるのは本当に助かる。彼の大切な勉強時間を奪うことが申し訳ないくらいだ。
「なんか不思議な感じだね。」
 リュックを下ろして、勉強道具を取り出しながらそう言うと、和明くんは何か考え事をしているような顔をしていた。
「……ああ、いつもは加山がいますもんね。」
「そう。でも、正直すごく嬉しかったんだ。和明くんって拓也と仲が良いから兄の僕とも親しくしてくれるっていうだけで、僕自身には興味がないと思ってたから。」
 調子に乗って思っていたことを全部言うと、和明くんは少し固まったのちに、「そうですか。」とだけ小さく呟いた。何を思っているのか、ほぼ表情は変わらずに僕の方を見ないでいた。拓也がいないと和明くんと何を話していいから分からない。困って黙っていたら、和明くんは飲み物を持ってくると階下へ降りていった。僕は数学の問題集を開いて、分からないところをもう一度検討していた。

 勉強会は上手くいった。僕はよく分からない部分を丁寧に説明してもらい、そこからは各々の勉強に黙々と取り組んだ。やっぱり拓也は弟だから特別だが、和明くんも昔からの知り合いなので、一緒にいると静かでも落ち着いた。少しの思考の後によどみなくシャープペンシルを走らせる和明くんの下を向いた顔は、見知っているはずなのに新鮮な印象を受けた。
「どうかしました?」
「いや、あの、かっこいいなって思って。……ご、ごめん。」
 じっと見つめてくる僕を不審に思ったのか、和明くんが怪訝そうに顔を上げたので、慌てて取り繕うとするが本音が漏れてしまった。
「やっぱり優也さんって変わってますね。」
 和明くんがふわりと微笑んで、何だか余計に恥ずかしくなってしまった。
れてないっていうか……やっぱり愛されているからかな。」
「え?」
 和明くんの目に寂しさが宿って、僕はドキリとした。幼馴染の陰りのある表情は、幼い頃から付き合ってきたのに初めて見るものだった。拓也と同じく、和明くんも深くは立ち入らせないような何かがあった。何でも思ったことを口に出してしまう僕の方が変わってるのかもしれない、と、二人を見てると、自分の単純さを恥じ入るような気持ちになる。
「加山って、すごく優也さんのことを大切に思ってるから。」
 自分が弟と仲が良いという自覚はあったが、人から言われると少しむず痒い。それでもじんわりと心が暖かくなった。やっぱり弟のことは好きだし、和明くんは良い子だ。どちらも大切な存在であることに変わりない。
「……実は、少し気になってることがあって、」
 やっと言いたかったことを切り出すチャンスが来たのに、さっき和明くんが見せた悲しげな表情にまだ心が落ち着かなくて、顔が真っ直ぐ見られない。
「思い違いかもしれないけど、拓也はずっと僕に何か隠しているというか、気を遣っている感じがするんだ。あっ、でも、和明くんがもし何か知ってても、無理に話さなくていいよ。ただ、僕にできることはないかなあと思って。」
「……二人は、本当に仲が良いんですね。何だかけちゃうなあ。」
 妬けるってどういう意味だろう。和明くんは拓也の一番の親友だから、いくら身内だとしても僕に嫉妬したりするのだろうか。確かに僕と拓也は仲が良いが、それは兄弟だからで、他の人との関係の築き方は違う。妙な言い方になるが、兄弟は兄弟以上になれない。仲が良くても悪くても、一生兄弟のままだ。和明くんはもっと拓也と親しくなる可能性があるが、僕は拓也にとってずっと兄という存在であることに変わりない。それは嬉しくもあり、少し寂しくもあった。
「簡単なことですよ。」
 テーブルで向かいに座っていた和明くんが立ちあがって、僕の隣に座る。不思議に思って顔を見ていると、「加山はこういうことをしたいんです。」と言って和明くんは僕の頬に手を添えた。何、と訊く前に顔が近づいてきて、僕の唇に和明くんの唇が重なった。一瞬、何をされたか分からなかった。和明くんは目を閉じていて、僕は驚いて身を引こうとしたが、後頭部を掴まれた。やめて、と言おうとして少し口を開けたらすかさず舌が入ってきた、ぬるりとした感触に怖くなって目を閉じたら、余計に感触がはっきりと感じられる。途端に怖くなって体が震え出したが、かまわずに舌を強く吸われた。口の端からどちらのかわからない唾液が垂れ落ち、和明くんは角度を変えながら何度も僕の口の中をかき回して舌と舌を絡ませた。
 やっと解放されたかと思うと、まともに呼吸のできなかった僕は酸欠で頭がぼんやりして、「何でこんな、」と言った声がかすれた。
「少しからかっただけですよ。意地悪してすみません。」
 事もなげにそう言った和明くんは、シャツの袖で自分の唇をぬぐった。身体中が熱くて、急に自分が幼くて無知な存在に思えてくる。和明くんにとってはなんて事ない冗談なのだろうが、経験が少ないどころか皆無に等しい僕にとっては、頭を混乱させる行為だった。自分だけが頭いっぱいになって恥ずかしくなってる姿を見られてなくて、「ごめん。帰るね。」と、言葉を絞り出した。
「怒りました?」
「違うよ、ただ、びっくりしちゃって……。」
 できるだけ目を合わせないようにしながら勉強道具を片付けていると、まだ隣にいる和明くんの声が耳の近くで聞こえて、心臓の鼓動は依然として早かった。
「すみません、嫌でしたよね。」
 和明くんに申し訳なさそうにそう言われると、鼻の奥がつんとして視界がぼやけてきた。あ、まずい。と、思ったが、自分の力で止めることなどできず、目に涙が溜まって頬を伝っていく。
「嫌じゃない、けど、」
「泣かせるつもりは……、ごめん、優也さん。」
 あたたかい感触がすると思ったら、和明くんに横から抱きしめられていた。こんなに大きな体をしていたっけ、と昔よく触れていた小さな体を思い出した。二人のねつっぽい体が触れ合って、意外なことに和明くんの早い鼓動も伝わってきた。和明くんの大きな手が僕の頭にさっきとは違って優しく触れ、「ゆるしてください。」と耳元で弱々しく囁かれた。
「べつに怒ってないよ。混乱しただけで、いやっていうわけでもなかったし……でも、少しだけ、怖かった。和明くんが知らない人になったみたいで。」
 震える言葉で一生懸命に説明する。自分が泣いているのに和明くんが泣き出してしまいそうな気がして不安で、できるだけ相手を落ち着かせるように言った。
「俺もどうしてこんなことしたのか、自分でもよく分からなくて、でも傷つけるつもりなんてなかったんです。嫌いにならないで。」
 そう焦って弁解する和明くんは、少しだけ昔に戻ったように見えた。和明くんは僕のことをゆうやくんと呼んで手を引っ張っていくような元気な子どもだったが、いつの間にか僕に対してさん付けで敬語を使うようになり、よそよそしくなっていた。拓也と同じで人に対して少し距離を取っていて、でも頑張り屋で優秀なところはよく似ている。僕にとってはもう一人の弟みたいだ。もっと親しくなって頼られたい、そんな思い上がった欲求が頭に浮かんだ。
「大丈夫だよ。僕は傷ついていないし、和明くんのことを嫌いになんてならないから。」
 いつの間にか涙は引いていて、和明くんの顔を見る余裕さえあった。今はよっぽど和明くんの方が傷ついた表情をしていて、こんな顔もするんだ、と不謹慎ながら可愛く思った。
「あの……もう一回したいです。」
「え?」
 少し体を離して見つめ合った後、和明くんは意を決したようにそう言った。
「やっぱり嫌?」
「いやっていうか、……いやではない、けど……」
 どうして、と理由を訊きたかった。でもそんなことを尋ねる勇気は起きなくて、少し迷って「いいよ。」と頷いてしまった。和明くんはまた手を頬にそっと添えて、顔を近づけてきたので目を閉じた。やわらかく唇が触れて、それ以上のことは起きずにゆっくりと時間が過ぎた。離れたのを感じて目を開けると、顔を赤くした和明くんが微笑んで、
「加山とは……、弟とは、こういうことしませんよね?」
 と言った。「うん。」と答えた僕はなぜだか後ろめたい気持ちになった。拓也は家で一人で勉強をしているのだろうか、と考えると、途端に早く帰らないといけないような気がした。でも、心臓は高鳴ったままで、「嬉しい。」と言った和明くんの笑顔を、やっぱり可愛く思った。
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