あなたの愛が正しいわ

来須みかん

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1巻

1-2

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 その言葉に、僕は覚えがあった。
 以前、ローザに「話があるの」と言われた際に、相手をするのが面倒で「急には無理だ。今度からは約束をとりつけてから来てくれ」と告げたことがある。
 それを聞いたローザは、悲しそうな顔をして「わかったわ」と言い、去っていった。
 同じ言葉を言われた僕は、悲しいどころかローザに怒りを覚えた。

「僕たちは、夫婦だぞ!? どうして、僕のために時間をつくってくれないんだ!?」

 ローザはぽかんと口を開ける。

「じゃあ、どうしてあなたは今まで私のために時間をつくってくれなかったの?」

 その言葉は、僕を責めているわけではなく、ただただ不思議だからそう言っている、という感じだった。

「それは……」

 言葉につまる僕にローザはあでやかに微笑みかけた。
 その笑みの美しさに、思わず見とれてしまう。

「デイヴィス、わかっているわ。それがあなたにとって理想の夫婦だってこと。さわやかでほどよい距離の夫婦がいいのよね? それなのに、私ったら……」

 ほぅとため息をつくローザは、とても色っぽく、目が離せない。
 彼女はこんなにも魅力的な女性だっただろうか?



「ローザ……」
「あなたの気持ちも知らず、愚かな私はあれでもあなたのことを心の底から愛していたつもりだったの。今までつきまとって、本当にごめんなさいね」

 僕を見つめるローザの瞳に、以前のような熱がこもっていないことに気がつき、僕はなぜか衝撃を受けた。

「ローザ?」

 うっとうしいくらい僕を愛しているはずのローザは、僕がのばした手をうっとうしそうに払った。

「お茶会に行く時間だわ」

 そう言って歩き出したローザは、もう僕を見ていない。

「ま、待ってくれ!」

 呼び止めると、振り返った彼女の動きに合わせて赤いドレスがふわりと広がった。

「デイヴィス、あなたの愛が正しいわ。だって私、あなたを追いかけていたころより、今のほうがずっと幸せだもの。これからは、お互いにほどよい距離で暮らしましょうね」

 そう言ったローザの表情は、結婚式で「君を一生、大切にするよ」と伝えたときの、幸せに満ちた表情と同じに見えた。
 僕は信じられない気持ちでローザを見送った。
 そして、しばらく立ち尽くしたあとで、「きっと急いでいたんだ。そうに違いない」と自分に言い聞かせた。


   ◇◇◇


 夫の求める『理想の妻』になると決めた私は、とても幸せな日々を過ごしていた。
 その中でも一番幸せに感じることは、慢性的な寝不足から解放され、体調がよくなったこと。そのおかげで、思考がクリアになったことだ。

「寝不足って本当にいけないわ」

 健康的な生活を送ることで顔色がよくなり、肌にツヤも出てきた。
 服装を夫の好みに合わせようとは、もう思わない。
 今の私のクローゼットの中には、自分のためだけに選んで購入した新しいドレスが五着かかっている。
 お気に入りは、先日のお茶会に着ていった真っ赤なドレス。
 たくさんの人が「素敵だわ」「とてもよく似合っているわ」とほめてくれた。
 五着の新しいドレス以外は、すべてデイヴィスが好きそうな可愛らしく清楚せいそなものばかりだ。

「彼に『こういうドレスを着てほしい』と言われたわけでもないのに……」

 デイヴィスにほめられたい一心で、好きでもないドレスを毎日着ていた自分を思うと、あまりの愚かさに恥ずかしくなってしまう。
 私は、お気に入りだった淡いピンク色のドレスを手にとった。
 このドレスは、結婚当初にデイヴィスがプレゼントしてくれたものだ。
 デイヴィスが『似合うよ』と言ってくれたから、それだけでこのドレスはなにものにも代えがたい価値があった。
 でも、今となってはなんの価値も見いだせない。
 もともと淡い色は好きじゃないし、このドレスを見るたびに、愚かだった過去の私を思い出してしまう。
 それ以前に、流行遅れのドレスなんてどこにも着ていくことができない。
 そこで私は、ふと、結婚してからこのドレス以外にデイヴィスからドレスを贈ってもらったことがないと気がついた。

「結婚一年目は、デイヴィスとふたりで記念日をお祝いして、いろんな物をお互いに贈りあったわね」

 だけど、二年目になるとデイヴィスは「祝う記念日を減らそう」と提案した。
 お祝いするのは結婚記念日とお互いの誕生日だけになった。
 そのときの私に、不満はなにもなかった。
 しかし三年目の私の誕生日、デイヴィスは仕事で夜遅く帰宅した。プレゼントの準備も忘れていたようで、渡されたのは数日後だった。
 結婚記念日のことは、覚えてもいなかった。

「今になって、ようやく気がついたわ。記念日なんてお祝いしない。それが彼の理想の夫婦だったのよね」

 三カ月後にデイヴィスは誕生日を迎える。いつもなら今の時期から盛大に祝う準備をはじめていたけど、今年はなにもしなくてよさそうだ。

「……私はデイヴィスの『理想の妻』ではないけど、デイヴィスも私の『理想の夫』ではなかったのね」

 婚約したころから結婚当初までは、たしかに優しくて毎日「愛している」と伝えてくれる『理想の夫』だった。しかし、結婚生活に慣れてくると、彼は『妻を愛して大切にしてくれる理想の夫』ではなくなっていった。
 そのことに気がつかなかったせいで、だいぶ時間を無駄にしてしまったような気がする。
 私はメイドを呼ぶと、過去の私のドレスをすべて処分するように伝えた。

「どこかに寄付してもいいし、お金に換えてもいいわ。とにかく、私の目に入らないところへやってちょうだい」
「はい、奥様」

 メイドたちは数人がかりで、ドレスを部屋から運び出した。
 ガランとしたクローゼットを見た私は、まるで生まれ変わったように清々すがすがしい気分になる。
 ふと、クローゼット内のたなに置いてあるアクセサリーボックスが目に入った。
 その中には、デイヴィスの青い瞳や金の髪と同じ色のアクセサリーが並んでいる。
 これまでの私はデイヴィスの色を身にまとうことに幸せを感じていた。
 でも、今になってみれば、どうしてこれをほしいと思ったのかわからないものばかりだった。

「私……青色って好きじゃないのよね」

 私はもともと青色より赤色のほうが好きだったし、ゴールドよりシルバーのほうが肌になじんで、上品に見える。
 それにここにあるアクセサリーのような可愛すぎるデザインも好みじゃない。
 私はもう一度メイドを呼び、アクセサリーボックスごと処分するように命じた。

「宝石商を呼んでちょうだい。新しいアクセサリーを買うわ」
「はい、かしこまりました」

 一年前にデイヴィスに仕事を任された日から、お茶会に参加する時間をつくれなかったし、買い物をする余裕もなかった。
 だから、伯爵夫人の私にあてられた資金はほとんど手つかずで残っている。

「伯爵夫人にふさわしい姿をすることや、この資金をうまく運用することも私の大切な仕事なのに、本当に私ったら……」

 今までの自分を後悔しはじめるとキリがない。
『これから変わっていけばいいのよ』と、私は自分自身をなぐさめた。
 大きなため息をつきながら、私は自室で不用品探しを続ける。
 デイヴィスに夢を見ていたころは宝物だったけど、今となってはゴミになってしまったものが、この部屋の中には、まだたくさんある。


   ◇◇◇


 月に一度行われる友人たちの会合が長引いて、帰りが深夜になってしまった。
 僕が馬車から降りると、伯爵邸の明かりはほとんど消えていて、静寂に包まれていた。
 僕の帰宅に合わせて、執事のジョンが出迎えてくれる。
 でも、いつも僕の帰りを待ち構えていたローザの姿は見当たらない。

「お帰りなさいませ。旦那様」
「ローザは?」

 そう尋ねるとジョンは「時間も遅いので、奥様はお部屋でおやすみになっています」と微笑み、目元のシワを深くする。

「まったく……」

 僕の妻は、まだすねているようだ。
 あの夜会の日から、ローザはこんな風に僕をけ続けている。愛する僕に『うっとうしい』と言われたことによっぽど傷ついたのだろう。

「あーもう、わかった、わかった。今回は僕が折れるよ」
「は、はぁ? 旦那様、どちらへ?」
「ローザのところに行く」
「あ、いえ、ですから、奥様はおやすみに……」

 止めようとするジョンを無視して、僕はローザの寝室へ向かった。
 ローザはいつだって僕に愛されることを望んでいる。
 今は少しすれ違ってしまっているが、優しく抱いてやればすぐに機嫌が直るはずだ。
 ノックをしないでローザの寝室のドアノブに手をかける。
 だが、扉には相変わらず鍵がかかっていた。
 前は幼稚ようちな嫌がらせだと思い腹を立てたが、これはローザの精一杯の『怒っています』アピールなのかもしれない。

「ローザ」

 扉を叩き何度か名前を呼ぶと、ようやくローザが姿を現した。

「デイヴィス? こんな時間にどうしたの?」

 驚いているローザは、胸元が大きく開いた部屋着を着ている。その姿を見て、やっぱり彼女は僕が寝室に来ることを望んでいたんだとわかり嬉しくなった。
 ローザは僕の視線に気がついたようでほおを赤らめる。

「今までと違っていて、驚いたでしょう?」

 たしかにこれまでのローザは、大人しい服を好んで着ていた。
 でも、今のローザのほうが何倍も魅力的に見える。

「ああ、驚いたけど素敵だよ」

 嬉しそうに微笑むローザを抱きしめたくて仕方ない。
 ローザはイタズラっ子のように微笑んだ。

「実はね、私、本当はこういう服が好きなの。でも、あなたが大人しくて清楚せいそな女性が好きだと言っていたから、あなたに好かれたい一心で今まで無理をしていたの」

 本当にバカよねぇ、とローザはため息をつく。

「デイヴィス、安心してね。私はもうあなたに好かれたいなんて思っていないから」

 僕の頭は真っ白になった。
 ローザは晴れやかな表情で言葉を続ける。

「あっ、でも今まで通り、月に一回は寝室をともにするわね。それは伯爵夫人の務めですもの」
「月に、一回?」
「あら、多かったかしら。でも、これはあなたが決めたことよ」

 そうだった。
 ローザの寝室に行くのが億劫おっくうで、仕事が忙しいことを理由にそう伝えていた。
 胸騒ぎがする。
 僕はあわててローザの肩を抱き寄せようとした。
 いつもなら、すぐに僕の腕の中でうっとりするのに、ローザは眉間にシワを寄せる。

「デイヴィス、今日じゃないわ」

 そう言うローザの声は、なぜか冷たい。

「いいじゃないか」

 ローザは迷惑そうに僕の手を払った。

「私、眠いの。こんな時間に急に押しかけてきた上にそんなこと、非常識よ」
「そんな、僕たちは夫婦だろう?」

 必死にローザに微笑みかけると、ローザは「そうね、私たちは夫婦だわ」と言ってくれた。

「なら……」
「でも、あなたが理想とするのは『さわやかでほどよい距離の夫婦』だもの。私の理想の『お互いを大切にして愛し合っている夫婦』じゃないわ。だから、ダメよ」

『愛し合っている夫婦じゃない』。ローザにそう言われて、僕は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

「そんな! 僕たちが愛し合っていないだなんて、いくらなんでも……」
「あら、あなたの愛には限度があるんでしょう? 私の愛はうっとうしいからいらないって言っていたじゃない」

 それはたしかに、僕が夜会で言ったことだ。

「でも、あのときは、酔っていて……」
「酔いがさめたあとでも、あなたは謝りに来なかったわ。だから、あの言葉が真実だと私はわかったの。もう気にしないで、私も気にしていないから」

 本当に気にしていないというように、ローザは眠そうにあくびをかみ殺した。『早くこの話を終わらせたい』……そんな空気を感じる。

「僕は君を愛しているよ! 君だってちゃんとわかっているだろう?」

 眠気のせいなのか、ローザは幼い子どものように首をかしげた。

「そうなの? でも、あなたは先月寝室をともにすると決めた日も来なかったわ。あのときの私は、朝まであなたが来るのを、一睡いっすいもしないで待っていたのよね……。それがあなたの愛情表現だというなら、あなたの愛と私の愛は違うみたい」

 そう言うローザの翡翠ひすいのような瞳に、僕を責める色は一切なかった。ただ、事実だけを淡々と述べている、そういった雰囲気だ。
 僕は、ようやく自分のあやまちに気がついた。

「……僕は……。今まで君に、なんてひどい態度をとっていたんだ……」

 ローザが僕を愛してくれることを当然だと思い、傲慢ごうまんな態度で彼女を傷つけてきた。

「ローザ……すまない。これからは、君を大切にするから……」
「いいのよ。デイヴィス」

 女神のような慈悲深じひぶかさで、ローザは微笑んでくれている。
 ああ、ローザ。優しい君ならきっと僕を許してくれると思っていたんだ。僕たちは、ここからやり直そう。
 僕がローザにふれようと腕をのばすと、ローザは笑みを浮かべたままうしろに下がり、僕から距離をとった。

「いいのよ、気にしないでデイヴィス。だって、私、もうあなたに大切にしてもらいたいだなんて思っていないもの。今までのことを謝るのは私のほう。あなたの愛が正しいわ」

 小さくあくびをしたローザは「おやすみなさい」と満面の笑みで扉を閉めた。
 すぐにガチャリと鍵がかかる。
 それは、ローザの心にかけられた鍵だった。
 ローザの心からしめ出された僕が今さらなにを言おうが、彼女にとってもうなんの意味もないのだと、僕はようやく気がついた。




   第二章 新しい私


 今日は、王宮で夜会が開かれる。
 この夜会には、ファルテール伯爵である夫も招かれているので、私も伯爵夫人として一緒に参加することになっていた。
 私はこの日のために夜空を思わせるような黒色のドレスを新しく仕立てた。黒くツヤのある生地に銀糸で上品な刺繍ししゅうがされている。
 このドレスは、今まで私が着ていた淡い色や、ふわりとスカートが広がるような可愛らしいデザインではない。体のラインがはっきりわかるし、胸元も下品に見えない程度に開いているものだ。

「少しやりすぎたかしら?」

 私が不安になっていると、メイドたちは瞳を輝かせながら「素敵です、奥様」「とても、お似合いです!」とほめてくれた。

「そう?」
「はい!」

 嬉しくなった私は、遠慮せずに自分の好きを追求することにした。
 いつもとは違うメリハリのついた化粧をほどこしてもらい、目尻に少しだけ赤を入れる。イヤリングとネックレスは、大好きなルビーでそろえた。

「奥様、髪はどうなさいますか?」
「そうね……」

 私の髪は、デイヴィスの鮮やかな金髪とは違い、白っぽい金色だ。そのせいで、デイヴィスが好きそうな淡い色のドレスを着ると全体的にぼやけた印象になってしまう。それを髪形でごまかそうとしていたので、今まではできるアレンジがかぎられていた。
 でも、今日は黒いドレスに濃い化粧なので、このプラチナブランドもコントラストがはっきりして見える。どんな髪形にしてもぼやけた印象になることはないだろう。

「あなたたちに任せるわ」

 それを聞いたメイドたちは「結い上げましょう!」「いえ、奥様の美しいプラチナブロンドなら下ろしたほうが!」とあれやこれや提案して騒ぎだす。
 最終的には右側にシルバーの髪飾りをつけて、左側に髪を流すことで落ち着いた。

「できました!」
「お美しいです、奥様……」

 メイドたちは、満足そうな顔をしている。

「ありがとう」

 姿見には、デイヴィスのためではなく、自分自身のために着飾った私が映っている。
 その姿は堂々としていて、とても幸せそうだ。
 私は最後の仕上げに、デイヴィスが贈ってくれた結婚指輪を左手の薬指にはめた。青い宝石がついたゴールドの指輪だったけど、まぁこれも悪くない。
 今の私になるきっかけをくれた彼には、とても感謝している。
 身支度を終えた私が自室から出ると、なぜかデイヴィスが扉の前で待っていた。
 彼は目を見開き、こちらを凝視している。

「デイヴィス。こんなところでなにをしているの?」

 私の声で我に返ったデイヴィスは、「君を迎えに来たんだ」と微笑んだ。

「迎えって……。いつもは馬車の前で合流しているのに?」

 私は差し出されたデイヴィスの手をとらず、ひとりで歩き出した。そのあとをデイヴィスがついてくる。

「ローザ、どうして僕にエスコートさせてくれないんだい?」

 デイヴィスの言葉に私は苦笑してしまう。

「エスコートは、会場でだけ」
「え?」
「前にあなたがそう決めたじゃない」

 本当にデイヴィスはうっかりしているところがある。
 自分が決めたたくさんのルールをもう忘れてしまったらしい。

「そんなこと、言ったかな……」
「言ったわよ。過去の私はあなたに嫌われたくなかったから、あなたに言いつけられたことを全部書き残して、何度も読み返していたの。だから、間違いないわ。今思うと、私ったら気持ち悪い女ね。それに……」

 私は、ついため息をついてしまった。

「あなたはずっと前から、そうやって私に遠まわしに『うっとうしい』『つきまとうな』と言ってくれていたのね。それなのに少しも気がつかなくて、本当にごめんなさい」

 うつむいたデイヴィスからは、小さなうめき声が聞こえてくる。

「……僕は君に、他にはどんなことを言ったの?」
「ひとつも覚えていないの?」

 あまりの記憶力のなさに、彼はなにかの病気なのではないかと疑いたくなる。
 でも、そうじゃない。
 ただ私に少しも興味がないだけなのだ。
 私だって、無理やり宝石を買わせようとすりよってくる宝石商になにを言って断ったかなんて、いちいち覚えていない。
 それと同じで、うっとうしい女を追い払うための言葉を、デイヴィスも覚えていないだけ。
 そう考えると、彼が自分で決めたルールを忘れていることにも納得できた。
 しばらく悩んだデイヴィスは「君とダンスは踊らない、とか?」と言いながら視線をそらす。

「そうね。あなたはダンスを踊らない主義なのよね」
「あれは……その、あのときは疲れていて、つい、そんなことを言ってしまっただけなんだ。ええと、だから……」

 なぜかしどろもどろになっているデイヴィスに安心してほしくて、私は優しく微笑みかけた。

「心配しないで大丈夫よ。あなたは、もう私のことで疲れる必要なんてないわ。あなたの言う通り、夫婦でもほどよい距離でいることって大事よね」

 私が「忘れているのなら、あなたが決めたルール、今度、見せてあげましょうか?」と提案するとデイヴィスは「……ああ」と暗い声で返事をした。

「どうしたの? 具合でも悪いの?」

 私の問いに「いいや」と答えたデイヴィスは、それきり黙り込んでしまう。
 彼が不機嫌になって黙り込むのはいつものことだ。
 以前の私なら機嫌を直してもらおうと必死に話しかけていたところだけど、そういう行動もきっと『うっとうしい』に含まれていたんだと今ならわかる。
 馬車に乗り込んだ私はすぐにデイヴィスの存在を忘れて、窓から見える景色を楽しんだ。
 こんなに楽しい気分で参加する夜会は久しぶりだった。


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