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1巻

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 その声には、明らかに怒りが含まれている。

(そりゃそうだよね。自分も庶子だもん)

 メアリーは、ここは演技力の見せどころだと思った。ちなみに演技なんて今まで習ったこともないが、やらないと死ぬところまで追い詰められている今ならなんでもできる。というか、もうやるしかない。

「も、申し訳ありません! わ、私ごときが余計な発言を!」

 馬車の窓に顔を寄せ、小刻みに震えながら「ぶ、ぶたないで……」とこんがんする。

(どうだ、薄幸美女のおびえる姿は!?)

 演技だとバレないように必死に顔を隠してうつむいていると、エイベルが強く自分の両手を握りしめているのが見えた。

「……ぶたれてたの? 庶子だから?」
「い、いえ! 違います!」

 必死に首をふると、エイベルはなにかに気がついたようだ。

「その頬の傷は?」
(きた――!!)

 メアリーはそっと馬車の外を見る。そこには白馬にまたがるルーフォスの姿があった。慌てて視線をエイベルに戻し「か、階段から落ちました」と、わざとバレバレな嘘をつく。

「階段? ふざけるな! これは切り傷だ! それも剣のような鋭い刃物で……」

 そこまで言ってエイベルは黙った。そして、馬車の外にいるルーフォスに視線を送る。

「……まさか、ルーフォスに?」
「ち、違います! これは、私が悪いから! 私が汚らわしいから!」

 エイベルはため息をつくと、赤い髪をぐしゃぐしゃとかき乱した。

「……ちょっと待って。僕は容疑者を拘束して、事件の真相を聞きに来たんだ。どうしてこんな話になってるんだ?」

 冷静になろうとしているエイベルに、メアリーは「わ、私じゃありません……」とささやいた。

「は?」
「す、すみません!」

 精一杯おびえる演技をすると、エイベルが「ごめん、怒ってないから!」と慌てた素振りを見せた。その様子に、メアリーは思う。

(いや、ほんと外見って大事よね……)

 以前の、キツいメイクに毒々しい色合いのドレス、派手な巻き髪で『どこからどう見ても悪女です!』みたいな外見のメアリーであれば、まずエイベルは馬車に乗りこまず、もし乗りこんだとしても、話すら聞いてくれなかっただろう。

(きっと聖騎士に選ばれた連中は、清楚系美女がおびえていたら優しくしたくなるんだわ。アイツら、基本は正義感の強い紳士だもんね。それに、こんな美女なら女の私でも助けてあげたくなるし)

 そんなことを考えながら、メアリーはおずおずとエイベルを見た。緑色の瞳がメアリーの次の言葉を静かに待っている。

「私は、お父様から聖女になるようにきつく言われて育ちました。聖女にならないと捨てられてしまいます……。ですから、パティ様に嫌がらせをしました。本当に申し訳なく思っています。ですが、パティ様の命を奪ってまで聖女になろうとは思っていません」

 メアリーはそっと目を伏せた。

「……それに、お父様には見限られてしまいました。もう私は聖女なんてどうでもいいです。聖女になれなかった私が生きる意味はなんでしょうか? 今さら保身のための嘘はつきません……。それより、真犯人が捕まらずパティ様の身がまた危険にさらされないか心配です」

 ここでホロリと涙でも流せたらいいのだが、そんな天才子役のような神業はできない。それでもエイベルはなにか思うところがあったようで、それきり黙りこんでしまった。

(これ……大丈夫かな? 背中の傷も見せておいたほうが説得力あったかな?)

 そんなことを考えていると馬車が止まった。窓から外を見ると、聖女候補として足繁く通った荘厳な神殿の入り口が見える。
 御者が馬車の扉を開くと、エイベルは馬車から降りていった。

(私、ここから生きて出られるのかな……。いや、もうやるしかない!)

 覚悟を決めてメアリーも馬車から降りようとすると、エイベルが右手を差し出してきた。メアリーが驚いていると「いいから」とよくわからないことを言う。

(もしかして、エスコートしようとしてくれているの?)

 恐る恐るエイベルの手に触れると、エイベルはメアリーの手を軽く握った。

「僕は、君のこと、ずっと勘違いしていたみたいだ」

 気まずそうにそうつぶやいたエイベルを見て、メアリーは『コイツ、ちょろいな』と思った。
 エイベルにエスコートされながらメアリーが馬車から降りると、白馬から降りたルーフォスがげんそうな顔でこちらを見ていた。

(そりゃそうだわ。聖騎士が容疑者をエスコートしてどうするの)

 でもこれは、エイベルがメアリーに同情した結果なのだろう。なぜなら、ゲーム『聖なる乙女の祈り』のエイベルは、メアリーと同じ庶子でも、まったく異なる待遇で育っていたからだ。
 エイベルの父、フランティード侯爵は愛妻家で有名だが、夫人との間に子どもができなかった。
 このままでは、侯爵家を親類に引き継がせなければならなくなる。それなのに夫人が「側室を置いてください」と何度お願いしても侯爵は夫人だけを愛し、首を縦にふらなかった。
 追い詰められた夫人は、侯爵に媚薬を盛り、信頼できる女性と関係を持たせた。そうしてできた子どもがエイベルだ。エイベルは侯爵夫人の子どもとして、侯爵夫妻にとても愛され大切に育てられた。
 それなのに、同じ庶子のメアリーが、庶子であるというだけでひどい扱いを受けていたと知り、つい同情してしまったようだ。

(でも、エイベルって良くも悪くも自由で気まぐれキャラだから、あまり信用しないほうがいいかも……)

 今はメアリーのことを可哀想に思っていても、同じ聖騎士のルーフォスの話を聞いたら、またコロッと態度を変える可能性もある。
 隣を歩くエイベルをチラリと見ると、エイベルはメアリーの手をじっと見ていた。

「ちょっと細すぎない? 前はこんなんじゃなかったよね?」

 エイベルの言う通り、以前のメアリーは女性らしい柔らかな身体つきだった。メアリーはさらに同情を誘うために、そっと目を伏せた。

「……謹慎を受けてから、なにも食べさせてもらえなくて……。でも、それは仕方ありません」

 消えそうな声でそう伝えると、ギリッとエイベルは歯を噛みしめた。そして、怒りのこもった瞳をルーフォスに向ける。
 エイベルは、メアリーのことを気遣うような優しい声で話し出した。

「メアリー、君の罪はまだ確定したわけじゃない。パティだけはずっと君は犯人じゃないと言っていてね。伯爵令嬢の君が、無実の罪で牢屋に入れられるのはひどすぎるとパティが言うから、温情で伯爵家での謹慎に留まったのに……そんな扱いを受けていただなんて」
(パティ、私を助けようとしてくれていたのね……ありがとう)

 パティには犯罪ギリギリの嫌がらせをしまくったのに、それでもメアリーをかばってくれるなんて。彼女こそ、真の聖女だと今ならわかる。

(でもまぁ、エイベルさんよ。その話が本当なら、『パティだけは』ってことは、アンタはついさっきまで私が犯人だと決めつけてたってことだよね? まぁ、私の日頃の行いが悪かったのは事実だけど、とりあえず私に一回謝ったらどうなのよ)

 思惑通りにエイベルの同情を買うことができたが、心は少しも喜べない。エイベルを殴りたい気持ちを必死に抑えていると、怒りで身体がカタカタと震えた。その震える肩にエイベルがそっと手を乗せる。

「大丈夫。僕がついてる」
(信用できるか――!!)

 叫び出したい気持ちをこらえて、メアリーは「あ、ありがとうございます」となんとか返事をした。
 メアリーは広い神殿の通路を、ルーフォスにはにらみつけられ、エイベルには優しくエスコートされながら歩いた。誰も一言も話さない。荘厳な空間には、コツコツと三人の足音だけが響いている。メアリーは天井を見上げて軽くため息をついた。

(そもそもさぁ、聖女を聖騎士の投票で選ぶっていう、この国のシステムが悪い)

 この世界で聖女になるには、聖騎士たちにその力と人間性を認められる必要がある。ようするに、聖騎士たちから一番人気を集めた女性がこの国の聖女となるシステムだ。
 だから、聖女になりたければ、どうしても聖騎士たちの顔色をうかがわなければならない。

(ゲームプレイ中はなんとも思わなかったけど、なんて不公平なシステムなのよ。聖騎士っていっても普通の男なんだから、そりゃ好みの女性に投票するでしょう)

 ちなみに、聖女候補は二人、聖騎士は五人。それぞれ聖なる力が強い者順に選ばれる。
 聖女候補は、メアリーとパティ。聖騎士は、ノーヴァン伯爵家の令息ルーフォス、フランティード侯爵家の令息エイベル、あとの三人もゲーム『聖なる乙女の祈り』の攻略対象たちだ。そして悪女メアリーは、この五人の聖騎士全員から嫌われていた。
 ゲームではどのルートでもメアリーが死ぬことから、聖騎士たちに嫌われているどころか、隙あらば殺したいくらいに思われていると考えておいたほうが良さそうだ。

(あー、頭が痛くなってきた)

 メアリーが額を押さえると、すぐにエイベルが「メアリー、大丈夫?」と声をかけてきた。その様子を見たルーフォスが冷ややかな視線を向ける。エイベルはルーフォスをにらみつけた。

「なんだよ、ルーフォス」
「いや、見事にたぶらかされている、と思ってな」

 ルーフォスは、エイベルではなくメアリーを見ていた。

「お前は昔からそういうのが得意だった」

 意味ありげに鼻で笑われ、メアリーは首をかしげた。

(は? 男をたぶらかすのが得意だったら、今、こんなことにはなってないっつーの!)

 しかし余計なことを言ってエイベルの同情を失うわけにはいかない。
 メアリーはエイベルの腕に少しだけ身を寄せると、小さな声で「申し訳ありません。ルーフォス様」とだけつぶやいた。ここでは変に言い訳をするより、ルーフォスにおびえているふりをしてエイベルの想像に任せたほうが良さそうだ。
 おびえる薄幸美女の効果は抜群で、エイベルはメアリーを守るようにルーフォスとの間に割って入った。

「ルーフォス、お前いい加減にしろよ! メアリーは妹だろ!? お前がそんなひどいやつだなんて思ってなかった!」
「はっ、妹……ね」

 ルーフォスは鼻で笑うと、一人で先に歩き去った。取り残されたエイベルは拳を強く握りしめている。

「庶子は、妹じゃないっていうのかよ……」

 メアリーはエイベルの後ろでこっそり『そうだよね、アイツひどいよね』と思いながらうなずいた。
 エイベルに優しくエスコートされながら、神殿の一室の扉の前にたどりつく。

(この扉の向こうに、私を殺す聖騎士どもが集まっているのね……)

 ちなみにゲームでの断罪イベントの結末は、この時点で主人公パティへの好感度が一番高いキャラクターが誰かによって、二パターンに分かれる。一つ目は、悪女メアリーがヒステリックにわめき散らし、牢屋にぶちこまれるルート。そして二つ目は、悪女メアリーが逆上してパティに襲いかかり、その場で聖騎士に切り殺されるルートだ。

(ちょっと待って。よく考えたら、いくら愛する人を守るためとはいえ、パティの前で人を殺す聖騎士ってなんなの? 女が一人暴れたくらい、男が五人もいたら軽く取り押さえられるのに……そんなに私を殺したいの!?)

 聖騎士の鬼畜っぷりに心底震えながらも、メアリーは生き残るためにゲームの記憶を必死に思い出す。

(えっと、私を切り殺すルートのキャラクターは、騎士団長のカルヴァンと……エイベル)

 隣で心配そうな顔をしているエイベルを見て、メアリーは心の中で『お前かぁ!』と激しく突っこんだ。

(はぁはぁ、落ちつけ、私! ここは殺されるルートが一つ減ったかもしれないと感謝するところよ! よし、聖騎士になにを言われても、私は絶対に怒らない! キレない! 暴れない!)

 覚悟を決めたメアリーは、泣きそうな顔でエイベルに向かってうなずいた。エイベルはそれにうなずき返し、扉を開く。
 扉の向こうには、異母兄のルーフォスと、騎士団長のカルヴァン、そしてこのアニスヴィヤ王国の王子ハロルドの姿があった。ハロルドは王族にふさわしい豪華な椅子に座っていて、その左にカルヴァン、右にルーフォスが控えている。

(う、うそ、パティと魔導士クリフがいない)

 心優しいパティと、平民出身にもかかわらず国一番の魔導士として名高いクリフ。彼らは、このゲームの良心といっていいほど慈悲深いキャラクターだった。
 そしてクリフは、ゲームで唯一、メアリーを許して殺さなかった人物でもある。

(結局、クリフルートでも、悪女メアリーは修道院に送られる途中で盗賊に襲われて、殺されてしまうんだけどね……)

『なんて悪女に厳しい世界なの?』と嘆かずにはいられない。
 そんな二人がいないこの部屋は、まさにメアリーにとって針のむしろだ。

(どういうこと? ゲームではパティと攻略対象たち全員がいるはずなのに。もしかして、私が前世の記憶を思い出したから、ストーリーが変わったとか? ……でもそれなら、うまくやれば生き残れるかもしれない)

 震えながら部屋に入ると、エイベルが「ハロルド殿下。メアリー・ノーヴァンを連れてきました」と報告する。そして、エイベルは『大丈夫だよ』とでも言うように、ぎゅっとメアリーの手を握った。

(や、やめて!? この状況で優しくされたらすがりつきたくなるから!)

 エイベルの手の温かさに泣けてくる。
 ルーフォスからはいまいましげな舌打ちが聞こえ、ハロルド王子とカルヴァンはお互いに顔を見合わせていた。しばらくして、こちらに向き直ったハロルド王子が、紫水晶のように美しい瞳を優しげに細める。

「ご苦労だったね、エイベル。それで、メアリーはどこにいるのかな?」

 そう言いながら、ハロルドが柔らかそうな自身の黒髪を耳にかけた。その仕草には気品が漂っている。エイベルはメアリーを見つめて「彼女がそうです」と答えた。

「へぇ、女性は化粧や服装で変わると聞くけど、ここまで変わるものかな」

 ハロルドがルーフォスに視線を送ると、ルーフォスが「間違いありません」と無表情で答えた。

「まぁ、身内がそう言うなら、とりあえず信じることにしようか」

『身内』という言葉にルーフォスのこめかみが不快そうにピクリと動いたが、メアリー以外は気がつかなかったようだ。
 ハロルドは「カルヴァン、説明を頼んだよ」と穏やかに伝えると、メアリーを見つめて優しい笑みを浮かべた。その途端、メアリーの背筋に冷たいものが走る。

(これは、腹黒王子の、マジギレ微笑……)

 ゲームでのハロルドは優しそうな言動とは裏腹に、とんでもなく腹黒いキャラとして描かれていた。

(前世の記憶を思い出すまでそのことを知らなかったから、私、王子の票が欲しくて色仕掛けしようと近づいたことがあるのよね……)

 もちろん、そんなものはまったく通用せず、さっきのような笑みを浮かべた王子に優しく追い返された。

(バカ、私のバカ! 死にたいの!?)

 自分の黒歴史を悔やみながら、メアリーは目を閉じた。
 書類を読み上げるカルヴァンの低い声が部屋に響く。内容は、聖女候補パティのお茶に毒が盛られていて、危うくパティが殺されるところだったというものだ。その犯人がメアリーだと証言している者がいるらしい。
 カルヴァンは威圧するように「メアリー・ノーヴァン。申し開きはあるか?」と言い放った。

(私は……私は、絶対に、生き残ってやる!)

 覚悟を決めてゆっくりと目を開き、メアリーはハロルドを静かに見つめた。

「私ではありません。私はやっておりません」

 あくまで冷静に。かつ、どこか儚げに見えるようにメアリーはそっと目を伏せた。緊張と恐怖から、うっすらと涙がにじむ。

(ど、どう? 涙を浮かべておびえる美女の効果は?)

 ハロルドを見ると、相変わらず微笑を浮かべながらメアリーを見つめていた。

(ううっ、自分の美しい顔を見慣れている美形王子は、おびえる美女くらいでは心を動かされないか! どうすれば……)

 ここは、エイベルの時のように、可哀想な子アピールをしたいところだ。

(なんとかそっちに話を持っていけないかしら?)

 メアリーはうつむきながら「しょ、証人とは、どなたなのでしょうか?」と震える声で聞いてみた。ちなみに、震えているのは演技ではない。部屋に入った時からずっと震えが止まらないのだ。エイベルが左手を握ってくれていなければ、恐怖で立っていられなかったかもしれない。それくらい、この部屋はメアリーの死に直結している。
 カルヴァンがハロルドに視線を向けると、ハロルドは笑顔のままうなずいた。それを見たカルヴァンの「証人をここへ」という言葉で扉が開かれ、一人のメイドが入ってきた。そのメイドの姿にメアリーは目を見開く。

(証人って、伯爵家からついてきた、私付きのメイドじゃない!)

 正確には、伯爵夫人がメアリーに嫌がらせをするために無理やりあてがったメイドだ。そのせいで、聖女候補として神殿で過ごす間もネチネチと彼女から嫌がらせを受けていた。
 メイドは清楚な姿になったメアリーを見て一瞬驚いた表情をしたものの、すぐに涙を浮かべて聖騎士たちに訴えかけた。

「私、メアリーお嬢様に脅されたんです……パティ様のお茶に毒を入れなければひどい目に遭わせるって……!」
(アンタ、なに言ってんの? 私を犯人にでっちあげて、ノーヴァン伯爵家を潰すつもり!?)

 そこでメアリーは、ハッと気がついた。

(ああ、そっか。伯爵がメイドと浮気してできた子の私だけじゃなく、自分を裏切った夫もろとも、ノーヴァン家を潰そうってのが伯爵夫人の魂胆なのね)

 たとえ伯爵家が潰れたところで、聖騎士に選ばれた息子ルーフォスが罪に問われることはないし、伯爵夫人は、伯爵と離婚して裕福な実家に帰ればいいだけだ。

(なるほど。私は今、伯爵夫人の差し金で無実の罪を着せられて殺されそうになっているのね? 伯爵家なんてどうなってもいいけど、私が生き残るためにやることは一つ! 今から、この嘘つきメイドと証言び売りバトルよ!)

「証言」とは、ある事柄の証明となるように、体験した事実を話すこと。「びを売る」とは、相手の機嫌を取るために気に入られようとすること。

(ようするに、これから私は、聖騎士に気に入られるような態度を取りつつ、『自分はパティのお茶に毒を盛っていません』とアピールしないといけないのね。それができなかったら、この嘘つきメイドのせいで、ここで私は殺されてしまうってことだわ)

 嘘つきメイドの演技力は天才子役並みらしく、目にうっすらと涙を浮かべている。

(このメイド、嘘泣きがこんなに自然にできるなんて……。やるわね)

 感心している場合ではないが、腹黒ハロルド王子の許可なく話すのが怖すぎて、メアリーは黙ってメイドの証言を聞いていた。

「メアリーお嬢様は、普段から気性が荒く、私はいつも手を上げられていました。この前も、神殿での食事中にお皿を投げつけられて……」

 そう言いながら、メイドは服のそでをめくる。そこには青いアザがあった。

(それは、アンタが私の食事に虫を混ぜたから、私がブチギレたんでしょうが! 毎回毎回、地味な嫌がらせしてきて、そりゃ皿も投げつけるわよ!)

 ハロルドは、笑顔のまま「うんうん」とうなずくと、メアリーに視線を向けた。

「メアリーは、なにか言いたいことはあるかな?」

 王子の優しげな紫色の瞳が怖い。だが、このチャンスを逃すわけにはいかない。メアリーは、嘘泣きはできないので悲しそうにそっと目を伏せた。

「あの時は、お皿の中に虫が入っていたので、驚いてお皿を投げてしまったんです。当てるつもりはなくて……ごめんなさい。……あの、神殿の食事にはよく虫が入っていますよね?」

 最後の言葉は、隣にいるエイベルにわざと不思議そうに聞いてみた。

(フッフッフ。ここは、ただ事実を突きつけてメイドを責めるより、このメイドになにをされてきたか、他の人に察してもらったほうが同情を引きやすくなるはず)

 予想通りエイベルは、緑色の瞳をスッと細めてメイドを見た。

「そんなこと、今まで聞いたことがないけど? メアリーに食事を出す前に、お前は気がつかなかったのか?」

 エイベルににらみつけられて、メイドはビクッと身体を震わせた。だがすぐに涙を浮かべて「そんなはずありません! お嬢様が嘘をついているんです!」と言い返してきた。

「お嬢様は私に怒鳴ってばかりで、パティ様のことも『殺してやりたい』といつもおっしゃっていました!」
(確かに以前の私は怒鳴ってばっかりだったし、パティのことは殺してやりたかったけど、今はちがうから。あと、そんなにキャンキャンほえると、そこの腹黒王子に消されるわよ)

 ああいうタイプは、ヒステリックな女には厳しいものだ。

(でも、この流れなら、私も自然に可哀想な子アピールができるわ)

 メアリーはエイベルに頭を下げると、握られていた手を放してもらう。

「ハロルド殿下。お見苦しいものをお見せしますが……」

 ワンピースのボタンを外すと、メアリーは後ろを向いて胸元を押さえながら、ワンピースを肩までおろした。アザと傷だらけの背中が見えたのか、隣でエイベルが息を呑む。
 静まり返った部屋の中で、メアリーはか細い声でつぶやいた。

「暴力をふるわれているのは私です。そのメイドは嘘をついています」

 メアリーが言い終えると、エイベルは慌ててワンピースを上げて背中を隠した。彼の可愛らしい顔が今にも泣きそうに歪んでいる。そっと腹黒王子の様子をうかがうと、優しげな笑顔は消え、少し驚いたように目を見開いていた。

(効果はあったようね)

 嘘つきメイドのほうは、頬を引きつらせている。

(評判の悪い悪女の私なら、簡単に罪をかぶせられると思っていたでしょう? 以前の私はすぐにキレて暴れていたもんね。人に弱みを見せて命乞いするような女じゃなかったもの。ふふ、まだまだ、攻めるわよ)


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