あずさ弓

黒飛翼

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あずさ弓 2

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電車は日が沈んでからしばらくした頃に目的地の古川駅へ到着した。プシュー、という音の後に扉が開いたら、大股でホームに降りた。
古川駅はおよそ駅とは呼べないようなひどく老朽化した駅であった。
足場のコンクリートはところどころがひび割れていて、頼りない。申し訳程度に設置された待合席は、座ればたちまち崩れてしまいそうで、到底人の体重を支えられるとは思えなかった。かつて入試のために来た時も思ったが、あいかわらず汚い駅だった。

駅員がいないのは無人駅というやつだからだろうか。よほど古いのか、切符を入れてから改札口が開くまでに十秒はかかった。

駅を出て正面は下り坂の一本道になっている。左右は林に囲まれていて、風に揺られた木々が不気味な音を奏でていた。電灯が少なく、かすかな月明かりで周囲が照らされているという状況もまた、不気味さに拍車をかけていた。

坂を下りる前に立ち止まって、肩にかけた小さなカバンからケータイをとりだすと、母に到着したとメールを送る。ケータイは入試の時に持たされたものだが、ほとんど使用していない。使ったことがあるのはメールと電話、それから照明機能くらいのものだ。友達はいなかったため、連絡相手も母もしかいない。電話帳は閑古鳥が鳴いていた。

月明かりで足元は見えているし、一寸先が闇というわけでもなかったが、なんとなくケータイの明かりで周囲を照らした。前回は気にもしなかったが、これから暮らす街の情景を覚えておきたくなったのだ。
そう思って前回との違いを探すように注意深く辺りを観察していると。耳に妙な雑音が入ってきた。カサッと枝を折るような音が。一瞬、何かの動物がいるのだろうかと思った。古川町は大部分が自然に囲まれたド田舎なのだ。動物の一匹や二匹いたところで驚くことではない。ないのだが。ふと気になってその音がした方へ歩を進めた。正確な場所はわからなかったが、一つだけ違和感のある部分を見つけて、首を傾げた。「穴?」そこだけ草が不自然にかき分けられていたのだ。まるでどこかへつながる入り口のように。通常なら気にもしないくらいの違和感だったが、妙に気になって、そこをケータイで照らしてみた。

その先はただ木々が乱雑に生え乱れる獣道だったが、人ひとりが通れるだけの隙間はあるように見えた。いや、人ひとりが通った隙間が見えたのだろうか。あまり広くはないが、来人でも腰を低くすれば通れるはずだ。虫もいるだろうし枝に手を当てて怪我をするかもしれない。日中でも普通なら通ってみようなどとは思わないだろう。だが、こんな穴は以前はなかった。あるいは気づかなかっただけかもしれないが。どっちにしろそう思うと、無性に興味がわいてきた。来人は吸い寄せられるようにその穴へ入っていった。

上空は生い茂った木々に覆われているからか、月明かりはほとんど差し込んでいない。当然電灯の明かりも届いていない。だからケータイの明かりを頼りに、中腰になりながら誰かが作ってくれたのかもしれない道を行った。肩に担いだ木刀がつっかえるのを気にしながら登っていくと。
狭かった道はすぐに明け、立ち上がれるほどの空間が広がっていた。木々の間を縫って月明かりも差し込んでおり、ここまでくればケータイの光も必要なかった。ふと足元を見ると、落ち葉や土で隠れてしまっているが階段もあった。
やはり、誰かがこの道を歩いていたのだろう。一歩一歩階段を登りながら、無意識に背中の布のひもを緩めていた。この先にはいったい誰がいるのだろう。それとも誰もいないのか。階段は大して長くなかった。少し登ればその終わりはすぐに見えてくる。
果たして木々のトンネルを抜けた先は、さらに広く開けた場所であった。縦横ともに十メートルの幅。ちょうど剣道の試合場くらいの広さ。背後と左右は林に囲まれ、まっすぐ進めばそこにあるのは、バルコニーとでもいうのだろうか。舞台が設けられていた。そこから町を一望できそうだ。まさに秘密の場所。林の中にぽっかりと作られた空間は美しかった。

だが来人の目にはさらに美しいものが映っていた。バルコニーにはすでに先客がいたのだ。落下防止の手すりに体を預けた少女の後ろ姿。真っ白な道着と真っ黒な袴に身を包んでいる。一瞬剣道着のようにも見えて胸がざわついたが、すぐに違うとわかった。おそらく彼女が身を包んでいるのは弓道着だ。
部活や練習の帰りだろうか。こんな秘境じみた場所に人がいるのも驚いたが、それ以上に目を見開くことがあった。

少女の髪の毛が、その道着の色に合わせたかのように白いのだ。まるで色を抜け落としたかのように。あるいは雪のように。それが月光に照らされ、まるで光を放っているかのようだった。綺麗だった。白髪と言えば年寄りのイメージだが、目の前の少女は後ろ姿からもそれほど年を取っていないように見えた。

その姿をもっと近くで見たくて、来人は一歩一歩とその背中へ近づいていった。足音が聞こえたのだろうか。少女ははっとした様子で振り向いた。「誰?」よく通るはきはきとした声だった。
少女の全身はスポットライトを浴びたかのように照らし出されていて輝いていた。背はあまり高くない。女子の平均くらいだろうか。後ろ姿から見えた真っ白な髪の毛同様、眉毛も真っ白だった。さらに肌は雪のように白く、光が貫通してるかと錯覚するほどに透き通っている。だがそれ以上に特筆すべき点は目だった。一言で言ってしまえば紅い。髪の毛や肌が白いだけにその部分だけが際立っていた。
まず最初に思い浮かんだのは本当に人間かという疑念だった。外国人という発想には至らなかった。少女が秘境のような場所に佇んでいたというシチュエーションも相まって、妖怪かと思った。
「あんた。人間か?」
ゆっくりと歩を進めながら聞き返す。馬鹿げた質問だが、来人はいたって真面目だった。
「はあ?人間に決まってるでしょ。おかしなこと聞かないでよ」
少女は眉をひそめて答えた。端正な顔が不信感に彩られる。初対面にしては失礼すぎた質問だったかと反省した。
「悪い。目とか髪が珍しかったんでな、つい同じ人間には思えなくて」
「何それ。あたしが気味の悪い化け物だって言いたいわけ?」
少女が強い怒気を孕んで言った。
「いや、別に悪い意味で言ったわけじゃねえよ。気さわったなら謝る」
謝りながら、来人は少女の隣まで歩いた。
手すりの先は傾斜のきつい坂になっていた。崖ではないので落ちても問題はなさそうだったので、体を預けて身を乗り出してみた。思った通り、このバルコニーからは町が一望できるようだ。あたりが暗いので細部はわからないが、控えめな電灯とばらばらについた民家や店の明かりが幻想的な景色を醸し出していた。
「じゃあ。どういう意味よ。言っとくけど、返答によっちゃそこから叩き落とすわよ」
口調に冗談めかした気配はない。気に障ることを言ってしまったら本当に叩き落とされそうだった。
「そりゃ恐ろしい。別に、ただ逆っていうだけの話だよ」
物騒な言葉をあっさりと聞き流すと、来人は答えた。
「逆?」
「綺麗な色してるからな。同じ人間とは思えなかったんだよ。雪女でもいるのかと思った」
少女を妖怪で例えるならまさに雪女が的確だ。妖怪の中では美しい部類として語られているが、人外扱いしていることに変わりはない。景色に視線を集中しながらも、念のため少女の動きに気を付けた。少女が本当に落としに来た時に対応するためだったが、杞憂に終わったようだ。少女はすっかり矛を収めた様子で、手すりに両腕を乗せて全身を預けていた。「雪女って何それ」
少女が気が抜けたように笑った。頬がピンクに染まっているのは照れているからだろうか。やけに肌が白い分、色の変化が際立って見えた。コントラストに彩られた笑顔が夜景も合わさって、より美しく見えた。
「あんた。もしかしてよそからきた人?」
笑いを納めると、少女は質問をつづけた。
「そうだけど。なんでそう思った?」
「さっき電車の音してたし。そもそもこんな時間にここまで来る地元民はいないわよ。というかここ、そう簡単に見つけられる場所じゃないんだけど。どうやって見つけたのよ」
「たまたま人が通ったような跡を見つけてな。好奇心が抑えられなかった」
「ふーん。それだけで見つかっちゃうとはね。ここは私の秘密の場所だったのになあ。今度から入り口も隠しておこうかしら」
少女は残念そうに息を吐いた。
「別に。心配しなくても多分俺はもう来ないし、誰にも言わねえよ」
来人はぶっきらぼうに言った。
「そうなの?いい場所なのに。もったいなくない?」
「いい場所だとは思うが。一回見れば満足だな」
確かに昼間ならどんな景色が見えるのか気になりはするが。それでもわざわざ足を運ぶ気になるかは別だ。こういう場所でセンチメンタルになるような性格でもない。
すると少女は「ふーん」と納得したようなしていないような、曖昧な音を発した。
「まあ、黙っといてくれるならあたしとしては別にいいけどさ。あんた、こっちには何しに来たの?旅行?」
ちょうどいい話し相手ができたとばかりに少女は話を続ける。
「いや、引っ越し。今年からこっちで暮らすんだよ」
「へえ、そうなんだ。一人で?」
「一人。下宿するんだよ」
「ふーん。どこに?」
「夜桜っていう旅館。叔母が経営してるから、そのツテで泊めさせてもらうんだ」
「へえ、そうなんだ。でもどうして?こう言っちゃなんだけど、ここって何もないわよ?わざわざ下宿に来る場所でもないと思うんだけど」
少女は納得してうなずくと。矢継ぎ早に質問を投げてくる。
下宿の理由については、喧嘩ばかりだった自分を変えるためだ。
だがそれを馬鹿正直に話してもいいものか。数秒迷って。
「ん。まぁ、ちょっと家の事情でな」
適当にごまかした。
少女もはぐらかされたことには気付いたようだが「話しにくい事情があるのね」と言ったきりとくに追求はしてこなかった。
「それより、その髪の毛と目なんだが。染めたりしてるのか?」
話題を変えたくて、今度は来人が質問を投げてみた。
「あー、それはね……」
少女は苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべた。反応から察するに聞かれたくないことだったようだ。そう思って、言いたくないならいいと口に出す前に、ため息交じりに答えが帰ってきた。
「地毛よ。病気なの。アルビノって知ってる?」
少女は肩に触れかかっている毛先をつまんだ。
「いや、初めて聞いた」
来人はかぶりを振った。喧嘩に没頭していた時でも学校の授業には出席していたが、保健体育でも聞いたことはなかった。割と有名な病気なのだろうか。病気にしても、肌も髪の毛の色も神秘的で美しいのだから、むしろ役得ではないだろうか。そんな失礼なことを考えてしまっていた。もちろん口には出さなかったが。
「生まれつきなのか?」
少女はうなずいた。
「二万人に一人くらいの超低確率なんだって。あたしは普通に生まれたかったのにね」
後半の言葉は来人にも突き刺さったが、それを表には出さなかった
「ま、そういうわけで、外国人でも妖怪でもなくちゃんとした日本人だからね」
わざわざ断るということはこれまでに何度もそういう目で見られてきたのだろう。妖怪はともかく外国人と間違えるものは多いはずだ。実際来人も道ですれ違ったらそう思っていた。
それに生まれつきということは苦労が絶えなかったのだろう。有名な剣道家の家に生まれ、後ろ指を差されてきた来人にはそういった辛さがわかる気がした。
その旨を告げようとしたが、先に口を開いたのは少女の方だった。
「ちょっと、話しすぎたわね」
困ったような笑みを浮かべて、彼女は体を離した。
来人は少女が彼に何かを言われる前に行動を起こしたように感じた。この話を続けたくなかったのだろうか。来人はのどまで出かかっていた言葉を飲み込んだ。
それから何か言葉をつなぐ暇もなく、少女は「じゃ、あたし帰るわね。バイバイ」と言い残して行ってしまった。来人は短い相槌を打って、小さな背中が暗闇の中へ消えていくのを見つめることしかできなかった。少女の足取りに迷いはなかったので、ずいぶん来慣れているのだろう。
景色も雰囲気も十分堪能した。話し相手がいなくなっては来人もここにとどまる理由はなかったが、一度別れた手前、少女に追いつくのも気が引けたのですぐに出ることはしない。十分ほど時間をおいてから、来人もバルコニーを後にした。
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