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なんでもない今日という日

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「先輩、本当に彼女さんのことが好きなんですね。顔、緩んでましたよ」
 安達は面白がってニヤニヤと笑った。顔なんて緩ませたつもりはない。
 これ以上からかわれるのはごめんだ。俺は強引に話を変えた。
「そうだ、安達。午後の営業回りだけど……」
 そう言いながら、弁当箱の蓋を開ける。いつもの彩りのあるおかずの隣、白米のスペースを見て一瞬動きが止まった。

「先輩! 見てください、大好きって書いてありますよ!? ラブラブですね!」

 安達のテンションが更に上がって、「しまった」と思った。白米の上には、桜でんぶのハートマークと海苔の「大好き」という文字が描かれていた。まさかこんなことが描いてあるなんて誰が予想できるか。
 その時、ちょうどスマホが鳴った。安達を巻くのにはちょうどいい。
「悪い、電話だから席を外す」
 そう言って廊下へ移動した。


『もしもし、茜!?』
 電話越しに慌てた声が聞こえる。
『もしもし』
『あの、今日のお弁当……もう見た?』
『今さっき』
『ああー、もう! 今日は練習で作って自分で食べるつもりだったのに、違う方のお弁当をカバンに入れちゃったよ』

 本当はおとといの夜、波瑠が俺の弁当を入れ忘れる夢を見て、キッチンに置いてあった弁当箱を掴んで持ってきた。弁当箱が二個あったなんて、急いでいて気が付かなかった。
 それにしても練習ってなんだ……?

『もう見られちゃったから言うけど、もうすぐ私達があの歩道橋の上で出会って4年目の記念日でしょ? だからサプラーイズ!みたいなね』
 考えることが波瑠らしくてちょっと笑えた。サプライズというなら、今日はまさにその通りだった。
『そう言えばこんな時期だったか……』

 段々と外は暖かくなって、近くの小学校には桜の花が咲き始めた。あの春に出会ってから、季節がもうこんなに過ぎたのか。毎日があまりにも楽しくてあっという間の日々だった。
 この春には、暗く濁った俺も、儚くて脆い彼女も、もういない。

『男の子って、そういうところあんまり頓着しないよね。まあ、いいけど。午後もお仕事頑張ってね。大好きだよ』
 そう言って電話は切れた。


 同棲を切り出したのも波瑠から。好きだなんて、告白をしたあの日以来まともに言った記憶がない。それでも波瑠は俺に大好きだと言ってくれる。
 だからせめて今夜くらいは勇気を出して君に伝えたい。

 一緒に飲みに行こうと言う安達を振り切って、さっさと会社を出た。今日飲みにでも行ったら、波瑠のことを馴れ初めからあれこれと突かれるに決まっている。そうじゃなくても今日はやると決めていることがあった。
 仕事終わりのスーツのまま、煌びやかなその店に足を踏み入れた。見覚えのある店員がすぐに近くへやってくる。

「いらっしゃいませ、小湊様」
「あの、サイズを測ってきたので、今日買います」
 俺の言葉に店員は嬉しそうに微笑んだ。
「では、ご案内いたしますね」

 サイズがあるなんてことも知らなくて、この店員にはいろいろと世話になった。教えてもらった通り、眠っている波瑠の左手の薬指に糸を巻き付けてサイズを調べてきた。波瑠がぐっすりと寝ていてよかった。本当は正確に調べるために「二人でジュエリーショップに立ち寄ってサイズを調べる」ことを薦められたが、自然な流れで誘うことは俺にはハードルが高かった。

 初めてこの店を見に来た時から、どれにするかは決めていた。ダイアモンドの左右に小さなラピスラズリがあしらわれたデザイン。この深い青色の宝石は「幸運を招く石」とも言われているらしい。その意味を知って波瑠にピッタリだと思った。

「ありがとうございました」

 店を出るとすっかり暗くなっている。昼間は暖かくなってきたけど、夜はまだ寒さが残っているみたいだ。でもその冷たい風が、緊張で火照った体にちょうどよかった。

 普通は給料三か月分って聞くけど、それで本当によかったのか自信はない。
 それに、こんな何もない平日でよかったのか、オシャレなレストランを予約しなくてもよかったのか、くたびれた仕事帰りのままでよかったのか、考え始めたらキリがない。そんな周到な準備をする余裕なんてなかった。バッグに仕舞われているその物を用意できた今を逃したら、きっとまたズルズルと先延ばしにしてしまいそうだ。でもきっと君は、手慣れていない俺のことも笑って許してくれる気がする。

 俺に幸せな夢を見せてくれてありがとう。手に入れられるはずがないと思っていた幸せを現実にしてくれてありがとう。君がくれたこの平々凡々な毎日をずっと守ってみせる。

 今日家に帰ったら、その華奢な手を取って一生分の愛を誓うよ。
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