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夏の夢

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 客との待ち合わせ場所へ車は進む。俺は手元の資料に視線を落とした。

「今日の客は井坂誠いさかまこと。舞台を中心に活動する俳優で、その界隈では有名なんだと」
 圭が言う。

 資料に乗った顔写真の男は優しそうに微笑んでいた。外面なんて信用できない。この仕事を始めてそのことは痛いほど思い知らされた。俺に仕事を頼むくらいだから、腹の中は真っ黒なんだろう。

「今日指定された場所は会員制のバーなんだ。大丈夫だとは思うが、もし変だと思ったら連絡しろ。何かあったら困る」
 「商品に」何かあったら困る、ね。
「……分かった」



 車を降り、裏路地の中に指定された店はあった。地下へと続く階段を下りて扉を開けると、カウンター席に座った女と目が合う。派手な化粧に背中がざっくり空いた濃紺のドレス。みるからに一般人ではない。

「待っていたわよ」
 店内を見回すが、カウンターに立つバーテンとその女しかいない。指定された場所は確かにここで合っているはず。

「アカネ君ね。さあ、隣へ座って」
「依頼者は男だと聞いていましたが」
 俺の言葉に女はおかしそうに笑った。
「ああ、ごめんね。あれは夫の名前なのよ。アカネ君は女からの依頼を受けないって、噂で聞いてね。怒って帰るかしら? もしこのまま受けてくれたら、もちろんチップは弾むわよ」
 ここで帰るのも癪な気がして、隣の椅子に腰かけた。

「仕事ですから」
「ふふっ、ありがとうね。私は不知火美貴しらぬいみき。芸名じゃなくて本名なのよ」
 不知火は短い髪を耳に掛けた。指には高そうな宝石のついた指輪をしている。
「芸名というのは?」
「ここまで言っても分からない? 残念。一応映画やドラマで主役をやっているんだけど、まだ知名度が足りなかったみたいね」

 そう言って薄ピンク色のカクテルに口をつけた。初めはただの金持ちかと思ったけど、ふとした仕草に自然と目が引き寄せられてしまうのは、確かに女優なんだと思った。

「マスター、彼にジュースを」
「かしこまりました」
 ほどなくして俺に目の前に小洒落たグラスに入ったオレンジ色の液体が置かれた。一応口をつけてみる。きっと高級なオレンジジュースなんだろう。

「飲み物も来たところで、早速本題に入ろうかしら。アカネ君に夢を見てもらいたい男がいるの」
 そう言われて、資料に乗ったあの優しそうに微笑む男が浮かんだ。
「井坂誠ですか」
「いいえ、違うわ。今日夢を見てもらいたいのはこっち」

 そう言うと、不知火は一枚の写真をカウンターに滑らせた。挑発的な表情でポーズを決める若い男が写真に写っている。

「彼ね、高橋叶夢君。今売り出し中の若手俳優なのよ。この鋭い眼光も、シャープな顎のラインも素敵でしょう?」
「何か勘違いしていませんか? 俺の夢は不幸しか見れませんが」
「もちろん。そのつもりよ」
 そう言うと、俺の目の前から写真をつまみ取った。

「起こる不幸を先に知っておけば、悲しみに暮れる叶夢君に私が手を差し伸べることが出来るでしょう? 不幸は大きければ大きい方がいいわ。そうね……例えば、出演の決まっていた作品が企画立ち消えになるとか、近しい人間が事故に遭う、とか。そんな時にこの私が優しく手を差し伸べたら、それはもう女神にでも見えるでしょうね。そうなれば彼が私の手の内に落ちるのは時間の問題だわ」

 不知火は写真の男に口づけた。こいつは何を言っているんだろう。感情を抑えるようにカウンターの下で拳を握りしめた。

「あなたは結婚しているんじゃないですか」
 俺の言葉に不知火は嫌そうな顔をした。
「あんな腑抜けて面白みのない男のことなんてどうだっていいでしょ。あとは誠が離婚届に判を押して、役所に提出するだけの関係よ。そんなことより、今は叶夢君の話を聞いてよ」
 そう言って不知火はその男との出会いを話し始めた。いかにその男は魅力的で、自分たちは運命に引かれ合った関係なんだと。

 どうして俺はこんなにイライラしているんだろう。下衆な大人なんて何十人も見てきた。クズだとは思っても、苛立つことはほとんどない。依頼者から聞かされる悪口や不幸の使い道は、結局他人事だからだ。怒りなんてカロリーの高い感情、持つだけで疲れる。

「彼には私との運命を確信してもらわないといけないから、アカネ君の活躍はとっても重要なのよ」
「……こんなの、運命でもなんでもないですよね」

 自分でも知らない低い声が出た。

「相手の不幸を金で買って、不幸に落ちたところで手を差し伸べることのどこが運命なんですか。相手を騙して繋いだ関係が何になるんですか」
 俺は目の前のこの女に苛立っているんじゃない。自分に苛立っているんだ。

 ハルに本当の名前をはぐらかされて、電話を切ったあの日。自分のことは棚に上げて「噓つき」だと罵った。俺だって、本当の名前も、この汚れた仕事も、何一つ言えないじゃないか。

 本当の名前なんて聞かなければよかった。偽りだらけだとしても、目の前にいるハルだけを信じていればよかった。そうすればきっと今もハルといられた。でも、嘘を吐きあって繋がった俺達の関係はそれ以上先へ進めない。もしも自分からさらけ出すことが出来ていたら、俺達は上手くいっていたのだろうか。

「アカネ君はロマンチストね。恋は打算よ」
 そう言うと、俺の方に体を寄せた。化粧の匂いがして、勝手に体が強張る。
「スレた子供かと思ってたけど、可愛いところもあるのね。気に入ったわ。続きは場所を変えましょうよ」

 化粧の匂いは苦手だ。母親の、まだ優しかった頃を思い出すから。
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