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エピソード11. 昔の話
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愚かな男の話をする前に、神話の話をしよう。神話ではこの世界の成り立ちから、女神の涙が世界を分かつまでの話が描かれている。だが、人間が神々に言葉を与えられてから海に沈むまでについて、多くのことは語られていない。いや、語り継いでこなかったのだ。長い時の果てに多くが失われた。だが、この島では代々長老にだけ伝わる書物が残っていた。私は幼い頃、家にある本を片っ端から読んだ。本当に何でもだ。家の奥に秘されたものですら、暴かずにはいられなかった。たとえ理解が及ばずとも。
今から語るのは、その本に書かれていたかつての世界の姿だ。これまで誰にも語ったことのない、昔の話。
かつて、海に沈むよりも昔、人々は万物の霊長であった。大地は海と対等なほどに広く、地上には人間より優れたる生き物はいなかった。文明が発展し、ありとあらゆる物事に長けた。
例えば数の数え方。我々は数が少なく、数えるとしてもせいぜい百が限度だ。それを超えるものを我々は無数と呼んできた。昔は無数と呼ぶようなものにも呼び方があった。千は百の十倍、万はさらにそのまた十倍だ。忘れてしまったが、更にそれよりも上の桁があった。我々には想像もつかないが、海に沈むよりも以前、地上にはそれをも越える多くの人間が暮らしていたという。家は縦に長く、高く積まれた大きな石でできていた。床で仕切られ、ひとつの建物に大勢の人が住んでいたと言う。本当かどうか、確かめる術はないがね。
例えば時を計る方法。真っ直ぐの棒を大地に突き立てる。太陽が一番高い位置に来る時、太陽は真南にある。太陽が空を行く時にできる影の方向は異なる。その影の方向が変わるのを時間の目安としたのだ。
例えば時を数える方法。太陽が登ってから沈むまでを一日と言い、月の満ち欠けが一巡するのを一ヶ月と呼び、それを十二度繰り返すことを一年と呼んだ。それを暦と呼んだ。昔は様々な島と行き来があったから、時間や年月と言った共通の単位が生み出されたのだ。だが長い年月の末、多くの島でその数え方も忘れ去られてしまったり、数えることをやめてしまった。この島には記録できるような資源がない上に、狭いから待ち合わせをする必要がない。大抵の場合少し歩けばすぐ見つかる。年中寒暖の差がほとんどないから、季節の概念もない。島から出なくなってからは寝て起きたら明日、それ以外の共通認識もなくなってしまった。……失われしものの重さに打ちのめされるよ。
神話では星の話もあったね。この大地が星のひとつであることを突き止めたのも、星が球体であることを突き止めたのも昔の話だ。今は一面が水平線だからなだらかな円を描いているのが分かるが、昔はそうではなかった。山や丘、谷や川があって、地平線や水平線が見えなかったからね。どうやって突き止めたのか、皆目見当もつかない。神話が語られるより以前、空飛ぶ宙船に乗って他の星へ行くこともできたという。信じ難いだろう? それくらい大きな力を持った文明だった。
ある時、ひとつの星が流れた。神話に語られる女神のヴェール、夜の帳を引き裂く星の尾の姿を謳ったものだ。星は大地でできている。その星の一部が我々が住むこの地に落ちてきた。古の言葉で星石、隕石と言った。
星は小さく見えるが、とても遠いところにある。間にいくつも同じ星が入るくらいに。砂粒のように見えた点が近付くと鳥だったことに気付くように、その星は強大で、かつ燃えていた。火を吹く島があったように、星の内側は燃えていて、時にそれが表出するのだ。強大な星は流れる間に燃え尽き砕けることが多い。だが、そうはならなかった。
石を水に投げ入れた時に大きく跳ねるように、海の水も大きく跳ねた。そして濁流となり、都市を洗い流した。女神の嘆きは激しい雨をもたらした。何年も、何十年も降り止まぬ雨だ。恵みも過ぎれば厄災となる。地表は洗い流され、海の底に沈んだ。今残る島は、かつて山だった場所の一角に過ぎない。
宙船で他の星へ逃げればいいと思うだろう。少なくとも私はそう思った。だが宙船は数が少なかった。ほんの数人しか乗れないくらいに。空には波がないと言う。その分飛び続けるためには大量の燃料が必要だった。鯨が何頭いても足りないくらいに。そして人間が生きられるような星は観測されていなかった。燃え続ける星。極寒の星。風が吹き荒ぶ荒野の星。いずれも降り立てばすぐ死んでしまう、過酷な環境の星ばかりだった。人類は死んでいくばかりだった。
だが、長い時の間に海で生きることに適応した者たちがいた。それが人魚だ。深く海に潜り魚を獲る者たち。彼らは海の中に長く潜れる。肺が大きく発達した。そして足は尾に変化した。鯨や魚と同じように。鯨は人間と同じように、かつて陸上で暮らしていた。その名残で今も肺で呼吸をする。鯨も海上に息を吸いに出なければならない。あの大きな体でもだ!
不思議だとは思わないか? 鯨と魚は違う生き物だ。鯨は肺で呼吸し、胎から子を産む。魚はエラで呼吸するから海面に上がる必要はない。卵を産みつけるから多産だ。だが形はどうだ。どちらも鰭を持ち、尾を持つ。海流の抵抗を減らすためだ。海の生き物は四肢が鰭に変化する傾向がある。前脚は魚の鰭に、後脚あるいは尾に。全く違う生き物なのに、非常によく似た特徴を備えている。生命の神秘だと思わないか。
では生殖のために海に呼ばれた男たちはどうだろうか? 彼らは陸で暮らしているから尾ではなく足を持つ。足が尾に変わるのはいつだ? 或いは足を持ったまま海で生を終えるのか? 彼らは人の声を失って人魚の歌を歌うようになるのか? 彼らは人魚になるのか? 陸と海では時の流れが異なると言うが、彼らはいつ死ぬ? 生殖が一度きりなのは、その後に死んでしまうからではないのか?
神話では陸と海では時の流れが異なると書かれている。私もヨナと同じように、この神話を書いた者は海から戻ってきた者なのだと思った。だがその者についての記録は残されていない。推測だが、その者は陸に戻って余生を過ごしたのではないか。「古の神話、語り継ぐ。最後の一人となるまで。言葉ある限り」と謳われているのだから。となれば尾に変化したはずの足は、再び足になったのではないか。知りたいことの多くは本に書かれていたが、知りたいことの全ては書かれていなかった。
残された手記の中に、海へ行ったきり帰って来なかった男についての記述があった。その手記によると、私が生まれるよりも遥か昔、人魚に呼ばれて海へ行った祖先がいた。その男は未だ帰らない。私はずっと待っていたのだ。いつか海から戻った者が、私の疑問に答えてくれることを。
私は人魚の姿をはっきりとは見たことがない。伝え聞く姿は上半身は人間のままで、下半身だけが魚のように変化している。人魚はまだ進化の途上にあるのではないか? 後脚が尾になるなら、腕は鰭になっていくはずだ。未だに腕が残されているのはおそらく何か理由があるはずだ。
ヨナ、私が海へ近付くことを恐れたのは、君以上に〈心が海にあった〉からだ。少しでも海に近付けば途端に全てを捨て、自ら海へと身を投げ出してしまうような人間だったからだ。
だがそれ以上に妻を愛していた。どれほど愛しい者がいても、人魚の誘惑には抗い難いものがある。夜毎に海そのものへの衝動にも駆られた。だが、私はそれら全てに耐えて妻への愛を貫いた。
……だが、妻が死んだ時、私は心の底で悔いていたのだ。妻も亡くし、子を成すこともできない私に、生きる意味はあるのか? もしも私が不能にならなければ、人魚に呼ばれれば、この身で全てを体験できたかもしれないのに。いや、不能になる前に海に全てを捧いでいたならば。それはこの命を、全てをもってしても尊いことなのではないか。そんな考えが、何年も、何十年も頭から離れないでいた。全ては失われた選択肢なのに。
全てを犠牲にしてでも。……私は全てを知りたいと思ってしまった。それが愚かな男の、人生最大の過ちだ。
今から語るのは、その本に書かれていたかつての世界の姿だ。これまで誰にも語ったことのない、昔の話。
かつて、海に沈むよりも昔、人々は万物の霊長であった。大地は海と対等なほどに広く、地上には人間より優れたる生き物はいなかった。文明が発展し、ありとあらゆる物事に長けた。
例えば数の数え方。我々は数が少なく、数えるとしてもせいぜい百が限度だ。それを超えるものを我々は無数と呼んできた。昔は無数と呼ぶようなものにも呼び方があった。千は百の十倍、万はさらにそのまた十倍だ。忘れてしまったが、更にそれよりも上の桁があった。我々には想像もつかないが、海に沈むよりも以前、地上にはそれをも越える多くの人間が暮らしていたという。家は縦に長く、高く積まれた大きな石でできていた。床で仕切られ、ひとつの建物に大勢の人が住んでいたと言う。本当かどうか、確かめる術はないがね。
例えば時を計る方法。真っ直ぐの棒を大地に突き立てる。太陽が一番高い位置に来る時、太陽は真南にある。太陽が空を行く時にできる影の方向は異なる。その影の方向が変わるのを時間の目安としたのだ。
例えば時を数える方法。太陽が登ってから沈むまでを一日と言い、月の満ち欠けが一巡するのを一ヶ月と呼び、それを十二度繰り返すことを一年と呼んだ。それを暦と呼んだ。昔は様々な島と行き来があったから、時間や年月と言った共通の単位が生み出されたのだ。だが長い年月の末、多くの島でその数え方も忘れ去られてしまったり、数えることをやめてしまった。この島には記録できるような資源がない上に、狭いから待ち合わせをする必要がない。大抵の場合少し歩けばすぐ見つかる。年中寒暖の差がほとんどないから、季節の概念もない。島から出なくなってからは寝て起きたら明日、それ以外の共通認識もなくなってしまった。……失われしものの重さに打ちのめされるよ。
神話では星の話もあったね。この大地が星のひとつであることを突き止めたのも、星が球体であることを突き止めたのも昔の話だ。今は一面が水平線だからなだらかな円を描いているのが分かるが、昔はそうではなかった。山や丘、谷や川があって、地平線や水平線が見えなかったからね。どうやって突き止めたのか、皆目見当もつかない。神話が語られるより以前、空飛ぶ宙船に乗って他の星へ行くこともできたという。信じ難いだろう? それくらい大きな力を持った文明だった。
ある時、ひとつの星が流れた。神話に語られる女神のヴェール、夜の帳を引き裂く星の尾の姿を謳ったものだ。星は大地でできている。その星の一部が我々が住むこの地に落ちてきた。古の言葉で星石、隕石と言った。
星は小さく見えるが、とても遠いところにある。間にいくつも同じ星が入るくらいに。砂粒のように見えた点が近付くと鳥だったことに気付くように、その星は強大で、かつ燃えていた。火を吹く島があったように、星の内側は燃えていて、時にそれが表出するのだ。強大な星は流れる間に燃え尽き砕けることが多い。だが、そうはならなかった。
石を水に投げ入れた時に大きく跳ねるように、海の水も大きく跳ねた。そして濁流となり、都市を洗い流した。女神の嘆きは激しい雨をもたらした。何年も、何十年も降り止まぬ雨だ。恵みも過ぎれば厄災となる。地表は洗い流され、海の底に沈んだ。今残る島は、かつて山だった場所の一角に過ぎない。
宙船で他の星へ逃げればいいと思うだろう。少なくとも私はそう思った。だが宙船は数が少なかった。ほんの数人しか乗れないくらいに。空には波がないと言う。その分飛び続けるためには大量の燃料が必要だった。鯨が何頭いても足りないくらいに。そして人間が生きられるような星は観測されていなかった。燃え続ける星。極寒の星。風が吹き荒ぶ荒野の星。いずれも降り立てばすぐ死んでしまう、過酷な環境の星ばかりだった。人類は死んでいくばかりだった。
だが、長い時の間に海で生きることに適応した者たちがいた。それが人魚だ。深く海に潜り魚を獲る者たち。彼らは海の中に長く潜れる。肺が大きく発達した。そして足は尾に変化した。鯨や魚と同じように。鯨は人間と同じように、かつて陸上で暮らしていた。その名残で今も肺で呼吸をする。鯨も海上に息を吸いに出なければならない。あの大きな体でもだ!
不思議だとは思わないか? 鯨と魚は違う生き物だ。鯨は肺で呼吸し、胎から子を産む。魚はエラで呼吸するから海面に上がる必要はない。卵を産みつけるから多産だ。だが形はどうだ。どちらも鰭を持ち、尾を持つ。海流の抵抗を減らすためだ。海の生き物は四肢が鰭に変化する傾向がある。前脚は魚の鰭に、後脚あるいは尾に。全く違う生き物なのに、非常によく似た特徴を備えている。生命の神秘だと思わないか。
では生殖のために海に呼ばれた男たちはどうだろうか? 彼らは陸で暮らしているから尾ではなく足を持つ。足が尾に変わるのはいつだ? 或いは足を持ったまま海で生を終えるのか? 彼らは人の声を失って人魚の歌を歌うようになるのか? 彼らは人魚になるのか? 陸と海では時の流れが異なると言うが、彼らはいつ死ぬ? 生殖が一度きりなのは、その後に死んでしまうからではないのか?
神話では陸と海では時の流れが異なると書かれている。私もヨナと同じように、この神話を書いた者は海から戻ってきた者なのだと思った。だがその者についての記録は残されていない。推測だが、その者は陸に戻って余生を過ごしたのではないか。「古の神話、語り継ぐ。最後の一人となるまで。言葉ある限り」と謳われているのだから。となれば尾に変化したはずの足は、再び足になったのではないか。知りたいことの多くは本に書かれていたが、知りたいことの全ては書かれていなかった。
残された手記の中に、海へ行ったきり帰って来なかった男についての記述があった。その手記によると、私が生まれるよりも遥か昔、人魚に呼ばれて海へ行った祖先がいた。その男は未だ帰らない。私はずっと待っていたのだ。いつか海から戻った者が、私の疑問に答えてくれることを。
私は人魚の姿をはっきりとは見たことがない。伝え聞く姿は上半身は人間のままで、下半身だけが魚のように変化している。人魚はまだ進化の途上にあるのではないか? 後脚が尾になるなら、腕は鰭になっていくはずだ。未だに腕が残されているのはおそらく何か理由があるはずだ。
ヨナ、私が海へ近付くことを恐れたのは、君以上に〈心が海にあった〉からだ。少しでも海に近付けば途端に全てを捨て、自ら海へと身を投げ出してしまうような人間だったからだ。
だがそれ以上に妻を愛していた。どれほど愛しい者がいても、人魚の誘惑には抗い難いものがある。夜毎に海そのものへの衝動にも駆られた。だが、私はそれら全てに耐えて妻への愛を貫いた。
……だが、妻が死んだ時、私は心の底で悔いていたのだ。妻も亡くし、子を成すこともできない私に、生きる意味はあるのか? もしも私が不能にならなければ、人魚に呼ばれれば、この身で全てを体験できたかもしれないのに。いや、不能になる前に海に全てを捧いでいたならば。それはこの命を、全てをもってしても尊いことなのではないか。そんな考えが、何年も、何十年も頭から離れないでいた。全ては失われた選択肢なのに。
全てを犠牲にしてでも。……私は全てを知りたいと思ってしまった。それが愚かな男の、人生最大の過ちだ。
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