ヨナと人魚の住まう海底都市

荒野羊仔

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エピソード4. 人魚

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 息を吸いたくて海面を目指すも、体が浮く感覚が初めてで、どこが上かわからない。口から空気が漏れて、たくさんの泡が浮き上がる代わりに、大量の水が入ってくる。鼻がツーンとする痛みを伴って、更に水を吸い込んでしまう。
 “落ち着いて!”
 人魚が近づいてくる。彼女は僕の頬に手を当てると、さらに顔を近づけた。唇が触れ、僕に息を吹き込んだ。息を吹き込まれた僕は少しだけ落ち着きを取り戻し、足で砂の感触を探した。指に力を込め、立ち上がる。ようやく海面に顔が出すことができて、少し安心する。咳き込んで喉の奥に入り込んだ水を出すと、深く息を吸い込んだ。
 これが、海の中の世界。そして……。
 腕の中に収まる、小さな人魚を見る。海のように深い藍の瞳。明るい橙の巻毛。いとけなく愛らしい、整った顔立ち。心配そうな顔をしている彼女はまだ子供……幼体と言って差し支えなさそうだった。
「ありがとう」
 声に出すより早く、彼女が笑顔になる。言葉が通じていると言うよりは、感情がそのまま伝わっていると考えてよさそうだ。
 何故なら、彼女の感情も即座に伝わってきたからだ。
 嬉しい。喜び。心が震える。
 僕たちの言葉で言うところの、泣きそう。だけど、完全に嬉しいだけの気持ちからきている訳ではなくて。
 少し、切ない……?
 慈しみ、憐れみ。そう言った感情が伝わってきて、少し戸惑う。彼女はどうして憐れんでいるんだろう? その感情は僕だけではなく、人間全般に向けられているようだった。
 彼女は切実な表情で、何かを語りかけようとしている。だけど、言葉と違って感情が一気に押し寄せてくるから、読み解くのに時間が掛かってしまう。それがより彼女をもどかしくさせているらしかった。集中して彼女の声を聴こうとする。
 “海に来て——”
「ヨナ!」
 彼女の声と重なって、遠くから僕を呼ぶ声がした。振り返って見えた小さな人影は、サラだった。僕が海に入ってしまったから、怒っているに違いなかった。その上人魚を見てしまったら——。
 僕は人魚の方に向き直ると、見つかるとまずいから、また明日会えないかな、と伝わるように念じた。
 “きっと、きっと明日——”
 彼女は少し悲しそうな顔をしながらも、そろそろと手を離し、沖へ向かって泳ぎ出した。やがて姿が見えなくなると、僕は陸へ向かって歩き出した。陸へ向かうにつれて、服が水を吸って重くなる。まるで名残惜しい僕と、彼女の気持ちを代弁するかのように。
「ヨナ! 何やってるの!」
 鬼の様な形相で、サラが駆け寄ってくる。僕は服の裾を絞りながら陸へ上がった。釣竿を拾い上げながら、サラに答える。
「大きな魚が掛かって、釣竿が持っていかれそうになったんだ。釣り上げられそうになかったから、水に戻して逃したんだ。釣竿は二本しかないから、持っていかれたら困るだろう?」
 僕はそう言って釣糸を摘んで見せた。
 サラは怒ろうと振り上げた拳の行き場に困って、僕の胸を叩いた。
「……頭までびしょびしょじゃない! 塩はそのままにしとくとヒリヒリするんだよ! 洗うのにお水いっぱい使わなきゃいけないじゃない、ヨナのバカ!」
 遠慮のない、力強い叩き方に思わず咽せる。サラはほら、洗いに行くから! と僕の手を引いて家へと向かった。
 僕は海を振り返る。彼女は無事に海へ帰れただろうか。遠くの波間に、彼女の明るい髪が見えた。どうやら彼女も同じように、陸を見ていたようだ。彼女は僕に向かって手を振ると、とぷんと小さな音を立て、波間へ消えていった。
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