ヨナと人魚の住まう海底都市

荒野羊仔

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エピソード2. 家

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 遥かなる昔、建物は大きな木や石でできていたと言う。それらは星の底に沈み、地上には残っていない。だから僕たちは何かが流れ着くのを待っている。
 例えば、大きな鯨の死骸。その腐臭は人間とは比べ物にならないが、肉は美味くてたくさん手に入るし、大量の油が手に入る。食べきれない分を海に流すと、魚たちが集まってくるから、しばらく食べるのに困ることはない。肉が無くなった後の巨大な骨は、家の土台になる。小さな骨は削ってナイフや釣り針や銛になる。その銛で浅瀬に流れて弱った鯨を狩る。
 例えば、滑らかな肌触りの流木。島に生えている木は皮があってガサガサとした感触をしているが、海からやってくる木はすべすべしている。形はたまに流れ着く珊瑚とよく似ている。子供の頃はそういう木が生えている島があるのだと思っていたが、今は木と珊瑚が別物だということを知っているし、海を流れるうちに削られて滑らかになったことを知っている。
 木も石も骨も砂も、海を揺蕩ううちに削られていく。僕たちが海に入ったとしたら、やはり肌は滑らかになっていくのだろう。近くで見たことはないが、きっと人魚のように。
 かつて女神の涙は世界を洗い流したけれど、今は幾年か経ったからか、慈愛の涙に変わっていた。僕たちの島の気候は穏やかで、一年を通して快適に暮らしていける。家は時折降る雨風を凌げれば、機能としては十分だった。
 僕たちの島の家は鯨の骨でできている。鯨の骨を土台にして、アザラシや、時に鯨や大きな魚の皮を鞣したもので覆っている。大きな葉が生い茂る、木がたくさんある島は木とその葉だけで家を建てるというから驚きだ。僕たちの島は海からもたらされるもので生かされている。僕たちが何かを生かすことはない。僕たちが何かを生かすのは、海に還る時。死して魂が抜けて、肉体が虫や鳥の糧となる時だけなんだろう。
 島の真ん中、なだらかな丘の一番上にある家が僕の家であり、長老の家であり、その他の身寄りのない子供たちの家だった。
「おかえりヨナ!」
「おかえり長老!」
 子供たちは口々におかえり、と言い、僕たちを迎えた。
「ただいま、みんな」
 長老は穏やかにそう言うと、子供たちの頭を順に撫でた。
「サラ、モアブ、エサウ、セム」
 名前を呼ばれた子供たちは顔を綻ばせ笑った。
 かつて、名前は世界中にたくさんあり、そのそれぞれに意味があったと言う。今や名前は音の響きの違いにしかすぎない。僕たちの島の名前も、長い時の果てに忘れ去られてしまった。
「ヨナ、ご飯だよ」
 僕の次に大きい、サラが言った。僕は慌てて食卓につく。
「もう、何回も呼んだのに全然気づかないんだから。しっかりしてよ」
 サラは年下だけどしっかりものの女の子で、いつも下の子供たちの世話をしている。僕のことも、同じように。
「確かにヨナはここのところ特に〈心が海にある〉。今日も海に近づきすぎていたのを家に連れて帰ってきたんだよ」
 長老がそう言うと、サラは顔をしかめた。〈心が海にある〉は、都市が沈んでからできた言葉で、昔の言葉で言うところの……上の空、を表す言葉だ。僕は考え事をしていて、体を動かす意識が途切れる時がある。
「もう! 本当に溺れたらどうするのよ!」
「うみにちかづいちゃだめなんだよー」
「だよー」
 小さな子供たちも、それに続く。ごめんごめん、と言いながら、僕は干物を受け取り、それを噛み締めた。この島の食料は主に魚の干物だ。新鮮な魚が取れた時は生で食べる時もある。鳥が取れた時は羽を毟って、残しておいた鯨の油で焼く。卵が取れたら最高だ。もっとも、僕たちの島には草木がほとんどないから、よっぽど体力が落ちていない限り、鳥も住み着かないのだけれど。
 固い干物を噛み締めて、僕たちは体に満腹だと思い込ませる。この島にはほとんど男がいない。この家に住む僕と、長老と、サラの下の子供たちだけだ。力のある男たちはみんな病で死んでしまった。長老と僕とで島のみんなの分の魚を釣る。子供たちは僕たちが釣った魚で干物を作って待っている。
 食事を済ませると、六人で横並びになって眠りに就く。油がないから灯りもつけない。夜明けと共に起き、日が沈むと共に眠る。
 瞼を閉じながら考える。僕の名前の意味は、どんなだったんだろう。ヨナ。夜の名前。夜の……魚。うん、それがいい。
 僕は深い海の中、あるいは空を自由に泳ぐ魚を思い浮かべながら眠りについた。
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