まずい飯が食べたくて

森園ことり

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7 叔父さんの天麩羅

7 叔父さんの天麩羅(4)

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「そんなにうちの店が気に入った?」
「それにつきると思います」
「居心地よくしすぎたんだな。悪いことした」
「僕はまったく後悔してません」
「楽なほうに逃げてるんだとしたら、やめといたほうがいいぞ。俺を見てみろよ。全部逃げてきたから、いまこんなだよ。嫁も子供もいない。この家で親と一緒にただ老いていく。そんな人生羨ましいか?」

 階段をゆっくりと上がってくる足音が聞こえる。
 叔父さんはぱっと立ち上がって部屋の戸を開けた。

「母さん、階段上がってきちゃだめだよ」

 それでも足音は近づいてきて、ひょこっとおばあちゃんが顔を覗かせた。手にはお盆を持っている。

「これ食べて。おいしいかりんとうだから」
「わかったわかった、ありがとう。お願いだから下でおとなしくしててよ」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ」

 ねえ、とおばあちゃんは僕に笑いかけてから、小さく手を振って姿を消した。
 かりんとうをのせたお盆を持った叔父さんが苦笑いしながら戻ってくる。

「母さん、このまえ心臓の手術したんだ。だから、心配でさ」
「手術? 心臓そんなに悪かったんですか?」

 どきっとした。おばあちゃんの心臓が悪かったなんて初耳だ。

「年取ってきてから徐々に悪くなってきたんだ。でも手術は無事成功したから大丈夫」
「なんで教えてくれなかったんですか。付き添いとかいろいろ大変だったでしょ?」

 だから店に来ない日があったのか。

「言えば心配するだろうし、見舞いに来るとか言い出すだろ。付き添いはおやじがしてくれたから、俺はたまに顔出すだけでよかったんだ。そんな顔するなって」

 叔父さんはのんびりはははと笑った。

「あのとおりピンピンしてるからさ」
「元気になったんならよかったですけど」

 それよりさ、と叔父さんは立て膝をついた。

「将来はどうするんだ? ちゃんと考えてるんだろ」
「いずれ自分の店は持ちたいと思ってます」
「それならいいけどさ。お前はちゃんと才能も実力もあるんだから、なにも諦めずに頑張れ」
「わかりました」
「ちょっとかりんとうでも食べてて」

 叔父さんは腰を上げて部屋から出ていった。

 僕はおばあちゃんがくれたかりんとうをぽりぽりと齧った。
 甘さ控えめでおいしい。小さい頃、何度か母親が買ってくれた記憶がある。大人になってから食べたのは初めてかもしれない。

 しばらくして、叔父さんが缶ビール二本とちくわの袋を持って戻ってきた。

「やっぱ素面だと調子でないんだわ」

 そう言って笑うと、叔父さんはビールをぐいっと飲んでちくわを食べた。
 クーラーがないと暑いぐらいの陽気なので、冷たいビールはありがたい。
 ちくわをそのまま食べるのは久しぶりだったが、思った以上にうまみがあった。

「なかなかいけるだろ、ちくわ」
「うまいですね。今度僕も買っておこう」

 小ぶりのちくわは四本入っていて、僕らは二本ずつ食べた。

「さっきはつきはなすような言い方したけど、新が俺の店を選んでくれたこと、本当は嬉しかったよ。ばかだなぁって呆れたけど、それ以上に胸が熱くなった。それだけは伝えとく」

 照れ臭そうに叔父さんは言うと、ビールを飲んで窓の外を眺めた。

「叔父さん、お酒弱くなったんじゃないですか」

 かもな、と叔父さんは笑って、かりんとうをぼりぼり食べはじめた。
 叔父さんの手が止まらないのを見て、僕はあることに気づいた。

「もしかして、お腹空いてるんじゃないですか?」
「……かもしれない」

 時計を見るともう一時だ。

「やけに腹がへるはずだ。なんか食うか」

 僕らは階下に降りていって、台所に入った。
 きれいに整えられており、大きな窓からは光がたっぷり差し込んでいる。
 叔父さんは窓を少し開いて風を入れた。

「確か蕎麦が大量にあったから茹でるか」

 叔父さんはお湯を沸かしはじめた。

「なに作るの? 手伝おうか」

 おばあちゃんも来て、叔父さんを覗き込む。

「蕎麦茹でようと思って。母さんは座ってて」
「そう? ありがとうね」

 おばあちゃんは僕ににこりと笑いかけてから、隣の和室に入っていった。テレビの音が小さく漏れてくる。

「何か手伝いますよ」
「じゃあ、なにか付け合わせでも作ってもらおうかな。野菜があったはずだけど」

 そう言いながら、冷蔵庫の野菜室を開ける。
 思ったよりたっぷり野菜が入っていた。

「じゃあ、天麩羅でもあげましょうか?」

 叔父さんはぱっと顔を輝かせた。

「一気に豪華になるな」

 人参や玉ねぎを取り出す。

「かきあげにしましょう」
「これも使うか?」

 叔父さんがコーン缶を取り出したので、ありがたく受け取った。

「そういや、てんぷら粉があったはず。使う?」
「ええ。このフライパン使っていいですか?」
「いいよ。油はそこの下だから」

 叔父さんは沸かした湯の中に蕎麦をばさっと入れて、ゆっくりかきまわしはじめる。
 僕は野菜を千切りにしたあと、てんぷら粉にコーンと一緒に入れた。

「紅ショウガも残ってるな」

 冷蔵庫の中を覗いて叔父さんが呟く。

「それも使っちゃいましょ。アクセントになりますから」
「いいねぇ」

 紅ショウガを入れると、タネが薄くピンク色に色づく。
 少なめの油で揚げ焼きにしていくと、隣から「いい匂いね」とお褒めの言葉がかかった。

「母さんの天麩羅、いつもべっちゃり、油でぎとぎとだったんだよ」

 叔父さんが隣に聞こえないように小声で言う。

「下に敷いた油取り紙も油でびしょびしょになるぐらい。でも、気にせずばくばく食ってたっけ」

 僕は声を出さずに笑ってうなずく。

「遺伝ですかね。うちの母親もそんな感じでしたよ。でも、天麩羅の揚げ方を教えてくれたのは覚えてます。『こうして菜箸の先を油に入れて、しゅわしゅわいってきたら、揚げ時だよ』って」

 まだとても小さい時、母親が料理をするのをいつも脇から見ていて、自分もやりたいと駄々をこねた。
 まだ台所の蛇口に手が届かず、シンクによじ登っていた頃の話だ。

 ボウルの中身をかき混ぜたり、肉をお団子に丸めたり、どんな作業も楽しくてしかたなかった。
 お菓子を一緒に作った記憶もたくさんある。

 白玉を丸めて茹でる、ドーナツを揚げる、マドレーヌを焼く。コーヒーゼリーもたくさん作った。
 料理の楽しさを教えてくれたのは母親だった。そのお礼をきちんと伝える前に、母親は逝ってしまった。

 今度は僕も料理の楽しさをみんなに教えてあげたい。

「やっぱ、新が揚げると天麩羅も上品だな~。いただきますっ」

 完成した天麩羅と蕎麦を食卓に並べると、叔父さんは一応褒め言葉を口にしてから、真っ先に食べはじめた。

「ほんとにおいしそう。新君、いただきます」

 おばあちゃんも小さい口でかき揚げにかぶりつく。

 今度は二人になにを作ってあげよう。
 料理をあれこれ思い浮かべながら、僕は蕎麦をすすり上げた。



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