まずい飯が食べたくて

森園ことり

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2 令子さんの袋麺

2 令子さんの袋麺(3)

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 久しぶりの休日はたっぷり朝寝坊を楽しんだ。
 ベッドから出るとコーヒーを入れて、ゆっくり飲みながら洗濯機をまわす。

「天気よすぎるなぁ」

 ベランダの窓を開けて、真っ青な空を見上げた。
 こうも晴れていると、外に出ないと罪悪感を覚えるほどだ。

 本当は家で映画でも見ながらだらだら過ごしたい。
 でも最近運動不足だし、散歩ぐらいしたほうがいいだろう。

 気づくと二十分もコーヒーを飲みながら、ぼうっと外の景色を眺めていた。
 洗濯機が終わったという音がぴーぴー鳴っている。
 一週間分の洗濯物を干しながら、またちらちら外を見てしまう。
 特に面白いものはないのに、なんだか気になる。

 マンションの五階から見えるものは道路や建物だけだ。
 でも道路を走る車は以前より多く、行き交う人々の姿も以前より増えたように感じる。
 春だからか。

 冬はこの景色も寒々と感じられて、道行く人たちも目的地に向かって急いでいるように見えた。
 いまは手をつないだ男女や家族連れが、歩くこと自体を楽しんでいるように見える。
 ふわっとした暖かく上向きな空気感に、いつのまにか世界は移り変わっていた。

 なんだか置いてきぼりをくった気がする。

 冬の間に職を失い、叔父さんの店を手伝っている自分。
 世間のふわふわとは違うふわふわの中にいる。
 なににもつながっていない、不安定なふわふわ。

 洗濯物を干しているうちにおなかがすいてきた。
 なにを食べよう。
 トーストで簡単にすましてもいいけど……。

 洗濯物をすませてキッチンに行くと、叔父さんからもらった袋麺が目に留まった。
 叔父さんは五種類の味の袋麺を買ってきた。
 僕が選んだのはシンプルな醤油味。

 令子さんが食べたのは何味なんだろう。

「せっかくだから食べてみるか」

 卵や野菜でも入れようと思ったが、令子さんの話を思い出して手が止まった。

「シンプルにいくか」

 彼女の父親が作ってくれたという、なにも入れないバージョンを試してみよう。
 湯を沸かしている間に、令子さんをまねて粉末スープを少し舐めてみた。
 想像通りの味だ。
 濃すぎて決しておいしいものではない。

 でも、子供の令子さんがおいしいと思ったのもうなずける。
 ポテトチップスのコンソメ味みたいな感じがしなくもない。濃縮された、ちょっとジャンクな味。

 沸騰したお湯に硬い麵を入れた時、電話が鳴り始めた。
 ちらっと茹で時間を時計で確認してから電話に出る。

『先輩? 石川です』

 ずいぶん懐かしい声が聞こえてきた。

「石川月菜(るな)?」
『そうです。覚えてますか?』

 石川月菜は料理の専門学校の後輩だ。

 彼女も卒業後は留学して、そのことで相談にのったことがある。
 共通の友人も多いので、たまに連絡を取り合っていたが、ここ数年はご無沙汰だった。

「覚えてるよ。どうした?」
『先輩、仕事辞めたそうですね。松井先輩から聞きました」

 松井遼太郎はやはり専門学校時代の友人だ。
 彼は親の店で働いている。顔が広いので、仕事を辞めた時にはすぐに連絡した。僕にできそうな仕事があったら紹介してほしいと。

「そうだよ。いまは叔父の店をちょっと手伝ってる」

 電話の向こう側は少しだけ沈黙した。

『……そうでしたか。新しい職場は探してるんですか?』
「探してるけど」
『よかった』

 ほっとしたような明るい声に戻った。

『実は先輩にうちで働いてもらえないかと思いまして』

 石川月菜は三つ年上の兄と、生まれ育った鎌倉で店をやっている。
 地元野菜を使ったこだわりの創作料理を出しているとか。
 店に行ったことはないが、松井からはとてもいい店で、いい客もついているとは聞いていた。

「鎌倉のお店で?」

 お兄さんとやっているのなら、僕の出る幕はないのではないだろうか。

『いいえ。神楽坂にもう一店出す話が進んでいるんです。私が行くことになっているんですけど、手伝ってくれるはずだった人の都合が急に悪くなってしまって……』

 そういうことか。ずいぶんいい場所に店を持つんだな。
 ということは鎌倉の店はだいぶ流行っているのだろう。

『待遇の方は、以前のお店よりもいい条件で働いていただけると思います。どうですか、先輩』
「どうって言われても……急な話で驚いてる。でも声をかけてくれて嬉しいよ。ありがとう」

 神楽坂の新店で石川と仕事をする。
 悪くないかもしれない。いや、かなりいい話だ。

『よかった! 断られるだろうってびくびくしてたんです』

 僕は笑った。

「びくびくってそんな。でもちょっと考えてみてもいい?」
『もちろんです。一度会ってきちんと話もしたいですし。あの、先輩は自分のお店を持つ予定とかあるんですか?』

 彼女は少し不安そうな声でたずねた。

「いや、その予定はまだないよ。いつかは持ちたいと思ってるけど」
『そうなんですね。その話も含めて、今度ゆっくりお話しできたらと思います。次のお休みは空いてますか? 私、店を休んででも会いに行きます』

 それは申し訳ない。
 それに、まだ働くと決めたわけではないし。

「それだったら、僕がそっちに行くよ。久しぶりに鎌倉ぶらついてみたいし」
『本当ですか! それだと助かります。じゃあ、次の先輩の休みに会いましょう』

 電話を切ると、麺は茹で過ぎになっていた。でも粉末スープを溶かしてなんとか完成させる。
 一口食べてみたがやはりまずかった。

「そりゃそうだよな」

 散歩もかねて、外に食べにいくことにした。
 気分がかなり明るくなっている。
 石川月菜の電話のおかげだ。

 うまくいくかはまだわからないけれど、少し明るい未来が見えてきた。
 いつまでも叔父さんの世話になるわけにもいかない。

 台所をさっと片付けて、軽い足取りで家を出た。



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