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「お店がなくなると、ここでの思い出まで消えちゃうみたいで悲しいな」

 きれいなワンピースでしっかりおしゃれしてきたアヤメさんは、テーブルについてすぐに泣きべそをかいた。

「めそめそしないの。最後はしっかり笑顔で楽しまなきゃ」

 トキコさんはそう言うと、バッグから写真たてを取り出してテーブルに置いた。カワセさんとアヤメさんの三人で撮影した時の写真が入っている。

「そうよね。ごめん」

 アヤメさんはカワセさんの写真に謝ると、涙を拭いてメニュー表を開いた。

「最後だから食べたかったの全部食べてやる」
「太るわよ、あんた」
「いいのいいの。そんなの今日は気にしないんだから」

 トキコさんは巨大パンケーキを迷わず注文した。

「メッセージでお願いね」
「かしこまりました」

 アヤメさんはステーキとピザとパフェとグラスワインを選んだ。胃薬をしっかりテーブルに準備して。
 柳子はトキコさんのパンケーキにどんなメッセージを書くんだろう?
 お礼だろうか。それともエールのようなものだろうか。

 彼女が書いたメッセージはまたまた僕を驚かせた。
 メッセージを読んだトキコさんの反応が知りたくて、僕は忙しいにもかかわらず柳子のあとについていった。

「トキコさん、お待たせしました」

 笑顔の柳子がトキコさんの前に置いたパンケーキには、こんなメッセージが書かれていた。

(また一緒に働きましょう!)

 予想通り、メッセージを目にしたトキコさんは目を丸くしていた。そしてぷっと噴き出して、笑いながら柳子を見た。

「ありがとう。そのときはよろしくね」
「よろしくお願いします。アヤメさんもそのときにはぜひ」

 ミルクティーを飲んでいたアヤメさんは、びっくりして噴き出しそうになった。

「いやよぉ。私はお客さんで充分。怒られるの大嫌いだし」

 僕らはみんな笑ってしまった。
 どのお客さんもその日はみんな笑顔で、店内はいままでで一番賑わった。朝から晩まで大変な忙しさだったけど、従業員が全員出勤したのでなんとか乗り切ることができた。

 そして閉店の夜の九時。
 最後の客を送り出すと、店長と僕ら従業員は出入り口の前に整列して外に向かって頭を下げた。

「ありがとうございました」

 店長の言葉に、僕らも続いた。

「ありがとうございました!」

 ふうと息を吐いた店長がくるりと振り返ると、笑顔で僕らに頭を下げた。

「みんなお疲れ様。無事に最後の一日にたどり着けたのはみんなのおかげです。いつも明るく元気に笑顔で働いてくれてありがとう。みなさんと働けて僕は幸せでした。本当にありがとうございました」

 店長、と美帆さんが早くも泣いている。その横にいる大さんも目をごしごしこすっている。
 柳子はやりきったような表情で微笑んでいた。僕も達成感で脱力していた。悲しいというよりはどこかほっとしていた。いい終わり方ができて、よかった。

「店長、今日だけは付き合ってもらいますからね」

 涙を拭いながら美帆さんが言うと、店長は笑いながら頷いた。

「もちろん。僕のほうからみんなを誘おうと思ってたから」
「やったー! 店長と飲める日が来るなんて」
「もう店長じゃないから笠松でいいですよ」
「店長は永遠に店長です!」

 なんだそれ、と大さんが突っ込み、みんな笑う。

「池間君はどうする? 明日も大学でしょ?」

 店長は気遣ってくれたが、参加しないわけがない。

「一杯だけいただいていきます」

 週末には慰労会が計画されている。駅前の人気のバルを店長が貸し切ってくれたのだ。
 でも今夜、まっすぐアパートの部屋に帰る気にはどうしたってなれない。
 飲んでいくメンバーにはおなじみの顔ぶれが並んだ。美帆さん、大さん、僕、柳子、そして小鹿さん。
 小鹿さんと店長は先頭を歩きながら、なにやら楽しそうにバイクの話なんかしている。
 大さんと美帆さんは新しい職場の制服のサイズについてぶつくさ。

「良ちゃん」

 名前を呼ばれて隣を見ると、柳子がじっと僕を見つめていた。

「ん?」
「まだ話してなかったけど、私、大学に戻ることにしたから」
「え……そうなの?」
「うん。別にお母さんに言われたからじゃないよ。大学の友達と話してて、卒業だけはしておいてもいいのかなぁって思ったんだ」

 僕はほっとした。音大を辞めてしまうのはもったいない気がしていたから。でも同時に、柳子が元の暮らしに戻っていくような気がして、少し複雑な気持ちにもなった。

「そのほうがいいよ。じゃあ……仕事は辞めるの?」
「ううん。時間は短くしてもらうけど、辞めない。一人暮らしは続けたいから稼がないとね。お父さんは生活費の心配はしなくていいって言ってくれてるけど」
「大学に戻るなら無理しないほうがいいよ。体調崩してまた道端で倒れるようなことがあったら困るし」
「そうだね」

 柳子は笑い、前を行くみんなを少し気にしながら、僕の手をそっと握った。

「良ちゃんが私のピアノを褒めてくれたことも、大学に戻ろうって思ったきっかけのひとつだよ。将来のことは、これからゆっくり考えていこうと思ってる」

 うん、と僕が頷いた時、「あーっ」と前で声があがった。
 美帆さんが振り返って僕らを指差している。

「手ぇつないでる! やっぱ、そういうこと?」

 やばっと僕らは慌てて手を離したけれど、時すでに遅し。
 お疲れ様の飲み会の席では、散々からかわれたのであった。



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