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「だから樹奈誘えって」
「忙しいから無理」
「でも電話かかってきたんだろ?」
「そうだけど……」

 茉美は黙々とハンバーガーを食べはじめた。
 自分から距離を置いたので、いまさら誘うのが怖いのだろう。断られたら、と。
 彼女はまたスマホをちらりと見た。
 まだ松角先輩から連絡は来ていないようだった。





 お盆は千葉の実家に帰ることにした。
 バイトをする気でいたのだけど、店長に「お盆ぐらい顔を見せに帰ったほうがいい」と言われたのだ。
 こんな顔を見せてどうなるんだろうと思ったけれど、帰ると意外にも両親は喜んでくれた。
 とにかく、あれも食べろこれも食べろと手料理攻め。これでは正子さんちにいるのとさほど変わらない。
 外出は家族で墓参りに行ったぐらいで、あとは毎日自分の部屋でごろごろしていた。

 僕の部屋には小ぶりのテレビがある。これは両親の寝室に元々あったのだが、新しいのを買ったので僕の部屋に置かれたらしい。
 僕は普段テレビを見ないので、ベッドに横になりながら、いろんな番組をぼーっと眺めていた。あまり面白いものはやってないなぁ、なんて思いながら。

 帰省して二日目の夜、僕は風呂上りにアイスを食べながら、なんとなくバラエティ番組を見ていた。
 芸能人が一ヶ月本気で猛練習したら、どんな特技を習得できるのか、という番組だ。
 最初は女性アイドルが登場して、バタフライを練習した。泳ぐのが元々苦手なアイドルは、はじめて数日で泣きながらリタイア宣言をした。果たして彼女は諦めてしまうのか? 続きは次週。

 次は別の挑戦者が登場した。
 楽器にほぼ触れたことがない若手俳優が、ピアノの難曲に挑戦するというものだ。講師として登場した女性を見て、僕は「あっ!」と大声を出してしまった。

 柳子だ。

 赤いスーツに赤いパンプスという派手な装い。
 でも顔は柳子だ。
 声は柳子より若干低い。笑うと顔に皺がより、年齢を感じさせた。

 彼女は「三輪(みわ)先生」と呼ばれていた。
 慌ててスマホで(三輪 ピアノ 講師)と検索すると、三輪苗子(みわなえこ)という四十九歳の女性の情報が出てきた。
 元ピアニストで今は音楽スクールを経営している。五年程前からテレビに出演しはじめ、現在はタレント活動のようなものもしている、とある。

 気づくと、番組には別の挑戦者と先生が出ていた。
 慌てて部屋を出て階段を駆け下りていく。リビングに入ると、母親がフェイスパックをしながら同じテレビ番組を見ていた。

「ねえ、さっき出てた三輪苗子ってピアノ講師のこと知ってる?」

 こちらを振り返った母親は、パックを手で押さえながら驚いたような目で僕を見た。

「三輪苗子? ピアノの人でしょ……どうかしたの?」
「知り合いによく似てたからびっくりして」
「へえ。そんなに驚くほど似てるの」
「うん。本人かと思った」

 でも苗字が違う。柳子は南川だ。

「あのひとの娘さん亡くなったのよ」
「娘がいるの?」
「そうよ。よく一緒にテレビに出てたわよ。ピアニストの美人母娘、ってふれこみで話題になったんじゃなかったかしら」
「娘もピアニストだったの?」
「みたいよ。二人とも美人で喋りが達者だから、どの番組出ても目立ってたけどね」

 だが、去年の春頃に、娘が自分で運転していた車で事故を起こし、急逝した。

「それから一年ぐらい、母親のほうもテレビで見なかったわね。最近じゃない、復帰したの」

 そうなんだ、と言って僕は急いで部屋に戻った。
 今度は、(三輪苗子 娘)で検索してみる。

 出てきたのは(三輪櫻子(みわさくらこ))という人物だった。去年、二十三歳で交通事故で亡くなっている。

 三輪櫻子は目がぱっちりとした、お人形みたいなルックスの美女だった。母親の苗子と一緒に写っている写真もたくさんある。

 一瞬、亡くなった娘が柳子ではないかと思って血の気がひいた。でも違った。
 柳子は生きている。
 あのファミレスでお盆も休まず働いているはずだ。


 
 翌日、僕は朝ごはんを食べるとすぐに実家を出た。
 夕飯までいると思っていた母親は残念がっていたが、それどころではない。

 東京に戻り、家ではなくファミレスに向かった。
 モーニングの時間帯のファミレスは、明るく賑わっていた。
 八月からはじまった(肉モーニング)は、ボリュームたっぷりで男性客に支持されていたが、お盆からはじまった(韓国モーニング)は、若い世代に人気のようだ。特に女性たちに。お盆ということもあって、家族連れも目立つ。

 忙しくフロアを歩きまわっていた柳子は、僕に気づくと一瞬驚いた顔をした。でもすぐに笑顔になる。
 僕は二人掛けのテーブルについて、柳子がやってくるのを待った。

「まだ実家かと思った」

 やって来た柳子はそう言って笑った。

「ちょっと話があるんだけど、仕事が終わったら会える?」
「……うん、いいよ。じゃあ、仕事終わったら家に行くね。ご注文は?」
「コーヒーゼリーとドリンクバー」

 僕はドリンクバーでコーヒー取って来ると、一息ついた。
 お盆だというのに美帆さんも働いている。僕みたいな学生が休んでしまってなんだか申し訳ない。彼女は僕に気づくと元気よく手を振ってくれた。

 柳子は夏バテの様子もなく、てきぱきとテーブルの間を行き来している。
 やっぱりあの三輪苗子という人に似ている。他人の空似とは思えない。ピアノという共通点もあるし。
 僕の席にコーヒーゼリーを運んできてくれた柳子はにこりと笑う。でもその表情が少しだけぎこちない。気のせいだろうか。

 忙しいのに長居をしては悪いだろうと、コーヒーゼリーを食べ終えるとファミレスをあとにした。
 柳子の仕事が終わるのは三時だから、来るのは夕方だろう。

 僕はスーパーに寄って、ドリンクや食料品を適当に買い込んだ。帰宅するとレトルトカレーを温めて食べ、ごろんと横になった。
 そのまま寝てしまったようで、気づいた時には三時近くになっていた。
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