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「急に暑くなって少し食欲落ちたから」
「だったらなおさら必要だよ。食欲ない時はお茶漬けにして食べたらいいよ」

 桃色おにぎりのお茶漬けか。想像しただけで食欲が失せるような。
 でも、なにを言っても無駄そうなので諦めた。限界まで冷凍庫にためこむしかない。
 僕は紙コップに冷水をついで、パイプ椅子に腰かけた。このあと炎天下で自転車を漕ぐから、たっぷり水分補給しとかないと。

「カレーモーニング、うまくいってよかったよね。でも来週からスイーツに変わるから、男性客が離れないかなぁ」

 お客は正直だから、目当てのものがなくなったら来なくなるんじゃないだろうか。
 そうだよね、と柳子はこくんと頷く。

「私もそう思ったから、店長に頼んでみたんだ。今後もカレーをモーニングメニューに入れておけないかって。考えてみてくれるってよ」
「本当?」

 さすが柳子。抜け目がない。

「うん。今後も評判がよかったメニューは残した方がいいと思うんだ」
「ほんとだ。そのほうがいいよ。ただ料理スタッフは大変だよね」
「小鹿さんは最後だし頑張るって言ってくれてたよ」
「へえ、心強いな。この勢いでスイーツも成功するといいなぁ」

 スイーツのモーニングは三段重ねのパンケーキが目玉だ。そこにオレンジ、アイスクリーム、生クリームをトッピングする。ドリンクバー付きで三百九十円。

「私、オレンジじゃなくてメロンがよかったんだけどね、ほんとは」
「それだと赤字になるよ」

 柳子は果物が好きらしく、夏になってからはよく正子さんから西瓜をもらっている。このまえは僕にもおすそわけしてくれた。
 彼女の誕生日にはメロンをあげようかな。

「柳子さんて誕生日いつなの?」
「十二月だよ。なに、お祝いしてくれるの?」

 十二月ならメロンは時期じゃないか。

「いや……」
「いやってなに。お祝いしてよ。良ちゃんはいつなの?」
「三月」
「ふうん。今年の誕生日は彼女と過ごしたの?」

 彼女?
 それは嫌味か。あきらかに彼女がいない僕に対する。

「このまえの樹奈ちゃんて子、良ちゃんの彼女?」

 あの距離感で彼女のわけないでしょうが。

「なわけないでしょ。だったらそう言ってるし」

 自慢してるし。
 僕は水をぐいぐい飲んで口を拭った。腰を上げてリュックサックを背負う。

「もしかして、ふられたの?」

 黙っていたらそうだと認めるようなものだけど、咄嗟にいい返しが思い浮かばなかった。

「ふうん、そうだったんだ。残念だったね」

 せっかく忘れかけてきていた心の傷をまた思い出してしまった。

「じゃ、おつかれ……」
「あ、良ちゃん。明日、『旋律』にモーニング食べに行かない?」

 行ったら、この話の続きをすることになるんじゃないだろうか。そんなことはご免だ。

「明日は用事があるから」
「そう……」
「じゃ」

 ちょっとそっけなかったかな。
 でも、ふられた時のことは本当に早く忘れてしまいたいのだ。





 土曜日の朝。

 いつも通り、早く目が覚めた。二度寝したいところだけど、やっぱりドアの外が気になる。
 そっと音をたてないように玄関のドアを開けると、廊下に箱が置いてあった。
 クーラーボックス?
 まさか、と思って蓋を開けてみると、桃色おにぎりがやっぱり入っていた。

 ここまで来ると恐怖だ。
 桃色おにぎりを取り出して、クーラーボックスを廊下の端っこに置く。
 冷凍庫に余ってるって言ったのに、なんで話が通じないんだろう。お茶漬けにしろ? わかった。秋以降にそうしますよ。

 おにぎりを冷凍庫に放り込むと、すぐに布団に潜った。
 たまっていくおにぎりのことを考えてすぐには眠れなかったが、なんとか二度寝には成功した。起きた時は昼前になっていた。

 寝ぐせをなおして着替えをし、『旋律』に向かう。
 柳子が待ち構えてたら嫌だなぁと思っていたら、ちょうど店から彼女が出てくるところだった。
 咄嗟に電柱の陰に隠れる。

 すると、彼女のあとからすぐに男性も出てきた。二人は肩を並べて歩きだす。
 誰だと思って目をこらすと、灰野さんの元教え子の島時蔵だった。
 あの二人、知り合いだったのか。

 灰野さんに誘われて、彼が正子さんちでご飯を食べているのなら、柳子と顔見知りになっていても不思議ではない。
 でも、灰野さんが一緒ならともかく、時蔵さんと柳子だけの組み合わせは意外だ。

「あら……いらっしゃい」

 僕が『旋律』に入っていくと、アンさんとマークさんはちらりと目を見合わせた。なんだろう。

「いま柳子ちゃん帰ったところよ」
「そうなんですか」

 知らないふりをして、いつもの席に座る。

「いつもの?」
「はい、お願いします」

 柳子と時蔵さん、どこへ行くんだろう。どんな話してるんだろう。

「もうすぐ夏休みでしょ? 帰省するの?」

 水を持ってきてくれたアンさんが、扇子でぱたぱた顔を仰ぎながら訊ねる。

「いえ……帰ってもやることないんで、バイトしようと思ってます」

 どうせ家でぐーたら寝てるだけだし。クーラー代が怖いから、働いてたほうがマシだ。お金もたまるし。

「偉いと言いたいところだけど、つまんない夏休みね。せっかくの長期休暇なんだから、もっと特別なことしたら?」
「特別な?」
「一人旅とか、彼女とデートするとか」

 一人旅はともかく後者は今からは無理だ。

「旅ですか……」

 時蔵さんが前にここで、灰野さんをスケッチ旅行に誘っていたことを思い出す。東北だっけ。そういうのならやってみたいけど、お金かかりそうだ。野宿はやだしな。

「うーん」

 考え込んだ僕を見て、アンさんはぴしゃりと閉じた扇子で軽く僕の肩を打った。

「それなら、せっせと働くがいいわ」

 働くことがまるで悪いかのような口ぶりだ。別にいいじゃないか。青春らしい夏休みを送らなくたって。みんながみんなきらきらした夏を過ごせるわけじゃない。
 ピザトーストを食べながら、僕はその日も漫画日記をせっせと描いた。カレーモーニングに沸くファミレス、クーラーボックスの中の桃色おにぎり。
 つまらない子、みたいな視線を背中に感じながら店をあとにして、コインランドリーで洗濯物をピックアップした。

 確かに、今日だってつまらない休日を過ごしてはいる。でも平日はバイトに大学と忙しいので、週末ぐらいはだらだらしないと体がもたない。帰ったら昼寝しよ。

 アパートの近くまで来た時、二階に人影が見えた。
 柳子の部屋に短髪黒髪の男が入っていく。安っぽいグレーのスウェットの上下という恰好の。

 え、誰?
 柳子の彼氏?
 それとも、空き巣か強盗?
 これは防犯上の確認、と自分に言い聞かせながら、速足で階段を上がっていくと、柳子の部屋をノックした。

「はい」といつもと変わらない柳子の声がする。でも少し声の調子がおかしいような気もした。
「あの、柳子さん……」

 いつもならすぐにドアを開けてくれるのだが、今日はなぜか閉じたままだ。

「良ちゃん? どうしたの?」

 えーと、なんて言えばいいんだ?

「えっと、朝、クーラーボックスにおにぎり入れといてくれたみたいで……」
「そうだよ。暑いから悪くならないように。正子さんに借りたの」
「あぁ、そうだったんだ。ありがとう」
「どういたしまして」

 話が終わってしまった。

「あの……お客さま?」

 不自然な話題転換。だがしかたない。
 一瞬の間を置いてから、「え? ああ……」と柳子は曖昧な声を出した。

「さっき、男の人が入ってくのが見えたから……大丈夫かなって思って」
「あぁ、心配してくれてありがとう。大丈夫だよ」

 大丈夫なんだ。そうか。お邪魔だったのだろうか。

「あ、そっか。ごめん。じゃ……」

 慌てて自分の部屋に逃げ帰った。
 なんで動揺してるんだ、僕は。
 別に柳子とはなんでもないのに。




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