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第六章

第四十四話 新しい芽吹きの季節に

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 オリアスの策略を何とか事前に食い止められたのは、全くの偶然のおかげだった。
 もし、俺の勘があのとき働いていなかったら、亡き笠原夫妻から託された大切な一人娘を妖魔の奴隷にしてしまったばかりか、高校ごと妖魔の軍隊になっていたかもしれないのだ。

 俺は事件後、これからの予防対策のために、宮内庁と警視庁、そしてお役目の俺と古座竜騎、忌野沙江を一つの場所に集めて話し合う場を提起した。
 さいわい、誰もがその必要性を認め、おまけに現内閣の官房長官からも代理の派遣依頼もあり、スムースに開催が決定した。

 その会議の中で、やはり大きなテーマになったのは、『お役目の存在を世の中に知らせるかどうか』、という点だった。

「率直に申し上げて、それは大きなリスクを伴うと考えます┅┅」
 中臣首席神祇官がまず口を開いた。
「┅人は自分の目に見えないものは信じない。そこに確かにあるのだと人が言っても、それを信じて自分や家族の命を託そうとは思わないでしょう。
 さらに言えば、目に見えない闇の脅威が現実のものであると知れば、大きなパニックを引き起こすのは目に見えております。これは、日本だけの問題ではなく、世界中に波及する大問題になるでしょう。
 そうしたことを見越して、この二千年余の間、神祇局の存在は時の天皇にさえ知られないように宮中の極秘事項として受け継がれてきたのです┅┅」

 全くの正論で、それに異を唱える者は誰もいなかった。

「確かに首席神祇官のおっしゃる通りだと思います。ただ、前回や今回のように、我々が気づかない所で、妖魔に洗脳される人間が増えていったら、気づいたときにはもう手遅れという事態になる危険がある。
 これは、前世で闇の世界にいた私の使霊が警告してくれたのですが、闇のヌシも考え方を変えてきているのではないかと┅┅今まで何度も侵攻を阻止され、力づくの侵攻では無理だと悟った彼らは、やり方を変えてきたというのです」

「確かにそれが本当なら、対策が必要です。
今回平野家では、平野霊也を含め、両親、使用人がすべて洗脳状態でした。そのうち、霊也と使用人五人が死亡、両親と霊也の妹は無事に保護されましたが、両親はまだ洗脳が解けておらず、特別拘置所に勾留中です。妹は、ずっと意識が戻っていません。
こんなことが日本中で密かに行われたら、手の打ちようがない。しかも、岩田刑事の話では、普通の人間が太刀打ちできる相手ではなかったということです。
警察としては、是非ともある程度の情報公開をしてもらい、お役目の方々と連携して今後の捜査や事件解決に当たっていきたいと考えています」
警視庁公安部の新川部長が真剣な顔でそう言った。

「ええっと、少しお話させて頂いてよろしいでしょうか?」
 内閣官房局の迫田次長が口を開いた。
「官房長官は今回の事件を大変深刻に受け止められています。五年前の事件の時は、主に国外の案件でしたので、小谷神祇官から要請があった特例法も承認が遅れてしまい、次の内閣への引継もうまく出来ませんでした。その点は、深くお詫びしたいとのことです。
 そして、今回は是非早急にまず閣僚会議で、特例法を承認成立させ、いずれは国会で関連法案を提出し承認を得たいと考えておられます。
 ただ、そのためには、お役目の存在を公表し、その意義を説明する必要があります。さきほど中臣主席神祇官からご指摘があった点をふまえて、皆さんのご意見をお伺いできればと思います」

「ああ、じゃあ、ちょっと意見を言わせてもらうわ」
 竜騎が手を上げて考えを述べた。
「俺は、中臣さんの心配も、修一、いや射矢王のもどかしさも、よう分かる。それであえて希望を言うなら、俺たちの存在は今のまま、なるべく知られないようにして、警察に特別な組織を作ってもらっていつでも俺たちと連携できるようにしてもらうのがベストやないかと思う」

「今、竜騎が言ってくれたことは、俺が官房長官にお願いしたことにほぼ近い内容です。ただ、新たな警察の組織といっても、法の改正から組織作りまで大変手間がかかると思いましたので、できれば、今の公安部とだけでも連携できたらと考えています。そのためには、人権関係で捜査や取り調べには事前に裁判所の承認が必要ですから、そこの部分を何とか事後に回せるような特例法を作って頂けないかと考えています」

「わたしも、射矢王の意見に賛成です。わたしたちの存在を公にして、すべての人から認めてもらい、闇の脅威を知ってもらう、これが確かに理想ではありますが、現時点では中臣首席神祇官が危惧されている通りの結果になると思います。
 ですが、射矢王が先ほどおっしゃった闇の者の計略の変化もまた事実です。早急に全国的な監視体制の強化と、我々と警察の連携強化が必要だと思います。
 もう一点提案したいのは、能力者の開発と育成です。我々三人だけでは、全国を常に監視することは不可能です。どうしても事件が起こってから駆けつけるという形になってしまう。ですから、早急に闇の気を感じ取れる能力者の数を増やす必要があります」

 沙江の意見に出席者たちは全員納得して頷いた。

「分かりました。公安部としては、全国の警察の公安課と連絡をとって、お役目の方々と協力していくようにしたいと思います。将来的には、専門の特別部隊を組織する方向で公安委員会とも話し合っていきたいと考えています」

「官房長官には皆さんのご意見を報告させて頂きます。その上で、先ほど小谷神祇官からご提案のあった特例法について早急に成立させるよう努めます」

「能力者の発見、育成については、小谷特別神祇官と話し合って、どういう方法にするか急ぎ決定したいと思います。」

 こうして会議は俺の希望が叶えられる形で無事に終わった。

「修一だけに苦労を押しつけるみたいで申し訳ないな」
「いや、助かったよ。これで少しは動きやすくなると思う」
「手が足りないときにはいつでも連絡して下さいね」
「ああ、頼りにしてるよ」

 竜騎と沙江は、会議の後それぞれ用事があって、南と北に別れて帰って行った。だが、恐らくまた近いうちに、彼らとは行動を共にすることになるだろう。
 能力者の発見と育成には、どうしても彼らの協力が不可欠だったからだ。

 さて、俺にはもう一つ厄介な後始末が残っていた。笠原紗由美のことである。

 紗由美は事件後、病院で意識を取り戻してから、ひどく取り乱して、しばらくは誰の言葉も受け付けない状態だった。食事も摂らず、時折発作のように泣き叫ぶことが続いた。
 俺は彼女が発作的に自殺を図ることを心配して、担当医師に点滴と一緒に鎮静剤を投与するよう頼んだほどだった。

「ただいまァ┅」
 疲れた様子でメイリーが帰ってきた。
「お帰り┅その様子だと、紗由美ちゃんはまだ変わりないか?」
「ええ┅┅起きてはいるんだけどね┅魂が抜けちゃったみたいで、話しかけても返事をしてくれないの」

 俺はため息を吐いて窓の外に目をやった。
 新緑の木々が、夕日を受けて鮮やかに輝きながら揺れていた。

「もうしばらくして彼女の心が落ち着いたら、長野の実家に連れて行こう。やっぱり、心の傷を癒やしてくれるのは故郷だろう」

「┅┅そうでしょうか?」
 俺の側に歩み寄りながら、サクヤが少し険しい表情で言った。
「彼女にとっては初めての手痛い経験だったに違いありません。でも、周囲が優しくしたり、甘やかしたりして、傷物を触るような態度で接しても、決して良い結果が生まれるとは思えません┅┅」

「うん┅サクヤはどうすれば良いと思うんだ?」
「あんなことくらいで悩むのは、馬鹿げたことだと気づかせればいいんです」

 俺は、サクヤの思い切った発言に驚いて彼女を見つめた。
「馬鹿げたことなのか?」

「本人にとっては、今は死にたいほど辛いことかもしれません。でも、彼女が失ったものは、ただ初恋と処女だけです。それは、多くの女性が、大人になっていく中で、同じように失い、味わう悲しみなのです」

「うん┅┅でも、それは後になってから初めて分かることじゃないかな┅┅」

「そのとおりです┅┅初恋よりも素晴らしい恋に巡り会えて、処女を失ったことなど些細なことだと気づかせてくれる相手に出会ったとき、ああ、なんてつまらないことで悩んでいたんだろうと分かると思います」

「ああ、姉様が何を言いたいのか、分かった┅ふふ┅┅でもね、姉様、今あの子は自分が悔しいんだと思うよ。自己嫌悪ってやつ?」

「ええ、分かっているわ。だから、それも含めて馬鹿げたことだと言ってるのよ。だからこそ、本物の男のすばらしさを分からせて、黒歴史を塗りつぶしちゃえばいいのよ。わたしが、そうしてもらったように┅┅」

「ふふ┅┅そっか、確かにそれが一番手っ取り早いかも┅┅だってさ、兄様┅┅」

「ん?まったく話が見えないんだが┅┅」

「あのね、紗由美ちゃんを自分のものにしろってこと」

 俺はまったく考えてもいなかった結論に驚いて、慌てて首を振った。
「そんなこと、できるわけないだろう?彼女は笠原さんから預かった大切な娘さんなんだぞ。今でさえ笠原さんの怒った顔が見に浮かぶのに、このうえ手を出したりしたら、きっと天国から俺を殺しに出てくるぞ」

「そうかなあ?むしろ、あの二人はそれを望んでいたんじゃない?」
「ええ、わたしもそう思います。わたしたちがいるから、はっきりとはおっしゃらなかったんですけど、ユリカさんは何度かわたしたちの夫婦生活のことを尋ねていましたから┅」

「い、いや、待て┅┅俺にどんだけ重荷を背負わせようとしてるんだ?今から、あの傷ついている女の子に、俺を好きになってもらい、本当の男ってものを分からせる?そんな、ドラマみたいな真似が現実にできるわけないだろう?」

「修一様ならきっとできます」
「うん、兄様ならできる」
「お前らなあ┅┅」

 その後も俺は抵抗したが、結局、紗由美を救うにはそれしかないという二人の妻に押し切られて、やむなく承諾するしかなかった。

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