34 / 45
第五章
第三十四話 諏訪湖にかかる虹
しおりを挟む
「相変わらず、口だけは達者じゃな、こわっぱ。
スサノオよ、惑わされるな。こやつは我らの苦しみなど何も分かっていない。心の中では我らのことをあざ笑っておるのだ」
「あんたねえ」
今にも爆発しそうなメイリーを抑えながらも、サクヤも怒りのあまりブルブルと手を震わせながらミズチをにらみつけていた。
「もう、何もかも遅い┅俺はすべてを捨てたんだ、もう、何も戻っては来ない┅」
「やり直すのに、遅いということはありません。
今、あなたはすべてを捨てたと言いましたが、一番大切なものが残っているではありませんか」
笠原の顔が苦悶にゆがんだ。
「俺は┅俺は┅」
「ふん、やはりおぬしもただの人間だったようじゃな、スサノオよ。もう、ふぬけには頼まぬ、われが直接射矢王を倒す」
笠原を見限ったミズチが、何やら自信ありげにそう言って前に出てきた。
「馬鹿じゃない?あんたにできるわけないじゃない」
「ふっ、良いのか?われを殺せば、あの使霊の娘も死ぬぞ?」
「な、ど、どういうことよ?」
俺たちは驚いて、笠原と使霊の少女の方を見た。
「誓詞呪縛だ┅二年前、この呪縛のやり方をこいつに教えてもらい、裏の連中と顔つなぎをしてもらう代わりに、契約の証しとしてユリカに誓詞呪縛をかけられた┅」
笠原がうめくように言った。
「なんてことを┅」
「あんたって、ほんと卑劣さだけは一級品ね」
「ふひひひ┅お褒めにあずかり光栄だよ。さあて、まずはお嬢さん方から、いたぶってやろうか」
ミズチは勝ち誇った顔で、メイリーとサクヤに近づいていった。
「わたしのことなど構わず、その奸物を成敗してください」
先ほどまで涙にくれていたユリカが、その儚げな顔に強い意志をこめて俺たちの方を見て言った。
(誓詞呪縛って、何なんだ?)
俺はメイリーとサクヤをかばうようにミズチの前に立ちはだかりながらサクヤたちに尋ねた。
(誓詞呪縛は、魂の契約です。相手の魂と自分の魂を呪言で縛り、どちらかが死ねばもう一方も死ぬという、今では使う事は許されない禁呪の法です)
(何とか解く方法は無いのか?)
(呪縛を掛けたほうが解かないかぎり、解呪はできません┅)
「さあ、こわっぱ、覚悟はいいか?今から貴様をいたぶって動けないようにしてから、貴様の大切な女たちを目の前で犯してやる┅ふひひひひ┅」
ミズチはそう言うと、俺につかみかかってきた。
俺はどうすることもできなかった。使霊の娘の命がミズチの手に握られている以上、ミズチが自ら解呪するのを待つしかなかった。
「うぐっ┅がふっ┅」
「修一様っ!」
「兄様っ!」
(手、手は出すなっ┅何か、何か方法を考える、それまで我慢しろ)
「あはははは┅ざまあないのう、こわっぱ┅これまでの恨み、思い知れぇぇっ」
ミズチは狂喜しながら、地面に倒れた俺の上に乗って、拳で俺の顔面を殴り続けた。
「ん?な、何だ、急に力が┅」
突然、ミズチが血にまみれた拳を振り上げたまま、後ろへゆっくりと倒れ込んだ。
「ユリカ┅すまない┅俺は┅」
笠原は血の滴るナイフを地面にポトリと落とした。
背中から心臓の近くを刺された使霊の少女は、地面に倒れて衣服を真っ赤に鮮血で染めながらも、優しく微笑んで主人に手を差し伸べた。
「いいえ、これで┅いいんです┅もう何も言わないで┅分かってますから┅」
「く、くそがああっ┅千載一遇の機会を┅ううっ、ぐううう┅」
ミズチは胸を押さえて苦しみ悶えた。そして、その苦しみから逃れるために、ついにユリカとの魂の誓約を自ら解いたのである。
「ハァ┅ハァ┅役立たずどもめぇぇっ┅」
ミズチが起き上がるのを見て、俺は呪縛が解けたことを悟った。
「サクヤっ、彼女を!」
「はいっ!」
サクヤはユリカの元へ素早く移動し、傷口に気を注ぎ始めた。
「姉様、どう?あたしも手を貸そうか?」
「うん┅大丈夫、心臓をそれてるから、血を止めれば命は助かるわ」
「そう、良かった┅さあて、じゃあ、始末をつけますか┅」
メイリーは黒い羽を生やした妖魔の姿に変身した。
ミズチカヌシは荒い息を吐きながら、やっとの思いでその場に立っていた。
メイリーが近づいてくると、彼は諦めたように怨嗟に満ちた目を閉じた。
「ひと思いにやれ┅見苦しい姿はさらしたくない」
「何勝手なこと言ってるのよ。兄様をさんざん苦しめておいて。ふふふ┅じゃあ、まず毒でも味わってみる?」
メイリーはそう言うと、指先をトゲに変化させてミズチの首筋に近づけていった。
「ひいいっ、ま、待て、助けてくれええ、死にたくない、死にたくない、頼む、頼む┅」
覚悟を決めたかに見えたミズチは、地面にうずくまって震えながら、狂ったように命乞いを始めた。
「メイリー、もういい、そいつのことはミタケノウチノツカサ様にまかせよう。後でキツネ岩へ連れて行く」
俺は腫れ上がった口でなんとかそう言うと、ミズチが動けないように緊縛の術を掛けた。そして、うなだれて立っている笠原へ近づいていった。
「笠原さん、死ぬつもりなら許しませんよ」
笠原はいったん顔を上げて俺を見てから、またうなだれた。
「ふ┅やはり俺ごときが戦える相手ではなかったな┅好きにしてくれ」
「冬馬様┅」
傷が塞がり、意識を取り戻したユリカは、久しぶりに晴れ晴れとした表情の御主人を見て、うれし涙を流した。
「ユリカ┅」
笠原は使霊の少女のそばに歩み寄り、かがみ込んで頭を垂れた。
「ユリカ┅辛い思いばかりさせてすまなかった┅俺は┅」
「いいえ┅もう、何も言わないで┅あなたの苦しみを分かっていたのに、何もしてあげられなかった┅どうか、許して下さい┅」
「いや、違う、違うんだ┅どうか、聞いてくれ┅」
笠原はそう叫ぶと、ユリカを膝に抱いてその場に座った。
「射矢王、君たちもどうか聞いてくれ┅。
俺はガンに冒されている┅いや、ユリカ、どうか怒らないで聞いてくれ。俺は、怖かったんだ┅お役目に失望し、酒に溺れ、何も出来ずにどんどん年老いてゆく自分と、いつまでもあの頃のままで、美しいユリカを見るたびに、いい知れない絶望と恐怖が襲ってきた。
いつかは、ユリカに愛想を尽かされて見捨てられるんじゃないかと┅。
そんな時、ユリカが妊娠したことを知った。嬉しかった┅それこそ飛び回って叫びたいほど嬉しかった┅」
笠原はこらえきれずに涙を流し、喉を詰まらせた。
ユリカもまた新たな涙を溢れさせながら嗚咽し、笠原の胸に顔を埋めていた。
「┅だが、同時に深い後悔と絶望が俺を包んでいた。その頃俺は、お役目を返上し、生活のための収入を得るために、悪事に手を染めていたからだ。今さら、もう一度お役目をさせてくれとは言えないし、宮内庁も許さないだろう。高校にも行っていない俺が、まともな職に就くのも難しかった。
生まれてくる子供のためにも金が欲しかった俺は、さらに危険な仕事に手を染めるようになった。当然命を狙われるようなこともあった。
だから、ユリカを長野の俺の実家に預けることにしたんだ。だが、おふくろは、ユリカが紗由美を産んで半年後、ユリカを俺の元へ帰した。子供は自分が育てるから、俺の側にいるようにと言って┅本当はその時俺は長野に帰るべきだったんだ┅。
だが、できなかった┅惨めに打ちのめされた俺でも、お役目だったという糞みたいなプライドがあった┅意地があった┅世の中から汚い金を巻き上げ、贅沢三昧の生活をして笑ってやろう┅そんな馬鹿な意地にこだわって、東京での生活を続けた。
その結果がこれだ┅四ヶ月前、占いの仕事をしているときに、突然めまいがして動けなくなった。なんとか自力で病院に行って検査を受けたら、肝臓ガンだった。余命は一年半┅まあ、なにもかも自分の行いの結果だ、甘んじて受け入れよう┅だが、ユリカと娘には辛い思いばかりさせて、何もしてやれない自分が腹立たしくて、情けなくて┅」
過酷な運命というしかなかった。
確かに、彼は自分の心の弱さのために人生を無駄にしたのだ、この結果は自業自得だと、突き放して批判することもできるだろう。
だが、俺にはとてもそんな言葉は吐けなかった。なぜなら、俺にもその弱さがあり、現にサクヤのことで、彼と同じように人生を投げ出していたかもしれないからだ。
「笠原さん┅今からでも長野の娘さんと一緒に暮らしませんか。あなたの気持ちを考えると、辛いとは思いますが、このままでは絶対に後悔が残ると思うんです」
俺の言葉に、笠原はしばらく下を向いてじっと考え込んでいた。
「冬馬様┅」
もう泣くことしかできないユリカは、涙に濡れた顔を上げて苦悩する御主人を見つめた。
「ユリカ┅こんな俺を、許してくれるか?」
「ああ、冬馬様┅はい┅はい┅愛しております、これまでも┅これからも、永遠に┅」
ユリカの目からようやく悲しみの涙ではなく、幸福の涙が溢れて流れ落ちていった。
こうして、前お役目笠原冬馬は、忌まわしい過去と決別して、愛する使霊ユリカとともに娘のいる長野の実家へ帰っていった。そして、余命一年半という宣告にもかかわらず、それから三年間よく頑張って生き延びた。
三年という短い時間だったが、冬馬とユリカはありったけの愛情を娘に注ぎ、幸福で満ち足りた日々を過ごした。
安らかな臨終の時を迎えた冬馬は、愛娘の紗由美を枕元に呼んでこう告げた。
「何か困ったことがあったら、射矢王様を頼りなさい。そして、彼の手助けをしなさい。彼なら、きっとお前の生きるべき道を教えてくれるはずだ」
そう言って彼は、俺の名前と住所が書かれたメモを手渡した。
冬馬が旅立った三日後、ユリカも愛娘を胸に抱きながら、静かに光となって天に帰って行った。
スサノオよ、惑わされるな。こやつは我らの苦しみなど何も分かっていない。心の中では我らのことをあざ笑っておるのだ」
「あんたねえ」
今にも爆発しそうなメイリーを抑えながらも、サクヤも怒りのあまりブルブルと手を震わせながらミズチをにらみつけていた。
「もう、何もかも遅い┅俺はすべてを捨てたんだ、もう、何も戻っては来ない┅」
「やり直すのに、遅いということはありません。
今、あなたはすべてを捨てたと言いましたが、一番大切なものが残っているではありませんか」
笠原の顔が苦悶にゆがんだ。
「俺は┅俺は┅」
「ふん、やはりおぬしもただの人間だったようじゃな、スサノオよ。もう、ふぬけには頼まぬ、われが直接射矢王を倒す」
笠原を見限ったミズチが、何やら自信ありげにそう言って前に出てきた。
「馬鹿じゃない?あんたにできるわけないじゃない」
「ふっ、良いのか?われを殺せば、あの使霊の娘も死ぬぞ?」
「な、ど、どういうことよ?」
俺たちは驚いて、笠原と使霊の少女の方を見た。
「誓詞呪縛だ┅二年前、この呪縛のやり方をこいつに教えてもらい、裏の連中と顔つなぎをしてもらう代わりに、契約の証しとしてユリカに誓詞呪縛をかけられた┅」
笠原がうめくように言った。
「なんてことを┅」
「あんたって、ほんと卑劣さだけは一級品ね」
「ふひひひ┅お褒めにあずかり光栄だよ。さあて、まずはお嬢さん方から、いたぶってやろうか」
ミズチは勝ち誇った顔で、メイリーとサクヤに近づいていった。
「わたしのことなど構わず、その奸物を成敗してください」
先ほどまで涙にくれていたユリカが、その儚げな顔に強い意志をこめて俺たちの方を見て言った。
(誓詞呪縛って、何なんだ?)
俺はメイリーとサクヤをかばうようにミズチの前に立ちはだかりながらサクヤたちに尋ねた。
(誓詞呪縛は、魂の契約です。相手の魂と自分の魂を呪言で縛り、どちらかが死ねばもう一方も死ぬという、今では使う事は許されない禁呪の法です)
(何とか解く方法は無いのか?)
(呪縛を掛けたほうが解かないかぎり、解呪はできません┅)
「さあ、こわっぱ、覚悟はいいか?今から貴様をいたぶって動けないようにしてから、貴様の大切な女たちを目の前で犯してやる┅ふひひひひ┅」
ミズチはそう言うと、俺につかみかかってきた。
俺はどうすることもできなかった。使霊の娘の命がミズチの手に握られている以上、ミズチが自ら解呪するのを待つしかなかった。
「うぐっ┅がふっ┅」
「修一様っ!」
「兄様っ!」
(手、手は出すなっ┅何か、何か方法を考える、それまで我慢しろ)
「あはははは┅ざまあないのう、こわっぱ┅これまでの恨み、思い知れぇぇっ」
ミズチは狂喜しながら、地面に倒れた俺の上に乗って、拳で俺の顔面を殴り続けた。
「ん?な、何だ、急に力が┅」
突然、ミズチが血にまみれた拳を振り上げたまま、後ろへゆっくりと倒れ込んだ。
「ユリカ┅すまない┅俺は┅」
笠原は血の滴るナイフを地面にポトリと落とした。
背中から心臓の近くを刺された使霊の少女は、地面に倒れて衣服を真っ赤に鮮血で染めながらも、優しく微笑んで主人に手を差し伸べた。
「いいえ、これで┅いいんです┅もう何も言わないで┅分かってますから┅」
「く、くそがああっ┅千載一遇の機会を┅ううっ、ぐううう┅」
ミズチは胸を押さえて苦しみ悶えた。そして、その苦しみから逃れるために、ついにユリカとの魂の誓約を自ら解いたのである。
「ハァ┅ハァ┅役立たずどもめぇぇっ┅」
ミズチが起き上がるのを見て、俺は呪縛が解けたことを悟った。
「サクヤっ、彼女を!」
「はいっ!」
サクヤはユリカの元へ素早く移動し、傷口に気を注ぎ始めた。
「姉様、どう?あたしも手を貸そうか?」
「うん┅大丈夫、心臓をそれてるから、血を止めれば命は助かるわ」
「そう、良かった┅さあて、じゃあ、始末をつけますか┅」
メイリーは黒い羽を生やした妖魔の姿に変身した。
ミズチカヌシは荒い息を吐きながら、やっとの思いでその場に立っていた。
メイリーが近づいてくると、彼は諦めたように怨嗟に満ちた目を閉じた。
「ひと思いにやれ┅見苦しい姿はさらしたくない」
「何勝手なこと言ってるのよ。兄様をさんざん苦しめておいて。ふふふ┅じゃあ、まず毒でも味わってみる?」
メイリーはそう言うと、指先をトゲに変化させてミズチの首筋に近づけていった。
「ひいいっ、ま、待て、助けてくれええ、死にたくない、死にたくない、頼む、頼む┅」
覚悟を決めたかに見えたミズチは、地面にうずくまって震えながら、狂ったように命乞いを始めた。
「メイリー、もういい、そいつのことはミタケノウチノツカサ様にまかせよう。後でキツネ岩へ連れて行く」
俺は腫れ上がった口でなんとかそう言うと、ミズチが動けないように緊縛の術を掛けた。そして、うなだれて立っている笠原へ近づいていった。
「笠原さん、死ぬつもりなら許しませんよ」
笠原はいったん顔を上げて俺を見てから、またうなだれた。
「ふ┅やはり俺ごときが戦える相手ではなかったな┅好きにしてくれ」
「冬馬様┅」
傷が塞がり、意識を取り戻したユリカは、久しぶりに晴れ晴れとした表情の御主人を見て、うれし涙を流した。
「ユリカ┅」
笠原は使霊の少女のそばに歩み寄り、かがみ込んで頭を垂れた。
「ユリカ┅辛い思いばかりさせてすまなかった┅俺は┅」
「いいえ┅もう、何も言わないで┅あなたの苦しみを分かっていたのに、何もしてあげられなかった┅どうか、許して下さい┅」
「いや、違う、違うんだ┅どうか、聞いてくれ┅」
笠原はそう叫ぶと、ユリカを膝に抱いてその場に座った。
「射矢王、君たちもどうか聞いてくれ┅。
俺はガンに冒されている┅いや、ユリカ、どうか怒らないで聞いてくれ。俺は、怖かったんだ┅お役目に失望し、酒に溺れ、何も出来ずにどんどん年老いてゆく自分と、いつまでもあの頃のままで、美しいユリカを見るたびに、いい知れない絶望と恐怖が襲ってきた。
いつかは、ユリカに愛想を尽かされて見捨てられるんじゃないかと┅。
そんな時、ユリカが妊娠したことを知った。嬉しかった┅それこそ飛び回って叫びたいほど嬉しかった┅」
笠原はこらえきれずに涙を流し、喉を詰まらせた。
ユリカもまた新たな涙を溢れさせながら嗚咽し、笠原の胸に顔を埋めていた。
「┅だが、同時に深い後悔と絶望が俺を包んでいた。その頃俺は、お役目を返上し、生活のための収入を得るために、悪事に手を染めていたからだ。今さら、もう一度お役目をさせてくれとは言えないし、宮内庁も許さないだろう。高校にも行っていない俺が、まともな職に就くのも難しかった。
生まれてくる子供のためにも金が欲しかった俺は、さらに危険な仕事に手を染めるようになった。当然命を狙われるようなこともあった。
だから、ユリカを長野の俺の実家に預けることにしたんだ。だが、おふくろは、ユリカが紗由美を産んで半年後、ユリカを俺の元へ帰した。子供は自分が育てるから、俺の側にいるようにと言って┅本当はその時俺は長野に帰るべきだったんだ┅。
だが、できなかった┅惨めに打ちのめされた俺でも、お役目だったという糞みたいなプライドがあった┅意地があった┅世の中から汚い金を巻き上げ、贅沢三昧の生活をして笑ってやろう┅そんな馬鹿な意地にこだわって、東京での生活を続けた。
その結果がこれだ┅四ヶ月前、占いの仕事をしているときに、突然めまいがして動けなくなった。なんとか自力で病院に行って検査を受けたら、肝臓ガンだった。余命は一年半┅まあ、なにもかも自分の行いの結果だ、甘んじて受け入れよう┅だが、ユリカと娘には辛い思いばかりさせて、何もしてやれない自分が腹立たしくて、情けなくて┅」
過酷な運命というしかなかった。
確かに、彼は自分の心の弱さのために人生を無駄にしたのだ、この結果は自業自得だと、突き放して批判することもできるだろう。
だが、俺にはとてもそんな言葉は吐けなかった。なぜなら、俺にもその弱さがあり、現にサクヤのことで、彼と同じように人生を投げ出していたかもしれないからだ。
「笠原さん┅今からでも長野の娘さんと一緒に暮らしませんか。あなたの気持ちを考えると、辛いとは思いますが、このままでは絶対に後悔が残ると思うんです」
俺の言葉に、笠原はしばらく下を向いてじっと考え込んでいた。
「冬馬様┅」
もう泣くことしかできないユリカは、涙に濡れた顔を上げて苦悩する御主人を見つめた。
「ユリカ┅こんな俺を、許してくれるか?」
「ああ、冬馬様┅はい┅はい┅愛しております、これまでも┅これからも、永遠に┅」
ユリカの目からようやく悲しみの涙ではなく、幸福の涙が溢れて流れ落ちていった。
こうして、前お役目笠原冬馬は、忌まわしい過去と決別して、愛する使霊ユリカとともに娘のいる長野の実家へ帰っていった。そして、余命一年半という宣告にもかかわらず、それから三年間よく頑張って生き延びた。
三年という短い時間だったが、冬馬とユリカはありったけの愛情を娘に注ぎ、幸福で満ち足りた日々を過ごした。
安らかな臨終の時を迎えた冬馬は、愛娘の紗由美を枕元に呼んでこう告げた。
「何か困ったことがあったら、射矢王様を頼りなさい。そして、彼の手助けをしなさい。彼なら、きっとお前の生きるべき道を教えてくれるはずだ」
そう言って彼は、俺の名前と住所が書かれたメモを手渡した。
冬馬が旅立った三日後、ユリカも愛娘を胸に抱きながら、静かに光となって天に帰って行った。
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
聖女の孫だけど冒険者になるよ!
春野こもも
ファンタジー
森の奥で元聖女の祖母と暮らすセシルは幼い頃から剣と魔法を教え込まれる。それに加えて彼女は精霊の力を使いこなすことができた。
12才にった彼女は生き別れた祖父を探すために旅立つ。そして冒険者となりその能力を生かしてギルドの依頼を難なくこなしていく。
ある依頼でセシルの前に現れた黒髪の青年は非常に高い戦闘力を持っていた。なんと彼は勇者とともに召喚された異世界人だった。そして2人はチームを組むことになる。
基本冒険ファンタジーですが終盤恋愛要素が入ってきます。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
異世界悪霊譚 ~無能な兄に殺され悪霊になってしまったけど、『吸収』で魔力とスキルを集めていたら世界が畏怖しているようです~
テツみン
ファンタジー
**救国編完結!**
『鑑定——』
エリオット・ラングレー
種族 悪霊
HP 測定不能
MP 測定不能
スキル 「鑑定」、「無限収納」、「全属性魔法」、「思念伝達」、「幻影」、「念動力」……他、多数
アビリティ 「吸収」、「咆哮」、「誘眠」、「脱兎」、「猪突」、「貪食」……他、多数
次々と襲ってくる悪霊を『吸収』し、魔力とスキルを獲得した結果、エリオットは各国が恐れるほどの強大なチカラを持つ存在となっていた!
だけど、ステータス表をよーーーーっく見てほしい! そう、種族のところを!
彼も悪霊――つまり「死んでいた」のだ!
これは、無念の死を遂げたエリオット少年が悪霊となり、復讐を果たす――つもりが、なぜか王国の大惨事に巻き込まれ、救国の英雄となる話………悪霊なんだけどね。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
【書籍化決定】俗世から離れてのんびり暮らしていたおっさんなのに、俺が書の守護者って何かの間違いじゃないですか?
歩く魚
ファンタジー
幼い頃に迫害され、一人孤独に山で暮らすようになったジオ・プライム。
それから数十年が経ち、気づけば38歳。
のんびりとした生活はこの上ない幸せで満たされていた。
しかしーー
「も、もう一度聞いて良いですか? ジオ・プライムさん、あなたはこの死の山に二十五年間も住んでいるんですか?」
突然の来訪者によると、この山は人間が住める山ではなく、彼は世間では「書の守護者」と呼ばれ都市伝説のような存在になっていた。
これは、自分のことを弱いと勘違いしているダジャレ好きのおっさんが、人々を導き、温かさを思い出す物語。
※書籍化のため更新をストップします。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。
克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります!
辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。
フリーター転生。公爵家に転生したけど継承権が低い件。精霊の加護(チート)を得たので、努力と知識と根性で公爵家当主へと成り上がる
SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
400倍の魔力ってマジ!?魔力が多すぎて範囲攻撃魔法だけとか縛りでしょ
25歳子供部屋在住。彼女なし=年齢のフリーター・バンドマンはある日理不尽にも、バンドリーダでボーカルからクビを宣告され、反論を述べる間もなくガッチャ切りされそんな失意のか、理不尽に言い渡された残業中に急死してしまう。
目が覚めると俺は広大な領地を有するノーフォーク公爵家の長男の息子ユーサー・フォン・ハワードに転生していた。
ユーサーは一度目の人生の漠然とした目標であった『有名になりたい』他人から好かれ、知られる何者かになりたかった。と言う目標を再認識し、二度目の生を悔いの無いように、全力で生きる事を誓うのであった。
しかし、俺が公爵になるためには父の兄弟である次男、三男の息子。つまり従妹達と争う事になってしまい。
ユーサーは富国強兵を掲げ、先ずは小さな事から始めるのであった。
そんな主人公のゆったり成長期!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる